今も多くのファンに愛され続ける奇跡の名馬、トウカイテイオーの物語

こんにちは、チーム・テイオーです。
チーム・テイオー創立10周年を記念して、これまで、父のシンボリルドルフ、産駒のトウカイポイントを紹介してきましたが、いよいよトウカイテイオーの登場です。
今回は、ウマフリで名馬たちの記事を執筆中の首都羅臼さん(チーム・テイオー会員)が、奇跡の名馬トウカイテイオーの溢れる魅力を甦らせてくれました。


競馬界で様々な偉業が達成された2020年。
コントレイルが三冠馬となり、父ディープインパクトに続く親子での「無敗の三冠馬」に輝いた。
その29年前、同じように親子での「無敗の三冠」に王手をかけた一頭の優駿がいた。

彼の名は、トウカイテイオー。

競馬ブームの時代を駆け抜けた彼の生涯はまさに波乱万丈、人々は彼を「奇跡の名馬」と呼ぶ。

まず、デビュー以来4戦無敗のまま臨んだ1991年皐月賞が圧巻だった。
重賞初挑戦ながら、前年の阪神3歳ステークスを制したイブキマイカグラともども単枠指定され、そのイブキマイカグラを抑えて1番人気に支持された彼は、アフターミーが馬群を先導する中、最外枠から中団やや前目に位置を取る。

3コーナーを過ぎたあたりで、大外から馬なりのまま一気に先団に取り付くと、直線入り口で先頭に立った。

安田隆行騎手はまだステッキを抜かない。

後方待機から追い込んできたシャコーグレイドが迫る中ここでステッキが入ると、シャコーグレイドをそれ以上寄せ付けないまま、1馬身の差を保って先頭ゴールイン。

「帝王」が神秘のヴェールを脱いだ瞬間だった。

2着のシャコーグレイドは、テイオーの父シンボリルドルフのライバル、ミスターシービーの仔。
ルドルフにも、シービーにも深い思い入れのある私は、なんだか信じられないものを見たような気がして、深い感慨が胸の中に広がったものである。

続く日本ダービーでも単枠指定、単勝は1.6倍。
汗ばむほどの陽気のもと、最外枠20番から好スタートを切ったテイオーは、7~8番手の好位につけた。その背後では2番人気、岡部幸雄騎手のレオダーバンが虎視眈々とテイオーをマーク。
最後の直線に入ると、テイオーは皐月賞同様、馬なりで先頭に躍り出た。

レオダーバンの岡部騎手が必死に追って差を詰めようとすると、そこでテイオーにも数発ステッキが飛び、ぐんぐんとライバルを引き離してゆく。

弾むような脚取り。

しなやかな体をいっぱいに使い、大きなストライドで大地を蹴って栄光のゴールを目指すテイオー。

最後は手綱を抑えるほどの余裕をみせながら、レオダーバンに3馬身差をつけて58頭目のダービー馬に輝いた。

──とんでもないものを見た。
──これで秋には間違いなく、親子での無敗の三冠を達成するだろう。

多くの競馬ファンがそう信じ、夢に胸を膨らませたのは言うまでもない。

だが運命は残酷だった。
テイオーは左後脚を骨折、菊花賞出走を断念せざるを得なくなった。
「親子での無敗の三冠」は幻に終わった。

それは「帝王」の、初めての挫折でもあった。
私は今でも、怪我さえしていなければ間違いなく三冠は達成していたはずだと信じている。

それだけの器だった。それだけの夢を見せてくれた。


テイオーがターフに戻ってきたのは翌92年の大阪杯(当時G2)である。
このレースから鞍上は名手・岡部騎手に替わった。

出走馬は8頭ながら、同期のライバル・イブキマイカグラや前年のグランプリホース・ダイユウサク、さらにはホワイトストーン、イクノディクタスといった豪華な顔ぶれが揃っていた。

ゲートをポンと出たテイオーは、イクノディクタスが思い切ってハナに立つ中でゴールデンアワーの後ろ、3番手に付ける。その背後にはホワイトストーン。イブキマイカグラとダイユウサクは後方に待機して、レースはよどみなく流れた。

弾むような脚取り。
首筋の白いポンポンが揺れている。

──ああ、テイオーが帰ってきた。これがテイオーの走りだ。

胸がいっぱいになる。

向こう正面を過ぎて、3コーナーに差し掛かっても、岡部騎手の手はまだ動かない。
いつ仕掛けるのか。人々の視線は、黒い帽子の馬に集中する。

「前の二頭はもうどうでもいい!」

実況の杉本清アナがそう叫ぶ中、歓声が次第に耳をつんざくほどに大きくなってゆく。

直線に入り、まだイクノディクタスが先頭に立っていたが、それをゴールデンアワーが交わそうとしたところで外から一気にテイオーが並ぶ間もなく抜き去って行った。それも、気合いもつけず、全くの馬なりで。
更に差を広げたテイオーは、もったまま先頭でゴールに飛び込んだ。
なんという強さ。この後控える、古馬の総大将メジロマックイーンとの対決を前に、これは軽い試走だというのか。

「テイオーは花見をしながら走っていた」

そういわれるほどの走りに、見るものすべてが舌を巻いたのだった。
個人的に、ラストランの有馬記念を別とすれば、テイオーのレースの中で最も印象に残っているのがこの大阪杯である。


こうして迎えた4月26日の天皇賞・春は、テイオーとメジロマックイーンの「世紀の対決」として注目を浴び、当日はテイオーが1番人気、マックイーンが2番人気となった。古馬になってからのマックイーンが1番人気でなかったのはこのレースのみである。
しかしマックイーンが天皇賞・春連覇を飾る中でテイオーは5着、おまけに再度の骨折も判明し、テイオーファンにとっては後味の悪いレースとなってしまった。
テイオーの復帰戦は11月1日の天皇賞・秋。調整が遅れ、ぶっつけでの参戦となった。奇しくも、父シンボリルドルフが2着に敗れた85年のこのレースと同じ状況であった。ここではメジロパーマー、ダイタクヘリオスの作り出したハイペースに巻き込まれ、道中かかったこともあり7着。

春天で骨折後に福島県の温泉で療養するテイオー
Photo by テイオー大好きさん

何かがかみ合わないまま、テイオーは11月29日のジャパンカップに臨んだ。
日本初の国際G1となったこの年のジャパンカップには、英愛オークス・英セントレジャーを勝った名牝ユーザーフレンドリーを筆頭に、豪ダービー馬ナチュラリズム、ドクターデヴィアスとクエストフォーフェイムという2頭の英ダービー馬、アーリントンミリオンを勝ったディアドクター、メルボルンカップ馬レッツイロープ、翌年ガネー賞を勝つヴェールタマンドと、7頭の外国馬が顔を揃えた。日本からはテイオーが敗れた天皇賞・秋の勝ち馬レッツゴーターキンやその天皇賞で3着のヤマニングローバル、実績馬イクノディクタス、地方代表のハシルショウグン、4歳(当時)代表のレガシーワールドとヒシマサルがテイオーとともに出走した。

1番人気はユーザーフレンドリー。
ナチュラリズムが2番人気で、テイオーは生涯最低の5番人気にとどまった。

スタートが切られ、レガシーワールドがハナを主張し、これにドクターデヴィアス、ハシルショウグンが続き、テイオーは大外14番からこれを見る形で向こう正面へと駆けていく。1ハロン11秒台の息も切らせない流れの中、2コーナーを過ぎてユーザーフレンドリーが先行集団に取り付き、そこから少し離れたハシルショウグンの後ろでテイオーはしっかりと折り合っている。
その背後にイクノディクタスが続き、彼女の外側につけるのはナチュラリズムとヤマニングローバルだ。
3コーナーを迎え、ナチュラリズムがインに入ってテイオーの前に出る。
4コーナーを過ぎてもまだレガシーワールドが先頭だったが、直線の入り口でインコースからナチュラリズムが力強くレガシーに代わって先頭に躍り出た。真ん中からはユーザーフレンドリーが、その外からは弾むような足取りでテイオーが並びかける。

場内の大歓声に包まれ、ディットマン騎手の風車ムチがうなる内のナチュラリズム。
鬼気迫る形相で岡部騎手が必死に追う外のトウカイテイオー。

そこにディアドクターも追いすがるが、完全に2頭の追い比べとなり、最後はテイオーがクビの差でこの追い比べを制した。

85年の父ルドルフに続く、史上初の親子でのジャパンカップ制覇。
そして、日本馬としてはその父以来のジャパンカップ制覇でもあった。

地鳴りのような歓声はやむことがなく、やがて向こう正面を流すテイオーを「テイオー! テイオー!」のコールが包み、スタンド前に引き上げてきた岡部騎手を「オカベ! オカベ!」のコールが温かく迎えた。

岡部騎手の表情が、そこで緩んだ。

こうして蘇ったテイオーの次走は有馬記念だったが、岡部騎手が騎乗停止となったため、田原成貴騎手に乗り替わる。1番人気に推されたものの、後方のまま動けず11着に終わり、その後宝塚記念の調教中に三度目の骨折が判明したのであった。

北海道二風谷でのんびり休養するテイオー
Photo by テイオー大好きさん
洗い場で手入れされるテイオー
Photo by テイオー大好きさん

ここから休養などで出走できなかった期間は1年近くに及び、その間競馬界はライスシャワー、ナリタタイシン、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ベガといった年下の新たなスターたちが共演する次の時代へと移り変わっていった。

そして1993年12月26日。
第38回有馬記念のパドックにトウカイテイオーの姿があった。

約1年のブランクからのぶっつけ本番、鞍上は岡部騎手がビワハヤヒデに騎乗するため前年と同じ田原騎手。
1番人気はその岡部騎手のビワハヤヒデで、以下レガシーワールド、ウイニングチケットと続いてテイオーは4番人気だった。

この時私は大学の冬期休暇で実家に帰省していたので、自分の部屋のテレビでこのパドックの様子を見ていたのだが、テイオーの弾むような脚取り、あの独特の歩様が甦っていたのを今も鮮明に思い出す。

スタートしてすぐにメジロパーマーが飛び出してハナを叩き、いつものように好スタートを切ったテイオーはスッと位置を下げて5~6番手に控える。一周目のスタンド前ではパーマーの後ろにレガシーワールド、その外にビワハヤヒデ、ホワイトストーンがつけ、これを見る形でライスシャワーとテイオーが並んでいた。
大歓声の中、1コーナーを迎えるところでテイオーは9番手辺りまで下げ、じっくりと折り合いをつけながら向こう正面へと進んでいく。

向こう正面に入るとペースが一気に落ち、12秒台から13秒台を刻む中、後続を従えて逃げるパーマーから2馬身ほど離れてホワイトストーン、レガシーとビワがこれを追い、5番手にウイニングチケット、内にライスと続いてテイオーはエルウェーウィンの隣に位置を取った。その背後にベガとナイスネイチャ、以下セキテイリュウオー、ウィッシュドリーム、エルカーサリバー、最後方にマチカネタンホイザという体勢で、3コーナーを迎えた。

ここでホワイトストーンは後退し、ウイニングチケットが、ベガが、そしてテイオーが一緒に進出を開始する。

直線に入ると、依然として粘っていたメジロパーマーをビワハヤヒデが競り落として先頭に立ったが、その外を通って赤い帽子が伸びてくる。

「まさか、まさかテイオーがくるとは!!」

日も傾き、やや薄暗くなった師走の中山の坂を、軽やかに駆けあがってくる白とピンクと青の勝負服。ビワハヤヒデの灰色の馬体に並びかけ、交わしたテイオーは、最後の力を振り絞って半馬身の差をつけ、奇跡のゴールへと飛び込んだ。

──信じられないものを見た。

そう思った瞬間、涙があふれ、テレビの画面が滲んだ。

思えば、テイオーはその生い立ちからして奇跡の存在だった。

牝馬として初めてダービーを勝ちながら悲劇的な運命をたどったヒサトモの子孫であることや、もともと母トウカイナチュラルの姉トウカイローマンに種が付けられる予定だったシンボリルドルフの交配権が、ローマンの現役続行によって宙に浮き、妹のナチュラルにお鉢が回ってきて、結果生まれたのがテイオーだったという話は、広く知られているとおりである。

一度は途切れそうになった名牝の血を、その末裔であるトウカイクインを所有したオーナーの執念によって蘇らせ、テイオーにつなげていったわけだが、実はそのトウカイクインの娘であり、トウカイナチュラルの母であるトウカイミドリは、デビュー前に命も危ぶまれるほどの故障を発症しながら、オーナーの愛情と熱意によって未出走のまま繁殖入りし、ナチュラルを産んでいる。

もしミドリがこの時命を落としていたら、その後の物語──テイオーに至る物語はそこで途切れていたのだから、いくつもの奇跡の積み重ねの産物がテイオーだった、と言って言い過ぎることはないだろう。

社台SS時代のテイオー
photo by 首都羅臼さん

その上にこの波乱万丈と、冒頭で使った言葉では生易しいほどに起伏に富んだ競走馬人生。
おそらく、もう二度と起こることはないであろう、有馬記念での復活ドラマ。
ゆえに存在だけでなく、競走馬としての道のりもまた、「奇跡」。
比類なき才能と、「貴公子」ともいうべき美しい容姿、気高い魂。

そのすべてが、引退して27年経った今もなお、人々の記憶に鮮烈に残り、人々をひきつけてやまない。

「皇帝」の仔は「帝王」。
そして「奇跡の名馬」。

その名に恥じぬ、気品ある美しさと気高さを身に纏って。

社台SSで放牧中のテイオー
photo by 首都羅臼さん

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