一撃必殺、侮るなかれ。重賞3勝、オープン特別2勝の実力派、シルポートの逃走劇。

逃げ馬とは、どうしてこんなにも魅力的なのだろう。

サイレンススズカ、ツインターボ、メジロパーマー、パンサラッサ……どれだけ時間が経っても、瞼を閉じると破天荒な彼らの姿をすぐに浮かべることができてしまう。

最後の最後に先頭にいた者が栄冠に輝く競馬という種目において、迫る後続と絶えず鍔迫り合い、力の一滴まで絞りつくして勝利を掴み取る「逃げ」という戦法は、時にひどく非効率に思える。

強い意志を持った人間ですら、他者に先駆けて道を切り拓き貫き通すことは、誰かが敷いたレールをなぞるより遥かに険しい。

まして、群れで生きることを本能づけられたウマという生き物にとって、群れから飛び出して自らの意思を貫き通すことはどれほどの重圧なのだろうか。

突出した速さを持つ逃げ馬。強靭な精神力に根差した地力勝負に持ち込む逃げ馬。持続的な速さを追求する逃げ馬。そして、生来の気質から他馬と脚並みを揃えて走れないが故の逃げ馬──。

「逃げ」という言葉が持つ辞書的な意味とは裏腹に、逃げ馬たちは勝負の土俵から逃げ出さず、自らの個性と真摯に向き合い、勝利を目指して過酷な道に身を投じている。

レースのイニシアチブを取り、他馬を引き連れて勝負処を迎えた彼らを待つ命運やいかに。後続に迫れらながらも、飲み込まれまいと必死のゴールを目指す彼らの姿は私たちの胸に打つ。

仁川と淀、異なる2つの競馬場でマイラーズカップ連覇を果たし数々の大舞台を沸かせたシルポートもまた、スリリングな大逃げで、あるいはその競走成績以上に多くのファンの記憶に刻み込まれた一頭だった。


3歳で少し遅めのデビューを果たしたシルポートは、デビュー当初は好位からの「お行儀の良い競馬」で研鑚を積んでいた。3歳5月のガーベラ賞で道中7番手から差し切って2勝目を挙げたように若くして片鱗は見せていたものの、あくまでもワンオブゼムの一頭。キャリアの最序盤において「稀代の逃げ馬」となる彼の魂はまだ眠ったままだった。

だが彼の出自を紐解くと、個性派としての大成を予感させる要素が至る所に転がっていることがわかる。

父ホワイトマズルは武豊騎手を背に欧州の王道路線を戦い、ダンシングブレーヴの直仔として多様な産駒を送り出した。

その産駒たちは、天皇賞で大逃げを決めたイングランディーレを筆頭に、ニホンピロアワーズもアサクサキングスもシャドウゲイトもシンゲンもマズルブラストもスマイルトゥモローもテイエムオオタカも──皆、どこか不器用で泥臭かった。

彼の血を受け継いだ産駒は、俊敏なキレで勝敗を決めたサンデーサイレンス系全盛の00年代に於いて、重厚なスピードの持続力を武器に存在感を放った。彼の遺伝子を受け継いだ仔は、戦うフィールドは違えども、大きなフットワークと力技のような競馬で他馬をねじ伏せ、古馬になっても長く頑健に走り続けた。

祖母フジャブは英国で1勝を挙げたのみの現役生活だったが、北米で2つのG1タイトルを獲得し2頭のG1馬の母となったTranquility Lakeを半妹に持つ良血馬である。

Tranquility Lakeの活躍に先立ってタイヘイ牧場の慧眼で導入されたフジャブは、初仔シンメイミネルバを通じてサウンズオブハートとカフェブリリアントという2頭の短距離重賞ウイナーを輩出し、牧場を支える基幹繁殖となった。

2番仔スペランツァは3歳(旧馬齢)の早期デビューから夏の北海道で2勝を挙げ、当地を代表する2つのオープン特別、クローバー賞とすずらん賞で1番人気に支持された才媛だった。フジャブの血はホワイトマズルの骨太な血を支える軽快なスピードを有していた。

繁殖入り3年目のシーズンに8歳で早世したスペランツァが、亡くなる前年に最後に遺した幼駒がシルポートだった。新ひだか町で生を受けた彼は、津軽海峡を越えて青森県八戸市のタイヘイ牧場で競走馬としての第一歩を踏み出した。

競馬の神様と謡われた大川慶次郎氏の父・大川義雄氏が1937年に創業したタイヘイ牧場は、障害でその名を馳せたゴーカイ、ユウフヨウホウとダイヤモンドステークスを制したユウセンショウ兄弟、短距離G1を制したゴドルフィンアラビアンの希少な末裔サニングデール、600kgに迫る大きな馬体を揺らして追い込んだクリーン、ド派手な顔立ちで多くのファンを集めたメイクアップ等、その戦績以上に今もファンの記憶に残る数々の個性派を世に送り出した。

ホワイトマズルの血、フジャブの血、そして青森で育まれた日本国内有数の老舗牧場の手腕。これらの融合はシルポートという個性的な大逃げ馬として結実したのだった。


シルポートの転機は明け4歳の初戦、ロジユニヴァースが水しぶきを上げて戴冠を果たす日本ダービーから遡ること1時間前のむらさき賞だった。大敗を喫した前年の奥多摩ステークスから半年の休み明けに未経験の道悪馬場が加わった条件は如何にも厳しく、12番人気の評価が示すようにシルポートに注がれる関心は決して多くはなかった。

そんな気楽な立場が後押しになっただろうか。好位からの競馬を学んできたシルポートはこの日、藤岡佑介騎手に導かれて自らのリズムのままにハナを奪った。泥を浴びて真っ黒に汚れる後続を尻目にただ一頭、綺麗な身体のまま最短距離をひた走り、最後の直線を迎えてもシルポートの脚色は衰えない。ゴールの数メートル手前でデストラメンテに僅かに後れを取ったものの、その果敢な走りには確かな光明が差していた。

降級した次走の三木特別でそれは確信に変わる。

ハナを主張したナリタシリカと雁行状態で競ること実に600m。根負けしたナリタシリカが一息入れようと速度を緩めるのを横目になおも飛ばし続けたシルポートは、単騎のまま2番手以下を大きく引き離し、あっという間に10馬身以上のリードを築く。

迎えた直線。遥か前方のシルポートに後続が牙を剥く。だが序盤で大きなエネルギーを使ったはずの彼の脚色に衰えの色はない。気が付けば他馬に一切の手出しをさせぬまま、4馬身差をつけるワンサイドゲームで勝利を収めた。

――無理に押さえず、自身の走りにだけ集中すること。

福永祐一騎手がこの日繰り出した、傍目には暴走に映るほどの「大逃げ」という戦法が、彼自身の歩む道を決定づけた。


以降の彼は、ターフを去るまでにの39戦のうち実に34戦でハナを奪い、逃げ馬らしく浮沈の激しい道程を歩み、ファンを翻弄した。

自己条件で6戦連続の大敗を喫し「あの三木特別の圧勝劇は幻だったのか?」と人々が思い始めた矢先の難波ステークスを圧勝してオープン入り。

余勢を駆って臨んだマイラーズカップで再び大敗を喫し「流石にクラスの壁か…」と思わせた直後の都大路ステークスでは歴戦の強者を相手に5馬身差の圧勝。

勝ったレースも負けたレースも、コーナー通過順に「ハイフン(2馬身以上5馬身未満)」どころか「イコール(5馬身差以上)」が付くほどの猛烈な逃げを打った。彼の馬券を握りしめたファンも、後続の誰かに思いを託したファンも、彼のスリリングな走りに酔いしれた。

重賞やG1でも変わらぬ大逃げを見せる中でいつしかで全国区となったシルポートは、小牧太騎手を初めて鞍上に迎えた2010ファイナルステークスを快勝し、5歳シーズンを締めくくった。

明けて6歳、変則的な連闘で京都金杯に駒を進めたシルポートは意外にも7番人気の評価に留まった。

だが、軽んじられてこそ華咲くのが逃げ馬である。

上位人気に推されたリーチザクラウン、ライブコンサート、ガルボが好位で睨み合うのを尻目にハナを奪ったシルポートは、坂の下りで機先を制してスパートを開始する。直後を追走していたガルボが、ガルボをマークしていたライブコンサートが、リーチザクラウンが、ワンテンポ遅れて追撃態勢に入るが、直線入り口で奪った1馬身差は詰まらない。小牧太騎手の叱咤に応えて最後まで踏ん張り抜いたシルポートは6歳にして初重賞タイトルを手にした。

2010年のファイナルと2011年のオープニングを飾り、いよいよ軌道に乗ったかに見えたシルポートだったが、トントン拍子にいかないのも逃げ馬の宿命である。続く東京新聞杯ではファイアーフロートに、大阪城ステークスではコロナグラフに鈴を付けられると、逃げ争いを演じたライバルを巻き込みながら後続に呑まれて連敗を喫した。

迎えた2011年4月。阪神競馬場での恒常的な施行としては最後となるマイラーズカップには、3冠牝馬アパパネ、前年覇者リーチザクラウン、底を見せぬダノンヨーヨーら個性派が顔を揃えた。2度の敗戦でシルポートは再び、伏兵の一角の評価に甘んじていた。

8枠17番からゲートを飛び出してハナを主張するシルポート。内ではコスモセンサーやガルボ、クレバートウショウが好スタートを決めていたが、「シルポートと共倒れになってはかなわん」とばかりに手綱を軽く引く。一気にハナを奪うと、他馬のプレッシャーを受けることなく、3角、4角と単騎でリードを開いていった。

前半の半マイル通過46秒6はシルポートにとっては決して厳しいペースではなく、余力十分に直線を迎えたとき後続はまだ5馬身後方。気が付けば既に彼の手には勝利のピースが全て揃っていた。

クレバートウショウが、ダノンヨーヨーが、ガルボが懸命にその背を追い、外からはショウワモダンやアパパネも脚を伸ばすが時すでに遅し。直線半ばで大勢を決したシルポートは、後半の半マイルを45秒7でまとめ、大混戦の2着争いを尻目に悠々とゴール板を駆け抜けた。


1年が経過し、シルポートは7歳となった。

マイラーズカップ制覇の後、シルポートは8度の戦いに挑み、相変わらずの派手な大逃げでレースを盛り上げ、ジェットコースターのように起伏の激しいを戦績を残した。天皇賞・秋では、あのサイレンススズカやローエングリンすら上回る、前半1000m56秒5の超ハイペースで先導しトーセンジョーダンの大レコードをアシストした。コンスタントに出走し、いつも先頭で4角を迎え、体力に物を言わせるような大逃げでファンを沸かた。

京都金杯でタマモナイスプレイの早め進出に抗い切れず大差の殿負けを喫し、流石に衰えを垣間見せたかと思わせたが、続く中山記念では後続を10馬身以上引き離す大逃げで翻弄。フェデラリストにゴール寸前で捕まったものの、あわやの2着。シルポートらしさは健在だった。

そして迎えたマイラーズカップ。この年よりアンタレスステークスと開催週を交換し、散りゆく桜を背に春の阪神開催最終週を締めくくる少しノスタルジックなG2から、日差しの眩しい初夏の京都開催開幕を告げるフレッシュなG2へと様変わりしていた。新品の服に初めて袖を通すような、嬉しいようでどこかぎこちなく、そして新鮮な空気が淀を包み込んでいた。

奇しくも前週にゴルトブリッツが京都から阪神に移ったアンタレスステークスを連覇し、競馬場を問わない強さの在り処を示した。前年覇者の誇りを胸に、連覇に挑むシルポートの戦いが始まった。

この開催変更は計らずもシルポートに一つのメリットをもたらした。

過去に勝利した競走のグレードを基に負担重量が決定されるグレード別定の本競走では、「過去1年内のG2競走勝ち馬」に1kgの斤量が加算される。だが開催変更により前年の同競走が「1年と1週前」となったことで、シルポートは斤量加算を免れたのである。

前年のマイルG1を制した4歳馬リアルインパクト、グランプリボスと5歳馬エイシンアポロンやビワハイジの仔トーセンレーヴら次世代のエースを狙う精鋭を向こうに回し、小牧太騎手を背に戦いの火蓋が切られた。

前年と同じ8枠17番からゲートを飛び出すと、トウショウフリーク、リーチザクラウン、コスモセンサーらを抑えて単騎逃げに持ち込む。すっかり定着したシルポートの逃げに真っ向から付き合うライバルはいない。坂の頂上に向けてじわりじわりとリードを開くと、坂の下りでも他よりワンテンポ早く加速し、勢いを付けながら4角を回る。

直線の入り口で3馬身程のリードを保ったシルポートはゴールに向けて力を振り絞る。仁川と違い平坦な淀。そして青々とした芝生がびっしりと生えそろった開幕週。装いを変えた淀のマイラーズカップは彼に大きな力を与えた。

後に当地でG1制覇を果たすダノンシャークが、最内を捌いて懸命に差を詰めてくるも時すでに遅し。脚色が鈍りながらも最後までリードを守り切ったシルポートは、見事マイラーズカップ連覇を果たした。


このレースの後も1年間現役を続けたシルポートは、その殆どが二けた着順に終わったが、少しでも警戒が緩めばあわやの場面を演出し続けた。ラストランとなった宝塚記念では初めての2200mにも臆さず、後続を20馬身近く引き離すほどの大逃げでレースを大いに盛り上げた。

重賞3勝、オープン特別2勝。

紛れもなく一流馬の戦績である。

だが、三木特別以降の39戦で1番人気に支持されたのは僅か2度。丁半博打を打つようなスリリングでリスキーな逃げは、馬券での支持とは切り離された世界で、多くのファンを熱狂させた。

ライバル陣営にとって、手札をオープンにして自らの競馬を貫くシルポートの存在は、それ故に厄介であった。展開を予想する競馬ファンにとっては、それ故に魅力的だった。

後続を大きく引き離し4角を迎える彼の姿がターフビジョンに大写しになると、場内は俄然熱気を帯びたことを今も思い出す。

「そのまま!」

「差せ!」

悲喜こもごもの想いが交差した数十秒後、彼の手痛い一撃で馬券を紙くずにされた私を含む競馬ファンはきっと、悔しさを噛みしめながらもさっぱりした気持ちでこう呟いていたはずだ。

――シルポートにやられたら、仕方ないよね。だって、シルポートやもん。

と。

写真:Horse Memorys、かず、かぼす

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