長距離の名門が輩出した、たたき上げのグランプリホース〜1992年・有馬記念〜

2019年の有馬記念、断然の1番人気に推されたアーモンドアイは、生涯唯一の大敗となる9着と敗れた。
しかし、2018年からの過去10年で馬券に絡めなかった1番人気馬は、2015年のゴールドシップのみと、有馬記念は1番人気馬がしっかり走るレースという印象がある。

また、有馬記念と共に『グランプリ』と総称される宝塚記念との両レースを制する馬も多い。
内回り、直線の急坂を2度越えなければならないなど、共通点がいくつか挙げられるが、2019年のリスグラシュー・2020年のクロノジェネシスをはじめ、両レースを制した馬は、平成以降で実に10頭にものぼる。

そして1992年の有馬記念。
半年前に宝塚記念を勝った馬の単勝人気は、16頭中の15番目と急落していた。伝統的に長距離戦に強い『あの勝負服』を身にまとっていたにもかかわらず……である。

逃げ馬特有の、振り幅の大きな戦績がそうさせたのか。
しかし、スタートから積極的に先手を取り、2周目の向正面では玉砕覚悟にも見える大逃げを打ったこの馬は、その後、誰もが驚くような大波乱を演出することになるのだった。


1987年3月21日、メジロパーマーはメジロ牧場に生を受けた。
父のメジロイーグルは、現役時は逃げ馬で、牡馬三冠レース全てで入着を果たしたものの、重賞勝ちは京都新聞杯のみという成績。種付け頭数も、年10頭前後と少なかった。
先に出世を果たすこととなる、メジロマックイーンやメジロライアンといった同期と比べて、パーマーへの印象や期待は、おそらくそこまで高くなかったことは想像に難くない。

その後、かつては『きまぐれジョージ』でお馴染みの、稀代の癖馬エリモジョージを育て、後にナリタブライアンを管理することになる大久保正陽厩舎に入厩したパーマーは、2歳8月の函館でデビューを果たした。地味な血統背景からも意外といっては失礼かもしれないが、1ヶ月半で4戦し2勝をあげるという順調なスタートを切ったのだった。

ところが、そこからのトンネルが長かった。
控える競馬に徹した秋は2連敗し、さらに骨折が判明して翌春のクラシックを棒に振る。
6月に復帰後は、北海道でダート戦を含む4走を消化するも、再び控える競馬を試みて見せ場なく敗れてしまう。ただ、休み明け5戦目の函館記念は久々に逃げを打ち、勝ち馬から0秒9差の7着という結果を残して、一応の見せ場は作ったのだった。

だが、好事魔多しとはこのことか。浮上のきっかけを掴んだと思われた矢先、再び骨折が判明してしまったのだ。

7ヶ月の休養をはさんだ復帰戦に選ばれたのは、後の彼の姿からは想像もできない1200mのレースだった。
しかしこのレースと前年の函館記念が──そして父メジロイーグルが現役時に逃げ馬だったことが、パーマーの本能を目覚めさせたのかもしれない。

そこから距離が2倍延長となった次走の大原ステークスを逃げて3着とすると、大阪城ステークス4着を挟み、格上挑戦で挑んだ3200mの天皇賞春は13着と敗れ、同期のメジロマックイーンが古馬最強馬の座についた瞬間を、はるか眼前に見届けることとなった。

2度のケガがあったものの、2勝目を挙げてから1年9ヶ月、実に10走も苦難の道を歩んできたパーマー。
その「逃げ」という浮上のきっかけが、結果という目に見える形に繋がったのは、3年連続で参戦した北海道の地だった。

天皇賞の次走が500万クラス(現・1勝クラス)という、なんとも大幅なクラス降級で再スタートを切ったパーマーは、クラス2戦目の十勝岳特別で2着に大差をつける圧勝で逃げ切りを決める。さらに、2段階の格上挑戦、そして連闘で出走した札幌記念も逃げ切り、一気に重賞ウイナーにまで上り詰めたのだった。いよいよ、古馬の中・長距離路線で活躍していくのか。しかし、再度膨らんだ期待は、その後3連敗を喫したことで、またも泡沫のごとく消えてしまったのである。

そこで陣営は、パーマーに新たなタスクを課した。障害練習とレースへの出走である。
すると、実戦で1着、2着と無難な結果を残したのだ。それは、平地の長距離戦だけでなく、伝統的に障害のレースにも強い、この勝負服のなせる技だったのかもしれない。ただ、パーマーはこの課題を無難にこなしたわけではなかった。元来の頭の高い走りから、レースでは障害を見ないで踏み切らずに飛ぶような格好となり、両膝が腫れ上がるような打撲を負っていたのだ。

大きな事故を起こしてはならない──。

陣営はこれ以上の障害レースへの参戦を諦めた。
しかしこの練習と実戦を経験したことが、パーマーの成長曲線とも相まって肉体面を強化し、さらに道中で息を入れるという、逃げ馬にとっては大きな武器をもたらした。

5歳3月。平地に戻ったパーマーは、1400mのコーラルステークスを叩き、今度は前年を上回る、前走比2倍超の距離延長で、メジロマックイーンとトウカイテイオーの世紀の対決に湧いた天皇賞春に参戦。結果7着と敗れたものの、この時、初めてコンビを組んだ弱冠21歳の山田泰誠騎手との出会いが、競走馬としてパーマーが本格化するための、最後の、そして大きな大きなピースとなったのだ。

そのまま、コンビ継続で中2週の新潟大賞典に出走すると、長い直線を物ともせずに4馬身差の圧勝を飾り、人馬ともに2つ目の重賞を手にする。そしてさらに1ヶ月後、パーマーは、同期のメジロマックイーンが故障で回避した宝塚記念に挑んだ。

カミノクレッセや、ダイタクヘリオス、そして前年の有馬記念であっと言わせたダイユウサクを相手に、肉を切らせて骨を断つような逃げを打つと、4コーナーでは、山田騎手の鞭が入るような厳しい手応えに見えたが、そこから驚異的な粘りを発揮し、結果3馬身差の完勝を飾ったのだ。

苦節27戦。
二度の骨折、ダート戦や短距離戦に出走、一気の距離延長、そして障害練習と障害レースへの出走。
それら全ての逆境や苦難、課題を乗り越え、さらに5歳春にしてベストパートナーを見つけたパーマーは、ついにGⅠウイナーへと上り詰めたのだった。

その後、京都大賞典は休み明けの影響か9着と敗れ、山田騎手が負傷で乗り替りとなった天皇賞秋は、ダイタクヘリオスとの壮絶な逃げ争いとなり、1000m通過57秒5という猛烈なハイラップを刻んだ結果、17着と大敗してしまった。この結果、陣営はジャパンカップを諦めて次走を有馬記念とし、グランプリ春秋制覇を狙うことにした。

迎えた年末の大一番、有馬記念。
1番人気には、ジャパンカップで復活を果たしたトウカイテイオーが推され、2番人気には菊花賞でミホノブルボンの三冠達成を阻んだライスシャワーが続いた。
パーマーはといえば、半年前にグランプリホースの座を獲得したにも関わらず、近2走の大敗が影響したのか、16頭中の15番人気とその評価は急落していた。

ライアン、そしてマックイーンという、同じ勝負服を身にまとった同期が2年連続で2着に惜敗した舞台。
さらに、マックイーンの兄メジロデュレンは5年前にこのレースを制している。長い歴史の中で、この勝負服には長距離戦での圧倒的な底力が宿り、そして生粋の勝負強さが脈々と流れている。

──パーマーのペースで、行けさえすれば。

ゲートが開くと、手綱を押して出鞭も入れられたパーマーが、予想通り3番枠から先手を取った。
天皇賞の教訓からか、ダイタクヘリオスは無理に競り掛けることなく3番手に控え、2番手にはレガシーワールドが続く。一方で、トウカイテイオーはなんと後方2番手という位置取りで、大観衆が待つ1周目のスタンド前に入った。

ペースは意外にもスロー。それを悟ったか、ダイタクヘリオスがゴール板を通過したあたりでポジションを1つ上げ、天皇賞と同じようにパーマーの直後についた。ただ、それ以外の上位人気各馬は、トウカイテイオーが依然として後方に構えているため、牽制しあったか中団から後方のまま前にいくことができない。

それを尻目に、前の2頭は2コーナーから早くもペースを上げ、3番手以下との差をいつのまにか大きく引き離すことに成功した。向正面に入ると、3番手とはおよそ15馬身、そしてトウカイテイオーとの差は20馬身以上に広がっていた。

3コーナーに入ると、今度は外からダイタクヘリオスが交わしにかかるが、パーマーもそれに遅れまいと付いていく。この時点でもまだ、レースを見ていた者の多くは、2頭がまた天皇賞と同じように玉砕覚悟の逃げを打ち、今回も追い込み馬同士の決着になると思ったに違いない。

他の騎手もそれと同じ考えを持っていたのか、カメラは依然として後方に悠然と構える各人馬を映し出したが、トウカイテイオーだけは既に懸命に手綱を押している。しかし、無情にもトウカイテイオーは反応できず、ポジションを上げることができない。

前はあっという間に残り600m標識を通過し、大きなリードを保ったまま早くも4コーナーに入った。
──そう、ここは直線が310mしかない中山競馬場。
後続各馬も、ようやくこの辺りで追い出したものの、前とは少なくとも10馬身の差がある。そうこうしているうちに、レースは残り400m標識を過ぎて直線に入ろうとしていた。

迎えた直線。
3番手以下を映していたカメラが先頭に切り替わると、パーマーが既にダイタクヘリオスに3馬身ほどのリードを取って、完全に振り切る姿が映った。ダイタクヘリオスの5馬身後方から追いかけてくるのはナイスネイチャ、オースミロッチ、レガシーワールドの3頭。一方で、トウカイテイオーやライスシャワーの人気各馬は、はるか後方でもがいているせいかその姿をほとんど確認することができず、早くも場内からは悲鳴混じりの歓声が上がり始める。

残り200mを切って坂を上がり、あと100mとなったところで、1000m以上スパートをかけ続けてきたパーマーの末脚もさすがに大きく鈍り始めた。追い込んでくるのはレガシーワールドとナイスネイチャ。特に内を突いたレガシーワールドの勢いが良く、パーマーとの勢いの差はもはや歴然としている。

なんとか粘ってくれ!

懸命に相棒を鼓舞する山田騎手。そして、最後に右鞭を一発入れ、レガシーワールドに馬体を並びかけられたところにゴール板があった。際どい差ではあったが、写真判定を見ずとも結果は明らかだった。

勝ったのはパーマー。わずかに、しかし大きすぎるハナ差だった。ゴール板を通過後は、圧倒的にレガシーワールドが前に出ているほど勢いの違いがありながらも、最後の力を振り絞った渾身の粘りだった。

悲鳴とため息と驚きが入り交じる大歓声の中で、パーマーはついに、同じ勝負服を身につけた、過去のメジロのどんな偉大な馬達でもなし得なかった、春秋グランプリ制覇をやってのけたのである。1年前には障害の練習をし、実際にレースにも出走していた目立たない血統のパーマーが、大穴で年末の大一番を制したこの光景は、これ以上ないほど痛快なものだった。

この勝利により、パーマーは、マックイーンやトウカイテイオーを抑えて、最優秀5歳以上牡馬(現・最優秀4歳以上牡馬)と最優秀父内国産馬という、二つのタイトルを獲得した。

6歳となっても現役を続けたパーマーは、休み明けの阪神大賞典をレコードで快勝。
そして、続く本番の天皇賞春では、過去2年とは比較にならないほどの好勝負を展開する。
3連覇を目指したマックイーンと、それを阻んだライスシャワーにはわずかに後れを取り3着に敗れたものの、直線半ばまでは逃げ粘って大いに見せ場を作り、4着を6馬身も突き放してレコード決着を演出。メジロの勝負服を身につけた馬としては当然だといわんばかりに、2強の引き立て役どころか、堂々と主役級の勝負を演じたのである。

その後の4戦はいずれも大敗してしまったが、有馬記念では6着と善戦し、結果的に現役最後のレースとなった7歳の日経新春杯では、トップハンデの60.5kgという酷量を背負いながらも2着に逃げ粘った。

──そうして、様々な曲がり道を経てつかみ取った大きな勲章を手に、パーマーは長い長い現役生活にピリオドを打ったのだった。

写真:かず

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