競馬界には、相性の良い騎手と調教師のコンビ、すなわち黄金タッグと呼べる組み合わせが何組か存在する。
かつては、岡部騎手と藤沢調教師のタッグが有名で、近年ではルメール騎手と藤沢調教師、そして川田騎手と中内田調教師のタッグチームが思い浮かぶ。

今回は、体質の弱さから幾度も雌伏の時を経ながらも、黄金タッグによって後に本格化。ついにはGⅠを制することになる馬が、初めての重賞制覇を飾った2009年の中日新聞杯を振り返る。


中日新聞杯は、ローカルの中京競馬場で行われるハンデ重賞で、他のローカルのハンデ重賞と同じように、頭数が揃い人気が割れる傾向にある。この年、単勝オッズで10倍を切った馬は4頭いたが、とりわけ人気は3頭に集中し、三つ巴の様相を呈していた。

その中で、単勝オッズ3.0倍の1番人気に推されたのは、4歳馬のアーネストリー。
後のオークス馬トールポピーと、皐月賞馬キャプテントゥーレも出走した、2歳7月の『伝説の新馬戦』といえるデビュー戦を好タイムで勝利し、これ以上ないスタートを切ったようにみえた。

しかし、その後、骨膜炎に見舞われ、復帰戦となった3月の500万クラス(現・1勝クラス)、さらに、腰椎捻挫に見舞われた後の8月の知床特別で連敗を喫してしまう。それでも、そこからの5戦で3勝をあげてオープンに昇級し、4歳春の重賞では上位人気に推されるような存在となった。

だが、そこで結果を残せず、4歳夏に再び準オープンクラス(現・3勝クラス)に降級してしまう。その後、4ヶ月の休養を経て迎えた大原ステークスを、1分58秒0の好タイムで完勝すると、続くGⅡのアルゼンチン共和国杯でも2着と好走。そしてその次走として、中日新聞杯が選ばれたのだった。

騎乗する佐藤哲三騎手と管理する佐々木晶三調教師のコンビといえば、これまでにもGⅠ馬タップダンスシチーや、重賞を複数勝利したインティライミ、そしてサクラセンチュリーを輩出し、このコンビでの重賞勝利はここまで「17」と、圧倒的な相性の良さを見せてきた黄金タッグ。デビュー以降、体質の弱さから度々順調さを欠いたものの、名コンビに我慢強く育て上げられてきたこの馬が、初の重賞制覇を目指して出走してきたのである。

続く2番人気には、3歳馬のトーセンジョーダンが推された。
近親には、この直前に天皇賞秋とマイルチャンピオンシップを連勝したカンパニーをはじめ多数の重賞勝ち馬がいて、セレクトセール1歳市場では1億7000万円の高値で購買された馬である。そしてその期待通り、2戦目の未勝利戦からホープフルステークス(当時はオープン)まで3連勝を達成すると、年明けの共同通信杯でも2着に入り、一躍この年のクラシック候補となった。しかし、その後に裂蹄を発症してしまい、アーネストリー同様、3歳春のクラシックシーズンを棒に振ってしまう。迎えた秋初戦、初の古馬相手のレースとなるアンドロメダステークスで2着と好走し、この馬もまた、重賞初制覇を目指してここに挑んできた。

3番人気に推されたのは、こちらも3歳馬のナカヤマフェスタ。既に、東京スポーツ杯2歳ステークス、セントライト記念と重賞を2つ制していて、トーセンジョーダンとは対照的に牡馬クラシックの3戦全てに出走していた。しかし、皐月賞8着、ダービー4着とあと一歩のところで惜敗し、前走の菊花賞では、気性の難しさかそれとも距離が長すぎたのか12着と大敗。古馬との初対戦ではあるものの、今回は仕切り直しの一戦となった。


12月とは思えないほどの陽気となったこの日の中京競馬場は20度を超えていた。
そんな好天の下ゲートが開くと、まず最内からドリームサンデーが好スタートを切って、そのまま先手を奪った。続いて、こちらも良いスタートを切ったアーネストリーも先行して、マヤノライジン、ダブルティンパニー、マンハッタンスカイらと集団を形成してドリームサンデーを追う。

一方、ナカヤマフェスタはちょうど中団、そしてトーセンジョーダンは最後方という位置取りで1コーナーを回ったが、先頭から最後方までは7~8馬身ほどの差しかなく、全馬ほぼ一団で2コーナーから向正面に入った。

向正面に入っても全馬一団となってレースは進んだが、ドリームサンデーが刻む1000mの通過タイムは58秒4と少し早めのペース。そして、残り800m標識を通過し、3コーナーに入ったところでレースは大きく動き始めた。

まず、ドリームサンデーが、楽な手応えのまま2番手以下を少しずつ引き離し始め、連れてアーネストリーも馬なりでそれを追いかける。しかし、マヤノライジン以外の先行馬は、それら二頭に付いていけず、中団につけていたナカヤマフェスタも同様に手応えが怪しくなりはじめた。一方のトーセンジョーダンも、前が開かず後方馬群の内でもがいており、変わって上がってきたのは、中団やや前の内側でじっとしていたレオマイスターとタスカータソルテだ。

4コーナーを回って最後の直線に入ると、ドリームサンデーが一気にリードを2馬身に広げ逃げ切り態勢に入る。追ってくるのはアーネストリーただ一頭となり、優勝争いは完全にこの二頭に絞られた。残り200m地点で、さらにリードは4馬身ほどに広がり、逃げ切り濃厚かと思われたが、アーネストリーの佐藤騎手が右鞭を連打すると、一気にギアが上がって末脚に勢いが増し、前との差が詰まり始める。

そして、ゴール寸前でドリームサンデーを差し切り半馬身の差をつけたところが、5度目の挑戦にして、待ちに待った重賞初制覇の瞬間だった。2着ドリームサンデー、3着チョウカイファイトの順で入線し、その後にトーセンジョーダンが続いた。


この翌年にコース改修があったため単純比較はできないが、この時の勝ちタイム1分57秒4は、中日新聞杯が2000mになってからは、現在でもレースレコードとして残っている好タイム(2020年現在)。そして、この好タイム決着が示すとおり、人気上位に推されていた各馬が、この後GⅠ戦線で軒並み大活躍を見せるのであった。

まず、このレースで13着に大敗した3番人気のナカヤマフェスタだったが、ここから5ヶ月の休養を経てメトロポリタンステークスを快勝すると、次走には一気の相手強化となる宝塚記念を選択。戦前は、8番人気と決して高くはない評価だったが、この強気のレース選択が功を奏し、アーネストリーや、既に現役最強馬の1頭となっていたブエナビスタを差し切る大金星を挙げ、見事にグランプリホースの座についたのである。

さらに、快進撃はこれだけに留まらない。秋にはフランス遠征を敢行すると、前哨戦のフォワ賞2着から凱旋門賞に挑戦した。すると、その年の英ダービー馬ワークフォースと直線で叩き合いの末、惜しくも敗れはしたもののアタマ差2着の大健闘。世界の競馬ファンの度肝を抜いたのである。このアタマ差は、2020年現在、日本調教馬が凱旋門賞で最も優勝馬に迫った最少の着差で、それはあまりにも惜しい着差となった。

一方、中日新聞杯で2番人気に推され4着となったトーセンジョーダンは、重賞初制覇の舞台を、翌年11月のアルゼンチン共和国杯まで待たなければならなかった。しかし、その後アメリカジョッキークラブカップ、札幌記念と計3つのGⅡを制し、セレクトセールで高値で取引された期待馬が、ついに本格化の兆しを見せ始めた。

すると、札幌記念からの休み明けとなった天皇賞秋で、7番人気の評価をあざ笑うように、直線ではダークシャドウとの叩き合いを制してGⅠ初制覇を達成。この時マークした1分56秒1は、9年が経過した2020年12月現在でも、いまだ芝2000mのJRAレコードとして燦然と輝くスーパーレコードだった。

そして、人気に応えて中日新聞杯を快勝し、4歳冬にして重賞初制覇を飾ったアーネストリーにも、歓喜の瞬間は待っていた。

中日新聞杯の後は休養に入り中京記念で復帰予定だったが、右前脚の蹄壁を欠損して回避してしまう。しかし、改めての復帰戦となった金鯱賞を快勝すると、続くGⅠ初挑戦となった宝塚記念では、直線で先に抜け出しながらもナカヤマフェスタに差され、惜しくも3着となるが、上々の結果を残した。

その後、夏は北海道に遠征して札幌記念で3つ目の重賞制覇を達成。
続く、休み明けの天皇賞秋では、目一杯に仕上げられ再度GⅠに挑戦するも、今度はブエナビスタの圧倒的な瞬発力の前に、陣営も完敗と認めざるを得ない内容で、またも3着に終わってしまった。その後、右腰に疲れが出て本調子に戻らず、有馬記念を回避して休養に入ると、7ヶ月ぶりとなった金鯱賞は3着。休み明け初戦としてはまずまずの結果を残し、前年と同じローテーションで宝塚記念に駒を進めた。

当日は、陣営も「良すぎるくらい」と思うほどの状態でレースに臨むと、前年同様、逃げるナムラクレセントの2番手から道中はレースを進めた。そして、迎えた勝負どころの4コーナー。そこで先頭に立った同馬を、佐藤騎手は一度馬場の外目に誘導し、他の有力馬にそのまま外を回ると見せかけて、直線では再度馬場の内側に進路を取った。

後に、佐藤騎手が「やりたかったことが実際にできて、騎手人生の中で最も上手く乗れたレース」と、自ら評したこの作戦が見事にはまり、2着ブエナビスタにリベンジを果たす1馬身半差の完勝。勝ち時計の2分10秒1は、2020年12月現在でも破られていないコースレコードとなった。

伝説の新馬戦から丸4年。期待されながらも、体質の弱さから度重なる故障に見舞われたアーネストリーは、佐藤騎手と佐々木調教師という黄金タッグによって我慢強く育て上げられ、6歳にしてついに念願のGⅠ制覇を達成したのであった。

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