父を超えろ、トウカイテイオー!~エリートの復活劇~

偉大でもあり、なおかつ残忍でもある織田信長を父に持ってしまった織田信雄の話相手はロウソクしかなく、父を超えるために思いついた方法は2つ。

──1つは父に認めさせること、そしてもう1つは父を殺すこと──

小説『狂気の父を敬え』のような例は極端としても、世の男性にしてみれば、身近な存在である父親を超えてみたいという思いを持つ人は多いかもしれない。

かく言う自分も、父親は超えてみたいハードルの1つだとは思っている。

かつて、テレビから流れてきたコマーシャルを父親と二人で並んで観ていたときのこと。自分は何も感じなかったその映像を観た父親は「うん、おもしろい」と呟いた。長く広告業界に身を置いた父親に、感性で負けた気がした。

競馬の世界でも、父を越えるということがキーポイントになる場合がある。

周知の事実ではあるが、サラブレッドの世界は改良に改良を重ねて「より早く、より強く」することに主眼を置いて生産をされている。そう考えれば、年々進化しているサラブレッドの世界なら父を越えることは容易いようにも感じるかもしれない。

けれど、その父が偉大であればあるほど、その壁は高く厚いものだ。

1992年のジャパンカップが行われた東京競馬場は晴れていたものの前日の雨の影響があり、芝コースは重馬場。

この年からジャパンカップは国際G1レースに認定をされたこともあり、「ジャパンカップ史上、最も豪華なメンバーが集まったレース」と後々に評価されるような顔ぶれだった。

この年の欧州年度代表馬となるイギリスの牝馬ユーザーフレンドリーを筆頭に、現役のイギリスダービー馬のコマンダーインチーフとドクターデヴィアス。オセアニアからも年度代表馬のレッツイロープ。さらにアーリントンミリオンの勝ち馬でもあるディアドクターが、アメリカの代表格として出走していた。

迎え撃つ日本勢も、直前の天皇賞(秋)で上位に食い込んだレッツゴーターキンにヤマニングローバル、伸び盛りの3歳馬レガシーワールドやヒシマサル、そして日本の古馬牝馬のトップを張っていたイクノディクタスが出走。

そんなメンバーに入ったトウカイテイオーは生涯最低でもある5番人気という評価を受けた。

彼の単勝オッズが10倍をつけたのは、長い現役時代においても最初で最後の出来事だった。

前走の天皇賞(秋)は骨折休養明けだったとはいえ、7着に惨敗。その前の天皇賞(春)で初黒星(5着)を喫していたため2連敗となり、気の早い競馬ファンの口からは、限界説まで囁かれるようになっていた。ダービーを制した府中の芝2400mの舞台、さらに休養明けを使った上積みもあったものの、多くの日本のファンはトウカイテイオーが復活するか、半信半疑だったのである。

当時の自分も、トウカイテイオーは軽視しており、レッツイロープが勝つと予想していた。

ゲートが開くと4枠の青い帽子の2騎、レガシーワールドとドクターデヴィアスが先行していき、地方競馬代表のハシルショウグンがこれを追走。1番人気のユーザーフレンドリーは最初のコーナーでやや折り合いを欠くような仕草をみせていた。

レガシーワールドが作った流れは、1000m通過が60秒3。

重馬場だったことを考えると、やや早いペース。しかしその分、折り合いを気にしなくて良くなったトウカイテイオーは道中4~5番手の位置を気分良く追走し、抜群の手応えで直線に向いた。

他の騎手たちがスパートを始めるなか、ただ一頭、騎手の手は全く動かないまま先行集団に並びかけていくトウカイテイオーを見たその瞬間、トウカイテイオーを軽視していた自分は“まずい、勝たれてしまう!”と思った。

その予感はすぐに現実となる。

トウカイテイオーは先頭が先頭に立つと、内側からは激しいアクションで馬を追うディットマン騎手騎乗のナチュラリズムがやってきた。トウカイテイオーの鞍上・岡部騎手は見せムチを駆使して後続を振り切ろうとするが、ディットマン騎手も派手な水車ムチで応戦する。

それでもトウカイテイオーはナチュラリズムの追い上げをクビ差退けて、先頭でゴールインした。

それは、ジャパンカップ史上初となる「親子制覇」を成し遂げた瞬間だった。

トウカイテイオーについて、「父を越えた」という声もあれば「まだまだ足元にも及ばない」とする意見もある。制したG1レースの数では、父シンボリルドルフに及ばない。けれど、優等生的なイメージを持たれた父親に比べて、トウカイテイオーはとても“人間くさい馬” だったと思う。

トウカイテイオーは、観る者を惹き付ける『ドラマチックな星の下に生まれたサラブレッド』だと思うし、それは父シンボリルドルフとは異なる魅力を持つ部分でもある。

多くのファンの共感を得て劇的な勝利を数多く収めることが出来たのは、トウカイテイオーが持つ『才能』ではないだろうか。

自分だって父親と同じ土俵で超えようとする必要はないんだ──そう気付いたのは、ここ最近のことだ。

父親の遺伝子を受け継いでいるとはいえ、顔はもちろん、それこそ感性は違うわけだし、同じ分野ではなくとも何か1つ、父親が成し得なかったことをすればそれはある意味で『父親を超えた』ということになるのだろうと思う。

それが何なのかを、自分の残りの人生で考えてみるのも悪くないかもしれない。

さて、次のジャパンカップを勝つことによって父を越える馬は現れるのだろうか。

写真:かず

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