はじめの一歩 後藤浩輝騎手とキタサンブラック

東京都中央卸売市場。当時は築地市場と呼ばれていた。

一部の競り物品を除き、競り人と仲買人が話し合いによって売買する相対取引が主流になり、築地の仲買人たちは早朝というより、真夜中の午前1時、2時から競り場に降りてくる。顧客の注文に見合う魚を長年培った経験をもとに探し、競り人と値段を交渉する。

午前4時。

そうして魚を買いつけた旦那衆がひと息つくころ。競り場から仲買人がいる店舗へ商品を配達する小揚が、置いた魚を下働きの従業員たちが、早朝からやってくる買い出し人に備え、きれいに並べる。原則競り取引の大物(マグロのこと)関係者が出勤する時間である。

「よお、アツシ、サブちゃんの馬、強かったなぁ」

隣で高級な鮮魚を扱う「やっちゃん」が声をかける。

「キタサンブラック? そうだね」

馬券を外した私は、なんとも複雑な気分で答える。

「またGⅠ勝ってよ、サブちゃんすげぇな。いくら儲かったんだよ」

だいたい築地の男はふた言目にはお金の話がくる。築地市場は巨大な商人の集合体である。やはり商いは金の話がついてくる。クセのようなものだ。

2017年からJRAがはじめた「HOT HOLIDAYS!」キャンペーンは若い俳優たちが楽しそうに競馬を楽しむ姿を描き、いわゆる新規顧客の掘り起こしに成功した。同じころ、おじさん連中を競馬に呼び戻したのは、北島三郎さんの馬(馬主名義は大野商事)キタサンブラックだった。

レースとともに印象的だったのは、レース終了後、競馬場を新宿コマ劇場に変えた北島三郎さんの「まつり」。紅白のトリを13回務めた“国民的歌手”の影響力は大きく、中高年を競馬に引き戻した。かつてハイセイコーに夢中になった世代は、みんな競馬に接する下地があった。築地市場でも"おじさん"HOLIDAYSが増えた。

キタサンブラックは、北島三郎さんがヤナガワ牧場でひと目ぼれしたという。「目も顔も男前でほれた」のちにそう語っている。四肢が長く、やや薄手なスマートな馬体は偉大な弟をもつ兄ブラックタイドを思い起こさせる。我々がその馬体を目にしたのは、2015年1月31日東京競馬第5レース、メイクデビュー東京・3歳新馬戦のパドックだった。清水久詞調教師はキタサンブラックの初陣に東京競馬場を選んだ。ジャパンCを悠々逃げ切ったのはこの翌年。極悪馬場で出遅れながらも、後方からインを突いてワープした天皇賞(秋)は、この2年後の話だ。

キタサンブラックが挑むはじめての競馬。
そのパートナーを務めた騎手が、この一カ月後にこの世を去ってしまった後藤浩輝騎手だった。

残雪が脇に残るパドックにあらわれたキタサンブラックは四肢に黄色いバンテージを巻き、ちゃかつき気味だった。のちに黄色いバンテージは前肢だけになり、首を少し下げ、気合を見せつつ、黙して本番を待つ戦士のようなたたずまいになる。

スタートを決めたキタサンブラックは後藤騎手に好位へ行くよう促されるも、周囲のスピードに合わせるのがやっとといった印象。後藤騎手はキタサンブラックに、競馬へ参加するように指示する。キタサンブラックは中団より後ろの外目で、なんとか流れに乗った。後藤騎手は先頭から10馬身ほど離れた位置をじっとキープした。

そして最後の直線、後藤騎手は外目からスムーズに進路をつくり、馬に本気で走るように早めにハミをかけて、闘争心に火をつける。はじめて走る東京の直線、キタサンブラックは内にササり気味で、トップスピードに乗らず、体を持て余すような走りを見せる。出遅れたために後方に潜み、直線勝負にかけた横山典弘騎手・ミッキージョイの脚色が上だった。

ミッキージョイに並ばれ、交わされそうになった残り200m。
後藤騎手の叱咤にこたえ、キタサンブラックの心と体がひとつになった。あきらかに脚色が変わり、まるでミッキージョイに襲いかかり、飲み込むような勢いだ。内で粘る先行馬を捕らえ、ミッキージョイをあたかも従えるように先頭でゴール板をかけた。

あのとき、残り200mで後藤騎手がキタサンブラックの"本気"を引き出せなかったら、その後の運命は変わっていたかもしれない。これが北島三郎さんの夢を叶えたキタサンブラックのはじめの一歩だった。

キタサンブラックを応援するために競馬に戻ってきたおじさんたちは、サブちゃんが昔から馬主で、なかなか大きなレースを勝てずにいることを知り、長年、あきらめずに馬を走らせ続けたサブちゃんに共感する。報われたことがうれしかった。高度経済成長期からコツコツコツと日々、小さい努力を重ねた世代にとって、報われることは最良のことだった。

みんなのサブちゃんにGⅠをプレゼントしたキタサンブラックは、だから最後は「みんなの馬」になった。

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