![[府中牝馬S]ダイヤモンドビコー、ヒカルダンサー、ジャニス。加藤和宏騎手とのコンビで府中牝馬Sを制した馬たち](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/06/2026061801.jpg)
JRA重賞の開催日程が大きく変更された2025年。その中で、10月におこなわれていたアイルランドT府中牝馬SはアイルランドTに名称を変え、6月におこなわれていたマーメイドSは舞台を東京・芝1800mに移し、レース名も府中牝馬Sに改称された。
かつて10月におこなわれていたアイルランドT府中牝馬Sは、グレード制導入以降4名のジョッキーが最多3勝を挙げた。そのうちの一人が、現在は調教師として活躍し27年2月に定年を迎える加藤和宏調教師である。
騎手時代はJRA通算604勝、うち重賞31勝。ホウヨウボーイやアンバーシャダイなど数々の名馬とともにビッグレースを制し、85年にはシリウスシンボリとのコンビでダービーも勝利した。一方、調教師としても、管理馬ハナズゴールが豪州のGⅠオールエイジドSやチューリップ賞を勝利するなど、JRA通算98勝。同じく騎手から調教師に転身した息子の士津八師も、これまで3頭の管理馬が重賞を勝利している(すべて26年6月15日現在の成績)。
今回は、加藤和宏騎手とのコンビで府中牝馬Sを制した馬たちを振り返っていきたい。
(※現在の府中牝馬SはマーメイドSの諸条件を引き継ぎましたが、当コラムでは10月におこなわれていたアイルランドT府中牝馬S、および前身の府中牝馬S、牝馬東京タイムズ杯を振り返ります)
■2002年 ダイヤモンドビコー

社台ファームが生産したダイヤモンドビコーは、大種牡馬サンデーサイレンス7世代目の産駒。98年セレクトセール当歳市場において1億8,375万円(税込)で落札され、美浦の名門、藤沢和雄厩舎からデビューを果たした。
初戦は10月東京・芝1400mの新馬戦で、1番人気に推されながらも4着。続く2戦目で勝ち上がったものの、2勝目をあげるのにやや時間を要した。
それでも、翌5月の若鮎賞で待望の勝利を手にすると非凡な能力が一気に開花し、エーデルワイスSも連勝。さらに、古馬と初めて対戦した格上挑戦のクイーンSも2着に健闘し、続くローズSではオークス2着馬ローズバドの追撃を振り切って初のタイトルを獲得した。
その後、本番の秋華賞を回避したダイヤモンドビコーは、引き続き牝馬限定重賞を中心に出走し、翌3月の中山牝馬Sを5馬身差で圧勝するも、牡馬混合戦の新潟大賞典とエプソムCは7、10着と敗れてしまう。しかし、2年連続で出走したクイーンSは2着と盛り返し、そこから中8週で出走したのが、この年は中山競馬場で開催された府中牝馬Sだった。
このレースで加藤騎手と初めてコンビを組み1番人気に支持されたダイヤモンドビコーは、五分のスタートから先行。ハッピーマキシマムとミツワトップレディをいかせ、好位3番手のインにつけた。
1000m通過は59.0秒のミドルペースで、前から後ろまではおよそ20馬身。11頭立てにしては縦長の隊列となり、レディパステルやローズバドといった他の上位人気馬は中団付近を追走していた。
その後、3コーナーに入ったところで前のペースが落ちると、中団以下に待機していた馬たちが上昇開始。一転して、4コーナーでは前が8頭ほどの塊になって直線を迎えると、逃げ込みを図るハッピーマキシマムが再び1馬身のリードを取ったものの、ダイヤモンドビコーが差を詰め、坂の途中で先頭に躍り出た。これを追ってジェミードレスが単独2番手に上がり、3番手以下は、追い込んできたレディパステルやローズバドらが粘るハッピーマキシマムに迫る。5頭が横一線となったものの、これらの追撃を悠々と凌いだダイヤモンドビコーが着差以上の強さで先頭ゴールイン。3度目の重賞制覇は、GⅠ初挑戦のエリザベス女王杯へ向け最高の前哨戦となったのである。
このレースから1ヶ月後。ダイヤモンドビコーは、予定通りエリザベス女王杯に出走した。結果は、デビュー6連勝を飾ったファインモーションに及ばなかったものの2着に好走。さらに、当時12月におこなわれていた阪神牝馬Sで4度目の重賞制覇を成し遂げ、これが決め手となってJRA賞最優秀4歳以上牝馬のタイトルを獲得した。
ところが、一転して翌5歳シーズンは5戦してクイーンSの4着が最高と不振に陥り、エリザベス女王杯6着を最後に引退。生まれ故郷の社台ファームで繁殖入りし、2012年からは村上欽哉牧場で繋養された。
一方、加藤騎手も05年2月末に引退。調教師へ転身したため、結果的にこの府中牝馬Sが騎手生活最後の重賞勝利となった。ダイヤモンドビコーとはこのとき限りのコンビだったものの、終始インぴったりを回って直線早目に抜け出すかたちは、乗り難しいとされる中山芝内回りを熟知したベテランの職人技が光る、一切のムダがない完璧なレース運びだった。
■1990年 ヒカルダンサー
鳴尾記念など重賞4勝の名脇役ナイスネイチャの父で、顕彰馬となったトウカイテイオーの母の父としても知られる種牡馬ナイスダンサー。日本に輸入されたのは79年で、本邦における8世代目の産駒ヒカルダンサーは美浦・稗田敏男厩舎からデビューを果たした。
初戦は2月末におこなわれた中山・ダート1200mの新馬戦で、柴田政人騎手を鞍上に迎えたものの10着。さらに、そこから3ヶ月後に出走した芝1800mの未勝利戦も8着に敗れ、厳しい船出となった。
それでも、6月から北海道シリーズに参戦し、再びダートに活路を見出すと成績は上向きはじめ、5戦目で待望の初勝利をあげた。さらに、500万クラス(現1勝クラス)も昇級3戦目で卒業し、そこからもう一度芝に主戦場を移すと、翌5月の平場戦で3勝目。その後、一旦は降級となったものの9月の茨城新聞杯で4勝目をあげ、格上挑戦で臨んだのが牝馬東京タイムズ杯(距離は芝1600m)だった。
前述したダイヤモンドビコーと同じく、このレースで初めて加藤騎手とコンビを組んだヒカルダンサーは五分のスタートからスッと下げ、中団やや後ろを追走していた。
一方、前は快速馬サクラサエズリが予想通り逃げ、デュークプリンセスが続く展開。800m通過45.8秒は、当時としてはかなりのハイペースだった。しかし、先頭から最後方のキョウエイタップまでは15馬身ほどの差。18頭立てにしてはさほど縦長の隊列にならず、差し、追込み馬向きの展開になりつつあった。
その後、先団4頭と5番手との間にあった2馬身ほどの差が縮まり、全馬がほぼ一団となって迎えた直線。粘るサクラサエズリに1番人気カッティングエッジが迫り、坂上で先頭が入れ替わった。
しかし、それも束の間。後方で脚を溜めていたヒカルダンサーが素晴らしい末脚を繰り出すと、残り150mでカッティングエッジを並ぶまもなく差し切り、最後は逆に3.1/2馬身突き抜けて1着ゴールイン。自身初の連勝で掴んだ重賞タイトルは後続に決定的な差をつける完勝で、2着との0.6秒差は、グレード制導入以降の当レースにおいてトゥザヴィクトリー(00年)の0.7秒差に次ぐ記録だった。
このレースから1ヶ月後。マイルCSで初めてGⅠの檜舞台に立ったヒカルダンサーは、前走から馬体を大きく減らしたことが響いたか14着に敗戦。さらに、翌6歳シーズン(旧馬齢表記)も8戦して5着が最高と不振に陥ってしまった。
それでも、この年9戦目となる京王杯オータムハンデに出走すると、好位追走から早目に仕掛ける積極的なレース運びでバリエンテーの2着に好走。重賞ウイナーの意地を見せ、結果的にこれが現役最後のレースとなった。
ヒカルダンサーは、デビュー戦からこの京王杯オータムハンデまで、実働3年弱で全32戦を走り抜いた。馬体重は430キロ前後と、牝馬でもやや小柄。決して馬体には恵まれなかったものの、本当にタフで立派な馬だった。
手にした重賞タイトルは1つでも、その牝馬東京タイムズ杯で繰り出した末脚は鮮やかかつ圧巻。ハイペースを読んだ加藤騎手の後方待機策と直線で抜け出すタイミングも見事で、後続につけた0秒6差はマイル戦では圧勝といっていい内容だった。
■1992年 ジャニス

メンデス産駒の牝馬ジャニスは、85年の二冠馬ミホシンザンや、後に交流GⅠを2勝するキングズソードらと同じく浦河町・日進牧場で誕生した。父メンデスは、ホモ接合型の芦毛遺伝子を持つため産駒の毛色はすべて芦毛で、ジャニスももちろん芦毛。管理したのは「ミスター競馬」と呼ばれ、七冠馬シンボリルドルフも管理した美浦・野平祐二調教師だった。
デビューは11月東京・芝1600mの新馬戦で、岡山定夫騎手を背に初陣を飾るも、そこから半年の休養をはさんで出走したサンスポ賞4歳牝馬特別(現フローラS)は15着と大敗。続く2戦も、8、7着と結果を出すことができなかった。
それでも、復帰4戦目の富良野特別を快勝すると900万クラスは2戦で突破し、格上挑戦で出走したターコイズS(当時はオープン特別)も3着と健闘。年明けの金杯も牡馬に混じって2着と好走した。ところが、続くアメリカジョッキークラブCで7着に敗れると、その後も4、6着と敗戦。オープン、重賞レベルではやや頭打ちになったかと思われた。
しかし、前年と同じく北海道シリーズに参戦し、3戦ぶりに実現した加藤騎手とのコンビ復活が再浮上のきっかけとなった。休み明け3戦目となった函館記念で2着に好走すると、続くUHB杯で待望のオープン初勝利。そこから中4週で臨んだのが、この年から名称が変わった府中牝馬Sだった。
このレースで、関屋記念の覇者スプライトパッサーや、上がり馬メジロカンムリに次ぐ3番人気に推されたジャニスは、五分以上のスタートを切ると、ホーセンルビーとゴールデンソネットの火の出るような先行争いを前に見て、メジロカンムリやダンスダンスダンスとともに6番手の外に位置。前に壁を作れなくても折り合いを欠くことはなく、スムーズに追走していた。
一方、3番手以下を7馬身ほど離して逃げる2頭は、800mを45.8秒のハイペースで通過。この時点で、逃げ争いは一応の決着をみてホーセンルビーが先頭に立っていたものの、続く4コーナーでは早くも後続が殺到しゴールデンソネットが失速する中、レースは直線を迎えた。
直線に入ると、逃げるホーセンルビー目がけて、スプライトパッサーがやや内に切れ込みながら末脚を伸ばし、直線半ばで先頭に躍り出た。ジャニスはメジロカンムリとともにこれを追い、残り100mで先にメジロカンムリが、次いでジャニスがスプライトパッサーを交わすと、そこからは2頭によるデッドヒートとなった。
上がり馬のメジロカンムリか。今度こそタイトルを手にしたいジャニスか。
序盤の逃げ争いに続き、再び火の出るような争いが繰り広げられる中、最後の最後で底力を発揮したのはジャニスだった。加藤騎手の叱咤に応えるようにもう一段加速してメジロカンムリとの差を詰めると、ゴール寸前でグイッと前に出て先頭ゴールイン。あと一歩のところで涙を飲んできた重賞タイトルについに届いたジャニスが待望の重賞制覇を成し遂げ、加藤騎手にとっては2年ぶり2度目の当レース制覇となった。
その後、ジャニスは中1週で天皇賞(秋)に臨み10着。続くキャピタルSでは3着と巻き返すも、翌6歳シーズンは3戦していずれも5着以下に終わり、3月の韓国馬事会杯10着を最後に引退。生まれ故郷の日進牧場で繁殖入りした。
その第二の馬生では、自身と同じ重賞ウイナーを送り出すことはできなかったものの、芦毛であることや、印象に残りやすい馬名でファンも多かったジャニス。府中牝馬Sで見せた勝負根性と加藤騎手の豪腕が印象に残る、思い出深いレースだった。
写真:I.Natsume

