![[日本ダービー]日本ダービーに出走した萩原清調教師の管理馬たち](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/05/IMG_5575.jpg)
2026年5月20日。美浦・萩原清調教師が病気のため亡くなった。67歳だった。JRA通算6085戦743勝、うち重賞27勝。週末のオークスに有力馬ドリームコアを送り込む直前の訃報は、非常に残念でショッキングだったが、なにより無念だったのは、他ならぬ萩原調教師ご自身だったのではないだろうか。しかも、ドリームコアの母は、自身が育て上げて国内外のGⅠを計2勝した名牝ノームコア。その思いは計り知れない。
萩原調教師に対して「寡黙な仕事人」という印象を抱いていたファンは少なくないだろう。インタビューで喜怒哀楽を表に出すことはあまりなく、口数も多くないため、聞き手泣かせの調教師だったかもしれない。ただ、要点を簡潔に伝えてくれる姿は、まさに仕事人そのもの。そんな萩原調教師は「競馬の祭典」日本ダービーにこれまで4頭の管理馬を送り込んだ。
今回は、日本ダービーに出走した萩原調教師の管理馬を振り返りたい。
■1999年 ヤマニンアクロ
萩原調教師の管理馬が初めてダービーに出走したのは1999年。ヤマニンアクロと勝浦正樹騎手のコンビで臨んだレースだった。
96年12月開業の萩原厩舎に初めて重賞タイトルをもたらしたのもヤマニンアクロで、それが99年の共同通信杯4歳Sだった。同馬は、前走の東京スポーツ杯3歳S(当時はGⅢ)で4着と好走していたものの、それ以来の休み明けが懸念されたか、14頭中の10番人気と評価は低かった。
しかし、ヤマニンアクロは低評価を覆すように鮮やかな逃げ切りを決め快勝。この勝利は、萩原調教師だけでなく、デビュー3年目の勝浦騎手にとっても初の重賞制覇だった。また、13番人気のキンショーテガラが2着に突っ込んだことで、馬連は11万円を超える大万馬券となった。

その後、ヤマニンアクロは皐月賞に直行し10着と敗戦。ただ、勝ったテイエムオペラオーからは0.8秒差と大きく水をあけられたわけでなく、そこから中6週で臨んだのがダービーだった。
前年と同じく、この年のダービーもまた「三強対決」と目されていた。
1番人気に推されたのは、きさらぎ賞、弥生賞と連勝した後の皐月賞で3着に惜敗したナリタトップロードで、単勝オッズは3.9倍。皐月賞で本来の力を発揮できず6着に敗れたアドマイヤベガが、同じオッズながら票数の差で2番人気となった。そして、皐月賞馬テイエムオペラオーも僅差でこれらに続き、ヤマニンアクロは三強から大きく離れた12番人気だった。
レースは、ワンダーファングが中枠から飛び出し、マイネルタンゴが続く展開。そこから5馬身差の3番手にヤマニンアクロがつけた。一方、三強は中団にテイエムオペラオーがつけ、その直後にナリタトップロードが位置。末脚勝負に賭けるアドマイヤベガは後ろから5頭目に控え、先頭とは20馬身近い差があった。
1000m通過は60.2秒でよどみない流れとなったものの、お構いなしとばかりに前2頭はペースを落とすことなく、後続との差を広げていった。すると、しばらく単独走が続いていたヤマニンアクロも3コーナー過ぎから上昇開始。直線入口で2頭に並びかけた。しかし、それも束の間。外からブラックタキシードに並びかけられると、さらにその外から三強が一気に抜け出し完全なマッチレースとなった。
ヤマニンアクロも大きくは失速していないものの、盛り返すほどの末脚は残されておらず10着に敗戦。史上初の連覇を成し遂げた武豊騎手騎乗のアドマイヤベガから1.7秒遅れて入線し、厩舎初のダービーはほろ苦い結果となった。
■2007年 トーセンマーチ
萩原厩舎にとって2度目のダービー出走は、それから8年後。トーセンマーチと内田博幸騎手のコンビで臨んだ2007年のレースだった。
04年のセレクトセール当歳市場において4830万円(税込)で落札されたトーセンマーチは、半兄スズノマーチと全兄サイレントプライドが後に重賞を制した良血馬。自身は、1月東京の新馬戦と未勝利戦で連続2着と惜敗したものの、それぞれ先着を許したのは後の重賞勝ち馬アブソリュートとゴールデンダリアであり、3戦目で順当に勝ち上がった。そして、4戦目の青葉賞で単勝92倍の低評価を覆して2着に食い込み、優先出走権を獲得して臨んだのがダービーだった。
この年のダービーは、2歳女王ウオッカの参戦が話題となった。ただ、1番人気となったのは、皐月賞で勝ち馬と同タイムの3着に惜敗したフサイチホウオーで、単勝オッズは1.6倍と圧倒的な支持。皐月賞馬ヴィクトリーがこれに続き、トーセンマーチは青葉賞と同じ18頭中の15番人気でゲートインを迎えた。
レースは、五分以上のスタートを切ったトーセンマーチがダッシュをかけた。しかし、皐月賞2着のサンツェッペリンとローレルゲレイロがこれを制し、さらにこれらをまとめて交わしたアサクサキングスが最終的に先手を奪った。
一方、スタート直後、挟まれるような格好で最後方となったヴィクトリーは1、2コーナー中間で挽回して4番手まで押し上げ、フサイチホウオーも掛かり気味に6番手まで上昇。トーセンマーチは4番人気のアドマイヤオーラと並ぶように中団を追走し、直後にウオッカが位置していた。
1000m通過は60.5秒とよどみない流れで、トーセンマーチが位置する中団付近は絶好位に思われた。しかし、徹底した末脚勝負に賭けたのか。3、4コーナー中間でウオッカらが上昇を開始してもスパートを我慢していたトーセンマーチは、直線に入ってすぐ追い出されたものの、そこからジリジリとしか伸びず結果は14着。牝馬によるダービー制覇という、64年ぶりの快挙を成し遂げたウオッカから1.6秒遅れての入線だった。
■2009年 ロジユニヴァース
その2年後。萩原厩舎から3頭目のダービー出走馬が現われた。ロジユニヴァースと横山典弘騎手のコンビである。

03年の春二冠を制したネオユニヴァースの初年度産駒ロジユニヴァースは、鞍上に武豊騎手を迎え、7月阪神・芝1800mの新馬戦でデビュー。逃げ馬をゴール寸前で差し切り、見事初陣を飾った。
2戦目は、そこから3ヶ月の間隔を開けて臨んだ札幌2歳Sで、横山典騎手に乗り替わったここも快勝すると、年末のラジオNIKKEI杯2歳S(現ホープフルS)では、断然人気のリーチザクラウンに4馬身差をつける圧勝。さらに年明け初戦の弥生賞も完勝し、デビュー4連勝を飾った。
ところが、圧倒的1番人気に支持された皐月賞は前走から馬体を10キロも減らし、結果14着と大敗。レース後は、敗因の究明とともに懸命な立て直しが図られ、馬体を16キロ戻して臨んだのがダービーだった。
この年のダービーは、昼過ぎから降り出した雨がバケツをひっくり返したような土砂降りとなり馬場も不良へと悪化。ダービーが不良馬場で開催されるのは40年ぶりで、3歳馬にとってはなおさら過酷な条件だった。
そんな中、1枠1番を引いていたロジユニヴァース鞍上の横山典騎手は、道悪であれば本来馬場の外側に進路を求めようとするところ、ここまで悪化したらどこを通っても同じと腹をくくりロスのない競馬を選択。スタートから終始、内ラチ沿いの経済コースを走っていた。
前走、NHKマイルCを制したジョーカプチーノが刻むペースは1000m通過59.9秒と、この馬場ではかなり速かったものの、そこから8馬身近く離れた3番手を追走するロジユニヴァースは絶好のポジション。差し、追込みが効きづらい馬場であることを考えれば、なおさら良いポジショニングといえた。
その後、迎えた直線。失速したジョーカプチーノを交わして2番手に上がったロジユニヴァースは坂下でリーチザクラウンも交わし、早くも先頭に躍り出た。皐月賞馬アンライバルドは馬群の中でもがき、残り200の標識を過ぎたところで勝負圏にいたのはロジユニヴァースとリーチザクラウンとアントニオバローズだけ。しかし、他の2頭にロジユニヴァースを追いかける力は残されておらず、ゴールに向かって差は広がる一方となり、最後はリーチザクラウンに4馬身もの差をつけ先頭ゴールイン。
皐月賞14着からの巻き返しというダービー史上最大の逆転劇は、開業14年目の萩原調教師にとって初のGⅠ制覇となり、デビュー24年目の鞍上、横山典騎手にとっても初のダービー制覇となった。また、オーナーの久米田正明氏は、馬主になって初年度の所有馬がダービーを制するという、関係者にとって初物づくしの劇的な勝利だった。
ただ、これら快挙の裏側には、皐月賞直後からダービー直前までロジユニヴァースの立て直しに奔走した萩原調教師や厩舎スタッフの様々な努力があったことを忘れてはならないだろう。その中の一人で当時、調教助手だった稲垣幸雄師は、現在調教師として活躍している。
■2019年 ダノンキングリー
萩原厩舎にとって結果的に最後のダービー出走となったのは、初制覇からちょうど10年後。ダノンキングリーと戸崎圭太騎手のコンビで臨んだ2019年のレースである。
父ディープインパクト×母父ストームキャットのいわゆる「黄金配合」から誕生したダノンキングリーは、6歳上の半兄ダノンレジェンドがJBCスプリントを勝利した良血馬。デビューは10月東京・芝1600mの新馬戦で、後にGⅠで度々好走するカレンブーケドールにアタマ差勝利し、続くひいらぎ賞は完勝を収めデビュー2連勝とした。
さらに、年明け初戦の共同通信杯で、2歳マイル王のアドマイヤマーズを降して重賞初制覇を飾ると、続く皐月賞ではサートゥルナーリアやヴェロックスらと接戦を演じ3着と好走。そこから再びクラシック初制覇を懸けて臨んだのがダービーだった。
レースは、最内枠からいこうとしたロジャーバローズを制し、リオンリオンがハナを切って大逃げの形となった。ダノンキングリーは戸崎騎手にいきたがるのをなだめられながら5番手のインで脚を溜め、1000mを57.8秒で通過したリオンリオンとは2秒以上の差。そこから3馬身ほど離れた8番手にヴェロックスがつけ、さらに4馬身離れた中団やや後ろにサートゥルナーリアが位置していた。
その後3、4コーナー中間から3番手以下の各馬が一団となって前を追い、迎えた直線。坂下でリオンリオンを捕らえたロジャーバローズを追ってダノンキングリーが2番手に上がり、ロジャーバローズまで1馬身半のところまで迫った。
ところが、ロジャーバローズが実にしぶとく粘ったため差はジリジリとしか詰まらず、ゴール寸前でようやく馬体を併せるところまでいったものの、結果は2着惜敗。同じディープインパクト産駒の大駆けをクビ差許し、厩舎として出走機会2連続でのダービー制覇はならなかった。

ダノンキングリーはその後、毎日王冠や中山記念など前哨戦を勝利した一方で、本番のマイルCSや大阪杯ではあと一歩の結果が続いた。そして、4歳時に出走した秋の天皇賞では、勝ったアーモンドアイからなんと2.9秒も離された12着と大敗を喫してしまう。
それでも、萩原調教師や厩舎スタッフによって懸命な立て直しが図られると、その天皇賞以来7ヶ月ぶりの実戦となった安田記念で、マイル王のグランアレグリアやインディチャンプ、NHKマイルCを制した3歳馬シュネルスマイスターらをまとめて降し優勝。前走、最下位からのGⅠ制覇はグレード制導入以降初めてで、ロジユニヴァースのダービーを思い起こさせるような逆転の復活勝利となった。
写真:かず、I.Natsume、Horse Memorys
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