すべての理由が「距離」ではない - フィエールマン物語

2004年11月28日。

この年、JRAは創立50周年を迎え、JRAゴールデンジュビリーキャンペーンを展開。各地で記念競走が行われ、そのハイライトはジャパンCとジャパンCダートを同日に行うゴールデン・ジュビリー・デーだった。10RジャパンCダートを武豊騎手が乗るタイムパラドックスが勝ち、11RジャパンCはオリビエ・ペリエ騎手とゼンノロブロイが勝利した。

フィエールマンの物語はここからはじまる。

ジャパンCの向正面で白いシャドーロールをつけた馬がゼンノロブロイと併走していた。その馬は直線に向いて一気にスパートしたゼンノロブロイに置き去りにされながらも、内側からジリジリと外にいたデルタブルースやナリタセンチュリーを追い、前にいたフェニックスリーチに迫った。

ゼンノロブロイから1秒差7着でジャパンCを終えたフランスの牝馬リュヌドールは5歳1月に繁殖入り。2010年、ノーザンファーム代表吉田勝己氏によって繁殖セールで落札され、日本へやってきた。

2015年1月20日、リュヌドールは父ディープインパクトの牡馬を産んだ。それがフィエールマンである。

3歳1月、フィエールマンは母が走った東京競馬場で初陣を飾った。
体質が弱いためデビューが遅かったものの、陣営は焦ることなく、間隔を詰めなかった。次戦は皐月賞前日の山藤賞。出遅れて後方から進み、大外をひとまくりして1着。東京芝2400mの日本ダービーを目指したくなるところだろうが、やはり体質の弱さから続けてレースを使えなかった。

戦列復帰は夏競馬がはじまった7月。福島のラジオNIKKEI賞だった。最初の正面直線で頭をあげるなど幼さを見せ、4コーナーでは不器用さまで露呈、周りの馬に置いていかれ、直線を向いたときにはドン尻の大外。エンジンがかかったのはそこからだった。たった292m。福島の短い直線で猛然と追い込み、先に抜けたメイショウテッコンを0秒1差まで追い詰めてみせた。

その末脚は他馬が止まって見えるほど。
画面の端から突如現れたフィエールマンの尋常ではない走りに、底知れぬ可能性を感じた瞬間だった。

その反面、弱いところがあったフィエールマン。陣営はステップレースを飛ばし、菊花賞直行を選択した。春のクラシックとトライアルレース未出走。前走ラジオNIKKEI賞を勝てなかったフィエールマンは菊花賞では7番人気だった。日本ダービー馬ワグネリアンこそ不在だったが、日本ダービー2番人気、古馬相手に新潟記念を勝ったブラストワンピース、ワグネリアンを神戸新聞杯で追い詰めたエタリオウ、皐月賞馬エポカドーロとフィエールマンの実績を上回る馬たちが立ちはだかった。

この菊花賞でのちにディープインパクト産駒初の天皇賞(春)勝利、そして連覇を成し遂げた近年屈指のステイヤーの血が目を覚ました。

たったキャリア3戦。課題だらけだったフィエールマンは菊花賞でそのすべてをクリアしてみせた。スタートを決め、中団の馬群で我慢、勝負所で置かれることなく、抜群の手応え。まるで別馬のような運びからラジオNIKKEI賞でみせた豪脚を繰り出されてはたまらない。先に抜けたエタリオウとの叩き合いをハナ差制した。

ここまでのキャリアで露呈した課題、そのすべてを距離が解決した。中距離では周囲のペースも早く、それに釣られて折り合いを欠き、脚を貯めきれない小回りの中距離戦では一気にペースが上がるとギアチェンジしきれない。すべてがフィエールマンがステイヤーである証でもあったのだ。

だが、フィエールマンの真の強さはここ一番での勝負根性にある。

菊花賞ハナ差、天皇賞(春)4歳クビ差、5歳ハナ差。
3000m以上走りながら最後にこれだけ小さな着差で制した。
ゴール前でクリストフ・ルメール騎手が強烈なステッキを一発放つと、フィエールマンは姿勢をさらに下げ、首をより前に突き出す。いちばん苦しい場面でもっとも厳しい状態になりながらもさらにファイティングポーズをとる。

ここ一番では絶対に負けない、まさにチャンピオンステイヤーである。

3000m超では負けないフィエールマンにとって、もっとも悔しかったレースが20年天皇賞(秋)ではなかろうか。

母が走った東京競馬場にデビュー以来2度目の出走となった天皇賞(秋)は同学年の女王アーモンドアイと年下の宝塚記念馬クロノジェネシスがライバル。牝馬の時代といわれた2020年を象徴するような図式をフィエールマンは崩したかった。ここで中距離チャンピオンの座を獲得、二階級制覇を成し遂げることはフィエールマンの未来にとって重要な意味があった。

時代を崩し、未来を切り開くためにフィエールマンは母が走った東京競馬場の最後の直線で強烈な末脚を繰り出す。

クロノジェネシスをかわし、前を走るアーモンドアイをゴール板まで追い詰めた。並びさえすれば、フィエールマンは叩き合いでは絶対に負けない。だが東京芝2000mを完璧に走ったアーモンドアイは叩き合いに持ち込ませなかった。フィエールマンの最大の武器を熟知するルメール騎手がそうさせなかったのだ。アーモンドアイが早めにスパートして完封したかったのはフィエールマンの勝負根性だった。

中距離のレースでは課題ばかりだったフィエールマンの天皇賞(秋)での走りはかつてのものとは別次元だった。

自身の弱さ、そのすべてを距離だけが解決したわけでない。
フィエールマンには自ら時代を切り開く力があったのだ。

写真:かぼす

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