ステレオタイプにハマらない勇気。モズアスコットと矢作厩舎の"二刀流"挑戦を振り返る。

何かを成し遂げるためには、時にステレオタイプにハマらない柔軟で勇気ある選択が必要になる。

MLBロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷翔平選手が世間に広く知られるようになってからというもの、「二刀流」という言葉がさまざまな業界において頻繁に使われるようになった。大谷選手が活躍するようになるまで、あまり使われてこなかったはずのワードが最近になって多用されるようになったこの一連の流れは、いかにも日本人らしいと思うが、同時にそれまでステレオタイプに閉じ込められていた才能が、その大いなる可能性にチャレンジしやすい世の中になってきたということについては、喜ばしいことだとも感じる。

リスグラシューのコックスプレート、ラヴズオンリーユーのBCフィリーズ&メアターフ、マルシュロレーヌのBCディスタフなど、それまで日本馬があまり挑戦してこなかった世界の大レースを次々に制し、日本国内で勝ち味に遠かったステイフーリッシュやバスラットレオンで海外重賞を制するなど、その馬の持つ可能性を存分に引き出し、結果を出し続けている調教師がいる。栗東・矢作芳人調教師だ。

私が矢作調教師を強く意識するようになったのは、ディープブリランテで制した2012年の日本ダービーだっただろうか。当時の矢作調教師は、学問の超名門校である開成高校卒という「異色の経歴を持つ高学歴調教師」といったイメージが先行していて、昨今の柔軟なレース選択をする名伯楽のイメージからは少し離れていたように思う。少なくとも私の中で、「矢作調教師像」を確立したのはモズアスコットという馬の存在が大きかった。

──そう、モズアスコット。

彼はまさに、矢作調教師の柔軟で勇気ある選択に導かれて、歴史に名を残す名馬となった。

ヨーロッパを席巻した“怪物”フランケルの初年度産駒として日本にやってきたモズアスコット。マイルに距離を短縮したデビュー3戦目に初勝利を挙げると、そこから一気の4連勝でオープンクラスまで駆け上がり、重賞戦線に名を連ねるようになった。重賞初挑戦となった阪神Cこそ1番人気で4着に敗れたものの、年が明けると阪急杯・マイラーズCと重賞で連続して僅差の2着を記録し、その力が重賞級であることを見せつけた。タイトルこそ掴み切れていないものの、モズアスコットの力に手応えを感じていた陣営は、4歳春の最大目標をマイルGⅠ安田記念に絞って調整を進めたが、その安田記念を目前にして、収得賞金が出走ボーダーに足りていない可能性が浮上する。そのままでは競走除外になる可能性が残っていたため、急遽予定を変更してOP特別の安土城Sを使って賞金加算を目論むも、同じような位置から脚を伸ばしたダイメイフジをクビ差だけ交わすことができず、2着に敗戦。結局、賞金加算できずに終わってしまう。

本来であれば、ここで目標を切り替えても良かったのだが、直前に回避馬が出たことによってなんとか18番目の出走枠に滑り込み、安田記念のゲートインに漕ぎ着つける。一戦級の馬たちを相手にGⅠでは異例の連闘策ということもあって9番人気に甘んじる中、馬群を内から捌いて力強く抜け出し、疲れを全く感じさせないレースレコードタイ(当時)の1分31秒3という好タイムで駆け抜けてGⅠ制覇を成し遂げた。

連闘策でGⅠ制覇は、1989年安田記念のバンブーメモリー、1998年阪神3歳牝馬S(現:阪神JF)のスティンガー以来、史上3頭目の快挙であることから、矢作調教師の選択した連闘策はステレオタイプにハマらない“柔軟で勇気ある“ものだったと言うことができるだろう。

しかし、モズアスコットは矢作調教師の手腕によって、さらにもう一段、名馬の階段を上がることになる。

この安田記念以降、翌年秋のマイルCSまで海外を含めて8戦し、スワンSで2年連続2着となった以外は掲示板に載ることさえできなかったモズアスコットは、6歳を迎えた2020年も現役続行を決断すると、その初戦としてなんと芝のレースではなく、ダート1400mのGⅢ根岸Sを選択する。

「芝の重賞勝ち馬がダートに挑戦」

この手の話は全くないというわけではないが、失敗に終わることも少なくない。安田記念をレコード(当時)で駆け抜けた快速馬モズアスコットに、パワーも要求されるダートの競馬がマッチするのかという疑問はあった。まして父フランケルの産駒は、芝がメインのヨーロッパで走っていることが多いとはいえ、日本も含めてダート重賞を勝った産駒はおらず、血統的な適性も不透明だった。

前年の覇者でダート短距離重賞4勝の実績を誇るコパノキッキングが1.9倍の抜けた人気に支持され、2番人気に重賞は未勝利もダート戦で底を見せていないミッキーワイルドが続く。モズアスコットはそこから少し離された3番人気に名前を連ね、ここまでが単勝オッズ一桁台の人気になっていた。

ゲートが開くと、緑の帽子が出負けしたのが見えた。モズアスコットだ。初めてのダート戦で最後方からとなれば、レースを見ていたファンの中には当然、暗雲が立ち込める。その一方で、絶好のスタートダッシュを決めたコパノキッキングは内からスルッと先頭に立つ。これを簡単には逃がさまいと、外からヨシオとドリームキラリが出鞭をくれてハナを奪いにかかると、激しくなる先手争いを嫌って4番人気のワイドファラオが一列引き、中段グループにミッキーワイルドやダノンフェイス、ノボバカラらが構えた。

その中団グループを目掛けて、外目からスルスルと楽な手応えのまま上がって行く馬がいた。緑の帽子、モズアスコットだ。出負けして最後方から進むことになったものの、すぐに立て直すと持ち前のスピードで馬群に取り付き、好位を目指して上がっていく。どうやらダートの走りは悪くなさそうだ。

結局、先手争いを押し切ったドリームキラリが先頭で4コーナーを回り、直線を迎えた。しかしそこから突き放す余力はなく、かわって番手に控えていたコパノキッキングが持ったままで先頭に立つ。後続勢はワイドファラオ、ダノンフェイス。内に潜り込んでいたミッキーワイルドら人気上位各馬の手が激しく動いてはいるが、先頭に立てる脚色とは言えそうにない。

そんな中、砂を被らない外目を気持ちよく走らされたモズアスコットは、余力たっぷりの手応えで前の馬たちを射程圏に捉えたまま直線に向き、馬群の外で追い出しを待っていた。

ゴーサインが出されると、まずはダノンフェイス、そしてワイドファラオを外からあっさりと飲み込んで2番手まで上がる。そして、内で粘り込みを図るコパノキッキングを目標にもう一段脚を繰り出した。最後はきっちりととらえ切り、逆に1.1/4馬身の差をつけてゴール板を先頭で通過。

芝のG Iをあの超抜タイムで勝った馬が、冬の乾いたダートをこうもあっさり駆け抜けられるものなのだろうか。

凝り固まった私のステレオタイプな脳内ではすぐに理解することができなかったが、矢作調教師の相馬眼と型にとらわれない“柔軟で勇気ある”発想力の前では、確かな根拠に裏付けされた当たり前の結果だったのかもしれない。

世界が未曾有の疫禍に苛まれる直前、競馬場が入場制限もない「それまでの形」だった最後の日、2020年2月23日。

モズアスコットは、フェブラリーSを堂々の1番人気で迎えていた。

根岸Sとは違い、絶好のスタートを切ると、淀みなく進むペースの中、中団のインコースで砂を被りながらジッと構えて直線に向くと、バラけた先行勢の間から鋭く足を伸ばして突き抜けた。

ゴール前で鞍上が振り返る余裕すら見せた圧巻の勝利は、クロフネ、アグネスデジタル、イーグルカフェ、アドマイヤドンに続く、16年ぶり史上5頭目のJRA芝・ダート両GⅠ制覇という快挙であると同時に、モズアスコットが競馬史に名を刻む名馬になった瞬間でもあった。

翌週から、先の大戦を除けば史上初めてとなる無観客競馬が始まり、動員数の制限やスマートシート制、入場券の事前申し込みなど大きな変化を迎えた日本競馬において、モズアスコットは今のところ「先の時代」を知る最後のGⅠホースであると言える。競馬場は徐々に元の様子を取り戻しつつあるが、2023年1月現在に至るまで、完全に元通りとは言えないのが実情だ。

フェブラリーSを制したその年限りで現役を退き、本邦初のフランケル後継種牡馬としてアロースタッドでの繋養が決まったモズアスコットは、繋養初年度となる2021年に167頭、翌年にも139頭の種付けを行い、2022年に最初の世代が生まれている。

その産駒が走り出す頃には、元の世の中、元の競馬場が戻ってきてくれているといいのだが、未来のことは誰にもわからない。願わくば、何の制限もなく満員のファンで埋まったスタンドから湧く大きな歓声に包まれて、父のように芝とダートを駆け抜けるモズアスコットの子どもたちを見てみたい。

写真:かぼす、umanimiserarete

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