あるがままに奔放に。21世紀最初のダービー馬 ~ジャングルポケット~

「ジャングルポケット」と聞いて競走馬を思い浮かべるのは、競馬ファンにとって当然でも、一般的に見れば、多数派ではないかもしれない。自身が現役を引退した数年後、予想だにしない形で知れ渡ったその馬名。ただ、知名度はあっても、ディープインパクトのように、ほぼ完璧な成績を残したわけではない。13戦5勝という戦績は、決して抜きん出たものとはいえないだろう。

とはいえ、ジャングルポケットは最強世代といわれた1998年生まれのサラブレッドの頂点に立ったダービー馬。アグネスタキオンやクロフネ、マンハッタンカフェとともに一時代を築いた、まさにそのど真ん中にいた名馬である。

1998年5月7日。ジャングルポケットは、ノーザンファームに生を受けた。父は、イタリア調教馬として27年ぶりに凱旋門賞を制したトニービン。母ダンスチャーマーは未出走ながら、その父はヌレイエフという良血だった。

2歳上の半兄ブーマーを所有していた繋がりから、齊藤四方司氏の所有馬に。馬名の由来は、齊藤氏の娘が、NHKの「おかあさんといっしょ」で流れていた歌に合わせて踊っており、オーナー自身もいい歌だなと思った曲名からとったものである。

ジャングルポケットは、その後、栗東の渡辺栄厩舎に入厩。デビューに向けて調整されたが、あの名馬の存在なくして、齊藤氏と渡辺調教師の関係を語ることはできない。

ジャングルポケットの父トニービンが、リーディングサイアーに輝いた1994年。初年度産駒がデビューしたばかりの種牡馬の産駒が、2歳戦を席巻していた。もちろん、サンデーサイレンスである。

産駒は続々と勝ち上がり、中でもデビューから3連勝で朝日杯3歳Sを制したフジキセキは、翌年のクラシックも間違いないと見られていた。しかし、翌3月の弥生賞を完勝したあと、皐月賞に向けての調整中に屈腱炎が判明。全治1年以上と診断され、やむなく引退。種牡馬入りが決定し、幻の三冠馬と呼ばれることになった。

このフジキセキを所有していたのが齊藤氏で、管理していたのが渡辺調教師。そして、星野厩務員が担当と、これはジャングルポケットと同じチームだった。

フジキセキが立てなかったクラシックの舞台へ──

関係者の並々ならぬ思いと期待が交錯する中、2000年9月。ジャングルポケットは、札幌の新馬戦で初陣を迎えた。

直前追い切りの動きが目立たなかったとはいえ、8頭立ての5番人気という評価は、今にして思えばかなりの低さ。しかし、それも仕方のないことだった。というのも、上位人気に推されたのは、いずれも、既に絶対的なリーディングサイアーの座に就いていたサンデーサイレンスの逸材たち。しかも、そのいずれもが後に大出世するほどの馬だったからである。

1番人気に推されたタガノテイオーは、2ヶ月半後に東京スポーツ杯3歳Sを制し、朝日杯3歳Sで2着に好走する馬。一方、2番人気のメジロベイリーは、天皇賞馬メジロブライトの半弟という良血。タガノテイオーを降して朝日杯3歳Sを制したのは、他でもないこの馬だった。

さらに、4番人気のダイイチダンヒルも、後に皐月賞トライアルの若葉Sを勝利。結果論にはなるものの、この世代の新馬戦では、最もメンバーレベルが高い一戦だったのだ。

そのレースで、逃げるメジロベイリーの3番手につけたジャングルポケットは、直線で、タガノテイオー、そしてダイイチダンヒルとのマッチレースを制して快勝。まずは初戦をクリアし、中2週で札幌3歳Sに駒を進めた。

そして、続くステージでも新たな強豪が待ち構えていた。後にGIを3勝する、テイエムオーシャンである。2代母に、桜花賞を逃げ切ったエルプスをもつこの快速牝馬は、デビューから1200m戦を連勝。一気の距離延長も問題ないとみられ、1番人気に推されていた。

レースは、そのテイエムオーシャンが逃げ、再び5番人気に留まっていたジャングルポケットは、5番手で前の様子を見ていた。しかし、勝負所での反応が悪く、置いていかれそうになるところを、デビュー戦のリベンジとばかりにタガノテイオーがひとまくり。直線入口でテイエムオーシャンに並びかけ、そこから2頭のマッチレースになるかと思われた。

この時点で、前2頭とジャングルポケットの差は5馬身。さらに、残り200mを切っても3馬身ほどあったが、ここからがジャングルポケットの真骨頂。ようやくエンジンが点火すると、荒々しくも凄まじい末脚を発揮し、ゴール前で2頭をまとめて差し切ってみせたのだ。しかも、勝ち時計の1分49秒6はレコードのおまけ付き。この勝利で、その名は全国区となり、クラシック候補に堂々と名乗りを上げるのだった。

その後、3ヶ月の休養を挟んだジャングルポケットは、暮れのラジオたんぱ杯3歳Sに出走した。このレースからコンビを組んだのは、フジキセキの主戦で、渡辺厩舎所属の角田晃一騎手。既に、テイエムオーシャンが阪神3歳牝馬Sを勝ち、メジロベイリーとタガノテイオーが朝日杯3歳Sでワンツーを決めた後のことである。

札幌での2戦。後に、GIを勝利する馬たちを相手に勝ち切ってきたジャングルポケット。今度こそ1番人気に推されてしかるべき立場だったが、ここで、さらに強力なライバルとの出会いがあった。

まず1頭目が、外国産馬のクロフネである。日本ダービーは、翌2001年から外国産馬にも開放されることが決まっていたが、その初年度のダービーを勝って欲しいという願いが、馬名の由来。デビュー戦こそ2着に敗れたものの、近2走はいずれもレコード勝ちをおさめ、やや抜けた1番人気に推されていた。

そしてもう1頭が、2番人気のアグネスタキオンである。父はサンデーサイレンスで、全兄のアグネスフライトはこの年のダービー馬。そして、母アグネスフローラは桜花賞馬で、その母アグネスレディーもオークス馬という、泣く子も黙る超良血馬だった。

ジャングルポケットは2頭に次ぐ3番人気ながら、メンバー唯一の重賞勝ち馬。戦ってきた相手からも必勝を期して臨んだが、圧倒的なパフォーマンスを発揮したライバルに、性能の高さをまざまざと見せつけられてしまう。

レースは、逃げるスターリーロマンスを前に見ながら、クロフネとジャングルポケットが5番手を並走。その2馬身後ろを、アグネスタキオンが追走していた。

その後の勝負所で、またも少し動きが鈍いジャングルポケットを尻目に、クロフネとアグネスタキオンが抜け出し直線へ。そのまま一騎打ちになるかと思われた。しかし、ここでアグネスタキオンが、かつて2歳馬が繰り出したことがないような瞬発力を発揮。後続を、一瞬で3馬身ほど突き放してしまう。

大きなどよめきと歓声が沸き起こる中、ようやく勢いがついたジャングルポケットは必死に前を追いクロフネは捕えたものの、アグネスタキオンには4馬身も離された2着に完敗。ライバルに強烈なパフォーマンスを見せつけられ、2歳シーズンは幕を閉じたのである。

それから1ヶ月半後。ジャングルポケットの姿は、共同通信杯のパドックにあった。出走予定だったクロフネが回避し、デビュー4戦目にして初の1番人気。そして、初の東京競馬場。ただ、トニービンの産駒は、ここまで誕生したGI馬6頭すべてが東京でその勝利を飾っており、ジャングルポケットにも同様の期待がかかっていた。

レースは、その期待と圧倒的支持に応える内容。5番手追走から、4コーナーで大外を回ったジャングルポケットは、直線軽く追われただけで2番手へと上昇。残り200mで、楽々と先頭に躍り出る。そして、ようやくといった感じでそこから追われると、内にささりながらも2番手以下を一気に突き放し、実力の違いを見せつけたのである。

相手関係があったとはいえ、右回りの過去3戦とは勝負所での手応えがまるで異なり、これぞトニービン産駒といった走り。最後遊びながら走っていた点などは、まるで自分のホームグラウンドを見つけたわんぱく少年が、喜びながら駈け回っているかのようだった。

このレースで、改めてアグネスタキオンの対抗候補として認識され、ダービーでは本命になり得るとの声もあがったジャングルポケットは、皐月賞へと直行。弥生賞を5馬身差で圧勝したアグネスタキオンと、再び対峙することになったのだ。

ところが、最内枠を引いたジャングルポケットはスタート直後に大きく躓き、後方からの競馬を余儀なくされる。それでも、勝負所では置いていかれることなく馬群の大外をひとまくり。直線入口では、3番手に進出していたアグネスタキオンの直後まで押し上げた。

しかし、直線に向いてもアグネスタキオンとの差はなかなか詰まらず、坂を駆け上ったところで、スタートのロスと大外を回ったツケが顕著になった。アグネスタキオンも、期待されたほどのパフォーマンスを発揮したわけではないが、残り100mから脚色は同じになり、自身の内から伸びたダンツフレームにもかわされ3着。

年末のレースから差は縮まったものの先着することは叶わず、雪辱を期す舞台は東京競馬場に移された。しかし、それから2週間後。思いもよらないニュースが入ってきた。

アグネスタキオン、左前浅屈腱炎を発症──

奇しくもフジキセキと同じ病で、最強のライバルが戦線を離脱。それは同時に、ダービーがジャングルポケットにとって負けられない戦いへと変わった瞬間だった。

相手は2頭。前走のNHKマイルCを制し、その名のとおりダービーに参戦してきたクロフネと、皐月賞で先着を許したダンツフレームに絞られた。

一方、皐月賞とは対照的に大外枠を引いたジャングルポケット。大一番のゲートが開くと、五分のスタートを切って最初の課題をクリアし、そのままダンツフレームをマークする形で、中団直後にポジションを取った。

逃げるテイエムサウスポーが刻むペースは、重馬場ながらダービー史上最速の1000m通過58秒4。隊列は超のつく縦長となり、大外枠からのスタートでも外目を回ることはなかった。

その後、3~4コーナー中間で有力馬が続々と仕掛けはじめる中、ジャングルポケットはインにこだわり、距離ロスを抑えながら4コーナーを回る。しかし、この時点でも角田騎手の手綱は全く動かない。そして、直線に入ると、一転して今度は馬場の外側へと一気に持ち出された。自身の内、そして前にいるクロフネを捕え、外から迫るダンツフレームの追撃を抑えられるか。2頭のライバルがすぐ近くにいたことで、目的はより明確になった。

そして、そこから追われると、溜めに溜めていた末脚が一気に爆発。あっという間にクロフネを捕えて先頭に躍り出ると、追いすがるダンツフレームとの差も詰めさせない。逆に、ゴール前では食い下がるライバルを突き放し、舌を出す余裕も見せながら1着でゴールイン。

ついに、ジャングルポケットは1998年に生まれたサラブレッドの頂点に立ち、21世紀最初のダービー馬に輝いた。同時に、陣営が抱いていたフジキセキの無念と、同じチームでクラシックを勝つという願いが、これ以上ない舞台で叶えられた瞬間だった。

ジャングルポケット自身も、そのことを分かっているかのように、ウイニングランで二度、三度と嘶き、大観衆の前で勝利の雄叫びを上げる。得意コースではめっぽう強く、それでいて自己アピールも忘れない奔放さ。まだ幼さは残るものの、それはある意味、新しい時代のダービー馬に相応しい立ち振る舞いだったのかもしれない。

その後、ジャングルポケットは休養に入ったが、以前から良くなかった蹄の状態がさらに悪化。調整は遅れ、デビューの地、札幌に凱旋を果たし札幌記念に出走したものの、同期のエアエミネムに敗れ3着。そこから直行した菊花賞でも、新星マンハッタンカフェの前に4着と敗れ、初めて3着内を外してしまう。

そんな中、迎えたのが、秋2戦目のジャパンCだった。ジャングルポケットにとっての「本拠地」で行なわれる、年内最後の大一番。そこに待ち構えていたのはテイエムオペラオーとメイショウドトウで、ライバル関係にある2頭だった。

特に、テイエムオペラオーは、前走の天皇賞・秋で2着に敗れたものの、前年のこのレースの覇者で、ここまでGIを7勝。前年には、重賞8連勝と古馬の中・長距離GI完全制覇を達成しており、既に歴史的名馬としての地位を確立していた。

一方のメイショウドトウも、GIでテイエムオペラオーの2着になること5回。2走前の宝塚記念では、実に6度目の正直でリベンジを果たした現役屈指の強豪である。

またしても、強力すぎるライバルとの戦い。それでも、2頭の間に割って入る2番人気に支持されたジャングルポケットは、仏国のO.ペリエ騎手を鞍上に迎え、本拠地での大殊勲を狙っていた。

レースは、米国のティンボロアがスローで逃げ、途中からトゥザヴィクトリーがまくる展開。テイエムオペラオーは6番手につけ、ジャングルポケットはそれをマークするように10番手。メイショウドトウは2コーナーで前が詰まる不利を受け、後方12番手に控えていた。

その後、トゥザヴィクトリーとのまくりで上がったペースは、勝負所で再び落ち、全馬一団となって迎えた直線。いち早く抜け出したのは、やはりテイエムオペラオーだった。徐々に、しかし確実に後続との差を広げ、残り200mで3馬身のリード。そのまま独走するかに思われた。

しかし、2番手集団から抜け出したジャングルポケットが、得意の舞台で再び豪脚を発揮。後に「できないことはない」と、日本語で振り返ったペリエ騎手の叱咤に応え、諦めることなく前を追う。すると、絶望的と思われた差は一完歩ごとに詰まり、ついにはゴール寸前でテイエムオペラオーを捕らえ歓喜のゴールイン。

本拠地の東京競馬場で2つ目のビッグタイトルを獲得したジャングルポケットは、内国産の3歳馬として初のジャパンC制覇を達成。そして、ダービー馬が同年にジャパンCを制するのも初めてという、2025年が終了した時点でも唯一の快挙を成し遂げた。「新世紀のダービー馬」が「世紀末覇王」から、実力で「最強馬」の称号を奪取したのである。

この勝利により、JRA賞の年度代表馬と最優秀3歳牡馬に輝いたジャングルポケットは、翌4歳シーズンも現役を続行。阪神大賞典で2着とまずまずのレースを見せると、続く天皇賞(春)も、勝ったマンハッタンカフェからタイム差なしの2着に惜敗。GI3勝目はならなかったものの、十分に見せ場を作った。

しかし、ここで脚部不安を発症。脚元が腫れ、蹄はこれまでで最も悪い状態になり、休養は7ヶ月の長期に及んでしまう。

その後、秋の復帰戦として選ばれたのは、連覇がかかるジャパンC。ただ、東京競馬場が改修工事のため、レース史上初めて中山競馬場が舞台となり、適性の差と休み明けの影響か5着に敗れると、続く有馬記念も7着に敗戦。さらにレース後、腰部筋肉痛と左前蹄球炎を発症し、1月に現役引退が発表されたのだ。

2002年春から社台スタリオンステーションで種牡馬入りしたジャングルポケットは、トニービンの後継として期待され、なおかつサンデーサイレンスの血を持たない種牡馬として人気を博した。

年によっては種付け頭数が200頭を超え、さらにシャトル種牡馬としても活躍。日本国内では6頭のGI勝ち馬を輩出し、菊花賞を制したオウケンブルースリや、天皇賞(春)を勝利したジャガーメイル。さらには、阪神JFとオークスを勝ったトールポピーなど、自身が勝てなかった競馬場でGIを制する産駒も登場。一方、アウォーディーとディアドムスは交流GIを制し、ダートの中距離でも大きな存在感を見せつけたのである。

そして、種牡馬入り後も、史上最強と言われた同世代のライバルたちと争い、自身はトップに立てなかったものの、アグネスタキオンとマンハッタンカフェが相次いでリーディングサイアーの座を獲得。名馬がそのまま名種牡馬となり、そういった意味でも、史上最強の素晴らしい世代だったといえるかもしれない。

21世紀最初のダービー馬となったジャングルポケット。冒頭にも記したとおり、その戦績は13戦5勝と、決して突出したものではない。しかし、ほぼ全てで超のつく強豪と激突したその13戦は、それぞれが非常に中身の濃いレースだった。

手にしたGIは2つ。勝ち星を挙げたのも東京と札幌の2場のみ。それでも、得意とする条件では驚異的な強さを発揮した。勝利後の雄叫びや、舌を出しながら走る仕草。先頭に立つと遊んでしまうところなど、個性を全面に出した彼の生き様は、あれから20年以上が経った現代の我々人間にも、どこか通ずる部分があるような気がしてならない。

あるがままに。そして奔放に──。

ジャングルポケットの立ち振る舞いは、確かに新世紀最初のダービー馬として相応しいものだった。

写真:I.Natsume、Horse Memorys、かず

あなたにおすすめの記事