歩み続けるということ。ニホンピロアワーズと酒井学騎手が掴み取った待望の"1勝"

お金は無くとも時間はたくさんあった学生時代。馬券を買っても買わなくてもハラハラできて、だいたいはお金が減るけれど時々はお小遣いがもらえて、何より馬たちがひたむきに命を燃やす姿を見られる競馬場が大好きだった。

少し先の予定を調整するとき、心の片隅でいつも「その日はあのレースがあるな」「推しのあの子が走るかもしれないな」と算段していた。バイト先の塾の社員さんが競馬好きだったので、金曜夜には深夜まで居残って予想談義に華を咲かせた。今思えばきっとお疲れだったと思うけれど、彼は目を輝かせながら、週末に描かれるであろうストーリーに想いを馳せていた。


2010年11月。私は学生生活最後の秋を迎えていた。

「汝、就職して社会に貢献せよ」

という"天の声"を聞いたような気になりながら、駆り立てられるように就職活動に励んだ私は、

「そもそも社会人ってなんだろう。今から社会に出るってことは、私が今いる場所は社会ではないのか…?」

なんてメンドクサイ疑問に蓋をしながらも進路を確定させ、残された時を惜しむように学生生活を謳歌していた。自称・真面目な理系学生として教授の指導を受け、自分でもよくわからないままにおそらくは先端の研究に勤しんだ。研究の合間には研究室でタコ焼きパーティーや餃子パーティーを催し、持ち込んだガスコンロでサンマを焼いて危うく火災報知器を発動させかけたりした。来春には離れ離れになる仲間たちとの最後のモラトリアムを目一杯味わっていた。

土日は相も変わらず競馬場に通い詰めた。社会人になったら、きっと今より頻繁には来られない…そんな思いに突き動かされて、ただただ夢中でシャッターを切った。

晩秋の黄昏時、赤みを帯びた太陽が大きく西に傾き、影が長く長く伸びる時間帯を迎えると、センチメンタルな気持ちで胸が詰まった。

論文の取りまとめや翌春の準備でいよいよ慌ただしさを増す中で、エリザベス女王杯当日がシーズン最後の京都来訪となった。スノーフェアリーの「すんごい脚」を見届けた後、私は今は無き淀の円形パドックの最前列に入り込んだ。冬を思わせる北風が場内の熱気を急速に奪い、場内の観客は家路を急いでいる。童謡の七つの子が遠くから聞こえてきそうなほどの、夢のあとを思わせる気怠い雰囲気。熱がぼわっと上空に吸い込まれていく余韻の中、西日のコントラストに照らされたパドックを馬たちが淡々と周回する。

最終競走は準オープンの一戦、京都ロイヤルプレミアム。

惜敗続きで決め手に欠けるけどいつも大きなフットワークで走っていたハイオン、春の京成杯でクラシックを夢見ていたアドマイヤテンクウ、いつも競馬場に居た気がするハードシーキングやパーフェクトラン、メイショウタメトモ。ずっと応援していたフサイチコンコルド産駒のドリームトラベラー、如何にも大物風なサンライズモール……。

ダート中距離の上級条件で戦う馬らしい、屈強で頑健な馬体が次々と目の前を歩いていく。

大学入学と共に購入した愛用の一眼レフは、白くて大きな望遠レンズを持ったオトナたちと比べると遥かに貧弱で、ファインダーを覗いても暗い。僅かな光を追いかけて一生懸命に馬たちの影を追っていると、綺麗な顔と力強い馬体を持った一頭に目が留まった。

その名は、ニホンピロアワーズ。

半年前の汗ばむ初夏の日に、私は彼の初勝利を見届けていた。ルーキー然としていた彼は、その後3戦し2つの勝ち星を積み重ね、ダート界の若手ホープの一頭となっていた。若い3歳馬にとって昇級初戦の準オープンの壁はいかにも分厚いかとも思ったけれど、どうやら多くの支持を集めている。

鞍上は酒井学騎手。終生の友となる名コンビもこの日はまだ結成2戦目。「あなたはどんなウマですか?」「あなたはどんなヒトですか?」そんなやり取りを交わしてるだろうか。

このあとも元気に頑張れよ。と思いながらお気に入りのカメラに彼の姿も収めていた。京都の掉尾を飾るこのレースを見たことを来年も再来年も誇れてたらいいな…と思いながら。


4月、私はスーツに身を包んで社会に出た。

東日本大震災の直後だったから、どこか陰鬱で日本全体が沈んでいるように思えた。社会に出ることの本当の意味は相変わらずよく分からなかったけれど、仕事のお作法を覚え、技術屋としての学びを深めた。

自称・真面目な学生生活を送っていたので、自称・真面目な社会人生活を送る事への苦労は存外無かったけれど、自由奔放に学業と遊びを行き来していた学生時代と比べると、自由時間はどうしても少ない。

「汝、社会人となった。勉強すべし」

なんて意識の高そうな気持ちに急き立てられ(今から思えばそんなに焦る必要はなかったのだけれど)、ビジネス書を読み、資格勉強をしてみた。何者でもない自分を受け容れながら、それでも何かは出来る人間になろうと足掻いていた。

通勤途上の電車の中ではいつも競馬ニュースは追いかけていた。競馬への熱量は微塵も衰えなかったけれど、競馬に投じることのできる時間はやっぱり減っていた。

就職して初めてのクリスマスの2日前。荒尾競馬場が最後の日を迎えた。

青春18きっぷでの来訪を企画しては「またいつか行こう」と先送りしていたかの土地は、廃止のニュースから殆ど時を置かずに夢幻の向こうに消えてしまった。

後悔の念と共に荒尾競馬場の最後を見届けようとネット中継に齧りついていたその日、同日の名古屋グランプリでニホンピロアワーズは初めての重賞タイトルを手にした。この先、何度も何度も刃を交えるエイシンモアオバーを力任せにねじ伏せ、3着以下を大きく離した強い競馬。終焉を迎える競馬場と、未来の飛躍を誓った4歳馬。いろいろな未来が交差したように思えて、不思議な感情がこみ上げた後、胸の奥にずしんと何かが沈む音が聞こえた気がした。


さらに1年が経った。

年の瀬が迫り多忙を極めた日曜日、私は休日返上で一人、オフィスにいた。朝から書類の山を捌き、設計書を書き上げ、ようやく一段落と時計に目をやると針は丁度15時。小学校の時にこっそり特別教室に忍び込んだときのような、いたずらっぽい気持ちを思い出しながら、逸る気持ちで職場のテレビを点けた。

阪神競馬場、第13回ジャパンカップダート。

人気を集めているのはダートで9戦8勝。目下6連勝中の重賞2勝馬・ローマンレジェンド。岩田康誠騎手の騎乗停止で手綱を執るのは大舞台で輝くミルコ・デムーロ騎手。

以下、大事故に遭った佐藤哲三騎手に替わって武豊騎手が手綱を執る古豪エスポワールシチー、JBCクラシックで初タイトルを手にしたワンダーアキュートと和田竜二騎手、大きな出遅れを跳ね返す断然の強さで勝ち上がってきたイジゲンとライアン・ムーア騎手、同レース3連覇を狙うトランセンドと藤田伸二騎手………息長く走り続けてきた新旧のトップホースが思い思いに阪神のパドックを周回する姿が映し出されている。

その中には逞しさを更に増したニホンピロアワーズが居た。酒井学騎手がひらりと跨る姿が、気合十分に馬場へと駆け抜けていく姿が、大きく映っている。6番人気の伏兵の評価ではあったけれど、乗り替わりの多いメンバー構成の中で、信頼を積み重ねてきた人馬の気力の充溢しているように思えた。

「ニホンピロアワーズ、良い競馬ができたらいいな」

と独りごちていた。

ゲートを開く。エスポワールシチーが外連味なくハナを奪い、トランセンドは出ムチを飛ばしながら押して押しての2番手。その外にはこの先に一時代を築く3歳馬ホッコータルマエが続く。その直後にニホンピロアワーズ、ワンダーアキュート、ローマンレジェンド、グレープブランデー、シビルウォー……。有力各馬が、ライバル達を互いにマークし睨み合いながらじっと機会を伺っている。

4角でエスポワールシチーのリードが一気になくなり、世代交代を告げようとホッコータルマエが一気に呑み込む。その外から絶好の手応えで進出するニホンピロアワーズ。後続のローマンレジェンド、ワンダーアキュートも追撃態勢に入る。

残り300m。ニホンピロアワーズがホッコータルマエに並びかける。追いすがるライバル達を横目に、余裕たっぷりの手応えで先頭に躍り出る。

次の瞬間、酒井学騎手が満を持してゴーサインを送ると、俊敏に反応したニホンピロアワーズは「待ってました!」と言わんばかりに身体を一層大きく伸ばし、活き活きと仁川の急坂を駆け上がった。

独走状態でゴール板を駆け抜けた瞬間、酒井学騎手が噛みしめるような大きな大きなガッツポーズを見せた。

画面に大きく映る酒井学騎手とニホンピロアワーズ。

酒井学騎手の目には涙も浮かんでいるだろうか。報われた苦労人への拍手が阪神競馬場を暖かく包んでいた。

掛け値なしの素敵な光景に、仕事終わりのどこか萎れていた私の心が瑞々しさを取り戻すのを感じた。


帰路、仕事鞄を胸に抱きかかえながら、彼らが辿ってきた歩みを振り返る。

繁殖牝馬数頭の小さな家族牧場で生を受けたこと、決して華美とは言えないブラックタイプから生まれたこと。エリート揃いの中央競馬界の中では傍流とも言えるような彼の境遇に思いを馳せ、関係者の喜びを伝える記事に胸が熱くなる。

酒井学騎手と小林百太郎オーナーの出会いもクローズアップされている。

ほんの6年前。年間未勝利の崖っぷちまで追い込まれた酒井学騎手は、12月になって同オーナーのニホンピロコナユキで遅すぎるその年の"初勝利"を挙げた。酒井学騎手の逆転の「絆」の物語は、そこから始まっていた。

"ニホンピロ"の冠がJRAのG1を制したのはニホンピロウイナーのマイルチャンピオンシップ以来、地方まで広げてもニホンピロジュピタが南部杯以来とも記されている。

栄冠に長らく遠ざかったオーナーが久々に巡り合ったG1タイトルを意識できる駿馬。大きなチャンスを前に、それでも絆を大切にし続けることはきっと容易なものではなかったはずだ。オーナーの元にコンビ解消を謳う外野のお節介なアドバイスが聞こえたことも、きっと一度や二度ではなかっただろう。

信じ続けるということ。歩み続けるということ。「ずっと乗せてやれ!」と雑音を一蹴したオーナーの懐の深さには、随分スマートになった競馬が失いつつある「人情味」が溢れている。

戦績に目を移す。

彼らは日本中を飛び回り、いつもチャレンジャーとして戦っていた。金沢の雄・ナムラダイキチと覇を競い合った白山大賞典で重賞タイトルを奪取した。ソリタリーキングやローマンレジェンド、ゴルトブリッツらスターホースの壁は時に高かった。持ち上げられ、落とされて、期待を膨らませ、夢破れ、何度阻まれようともまた立ち上がり、転んでも転んでも勇敢に前に進み、強豪に挑み続けた。ニホンピロアワーズと酒井学騎手が積み上げた繋がりがとてもとても分厚く思えた。2年前、京都で出会った彼の、まだ幼い顔がふと脳裏によみがえって、なんだか可笑しな気持ちになった。


ニホンピロアワーズは8歳まで現役を続けた。JCダートの後、G1/Jpn1のタイトルを手にすることはなかったけれど、平安ステークス、東海ステークス、ダイオライト記念と3つの勲章を積み重ね、大一番の出馬表に名を連ね続けた。ホッコータルマエ、ベルシャザール、ワンダーアキュート、コパノリッキー、サンビスタ…。強い先輩に果敢に挑み、彼の背を追う後輩たちに胸を貸し、この路線の主役の一角を務め続けた。

少しずつ成績は下降線を辿って行ったけれど、平日も休日も、休まず彼は走り続けた。8歳の暮れ、名古屋グランプリ2着を最後についに現役を退いた時、重ねた戦績は42戦に上っていた。長い長い旅路を終えて後ろを振り返ると、そこには太く確かな蹄跡が残っていた。G1級を1勝しかしていないのが意外に思えるほどの濃密な6年間だった。

僅か30頭足らずの産駒からはニホンピロスクーロとシゲルホサヤクの2頭がオープン入りを果たし、地方ではミステリーベルンが重賞競走を制した。主役としてスポットライトを浴びることはないかもしれないけれど、彼が有していた高いポテンシャルを密かに後世に伝えている。

学生から社会人へ。私の人生が大きく動こうかというとき、ニホンピロアワーズと酒井学騎手は何度も変わらぬ姿を現してくれた。

夕闇の中浮かび上がった彼の姿も、職場のテレビに映し出された彼の姿も、瞼を閉じればすぐに思い出すことが出来る。挫けずチャレンジャーとして挑み続けるニホンピロアワーズの姿はいつだって格好良かった。

無力感に苛まれようとも、取っ掛かりすらわからぬ高い壁に阻まれようとも、諦めずに一歩ずつ進めばいつかな光射す道が目の前に開ける。

そんな勇気と希望を、ニホンピロアワーズと酒井学騎手は教え、そして勇気づけてくれたような気がする。

歩み続ける、ということの大切さを。

写真:I.Natsume、norauma、math_weather

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