君と感じた爽やかな風を想う〜私の青春、エアスピネル〜

青春とは、一体どこで終わるのだろうか。
初めてできた彼女に振られた時、一生懸命に取り組んだ部活を引退した時、好き勝手遊んだ学生生活が終わった時──。
青春そのものの終わりが人それぞれで、もしその終わりを自分で決めて良いというのなら、私の青春は2022年の秋に終わりを告げた。

私の青春は、黄色と青の爽やかな風が吹いていた。
初めて阪神競馬場に行った日も、初めて京都競馬場に行った日も、初めて友人とダービーを見に行った日も、私の青春の真ん中にはいつだって黄色と青の勝負服と、ひたむきに走り続ける一頭の栗毛のサラブレッドがいた。

エアスピネル。
君は、私の青春だった。

君と出会ったのは、私がまだ大学1年生だった7年前のこと。
その血統的な背景もあり、デビュー前から素質馬として期待されていた君は、武豊騎手とのコンビで新馬戦と2戦目のデイリー杯2歳Sを楽勝し、あっという間に翌年のクラシック候補に名乗りを挙げた。翌年を見据えて3戦目に選ばれたのは朝日杯FS。
「どうしても現地へ見に行きたい」と、人生で初めて阪神競馬場まで遠征することを決意した私は、なけなしのアルバイト代をはたいて夜行バスに乗り込んだ。武豊騎手の「中央GⅠ完全制覇」が託された君は、圧倒的一番人気に支持されて抜群の手応えで直線を迎えたものの、ゴールまであと少しのところで爆発力に勝るリオンディーズに交わされて2着と敗北。早朝から真冬の寒さに晒されて身体の芯まで冷え切った私に、追い打ちをかけるような何とも冷たい風が吹いた。

初めての敗戦を経験したもの、クラシック筆頭格であるという評価が大きく揺らぐことはなく、君はそのリベンジに燃えて翌年の3歳クラシック路線を迎えた。
始動戦となった弥生賞ではリオンディーズを交わせず、のちのダービー馬マカヒキにも交わされて3着。皐月賞では正攻法の競馬をしたものの、ディーマジェスティの末脚に屈して5着入線の繰り上がり4着。日本ダービーでは早め先頭で押し切りを図ったがマカヒキには及ばず、またも4着──。
誰もが認める実力はあるが、あと一歩が足りない競馬が続いた。そんな春の結果を考慮して、秋初戦の神戸新聞杯では後方待機策も試してみたが、前に迫ることは出来ずに5着に敗れた。

「距離が長い」
「マイルを走らせた方がいい」

耳を澄ませば、どこからともなくそんな声がする。それでも、君は決してクラシックの舞台から降りるような事はしなかった。迎えた菊花賞。私はまた、君に会うために夜行バスに乗っていた。朝日杯の時と違うのは、その小脇にカメラを抱えていたことだった。

「自分の手で写真を撮ってみたい馬がいる」

そんなことを言うと、カメラが趣味だった祖母が「それなら成人のお祝いに」と買ってくれた一眼レフだ。初めて降り立った京都競馬場には清々しい秋の空が広がっていた。

好スタートを切った君は、それまでのように逃げ馬を見ながら先行すると、4コーナーで内を掬って懸命に脚を伸ばした。一瞬、先頭に立ったようにも見えたが、皐月賞やダービーでも後塵を拝していたサトノダイモンドの切れ味に抵抗することはできずに3着。それでも、レース前の雑音をかき消すようなに走りに「来年こそは」との思いが、私の心を震わせた。

4歳を迎えた君は、マイルに専念することが発表された。
年明け早々の京都金杯で久々の重賞勝利を挙げると、東京新聞杯3着、マイラーズCの2着を挟み、春の大一番である安田記念を迎えた。これまでの実績と待ちに待ったマイルのGⅠということも相まって、2番人気の支持を受けた君は、淀みなく流れるペースの中で後方3番手で進んだ。直線では「一発」を狙って最内を突いたが、先行馬がびっしりと横に並び、抜け出す隙間が見当たらない。200mを切ったところでようやく追い出されたが、君が手間取っている間に外を回してスピードに乗っていたサトノアラジンを捉えるには至らず、5着に敗れた。

「いつも通り先行していれば」
「外を回していれば」
「進路さえ開けば」

GⅠ奪取という大きな目標に向けて、様々な試行錯誤をしてきた中で、一発逆転に賭けた選択が全て裏目に出てしまったような、悔しさの残る一戦だった。
夏には一度2000mの札幌記念を使ったが、鞍上の進言もあって秋は再びマイル戦に専念することになる。

もちろん秋の大目標は、マイルCS。その前哨戦として選ばれたのは、春に苦杯を舐めた東京マイルの富士Sだった。この日は強い雨が降り、芝も水をたっぷりと含んだ不良馬場だったが、君は馬場の真ん中を力強く突き抜ける完勝で本番に向けて大きな弾みをつけた。私はというと、君に会いに行くようになってから初めて目の前にする勝利に、びしょ濡れになっていることすら忘れて必死にシャッターを切っていた。

──しかし、この日を境に君の歯車が狂い始める。

大目標としていたマイルCSの直前に武豊騎手が落馬負傷したことにより、鞍上が急遽変更になるアクシデント。幸いにも名手ライアン・ムーア騎手を迎えることができたが、本番では抜群すぎる手応えに想定よりも早く先頭に立ってしまったことで、後続の目標になる結果となり、ペルシアンナイトに20cmだけ交わされて2着に敗れた。

翌年は、春先に発症した骨膜炎から始まり、疲労による安田記念の回避、マイルCS前の熱発と万全の状態でレースに向かうことが出来なかった。さらに翌2019年は、復帰が7月の函館記念までずれ込んだ上に13着に大敗。この年はその一走したのみで残りは休養というチグハグな状態が続いてしまう。

そうこうしてる間に世界の情勢すら大きく変化した。競馬場から観客が消え、歓声の全くないスタンドに地面を蹄が叩く音だけがこだましている見慣れない光景が広がるようになった。

2020年7月、君は誰もいないスタンドをどんな気持ちで見つめていただろうか。狂い切った歯車を少しずつ噛み合わせることに丸一年の月日を要したが、君は競馬場に帰ってきた。「GⅠを獲るのは時間の問題」のように言われていた君はいつの間にか、古豪の域に達していた。挙句には、7歳を迎えてのダート転向である。その挑戦は決して無謀とまでは言わないが、絶好のタイミングというのには程遠かっただろう。

それでも君は、いつものようにひたむきに駆け抜けて2着に食い込んだ。まだGⅠを諦めてはいない。狂っていたはずの歯車はもう一度、動き出した。

武蔵野Sで3着に入ると、チャンピオンズCで2年ぶりにGⅠの舞台に立ち、ダート界のトップクラスを相手に必死に食い下がった。
そして8歳を迎えた君は、芝とダートというコースの違いこそあれど、ついに4年前に大きな忘れ物をした“東京マイルのGⅠ”に帰って来た。

9番人気。その期待の大きさは2番人気だったあの日と比べれば、歴然の差だったが、君は自分の競馬に徹してあの日の続きを見せてくれた。真ん中の枠からジワっとスタートを切ると、最内で静かに脚を溜めて直線を迎える。
あの日と同じ最内の選択。
馬群は、開いた。

「行け、差せ、届け!」

観客のいない東京競馬場に届けと言わんばかりに、私は自宅で1人声を張り上げた。君も、猛然と追い込む。先に抜け出したカフェファラオをとらえるまでは至らなかったが、4年ぶりにGⅠの舞台で2着に食い込んだ。

決して諦めない君は、地方交流GⅠのマイルCS南部杯に駒にも参戦した。当然のように、私も盛岡に向かう。長期休養や無観客競馬が重なったこともあり、君に会うのは実に3年ぶりだった。この仕上がりで負けたのなら仕方がないと思えるような素晴らしい馬体に期待が膨らんだが、それでもGⅠに手は届かなかった。その姿形はすぐそこに見えているGⅠタイトルが、果てしなく遠いところにあるようにすら感じる。

実力があっても何かが足りない、どこかが噛み合わない。

そんなもどかしい競馬が続いてしまう君は、もしかするとGⅠを勝つ星のもとに生まれていないのかもしれないと、そんなことを考えてしまうような日も増えた。

しかし、そんな私の憂鬱をかき消すように9歳を迎えてなお、君は走り続けた。ともに現役を続けていた同期のダービー馬マカヒキですらついに引退を迎え、あのダービーで共にしのぎを削った馬の中には、すでに産駒が生まれ、デビューを迎えているものもいた。そんな中で君は歳下の馬たちに離されても、届かなくても必死に食らいつき、走り続けた。しかし、年齢のせいもあってか、スタート後の出脚が鈍くなると馬券に絡む機会も減り、ついに掲示板にすら載れない競馬が目立つようになってきた。

もしかすると、きっとそう遠くないところに“その時”は近づいていて、「競走馬としての君にあと何回、声援を送ることができるだろう」と、それまでは考えもしなかったことが私の頭の片隅に居座るようになった。

そして、2022年のマイルCS南部杯でのこと。
春のさきたま杯では年齢を感じさせない覇気に満ち溢れた周回をしていたはずの君が、この日に限ってはどこが物足りないような、気持ちがついて来ていないような周回をしていた。レースでも3コーナー辺りからついて行くことすら厳しくなり、決して悪くない条件であったはずのこのレースで大きく離された9着に敗戦を喫する。この時、私は君を応援できる時間が、もうそう長くは残されていないことを確信した。

武蔵野Sでも似たような感覚は続いた。前走より良くはなっていたが、それまで君から感じることのなかった柔らかさのようなものを感じた。ベスト条件であるはずの“東京マイル”で見せ場一つもなく、後方で伸びあぐねる君に、何も感じないというのは、あまりにも酷だった。

……ついに“その時”は来た。
きっと君の次走報が出るとホッとしていた私と、もう十分だと“その時”を望んでいた私は、自分の中に矛盾をはらんでいた。覚悟はしていたつもりでいたが、いざその文面と対峙することになると、込み上げてくる思いを堪えることができなかった。君が競走馬でなくなった世界でどうやって競馬と向き合っていけば良いのか、そんなことすらわからなくなってしまうような気もした。

君と同じ風を追いかけるようになってからの7年間はまさに「長いようで短く、短いようで長い」、そんな7年間だった。
“悔いはない”が、“悔しさがない”と言えば、嘘になる。
夢にまで見たGⅠを勝ち、その優勝レイを肩に掛ける君の姿を、一度で良いから見てみたかった。たくさんの拍手に包まれて、誇らしそうにこちらを向く君を、たった一枚でいいから写真に収めてみたかった。
しかし、君が無事にその脚を止めることができるのなら、これ以上は望まないことにした。
もう十分だ。君はもう十分すぎるほどに、頑張ったのだから。

「勝ちきれない」
「詰めが甘い」
「善戦止まり」

そんな言葉たちは君の代名詞のようにささやかれた。それでも、私はそんな君が大好きだった。どんな条件でも諦めずに突き進み、「いつか必ずやってくれる」と、そう思わせてくれる君の走りは今日この日まで、私の心をずっと引っ張り続けてきた。諦めないこと、それが君の強さだった。

「行ってこい、俺の青春」

私は毎回そう言って、君を見送った。
君がターフに、そしてダートに刻んだこの7年間の蹄跡は、私の青春そのものだった。君に声援を送り、君と同じ風を追いかけたこの日々は私の大きな宝物だ。何度だって立ち向かい、決して逃げることなくGⅠに挑み続けたその競走生活のどこに悔いがあるものか。誰が後ろ指を指すものか。

いつだって、君は私の青春だった。

さらば、私の青春。
さらば、エアスピネル。
黄色と青の青春が、君と感じた爽やかな風が、いま静かに止んだ。

写真:ひでまさねちか

あなたにおすすめの記事