三冠すべてで「13番枠」、忌み数に挑んだ牝馬バプティスタについて

日本では古来から、説明の付かない現象や奇異な伝承といったもの「7つをひとまとめ」にして七不思議と呼ぶことがある。単に説明が付かなかったり、科学的根拠の無いジョークやジンクスといったものも含めて、様々な界隈でささやかれる。当然、競馬の世界でもそういったことは言われているものだ。

「ノーザンテースト産駒の栗毛は、大成しない」
「青葉賞の勝ち馬はダービーを勝てない」

など、根拠の有無にかかわらず、様々なものを耳にする。なかには時間とともに解決される(打ち破られる)ジンクスもあるし、忘れ去られるジンクスもあるだろう。
しかし「岡部幸雄騎手は、桜花賞を勝てない」というものは、すでに騎手を引退されたから、叶うことはないジンクスの1つだ。


今回は、私自身が「岡部騎手が桜花賞を勝つかもしれない」と期待をした、ある1頭の馬について、お話していこうと思う。

その馬は、バプティスタ。

ラテン語で【キリスト教の洗礼施行者】という意味を持つ馬名。父であるサンデーサイレンスから連想されたものである。

バプティスタの母ビーバップも、娘と同じく美浦の前田禎厩舎に所属をして28戦5勝。オープン特別のパラダイスステークス勝ちや、重賞の関屋記念での2着など1億6000万円以上の賞金を稼いだ。その28戦のうち11戦で手綱を取り、4勝を挙げたのが岡部幸雄騎手だった。

繁殖入りしたビーバップの最初の子供はクリエイターを父に持つアフタービートで、社台レースホース名義で21戦2勝の成績を残した。そして続く二番仔が、このバプティスタだった。
1997年10月の、東京競馬場でのダート1400mの新馬戦を3番人気で快勝。その後は芝のオープン特別1戦、自己条件2戦を使うも、3着・3着・2着。
結局デビューした2歳時(現表記)は4戦1勝で、特に目立った成績ではなかった。

しかし、年が明けた98年1月10日。
中山での芝1200mのオープン特別のフローラステークスでバプティスタは2勝目を挙げたことで、クラシック路線を進むことになる。3月の阪神競馬場での桜花賞トライアル。こちらのレースで3着に入り、優先出走権を確保した。


1990年代から競馬を始めた私にとって、関東の騎手リーディングといえば「岡部幸雄」騎手の一択だった。

1987年に関東のリーディングを初めて獲ると、翌1988年こそ柴田政人騎手に譲ったが1989年からは6年連続の関東リーディング。毎年コンスタントに100勝どころか120勝近い勝ち星を挙げていた。私に競馬を教えてくれた伯父から
「岡部(騎手)の乗る馬は、毎週チェックした方が良い」
とアドバイスされたほど、馬券予想のキーになる騎手だった。
「15000回騎乗」や「通算2500勝」といった記録は、中央競馬史上初という枕詞が付いてきた。
「28年連続重賞勝利」「重賞競走騎乗回数1000回」といった記録は、岡部騎手が年齢を重ねてもなお、関係者から信頼を得ている証拠だった。

だからこそ、岡部騎手が「桜花賞を勝っていない」ということが、当時の私には、本当に不思議で仕方なかった。馬との巡り合わせも大きいのかもしれないが、それまでの騎手人生で、全くのノーチャンスだったわけではない。
1992年のディスコホールは3番人気、1994年のメローフルーツは4番人気、1995年のプライムステージは2番人気。勝てそうな位置にいた年も多かったが、勝負のアヤなのか、勝つことはできなかった。

そして1998年の桜花賞。当然、私の本命は岡部騎手が乗るバプティスタだった。

「ヘタに人気を背負うより、気楽に乗れる方が案外と良いのではないか?」

20倍を超える単勝オッズを見ながら、配当的な妙味も感じつつ、自分の予想に自信を持たせるためにそんな風に考えていた。実績十分な岡部騎手に対して「気楽に乗れる方が良いのでは?」というのは、今思えば大変失礼な話だが、もう20年以上前のことなので許してもらいたい。

さて、その年の桜花賞はロンドンブリッジがハナに立ってペースを握る展開となった。テンの3ハロンは34秒3で入り、2番手にはダンツシリウスやエイダイクインの上位人気が追走。さらにロッチラヴウインクやマックスキャンドゥも先行集団を形成して、ごった返していた。
バプティスタは……というと、中団より少し後ろの10番手あたりを追走。道中は脚を温存する作戦に出た。
最後の直線で弾けることを期待したものの、思うようにバプティスタは伸びず。結果は、9着。
勝ったファレノプシスからは0秒8差。結果として、追走していた位置から流れ込むだけのレースとなってしまった。

またしても岡部騎手による桜花賞制覇は達成されなかったが、この年の牝馬三冠路線はバプティスタを応援していこうと決めたので、オークスや秋の秋華賞もこの馬を私は本命にし続けた。
しかし、オークスは7着、秋華賞は5着と、結果として三冠では勝つことが出来ないままクラシックシーズンを終える。
こちらがその三冠レースでのバプティスタの馬券だが、この3枚の馬券にはある共通項がある。

馬番は全て、13番。

先ほど書いたように、バプティスタとはラテン語で【キリスト教の洗礼施行者】という意味なのだが、その馬がよりによって、キリスト教で忌み嫌われる「13番」に入り続けてしまったのだ。(イエスを裏切った弟子のユダは最後の晩餐で13番目の席についていたとされたこと、また、ユダが13番目の弟子であったとする説などを理由として、特に西洋では13は忌み数とされている)

これこそが、まさに「ジンクス」であり、単なる偶然なのかもしれないけれど、かなりの確率で「13番枠」を引き当て続けたことになる。三冠レース全てで「13番枠」に入る確率は、18の3乗(5832分の1)だ。

そんなバプティスタは、重賞勝ちこそなかったが、2000年まで現役を続けて23戦3勝。
秋華賞の後は一度も「13番枠」に入ることなく、繁殖入りとなった。


時代は流れ、2017年10月。

父ルーラーシップ、母ピュアチャプレットという血統の馬が、東京競馬場でデビュー戦を迎えていた。

その馬の名前はリリーノーブル。

彼女は、13番ゼッケンをつけての出走で、見事に1着となった。
そのピュアチャプレットは、バプティスタの5番目の子供である。
バプティスタの現役時代からおよそ20年が経過し、孫の代になっていた。

しかしようやくここで、バプティスタの「13番枠の呪い」が解けたような気がした私は、ホッと胸をなでおろしたのである。

写真:かず、ポラオ

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