ダービー挑戦、強豪との激突、そして愛される誘導馬に…。サクセスブロッケンの生涯を振り返る。

「立春」とは、二十四節気のうち、その日を境に厳しい寒さが少しずつ緩み始め、春の気配が忍び寄ってくる日のことを言うらしい。毎年、おおよそ2月4日あたりになる。立春を過ぎてから確かに朝や日中の寒さは少し楽になった気もするが、私の鈍い感性をもってすると、まだ春の気配は遠すぎる。午前中のうちは暖かい日差しに照らされていたはずのパドックも、時間の経過と共に少しずつ傾く太陽が東京競馬場のスタンドの影を伸ばせば、冬の厳しい寒さに覆われていく。ある人はポケットに手を突っ込んで身体を小刻みに揺らし、ある人はカイロを振り、ある人は手に息を吹きかける。

「止まーれー」

騎乗命令がかかり、各馬に騎手が跨ると、パドックを一周してから続々と地下馬道へと向かっていく。それに合わせるように、多くの観客がひどく体感温度の下がったパドックから、今度は強い西陽に照らされたコース前に流れていく。徐々に高まる体温と比例するように観客のボルテージは来たる"15時40分"に向けてふつふつと高まり、今にも沸騰しようとしていた。

出走各馬が地下馬道から上がって来ると、実況による熱い紹介を受けながら本馬場入場を迎える馬と騎手たちに観客から「頑張れ」、「頼むぞ」などと大きな声援が送られる。これから大一番に臨もうとする馬たちをパドックからダートコースまで先導した後、ゴール板の近くから温かい眼差しで見守る青鹿毛の馬がいた。

その馬は、最後の一頭の返し馬を見送ると、一度スタンド方面に向きを変えて芦毛の馬たちが揃うのを待ち、今度は1コーナー付近にある通路に向かって歩みを進め、地下馬道を下って静かにその役目を終えた。

一体、このレースに向かう“後輩たち”を何度見送ったことだろう。

中央競馬その年初めてのGⅠは、2月東京開催最終日のフェブラリーSと決まっている。


2000年代後半から2010年代前半にかけてのダート界は、歴代屈指とも言える猛者たちが覇権を争っていた。

カネヒキリ、ヴァーミリアンという2頭の怪物を筆頭に、ブルーコンコルドやエスポワールシチーなどGⅠを複数回にわたって制した馬が顔を揃えたほか、カジノドライヴ、メイショウトウコン、メイショウバトラー、ワイルドワンダー、ワンダースピードらGⅠ未勝利ながら重賞戦線を盛り上げた“名脇役”たちの名前が並ぶ。また、フリオーソやボンネビルレコードなど地方所属の馬たちも中央勢を抑えて大舞台で活躍を見せ、2010年代に入るとこれらの馬たちと入れ変わるようにしてスマートファルコンやトランセンド、ワンダーアキュート、テスタマッタなどが頭角を表した、まさに「群雄割拠」の様相だった。

青鹿毛の馬、サクセスブロッケンはそんな覇権争いの真っ只中で現役生活を送った。

2005年に母サクセスビューティの2番仔として生まれたサクセスブロッケンは、前脚の膝から下が外向きに曲がっている状態であり、競走馬になれるかどうかすら不透明な状況のまま幼少期を過ごす。それでもなんとか競走馬としてのスタートラインに立つと、曲がった脚元への負担を考慮してダートを選択したデビュー戦で驚愕の大差勝ちを記録。昇級した2戦目の黒竹賞でも3馬身半、3戦目のヒヤシンスSで4馬身、4戦目の端午Sでは5馬身と、それぞれ圧巻のレースぶりで4連勝を飾った。陣営は勢いもそのままに芝の最高峰である日本ダービーへの参戦を決定。それまでの4戦が圧巻の内容だったとはいえ、ダートでしか勝ち鞍がないにも関わらず、競馬の祭典である日本ダービーで最終的に8.3倍の3番人気に支持されたことが、サクセスブロッケンという馬への大きな期待を物語っていた。結果こそ、勝ったディープスカイから2秒以上離された最下位の18着に終わったものの、彼自身のポテンシャルの高さを疑う余地はない。"ダートの世代最強決定戦"であるジャパンダートダービーでは1.2倍という断然の1番人気に支持されると、楽々と抜け出して2着のスマートファルコンに3馬身半の差をつけ、3歳ダートチャンピオンの座に輝いた。

秋には初めて古馬と対戦し、JBCクラシックではヴァーミリアンの2着、ジャパンCダートでは8着と、着順こそ振るわなかったものの、レース途中からハナを奪うという積極的なレース運びからカネヒキリ、メイショウトウコン、ヴァーミリアン、サンライズバッカス、ブルーコンコルド、カジノドライヴ、フリオーソという錚々たる面々に食らいついた。年末の東京大賞典ではカネヒキリとヴァーミリアンに次ぐ3着、年が明けて4歳初戦となった川崎記念ではカネヒキリとフリオーソに次ぐ3着と僅差の競馬を続け、年長の強豪たちとも互角に渡り合った。

そんな中で迎えた2009年のフェブラリーS。3年前の覇者カネヒキリが連覇を狙うヴァーミリアンを抑えて1番人気に支持され、以下、ポテンシャルと未知の魅力たっぷりのカジノドライヴ、前哨戦を勝ったフェラーリピサ、頭角を表しつつあったエスポワールシチーが続き、ここまでが一桁台のオッズを示していた。サクセスブロッケンはというと、前年秋からの戦績が上位人気馬との勝負付けは済んでいると目されたのか、前年の3歳ダートチャンピオンの立場であるにもかかわらず、上位5頭からは離された単勝オッズ20倍台の6番人気でレースを迎えることとなった。

東京ダート1600mらしくまずは外枠各馬が芝コースを利してスピードに乗り、先行争いを展開する。好スタートを決めた大外枠のフェラーリピサの内から、手を動かしてエスポワールシチーとカジノドライヴが先手を主張すると、それを横目に見たサクセスブロッケンが無理に競かけることなく外から3番手につけた。フェラーリピサが4番手、先行勢を前において最内にカネヒキリ、外目をついてヴァーミリアンと、上位人気各馬が前々のポジションに固まって互いを牽制し合い、ペースは緩むことがないままハロン11秒台を刻み続けて4コーナーへと向かっていく。

最初に手が動いたのはヴァーミリアンだった。スピードが持ち味というタイプではないだけに早いペースに耐えられなくなったか、4コーナーで一つ遅れを取った。それとは反対に、逃げたエスポワールシチーがコーナーワークでスルスルと後続を突き放しにかかった。その分、ポッカリと空いたスペースを突いてカネヒキリが差を詰め、外からはサクセスブロッケンが迫り、抜群の手応えのカジノドライヴは内と外をそれぞれチラッと見てからそれぞれを待っていたかのように追い出された。

残り1ハロン。

ここまで早いペースでレースを引っ張ってきたエスポワールシチーの脚色がさすがに鈍くなり、代わって真ん中からカジノドライヴが先頭に躍り出ようとする。それを目掛けて内からカネヒキリ、外からサクセスブロッケンが襲いかかり、今度は3頭による壮絶な叩き合いが繰り広げられた。カジノドライヴが良いタイミングで頭ひとつ出たように見えたが、カネヒキリが内からチャンピオンホースとしての意地を見せ、直線の入り口までは3頭の中で一番後ろにいたサクセスブロッケンが外からしぶとく伸びる。最後の一完歩までもつれた叩き合いはサクセスブロッケンが勝負根性でグイッと前に出て、2頭をねじ伏せたところがゴール板だった。そこからクビ差、さらにアタマ差でカジノドライヴとカネヒキリが続いた。勝ち時計は1分34秒6、上位3頭がタイム差なしのフェブラリーSレコードで駆け抜けたまさに大激戦だった。

──それは新たな時代の幕開けとも言えた。

サクセスブロッケンの脚によって、カネヒキリとヴァーミリアンを擁する2002年生まれの世代がダートのビッグタイトルの多くを獲得してきた一つの時代に終止符が打たれたのだ。

この年、サクセスブロッケンは年末の東京大賞典でヴァーミリアンを抑えてGⅠ3勝目を挙げ、同期のエスポワールシチーはこのフェブラリーSが起爆剤となったのか、GⅠ3連勝を記録して2005年生まれの新たな世代がビッグタイトルを総なめにした。

残念なことにサクセスブロッケン自身は東京大賞典を最後にして心身が万全に至らず、以降4走したのみで現役生活にピリオドを打つことになってしまったが、彼が現役を退いた後もエスポワールシチーが8歳まで現役を続けてGⅠ9勝を挙げ、そのエスポワールシチーが不振に苦しんでいた期間にはスマートファルコンが圧倒的な強さを見せてGⅠ6勝を記録するなど、05年世代は02年世代に勝るとも劣らない強い世代としてダート界を牽引した。

2022年末、鹿児島から一通の訃報が届いた。

「サクセスブロッケン死す」

2000年代後半の群雄割拠するダート界にその身を置きながら、ジャパンダートダービーで世代の頂点に立ち、古馬になってからはフェブラリーSと東京大賞典のタイトルを加え、GⅠ3勝を挙げた名馬サクセスブロッケン。晩年は脚腰が弱くなっていたようで、惜しまれながらその17年の生涯を終えた。

エフフォーリア、デアリングタクトらを輩出したエピファネイアと同じくシンボリクリスエスを父に持ち、その父の産駒としては初めてのGⅠ勝ち馬だったにも関わらず、現役引退後は一頭の産駒も残すことなく、東京競馬場で誘導馬としての馬生を歩んだ。

誘導馬としては、自身が制したフェブラリーSなどの誘導を複数回にわたって行ったほか、2020年には日本ダービーの誘導という大役を務めあげるなど、多くの後輩たちの勇姿を見守り続けた。2021年2月をもって誘導馬としても引退という形になったが、彼自身がその生涯最後に誘導を務めたレースは、もちろんフェブラリーSだった。


2023年は、サクセスブロッケンが空から見守る最初のフェブラリーSになった。

“後輩たち”が返し馬に向かう方角から太陽が照らせば、スタンドから彼らを見つめる私の目は春の足音が迫る暖かい日差しに細まる。逆光にぼやける視界に、凛々しくこちらを向く青鹿毛の誘導馬の姿がもう一度だけ見えたりしないだろうかと、そんなことを思いながら静かにファインダーを覗いた。

写真:Horse Memorys

あなたにおすすめの記事