「今度こそ」を何度もくれた君へ - ボンドガールの引退に寄せて

2023年6月4日。新緑の東京競馬場。

前週の日本ダービーの余韻もまだどこか残る2歳新馬の開幕週。その中で、その馬は初めて、私たちの前に姿を見せた。

ボンドガール。

鹿毛の美しい馬体に、どこか可憐で品のある眼差し。走り出せば弾むようなしなやかなフットワークを見せた。眩しい陽を追いかけるように軽々と気持ちよさそうに駆け、初めての勝利を手にした。

2着にチェルヴィニア、3着にコラソンビート。のちに大きな活躍を見せる面々を従えたその姿に、私は目を奪われた。もちろん、その時点で未来のことなど分からない。ただ「これからすごい景色を見せてくれるかもしれない」という予感に、胸が高鳴った。

けれどそこから始まったのは、思い描いていたような道ではなかった。重賞で2着になること、実に7回。一番人気に支持されたことも一度や二度ではない。走るたび、私は「今日こそ証明してくれる」と祈るように画面を見つめた。けれど、あと一歩がどうしても届かなかった。

忘れられないのは、3歳秋の秋華賞だ。

不運に見舞われた春の大舞台と、年長馬に果敢に挑んだ夏の経験も力に変えて、彼女は確実に強さを育んでいた。同時に勝ち切れない日々の中で、彼女を見る人の視線が少しずつ小さくなっていくのも感じていた。素質はあるけれど届かない馬、そんな声に悔しさも感じていた。

後方に控えて力を溜め、迎えた直線。放たれた矢のように伸びる彼女の末脚は、鋭く、しなやかだった。一頭、また一頭と交わしていく姿に、思わず声が出た。

もしかしたら。今度こそ――。牝馬三冠最後の舞台で、勝利へ向かって足を伸ばす。

だが、最後に立ちはだかったのは、あのデビュー戦で先着したチェルヴィニアだった。

結果は2着。ほら見ろ、やっぱり強いじゃないかと胸を張りたい気持ちと、あと一歩届かない悔しさの両方が胸を巡った。

――そろそろ、この馬が報われる日が来てもいい。

そんな思いを抱えたまま、古馬になった彼女を追いかけた。牡馬にも挑み、距離も変え、騎手も変えた。私は彼女の「今度こそ」を何度も追い続けた。

勝てなかったから、応援したのではない。強かったから、応援し続けた。その強さが何度も「今度こそ」を見せてくれたから、目を離せなかった。

今年の小倉牝馬ステークスを最後に、引退が予定されていたという。前年秋から9着、11着、11着。馬柱には大きな数字が並んでいた。けれど最後になるはずだったレースで、ボンドガールはもう一度伸びた。ほぼ最後方から際立つ末脚で先頭に迫り、鼻面を並べてゴールへ飛び込んだ。

勝ち馬との差は、アタマ差。7度目の重賞2着。

「まだ終わらせない」と、彼女自身が言っているようだった。終わるはずだった物語は、彼女自身の意地であと少しだけ続いた。

8月のクイーンSが本当のラストランになった。引退が発表されたとき、少しの寂しさと安堵が胸をかすめた。

新緑の府中を駆け抜けたあと、ついに2勝目は手に入らなかった。その無念さはきっと残る。もう出馬表に彼女の名前が載ることはない。「今度こそ」と手を握ることもない。でも違う場所で、また彼女の名を待つことができる。

今度は母の名で競馬場に帰ってくる。競走馬として届かなかった場所へ、彼女の血を引く子どもたちが連れて行ってくれるかもしれない。

そのとき、私はまた出馬表を見つめ、きっと同じ言葉を呟くのだろう。

――この子なら。今度こそ。

ターフのどこかに、あの日府中を軽やかに駆け抜けた、あのしなやかな面影を探しながら。

写真:ほこなこ、INONECO、だいゆい、突撃砲、mosan

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