暗雲を引き裂き、人々に青空を与えた英雄。無敗の三冠馬コントレイル
■希望の空から暗雲、そこに立ち込めし一筋の飛行機雲

新馬戦から無敗で駆け抜け、2歳GⅠを勝利する。早くから競走馬としての強さを証明するには、これ程分かりやすいものは無いだろう。

2019年ホープフルステークスの勝者コントレイルも、無敗の3連勝でGⅠタイトルを掴み取った。そして彼は、偉大な父ディープインパクトの子でもあった。その勝利と同時に、同じく無敗で2歳マイルGⅠを制したサリオスとの比較が始まり、早くもこんな議論が始まる。

──クラシックは、コントレイルだ。無敗で朝日杯を制したサリオスも居るぞ。いやいや、まだ見ぬニューヒーローが、皐月賞トライアルで現れて本番も勝つのでは──

彼らが切磋琢磨し、ファンを熱狂させる。競馬場で感動しながら声援を送る。そんなクラシックが訪れると、誰もが思っていた。

だが、新型コロナウイルスが、日本…いや世界に暗い影を落とし始めた。
2020年の2月あたりから感染が拡大し、イベント、スポーツ、そして日常生活までも脅かす。そのすべてで開催か、延期か、それとも、という三択を迫られ続けた。

競馬界の判断は、無観客開催であった。なんとか中止は免れたが、現地でクラシックを観戦する事は叶わない。これが長く苦しい、静寂のクラシックの幕開けだった。

皐月賞当日、船橋法典駅から中山競馬場に向かう地下道に、観客の姿は無い。場内にも、ファンは誰一人居ない。居るのは、関係者と、競走馬のみ。静寂に包まれた中山競馬場では着々とレースが行われ、気づけば第10レースも終わり、皐月賞の発走が近づいていた。

まず2歳GⅠホースとして、ホープフルS勝者のコントレイルと朝日杯FS勝者のサリオスが出走。さらに皐月賞トライアル組からはダーリントンホール、サトノフラッグ、ガロアクリーク等、前哨戦で活躍を見せた馬たちも顔を揃え、クラシック三冠初戦に相応しいメンバーが集まった。

発走時間が近づき、次々と、静かにゲートインをしていく。彼らの心境たるや、どんなものだったのだろうか。自分達のレースを現地で見守る観客は居ない。だが、出来る事はある。テレビから見届けているであろうファンに、最高のレースを見せる事。

もしかすると、そんな風に考えていたのかもしれない。

ガシャン。

ゲートが開き、各馬が一斉にスタート。先行争いは、ウインカーネリアン、テンピン、キメラヴェリテ。ゴール板を過ぎたあたりで、それに決着が付く。

制したのは、逃げ宣言の出ていたキメラヴェリテと藤岡康太騎手。スイスイと前を気持ち良く走らせていく。そこから少し離れてウインカーネリアンがつけ、サリオスはやや前目の5番手にポジションを取る。コントレイルは荒れた最内の馬場が合わなかったか、後方の最内となった。

1000mを通過し、依然、先頭はキメラヴェリテ。サリオスの位置は変わらないが、コントレイルはまだ最内後方という展開だ。しかし、残り600mを通過しようかというタイミングで、福永騎手が勝負を仕掛ける。後方の最内で待機していたコントレイルはいつの間にか、大外に持ち出し捲りを見せていた。

勝負は最終直線。内から抜け出すサリオスに、大外からスパートを掛けたコントレイルが迫る。残り200mを切って、コントレイルとサリオスが他馬を突き放し、2頭の一騎打ちとなる。皐月の栄冠を掴むのは、どちらか。コントレイルか、サリオスか。

最後はコントレイルがサリオスを振り切り、1着でゴール板を駆け抜けた。同時に、福永祐一騎手がクラシック完全制覇を達成した瞬間でもあった。

壮絶な叩き合いを制し、無敗の皐月賞馬となったコントレイルは、クラシックの主役として歩みを続けていくことになる。

■静寂のダービー、英雄の血を受け継いだ末脚炸裂

皐月賞が終わり、次は日本ダービー。
皐月賞の現地観戦は叶わなかったが、ダービーだけでも現地観戦を──そう願ったファンは多かったであろう。だが、収束の気配を見せぬ感染症が、それを許さなかった。

5月31日まで、無観客開催は延長。この宣言は同時に、日本ダービーの無観客開催を決定づける宣言でもあった。

あのディープインパクトの子が無敗の二冠馬になるかもしれないのに…そんな悔しさを胸に、ファンはダービーの日を待つ。そして5月31日、日本ダービー当日。東京競馬場はダービーの発走直前になっても、スタンドに観客は1人も居ない。世代の頂点を決める檜舞台だと言うのに、それを見守るファンは居ない。

だが騎手も馬も、やる事は分かっている。己の最強を示す為、ここまで走って来たのである。いま出来る事はただ一つ、画面の向こうで見ているであろうファンの為に、最高の走りを見せるだけ…。各馬がゲートインし、今か今かとスタートを待つ。そして大きな音とともに、ゲートが開く。

スタートと同時に、大外の18番枠から田辺裕信騎手とウインカーネリアンが、猛烈なスピードで内に切れ込み先頭に立つ。そのまま他馬の反応を確認するとゆっくりとペースを落とし、息を整えていった。

レースはウインカーネリアンがペースを落とした影響か、1000m通過が61秒というスローペースに。だが、一人の騎手が、このスローペースを良しとしなかった。この時点でダービー2勝を挙げていた大ベテラン、横山典弘騎手である。彼にエスコートされたマイラプソディは、後方から一気に捲り、向こう正面で先頭に躍り出してみせた。

この動きでレースが、馬群が乱れてもおかしくない急展開。だが福永騎手は慌てない。ワグネリアンでダービーを制した名手は、コントレイルと共に内でじっと耐える。

4コーナーを抜け最終直線、先頭はマイラプソディ。逃げ切りを図るが、後続の馬がジリジリと差を詰める。坂を越えたところで、馬群の真ん中からコントレイルが一気に抜け出しにかかり、溜めた末脚を爆発させる。東京の長い直線で見せるその末脚は、まるで父ディープインパクトのよう。追いつける馬も、粘れる馬も、1頭たりとていなかった。

後方からスパートを掛けたサリオスが必死に追いつこうとするが、どんどん離されていく。2馬身、3馬身とサリオスを突き放し、コントレイルはゴール板を駆け抜ける。

「このダービーは、コントレイルの為にあった! 完勝、コントレイル!」

父ディープインパクト以来15年ぶりとなる、無敗の二冠馬の誕生。だが、勝者を称えるファンはそこには居なかった。響き渡る、万雷の喝采も、熱狂もそこには無い。ダービーを実況していたアナウンサーが「これ程の強さ、偉業達成を多くのファンに見ていただけなかった事だけが、残念であります」と、悔しさをにじませたことからも、いかにこのダービーが異質な空間だったかが分かるだろう。

福永祐一騎手の心に、この実況が届いたのかは分からない。だが、彼は行動に出る。

「一礼しようか」と、コントレイルをリードしていた厩務員に伝え、スタンドの方へコントレイルを促し、スタンド前でピタリと止まる。そして脱帽をし、無人のスタンドに向かって一礼をした。

後の取材で福永騎手は、こう語った。

「スタンドにお客さんは居なかったですけど、画面越しに沢山の方が見ていただいたと思ったので」

福永騎手の無観客のスタンドへの一礼。それは遠くから見届けける事しか出来ないファンに対しての、最大限の感謝であった。

■秋空切り裂くContrail

夏競馬も終わり、秋競馬のシーズンに入る頃になると、限定的ながら観客を入れた開催への取り組みが進み、10月には競馬場への入場が解禁。1000人に満たない入場者数であったが、一歩ずつ、通常開催を目指し始めていた。

そして、史上初、親子で無敗の三冠馬を目指すコントレイルは、中京開催の神戸新聞杯から始動し見事勝利。前哨戦を取りこぼす事なく、無敗で菊花賞へ挑む事となった。

10月に入り、最後の一冠にして最大の難関、菊花賞の開催が近づくにつれ、無敗の三冠馬の誕生を楽しみにするファンが多かったが、同時に「もしコントレイルが負けるとしたら、距離では?」と不安を覚えた人も多かっただろう。

皐月賞、日本ダービーと、圧倒的なパフォーマンスを見せたコントレイルでも、3000mは未知の領域。距離が持つか、持たないのか。コレばかりは走ってみないと分からない。やきもきした人も多かったであろう。

コントレイルの三冠に立ち塞がるとしたら、やはり3000m適性を持つステイヤーか、夏の上がり馬だろうか──。そしてこの年は、出走メンバーに該当する夏の上がり馬が居た。

エピファネイア産駒のアリストテレスだ。

春のクラシックには間に合わなかったものの、8月の出雲崎特別、9月に開催された小牧特別と連勝を重ね、菊花賞の出走を勝ち取った。そして鞍上には、C.ルメール騎手。

夏の上がり馬と、日本競馬界のトップジョッキー。このコンビが、コントレイルの三冠を阻止する馬になるのでは…と、考えたファンも居たであろう。

菊花賞当日。三冠を狙うコントレイルは、当然ながら1番人気。しかも、1.1倍と圧倒的な人気だ。2番人気のヴェルトライゼンデが10倍以上のオッズだったことからも、コントレイルが無敗の三冠を達成するか、あるいは、他馬がそれを阻止するかというその1点にのみ、ファンは集中していたのだろう。

全馬ゲートインが完了し、ゲートが開く。コントレイルと福永騎手は好スター卜を決め、前から5番手辺りの位置を取る。だが、その直後でアリストテレスとルメール騎手がコントレイルをピッタリとマーク。その斜め後方ではヴェルトライゼンデと池添謙一騎手も彼らの動きを見るかのように位置を陣取っていた。

まるで、簡単には三冠を取らせないぞと言わんばかりに、彼らはコントレイルを徹底的にマークする。

各馬がスタンド前を通過すると、パチパチと1000人分の拍手が響き渡る。先頭は皐月賞同様にキメラヴェリテで、コントレイルは中団の内を走る。ペースもそれほど速くならず、一冠目とほぼ変わらない展開だった。違いがあるとすれば、春以上に他馬からのマークがきつくなっていたことか。アリストテレスとヴェルトライゼンデが、ピタリと彼を離さないまま、レースは終盤に向かっていく。

2周目、京都の坂を下ったところでコントレイルはやや外に持ち出したが、まだ鞍上、福永祐一騎手の手綱は動かない。果たして何処で勝負を仕掛けるのか、一様に視線が集まる。

そして最終直線、遂にコントレイルが動き、先頭に並びかけて行く。これは余裕の抜け出しと思われたが、いつも見せる圧倒的な末脚が無い。それどころか、すぐ後ろにいたアリストテレスが、最後の一冠は渡さんと言わんばかりにジリジリと迫ってくる。1馬身、半馬身、クビ差、このままでは抜かれるのも時間の問題か。

距離の壁に、三冠の夢は破れるのか。だが、コントレイルは、そこから驚異の粘りを見せ、なかなか抜かせなかった。

コントレイルか、アリストテレスか──。2頭が並び、ゴール板を駆け抜ける。最終直線での壮絶な競り合い、勝者はクビ差でしのいだコントレイルだった。

「苦しかった、苦しかった、最後の一冠。アリストテレスが追い詰めましたが、コントレイル、凌ぎ切りました!」

クビ差の三冠達成。耐えて耐え抜き、親子二代の無敗の三冠を掴んだコントレイルに、入場の栄誉を手にしたファンたちは拍手で応えた。

レースが終わりウイニングランを行なっていると、ファンは再び拍手を送る。満面の笑みを見せた福永騎手は、左手をあげ指を三つ立てる。そして、コントレイルを指差した。まるでこの子が無敗の三冠馬だと言わんばかりに。それを見た場内のファンは、再び拍手を送る。

本来なら巻き起こっていたであろう『祐一コール』は、無い。地響きを思わせる拍手も喝采も無い。だが、この僅かながらの拍手は、我々のあるべき日常へと踏み出した瞬間でもあった。

馬名の由来は「飛行機雲」という競走馬、コントレイル。
彼は暗雲を引き裂き、人々に青空を与えた英雄であった。

写真:Horse Memorys、かず

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