「世界の競馬」を教えてくれた馬、ディアドラ。

憧れのワールドツアー

競馬漫画の金字塔『みどりのマキバオー』には、次のようなエピソードがある。主人公・ミドリマキバオーのライバルであるカスケードは、無敗で朝日杯3歳Sを制すると、国王からの招待を受けてドバイへと旅立った。そこには地元UAEはもとより、イギリス・フランス・アメリカなど、世界各国から招待を受けた強豪4歳馬が集結していた。目的は各国の4歳馬を競わせて十傑を絞り込むこと。厳しいトレーニングとレースに耐え抜いたカスケードは十傑に選ばれ、競馬の母国イギリスをはじめとした世界各国から出走のオファーが届いた。しかしカスケードはミドリマキバオーとの決着をつけるべく、日本に戻ることを決意。「無敗のままで世界に行く」と誓って皐月賞に向かう……。

幼少期、このエピソードに触れた私は、「世界各国で競馬が行われていること」「世界でトップと認められるには海外のレースでも走らなければならないこと」を学んだ。「世界の競馬」の存在を知ったのはこの時だったと思う。その影響か、競馬中継を見るようになると、強い勝ち方をする馬が現れるたびに「この馬は海外に挑戦しないのか」と考えるようになっていた。ドバイワールドカップや凱旋門賞などのビッグレースに出走する馬は毎年のように登場したものの、私が期待していたのは、ワールドツアーを敢行して世界のトップに挑む日本馬の姿だったのである。『みどりのマキバオー』の作中で、カスケードは病気を発症して不完全燃焼のまま海外遠征を終えた。「もしカスケードが病気になっていなかったら……」と考えるたび、世界を股にかけて活躍する日本馬が現実にも登場することに期待していたのである。

──しかし、長期の海外遠征は、簡単なものではない。

そもそも、長期の遠征にはそれだけ多くの費用がかかる。賞金の高い日本のレースで稼ぐ道を捨て、採算を度外視して挑まねばならないのだ。にもかかわらず、海外滞在によって馬の体調を損なう可能性もある。こうしたリスクを知るにつれて、ワールドツアーは難しい選択なのだと思い知ったのだが、それでも私は様々な国を転戦してレースに挑む強い日本馬の登場を待ち望んでいた。

そこに現れたのが、ディアドラであった。

「海外でも手堅いGⅠ馬」

2017年の秋華賞馬ディアドラは、2018年3月のドバイターフに選出されると、UAEのベンバトル、前年の覇者ヴィブロスに次ぐ3着(リアルスティールと同着)に健闘。初の海外遠征でも力を見せた。帰国後は7月のクイーンSに出走し、秋への飛躍に備えることに。同期のオークス馬ソウルスターリングとの対戦となったこのレースでディアドラは後方二番手から強烈な末脚で追い込み、2着のフロンテアクイーンに3馬身差をつける圧勝劇を見せた。

続く府中牝馬Sで重賞二連勝を飾った後、末脚確実なこの馬なら海外の舞台でも輝けるだろうと、私はディアドラに再度の海外遠征を期待していた。すると陣営は年内最終戦として香港カップを選択、ディアドラは再び海を渡った。レース自体は前が止まらず地元馬グロリアスフォーエバーの2着に終わるが、実力は見せた。陣営から再度の海外遠征に前向きなコメントが出ていたこともあり、翌年の飛躍に期待をもたせる結果となった。

しかし、私の中ではあくまでも「海外でも手堅く走るGⅠ馬」という印象に留まっていた。香港やドバイなど日本馬が実績を残す舞台での勝利を期待するのみであり、この馬が憧れのワールドツアーを行うとは思ってもいなかった。そしてその考えは翌年、良い意味で裏切られることとなる。

終わらない挑戦のはじまり

2019年、始動戦の中山記念を叩いて再度海外に挑んだディアドラは、ドバイターフで4着、香港クイーンエリザベス2世Cで6着という結果を残す。通常の日本馬なら帰国して宝塚記念や札幌記念へ──という流れとなるだろうが、ディアドラ陣営はそうしなかった。あえてイギリスに滞在する道を選んだのである。森田和豊オーナー代理が、香港でアスコットの関係者から「ハービンジャーの子どもを見たい」というオファーを受けたことが決め手となったという。

そしてアスコット競馬場で行われるプリンスオブウェールズSに挑戦したディアドラだったが、大雨によって持ち味を発揮できず、6着。消化不良の結果を受けて陣営は欧州での続戦を決断する。8月1日ナッソーSに挑んだディアドラは、下馬評を覆し2分2秒93のコースレコードで駆け抜けた。起伏の激しいトリッキーなコース形態が特徴のグッドウッド競馬場で勝利してみせたのである。ナッソーSに日本馬が出走したのは初めてのことであるから、勿論、勝利も日本馬初の快挙である。

しかし、ディアドラの挑戦はこれで終わらない。愛チャンピオンS、英チャンピオンSに連続参戦して4着、3着と好走。年内最終戦として香港に戻り、香港ヴァーズで4着となる。翌2020年の始動戦はこの年から始まったサウジカップデーの芝レース・モハメドユスフナギモーターズCとなり、ここを2着。その後は新型コロナウイルスの感染拡大による影響を受けて出走レースが中々決まらないというトラブルはあったものの、イギリスで2戦を使い、凱旋門賞に出走して8着。そして2019年新設のバーレーンインターナショナルトロフィーも8着でゴールし、これがラストランとなった。採算を度外視しても世界に挑むことを決断した陣営の覚悟あっての現役生活であった。私が子供の頃から憧れたワールドツアーを成し遂げた馬が、遂に現れたのである。

ディアドラが教えてくれた「世界の競馬」

日本・UAE・香港・イギリス・アイルランド・サウジアラビア・フランス・バーレーンと8カ国のレースに挑戦し、GⅠを2勝。獲得賞金などを考えると、ディアドラの挑戦が成功と呼べるのか否かは判断が難しい。日本でレースを使っていればもう少し勝利を積み重ねられていたかも知れない。

しかし、少なくとも私にとってディアドラは、貴重な経験をもたらしてくれた馬であった。日本馬がアウェイの舞台で果敢に挑戦する姿だけではなく、「世界の競馬」を見せてくれたからだ。

競馬は世界中で行われていて、それぞれの地に「名馬」が存在していること。異なる環境で、真剣に馬と向き合うホースマンがいること。勿論、知識としては知っていたし、ドバイワールドカップデーや凱旋門賞の中継で、その一端を覗くことは出来ていた。しかし、元々がアニメで得た知識だったからだろうか、どこかフィクションめいたものとして「世界の競馬」を見ていたところがあった。

ただ、ディアドラを追いかける中で、「世界の競馬」に対する解像度は上がっていった。グッドウッド競馬場の独特なコース形態や、競馬新興国であるサウジアラビア・バーレーンの盛り上がりなど、ディアドラの挑戦によって初めて知ることは多かった。

 ディアドラの挑戦を見届けたことで、私の「世界の競馬」への見方は大きく変わった。「強い馬が海外のトップレースで走る」だけが挑戦ではない。世界には様々なレースがある。その馬が真価を発揮できる舞台でこそ走るべきだと考えるようになった。ディアドラが挑んだ様々なレースを見てきたからこそ出来るようになった見方である。『みどりのマキバオー』から20数年、改めて「世界の競馬」を教えてくれたのはディアドラであったと言える。

一方で、ディアドラが引退した翌2021年、ラヴズオンリーユーが日本と海外を行き来しながらレースを使い、エクリプス賞を受賞した。日本競馬は新たなフェーズに入ったと言える。ディアドラの経験が日本競馬の財産となり、ワールドツアーを敢行する強い日本馬が登場する日もそう遠くないだろう。世界を股にかける名馬の登場を待ち望みながら、筆を擱きたい。

写真:安全お兄さん、かぼす

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