[インタビュー]大夫黒の伝承を、モニュメントに!義経の愛馬の伝説が残る地、千厩。

岩手県一関市千厩町、平安時代に東北で一大勢力を築き上げた奥州藤原氏とも所縁のあるこの地には、一つの伝説が根付いている。それが、源義経の愛馬「大夫黒」の伝承である。そしてその伝承を守り、後世に繋いでいこうとする人々がいる。今回は、「千厩・大夫黒・馬っ子の会」の会長を務める昆野洋子さんにお話を伺ってきた。大夫黒への想い、そして馬のふるさと千厩への想いとは──。


源義経といえば、武家として最初の政権である鎌倉幕府を開いた源頼朝の弟として知られ、源平合戦において多大なる功績を挙げた人物の一人として、現在でも人気が高い。そんな義経は、もとより兄・頼朝の側で過ごしていたわけではなく、世の中の動乱に巻き込まながら奥州藤原氏の庇護を受けて生活し、1180年に頼朝挙兵の知らせを受けて鎌倉へ向かうのだが、その際に藤原秀衡から餞別として贈られた馬の中に「薄墨」(のちの大夫黒)がいた。

義経の軍勢は一刻でも早く頼朝に合流しようと、平泉から鎌倉までひたすらに馬を駆って強行し、当初は300騎いたとされている軍勢も、一頭、また一頭と疲れ果てて脱落していく馬が増え、武蔵国に着く頃には85騎にまで減ったと言われている。そんな中でも薄墨は倒れることなく義経とともに進軍し、道中の戦にも連戦連勝を記録する。現在の静岡県富士市の富士川でついに頼朝と涙の対面を果たした義経が、その頼朝にかわって平氏討伐の指揮を取ることになると、薄墨はそれに伴って西国での戦闘に参加し、特に一ノ谷の戦いにおける「鵯越の逆落とし」で大きな功績をあげた他、源平合戦の最終盤である屋島の戦いまで義経に帯同した。これらの戦いの功績により、義経が後白河法皇より従五位に叙されるとその位階の通称として用いられていた「大夫」の語から、薄墨を改め「大夫黒」と呼ばれるようになったとされている。大夫黒は屋島の戦いの後、義経の身代わりになり討死した佐藤継信を供養した志度寺の僧侶に贈られ、同地でその生涯を終えることになった。

「歴史に残る名馬・大夫黒がここ千厩から出たんだということを子どもたちの世代にも誇りに思ってほしいし、後世に繋いでいってほしいという思いです」

そう語るのは「千厩・大夫黒・馬っ子の会」の会長を務める昆野洋子さん。同会は45年ほど前に設立され、会員の高齢化とともに自然消滅的になくなってしまった「大夫黒顕彰会」の意思を引き継ぐ形で2年前に設立された。会の目的は大夫黒を讃えるモニュメントを作ることだという。大夫黒顕彰会は小説家・村上元三氏の著書をモデルに、千厩町駒場地域に大夫黒を称える石碑を建てたのだが、住宅街の中にあるという立地もあって周辺住民ですら認識が薄かった。今回、土地の権利関係もあって石碑が目立つ場所に移転することに伴い、同時にモニュメントを建てることを目指しているのだという。

千厩という地名は、平安後期に東北地方で勃発した前九年の役の際に、義経の先祖にあたる源義家が軍用馬1000頭を引き連れてこの地域にやってきたことがその由来ともされており、同地が古くから馬と所縁の深かったことを示している。東北地方原産だった南部馬は、ずんぐりむっくりの体型で、起伏の激しい山肌を上り下りして切った木材を運搬したり、農耕の手助けを行うなど、当時は広く一般の農家でも飼われていたとされている。明治期にその純血が絶滅したとされているが、以前は軍用馬として用いられることもあった他、天皇家の御料馬としても飼育されていた可能性が高い。

「起伏のある山肌を木を背負って上り下りしたことで足腰が鍛えられたという点や、馬の好物として知られる萩がたくさん自生していたり、炭酸カルシウムを豊富に含んだ石灰岩の土壌などが南部馬の強靭な足腰や持久力を育んだのでしょう」

また、馬の乗り方や鞭の打ち方など、騎乗技術についての記述がある「指南書」がこの千厩地域に現存していたり、当時は牧地であった場所についてもその場所が特定されていることから馬の生産はもとより、現在でいう「馴致」や「調教」といった面も盛んであったことがわかるという。

「大夫黒についても出生地は確定されておらず、軽米や遠野、東山や三戸など名乗りを挙げるところは多いのですが、育ったところについては歴史書にも記述がある通り、千厩とされています」

大夫黒は磐清水という地域から奥州藤原氏のお膝元である平泉に迎えられ、そこで義経の愛馬としてともに稽古を積んだという。南部馬の特色であるずんぐりむっくりの体型で足腰が強く、耐久性に優れていたことに加え、何よりも脚が速かったことで、先に紹介した通り、義経が鎌倉に馳せ参じる際に秀衡から餞として贈られることとなる。千厩の“伝説”とも言える大夫黒を多くの人に知ってもらい、後世に残すために昆野さんはモニュメント作成についての寄附を呼びかける。

「大変ありがたいことに、モニュメント作成に必要な金額に対してすでに8割方は寄付をいただいております(2022年10月現在)。これをきっかけに全国の皆さんに大夫黒を知ってもらって、観光の目玉にでもなってくれれば」

JBC盛岡で盛り上がりを見せる岩手県、古くから馬とともに歩んできたこの地には競馬場の他にも馬の息吹を感じることができる場所がたくさん現存する。観光協会の会長も務めているという昆野さんは「今ある観光地より、作り出す観光」を目指しているというが、昆野さんが「岩手県一」と自負するひな祭りの開催をはじめ、大夫黒にちなんだお祭りも開催して地元を盛り上げている。

「ぜひ一度、馬のふるさと千厩に足をお運びください。酒蔵などもありますので、そういったところと一緒に観光していただけると地域として大変ありがたいです」


馬のふるさと千厩。
そこに伝わり、根付いてきた源義経と大夫黒の伝承。そしてモニュメント創設に向けた方々の想い。ロマンを感じた人はぜひ、足を運んでみてはいかがだろうか。

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