[エンプレス杯]上山最後の女傑・ジーナフォンテンの現役生活を振り返る。

山形県南東部に位置する上山市。
開湯から555年を数える上山温泉を抱えるこの街には、かつて競馬があった。

1935年に開場を迎えた『かみのやま競馬』は地元温泉地をはじめとした観光産業に支えられ、バブル期には上山の財政を潤したが、その後は売上減の影響で2003年に閉場。現在は跡地の一角にひっそり佇む馬頭像と慰霊碑が競馬場の名残をとどめている。

規模の小さな競馬場ではあったが、ダートグレード競走で2勝を挙げたミツアキタービン、2001年のエーデルワイス賞で2着に入ったツルマルダンサーなどが上山から全国へ飛躍。本稿の主役となるジーナフォンテンもそのうちの一頭だ。

父はベストタイアップ、母はジュピターガール、母の父はパークリージェントという血統。父は芝のGIIIで3勝ちを挙げたが、ビッグタイトルには届いていない。ゆえに種牡馬としても決して目立つ存在ではなく、種付頭数は9年間で約100頭。決して多くの繁殖牝馬に恵まれた訳では無く、数少ない産駒の中からジーナフォンテンという大物が生まれた。 

小国忍厩舎へ入厩したジーナは2000年7月に初陣を迎える。単勝1.1倍という圧倒的な支持に応えて白星スタートを切ると、同年秋には若葉賞、若駒賞と重賞を連勝。無敗のままシーズンを終えた。2001年は始動が遅れ、初戦は9月のB2条件となったが、これを勝利して、10月にはJRAの1000万特別でも3着に健闘を見せている。

上山で圧倒的な実力を見せたジーナは更なる活躍の場を求めて上京。新たに船橋競馬を本拠地とした。南関東でも実力は健在で、2002年1月の転入初戦から3連勝を飾るなど4勝。7月のスパーキングサマーカップでは直線の激しい叩き合いを制してグレードタイトルを掴んだ。翌年1月には川崎記念でも3着に好走するなど、順調に実績を重ねていき、いつしか名牝と呼ばれるようになっていく。

圧巻のエンプレス杯 名牝から女王へ

陣営は川崎記念の後、エンプレス杯を目標に置いた。当時はJBCレディスクラシックの創設前で、ダート路線の女王決定戦といえばエンプレス杯であり、全国の牝馬が憧れる夢舞台。南関東最強牝馬…いや、ダート最強牝馬の座を確固たるものにするべく、何としても欲しいタイトルだった。

2003年のエンプレス杯には10頭が顔を揃えた。前年の東京大賞典4着馬にして、重賞3勝を挙げていたネームヴァリューが人気を集め、クイーン賞の覇者で武豊騎手が騎乗するビーポジティブが2番人気。ジーナは3番人気の評価を受けた。他にも前回の覇者オンワードセイント、フローラSの勝ち馬ニシノハナグルマなど強豪揃い。ジーナは3番人気の評価に反発する圧巻の走りを見せる。

夕日に照らされた16時前、10頭がゲートを飛び出す。内からビーポジティブが好スタートを切り、ハナを奪う構えを見せたが、外からベルモントオリーブ、ネームヴァリューも先行態勢。内からはキミモールも上がっていき、位置取りを巡る駆け引き、心理戦が展開される。一方のジーナは、逃げ馬の背後を取れる位置に居たが、先行争いを見てスッと下げて後方。結果6〜7番手付近に落ち着き、ホームストレッチへ入った。

ビーポジティブの鞍上・武豊騎手がペースを落とし、一気に馬群は詰まる。ジーナは行きたがる様子を見せたが、そこは名手・内田博幸騎手。馬の後ろに入れてガッチリ抑え、機を窺う。それにしてもスローな流れで、ジーナは流石に届かないだろうと思ってしまうような位置取りだった。

レースが動いたのは向正面。痺れをきらしたかネームヴァリューがジワリと進出、連れてジーナも徐々に前へと上がっていく。しかし、たっぷりと脚を溜めたビーポジティブは手応え十分に逃げ脚を伸ばし、差をひらいていった。万事休すか――。そう思った瞬間、ジーナのエンジンが掛かった。上がり最速37.2の素晴らしい切れ味で前を一気に飲み込み、2馬身差の優勝。3番人気は何だったのかと思わせるような、力の違いを見せつける走りで女王の座に輝いた。

ジーナのその後 女王から女傑へ

結論から言えば、グレードタイトルはスパーキングサマーカップとエンプレス杯の2つにとどまった。しかし、2004年のダイオライト記念で3着に入り(余談だが勝利したのは上山出身のミツアキタービン)、2005年には報知グランプリカップとTCKディスタフを勝利するなど、2006年の引退まで南関東のダート路線をけん引。2005年11月には故郷・かみのやま競馬が廃止されたこともあり、引退後、いつしか彼女は“上山最後の女傑”と称されるようになっていった。

ジーナやミツアキタービンらの引退から時間が経過し、一時は忘れ去られそうになった『かみのやま競馬』も、息子のカジノフォンテンが活躍したことで再び注目された。ジーナも息子の活躍で上山が沸いたことを嬉しく、誇らしく思っているだろうか。

ラヴァリーフリッグやネームヴァリューなど名牝が揃う2000年代初めの南関東において強い輝きを放った“上山最後の女傑”ジーナフォンテン。現在は繁殖牝馬も引退し、登別上水牧場で第二の馬生を送っている。1日でも長く元気に過ごし、息子と共に『かみのやま競馬』を後世に伝えていってほしい。

写真:水軍

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