輝ける場所。スクリーンヒーロー・ウインカーネリアンと鹿戸雄一調教師の物語

1.グラスワンダーの血

「最強世代」。競馬界で様々な世代に対して遣われてきた表現である。何を基準とするかによって判断は割れるし、個人的な思い入れによっても見解は分かれる。しかし、所謂「98世代」、スペシャルウィーク・エルコンドルパサー・キングヘイローらが活躍した1998年クラシック世代がその候補の一角であることは衆目の一致するところだろう。

現役時代の競走成績は勿論、種牡馬として実績を残した馬も多く、現在でも血統表に名前を見る機会が多い。菊花賞馬エピファネイア、ダート王クリソベリル、「世界1位」イクイノックス。素晴らしい競走成績を残して種牡馬入りした彼らもそれぞれスペシャルウィーク・エルコンドルパサー・キングヘイローの孫である。

一方でこの3頭と「98世代」の名馬の関係はいずれも「母父」である。このようにブルードメアサイアーとしての活躍が目覚ましい点も「98世代」の特長だが、その中で父系が現代まで活躍馬を輩出し続けているのが、グラスワンダーだ。

グラスワンダーが種牡馬としての名声を高めたのは2008年。スクリーンヒーローがジャパンカップを制し、当年の競走馬レーティングで日本馬1位の座に輝いたのである。このスクリーンヒーローが種牡馬として大活躍したことが現在まで父系が繋がっている要因になった。モーリスとゴールドアクターがGⅠを勝って種牡馬入りし、モーリス産駒からはピクシーナイトやジャックドールが後継種牡馬として次代にその血を繋いでいる。

そして2026年時点で現役のスクリーンヒーロー産駒の代表格と言えばウインカーネリアンだろう。管理するのはスクリーンヒーローも手掛けた鹿戸雄一調教師。2頭の名馬はいずれも順風満帆な競走生活を送ったわけでは無かった。本稿では鹿戸調教師を中心にこの父子の物語を追いかけていきたい。

2.名伯楽の「置き土産」

スクリーンヒーローについては以前もコラムで取り上げたことがある(https://uma-furi.com/maurice-3/)ので重複する部分もあるが、来歴を振り返っておこう。

スクリーンヒーローが最初に預託されたのは矢野進厩舎。矢野調教師は「皇帝」シンボリルドルフに土をつけた天皇賞馬ギャロップダイナや、スプリンターズS(当時はGⅡ)や毎日王冠を制した名牝ダイナアクトレスなどを育てた美浦の名伯楽であった。スクリーンヒーローの母ランニングヒロインはダイナアクトレスの娘で、矢野調教師は三代続けてこの血統に関わることとなった。

2007年1月、ダート未勝利戦で勝ち上がったスクリーンヒーローは芝重賞でも堅実に走り、セントライト記念で3着に入って菊花賞への優先出走権を手に入れる。ところがこの後左前脚の剥離骨折が判明。ただし症状としてはレースに使うこと自体は可能な程度であった。矢野調教師は2008年に定年を迎えるため、最後の菊花賞となる。クラシック未勝利の矢野調教師にとってのラストチャンス。しかし名伯楽は目先のレースを取りに行こうとはしなかった。

「菊は断念する。私は定年になるが、この馬には将来がある。無理しなければ、この馬は必ず大成する。そういう血統なんだ」

──「【追憶のジャパンC】08年スクリーンヒーロー 自分の名誉より馬の将来 2人の伯楽がたぐり寄せた頂」(『netkeiba』2023年11月22日)より引用

父グラスワンダーは骨折から復帰してグランプリ3連覇を成し遂げ「不死鳥」と呼ばれた。祖母ダイナアクトレスも3歳シーズンは本調子で走れなかったものの古馬になってからニッポーテイオーを破っての毎日王冠制覇にジャパンカップで日本馬最先着となる3着健闘と、古馬牝馬の競走体系が未整備の当時としては素晴らしい実績を積み重ねてJRA賞最優秀5歳以上牝馬を受賞している。

矢野調教師はこうした名馬の血を継ぐスクリーンヒーローが持つ将来性を見抜いていた。無理に使わなければ才能が花開くはずだと考えたのである。そしてスクリーンヒーローは長期休養に入る。

スクリーンヒーローを引き継いだのは2008年に厩舎を開業したばかりの鹿戸雄一調教師。オーナーである社台ファームの吉田照哉社長からの指名だった。

僕が開業する前、結構早くから決まっていたんですよね。その頃スクリーンヒーローはヒザを骨折していて田口トレーニングファームに放牧に出ていたんですよ。その時に社台ファームの吉田照哉社長から声を掛けていただいて。「スクリーンヒーローとベストロケーションは復帰する頃には矢野先生の厩舎も解散しているし、どうですか?」と。それで当然、やってみたいなと思いました。

──「鹿戸雄一調教師×高橋摩衣 無事に走ってくれるのが一番ですけど、無事だけじゃなくて、やっぱりG1馬ですし、恥ずかしいレースはさせたくないという思いはあります…。」(『競馬ラボ』2009年10月30日)より引用

吉田社長から託され、矢野厩舎で本馬を担当していた寺本秀雄厩務員と共に厩舎にやって来たスクリーンヒーローを、鹿戸調教師はダート馬として育てるつもりでいた。

最初の頃に競馬を見た印象ではダートが良いのかな、と思っていました。
(中略)
だから一番最初はダートで使おうと思っていましたけど、芝でも使いたかったんですよ。
(中略)
稽古で走らなかったんですよ。函館のウッドチップでやった攻め馬で走らなかったので「軽い馬場の方が良いのかな?」と思ったんです。

──「鹿戸雄一調教師×高橋摩衣」より引用

芝重賞でも好走歴はあるものの、勝利したレースはいずれもダートであった。名伯楽が残した素質馬という「置き土産」。故障歴を考慮してもダート戦を使うという選択は妥当だろう。しかし調教での走りを見て芝での可能性も考慮した鹿戸調教師は、ダート1700m戦を本線としながらも芝2600m戦にも登録し、ダートで除外された場合は芝を使うという判断を下した。

結果としてこの登録が功を奏する。札幌芝2600mの支笏湖特別で見事に復帰戦を勝利で飾ったスクリーンヒーローは格上挑戦の札幌日経オープンでも2着と好走。すると鹿戸調教師はダート路線ではなく芝中長距離路線でこの馬を育てていくことを決断。アルゼンチン共和国杯→ステイヤーズSと関東の長距離重賞を使って翌春の天皇賞を目指す方針となった。自分の考えに固執せず、その馬にとって「輝ける場所」を選ぼうとする姿勢を1年目から取れるところに鹿戸調教師の非凡さがうかがえる。

そしてスクリーンヒーローも期待に応えてアルゼンチン共和国杯を勝利すると、鹿戸調教師は吉田社長との協議の結果ステイヤーズSではなくGⅠジャパンCに挑戦することを決める。しかしアルゼンチン共和国杯でコンビを組んだ蛯名正義騎手には有馬記念を制したマツリダゴッホというお手馬がいた。そこで白羽の矢を立てたのが、当時は短期免許での来日だったM.デムーロ騎手である。レース後、デムーロ騎手は調教での感触を次のように振り返っている。

この馬は調教でも他馬と併せる形になるとファイトを燃やす馬。そういう意味でも競走馬としていいモノを持っていると感じていたし、この馬の能力を信頼していた。ウオッカとかダービー馬3頭が相手でもイケルと思っていたんだ

──「デムーロ殊勲! 伏兵スクリーンヒーローが3強撃破!!=ジャパンカップ」(『スポーツナビ』2008年11月30日)より引用

2008年のジャパンCは「ダービー馬3頭共演」が注目されたレースだった。NHKマイルCとの「変則二冠」を達成した3歳馬ディープスカイ、牝馬の歴史を塗り替えた4歳馬ウオッカ、3歳で春二冠・4歳で天皇賞春秋連覇の偉業を成し遂げた5歳馬メイショウサムソンが激突。これに菊花賞を制したばかりのオウケンブルースリに先述したマツリダゴッホと、実績も名声も十分なメンバーが揃っていた。鹿戸調教師も、

「果たしてどこまで来れるのか」「ダービー馬3頭の近くまで来てくれるんじゃないか」

──「デムーロ殊勲! 伏兵スクリーンヒーローが3強撃破!!」より引用

と健闘が精一杯という見立て。しかしデムーロ騎手は先入観を持たずにこの馬の力を信じた。マツリダゴッホをマークするような位置でレースを進めて直線抜け出すとウオッカを差し切ってディープスカイの追撃を封じ、大金星を挙げた。

夏の条件戦で復帰したばかりの馬が日本最高峰のGⅠを勝利したのである。このレースで破った相手の強さもあり、2008年の競走馬レーティングでは122ポンドの評価を得て日本馬1位の座に輝いた。

翌年も現役を続行するものの天皇賞(秋)2着が最高成績。年末に屈腱炎を発症し、引退が決定。レックススタッドで種牡馬入りした。種牡馬となれたのはジャパンC勝利の実績が大きかっただろう。鹿戸調教師がダート路線にこだわっていたら、グラスワンダーからの父系は繋がらなかった可能性もある。

3.縁ある「無観客ダービー」

初年度の種付料は30万円からと、そこまで期待を集めたわけではなかったスクリーンヒーローだったが、初年度産駒から「世界のマイル王」モーリスと有馬記念を勝ったゴールドアクターという2頭のGⅠ馬を輩出。その後も重賞馬をコンスタントに送り出し、2016年にはモーリスが天皇賞(秋)と香港カップの連勝で花道を飾って引退、後継種牡馬となった。

種牡馬としての名声を手に入れたスクリーンヒーローと、マイネルラヴ産駒コスモクリスタルとの間に2017年4月16日に生まれたのがウインカーネリアンである。鹿戸雄一調教師のもとに預けられたウインカーネリアンは2019年6月の新馬戦でデビュー。このレースは2着に終わるものの同月末の未勝利戦で勝ち上がり、素質の高さを見せた。鹿戸調教師はスクリーンヒーローが果たせなかったクラシック出走を目指して重賞に挑戦させるが、中々結果が伴わない。弥生賞ディープインパクト記念で8着に敗れた後、3月末の条件戦でようやく2勝目を挙げると皐月賞に出走。すると18頭中17番人気と注目度が低い中で4着と好走し、日本ダービーへの優先出走権を手に入れた。

2020年の日本ダービーと言えば、新型コロナウイルス感染症の流行により無観客で行われたレース。管理馬を初めてダービーに出走させる鹿戸調教師には特別な思いがあった。

「口べたな師匠でしたが、ダービーを勝った時の話は聞いたことがあります。お客さんのいないダービーを勝ったんだ、と」。84年に騎手としてデビューした鹿戸師の師匠・久保田金造調教師はダービーを2勝。初制覇が44年のカイソウだった。
(中略)
「無観客での最初の重賞を勝たせてもらったし、師匠と同じく無観客のダービーに馬を出す。偶然だと思いますが、不思議な縁があるのかもしれませんね」と苦笑いを浮かべる師。
(中略)
「父は勝負根性があってしぶとい馬。切れる脚はなかったけれど、レースが上手でした。カーネリアンは父の特長を受け継いでいます」。

──「【日本ダービー】鹿戸師、ウインカーネリアンと描く令和のドラマ 初挑戦で「不思議な縁」」(『スポウマ スポニチ競馬Web』2020年5月27日)より引用

1944年6月18日、本土空襲も始まり戦局が悪化の一途をたどる中でも「能力検定競走」という名目で日本ダービーは実施された。勝利したカイソウを管理した久保田金造調教師が晩年に育てた弟子が鹿戸雄一騎手だった。

灯を絶やさない関係者の努力があってこそ日本競馬の歴史は続いてきた。カイソウは当時の情勢もあって軍馬として徴用された後行方不明になり、その血を次代に繋ぐことは出来なかった。元号が2度変わった2020年の「無観客ダービー」に自らが管理したスクリーンヒーローの血を継ぐ素質馬で挑戦する縁に、鹿戸調教師はどれほどの感慨を抱いただろうか。

しかし勝負の世界は残酷である。皐月賞馬コントレイルが無敗二冠馬となる一方でウインカーネリアンは17着と惨敗。鹿戸調教師の夢は破れた。しかし自己条件に戻ると堅実に走り、1600m〜1800mのレースで実績を残して4歳でオープン入り。鹿戸調教師はこの馬の「輝ける場所」としてマイル路線に矛先を向けてダービー卿チャレンジトロフィーへの出走を決めたが、ここで再びウインカーネリアンの競走生活は暗転する。

4.「不死鳥」の血、復活の重賞初制覇

「ウインカーネリアン、蹄葉炎を両前脚に発症」。ダービー卿CTへの出走取り消しが発表された後、そのニュースは競馬界を駆け巡った。蹄葉炎はその名の通り蹄(ヒヅメ)の病気。そう聞くと骨折や屈腱炎よりも軽いようにも思えてしまうかも知れないが、競走馬の体重を支える蹄の炎症は時として命に関わる。過去にはテンポイントやミスターシービー、サンデーサイレンスといった歴史的名馬もこの病気を患い、世を去っている。

現役続行も危ぶまれる事態だが、陣営はこの馬の力を信じ、1年間の休養を経て復帰させることを決断。祖父グラスワンダーも父スクリーンヒーローも長期休養を乗り越えて栄冠を掴んだ。その「不死鳥」の血はこの馬にも流れていた。2022年3月のリステッド六甲Sで復帰すると、主戦の三浦皇成騎手と再タッグを組んだ2戦目の谷川岳Sで復帰後初勝利を飾り、米子S(現・GⅢしらさぎS)も制してリステッドを2連勝。

「復活」を印象づけたウインカーネリアンは、悲願の重賞制覇を目指すべく関屋記念に出走する。夏の新潟開催における伝統のマイル重賞として歴史を刻んできた関屋記念。2012年から始まったサマーマイルシリーズのチャンピオンを占う一戦としても知られるが、歴代勝ち馬を見ると有馬記念でテイエムオペラオーの3着と健闘したダイワテキサス、8歳にして天皇賞馬となったカンパニー、キタサンブラック・ドゥラメンテ世代の個性派逃げ馬マルターズアポジーなど、距離を問わない活躍馬を輩出しているレースだ。

2022年の当レースもホープフルS勝ち馬ダノンザキッド、2000m戦の京成杯と1400m戦の京王杯スプリングカップで共に2着と好走したスカイグルーヴ、ローズSを勝ちオークスでも4着の実績があるリアアメリアなど幅広い距離適性を持つ馬が出走。その中でも連勝の勢いを買われてウインカーネリアンは1番人気に支持された。

人気薄の好走が目立った2022年の夏競馬。JRA重賞は1番人気が18連敗中と荒れ気味の時期だったが、パワーアップしたウインカーネリアンには関係無かった。絶好のスタートから12番人気のシュリを行かせて2番手をキープ。新潟の長い直線でシュリも粘る中、先頭に立ってそのままゴール。見事重賞馬の仲間入りを果たした。

鹿戸調教師はウインカーネリアンに関わったスタッフをたたえ、次を見据えた。

「厩舎のスタッフも牧場も苦労して一生懸命にやってくれたし、ジョッキー(三浦)も付きっ切りで調教してくれた。(重賞勝ちは)本当にうれしいね」
(中略)
さらに、父スクリーンヒーローは鹿戸厩舎の管理馬であり、「その子供で勝てて感慨深いし、弟子の三浦で(重賞を)勝てたのもうれしい」
(中略)
「今日の感じなら秋の大きなところでも楽しみ」

「【関屋記念】ウインカーネリアン復活劇の舞台裏 三浦皇成ら〝チーム鹿戸〟の苦労が実を結ぶ」(『東スポ競馬』2022年8月14日)より引用

そもそもスクリーンヒーローに芝中長距離の適性があると判断したのは鹿戸調教師であった。父の特性をよく引き継いでいると見込んだウインカーネリアンで再び中長距離のタイトルを、という気持ちはあっただろう。しかしダービーの敗戦後は距離短縮に舵を切り、復活を信じて長期休養を決断した。「輝ける場所」を見出そうとする姿勢は新人トレーナー時代から変わっていない。その上で調教師としてキャリアを重ねて厩舎や牧場スタッフとの信頼関係を深め、何より愛弟子である三浦皇成騎手という存在を得た。ウインカーネリアンの物語は「チーム鹿戸」の物語でもある。

5.復活の輝石「カーネリアン」

これがフィクションなら、このままGⅠ制覇を成し遂げ、名馬として語り継がれた…などとなるところだろう。しかしウインカーネリアンの競走生活はここからが「本番」であった。関屋記念からの直行で臨んだマイルCSは12着と大敗。翌2023年の始動戦である東京新聞杯は勝利を飾るが、ゴドルフィンマイルで初の海外遠征&ダートレースに挑戦して6着、帰国して安田記念に出走するも8着と波に乗れない。秋にはブリーダーズCマイルで再度海外遠征するも11着に終わった。

すると2024年シーズン、7歳となったウインカーネリアンを鹿戸調教師はスプリント路線に向かわせる。元々は日本ダービー制覇を目指していた馬。マイル路線への転向はもとより、競走生活も晩年となる中でのスプリント路線への参戦は思い切った決断と言えたが、これが功を奏した。高松宮記念4着、京阪杯2着と健闘し、8歳にして再びドバイへ遠征して出走したアルクオーツスプリントでは逃げ粘って惜しい2着。そして秋のスプリンターズSでGⅠのタイトルを手に入れた。「輝ける場所」を求め続けたウインカーネリアンと鹿戸調教師が辿り着いた先はスプリント王の称号だった。

スプリンターズSの勝利後、鹿戸調教師はウインカーネリアンについてこう表現している。

「長く連れ添っている、いい相棒です」

──小林正明「8歳にしてG1制覇成し遂げたウインカーネリアン 鹿戸調教師「相棒」の勝利に「感慨深いものがある」」(『デイリースポーツonline』2025年10月3日)より引用

騎手と競走馬の間ではよく遣われる表現だが、調教師が管理馬を「相棒」と呼ぶ例は珍しいのではないだろうか。ウインカーネリアンが特別な存在であることの証左と言える。

カーネリアンは古代エジプトで「生命力」「復活」を象徴する輝石として扱われてきた。勿論彼の競走生活を予期して名付けられた筈はないが、果たしてこれほど「カーネリアン」の名が相応しい競走馬がいるだろうか。ちなみに、カーネリアンの石言葉には「深い友情」というものもある。鹿戸調教師と「相棒」の物語の行く末は、名前が付けられた時から定まっていたのかも知れない。

写真:かず、Horse Memorys、@QZygbdf8L1kEB9U、かずーみ、すずメ

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