日本一の速さで世界を駆け抜けた、国際派ダート馬・マテラスカイ。

条件戦を際立つパフォーマンスで突破し、勢いそのままに古馬重賞へ挑む馬には、独特の魅力がある。

「前走の内容は圧倒的。ここも通過点。まだまだ底は見せない」

「いや、ここは一気の相手強化となる。ペースも違うし経験不足。そう簡単にはいかないのでは?」

競馬ファンは思い思いの評価を下し、その結末を予想する。そして多くの場合、歴戦の古馬の壁は分厚く、易々とは突破できない。そこには、純粋な身体能力だけではなく、数多の実戦経験を通じてのみ身に着けることが出来る、プレッシャーへの耐力と精神力が求められるのかもしれない。

しかしだからこそ、競馬ファンは心のどこかで、天賦の才を以ってその壁を突破するニューヒーローの誕生を期待する。


2018年7月8日。プロキオンステークス。
前日までの大雨から打って変わり、30度を超える眩しい陽射しに照らされた中京競馬場で、一頭の栗毛馬が後続を大きく引き離してゴール板を駆け抜け、準オープンからの連勝で初重賞制覇を挙げた。

今回は、父Speightstown譲りの快速で他の13頭を置き去りにし、煌びやかに馬体を輝かせながら日本レコードを樹立したマテラスカイを取り上げたい。

通算13戦2勝(2-2-0-9)。

これが3歳終了時のマテラスカイの成績である。3歳春に早々と2勝を挙げたものの、昇級後は着外続き。2勝クラスでは上位人気に支持されることもなく1秒以上の着差で敗れる競馬を繰り返していた彼は、それほど目立つ存在ではなく、あくまで条件馬の一頭に過ぎなかったと言える。そして意外なことに、その時期の彼は、ハナを切り自らレースを作ったことすらなかった。

そんなマテラスカイの転機となったのは2018年1月8日の京都競馬場でのレースだった。寒雨に煙る淀の直線をアーモンドアイが切り裂き、新たなスター誕生に場内が興奮に包まれた中で施行された日の、最終競走。
川又騎手を背に出走したマテラスカイは、懸命に促す他馬を横目に抑えきれない手応えで、期せず馬なりのままハナに立つ形となる。そのまま快調にラップを刻むと、ただ一頭違う脚で追い込んだハニージェイドにこそ先着を許したものの、他馬には影を踏ませることのない2着と好走を果たした。

スピードに身を任せ、気の赴くままに一途に真っすぐに走り抜ける……。競走馬にも様々なスタイルがある。我慢を重ねて終いに爆発的なスピードを発揮する馬。馬群でじっと息を潜めてその時を待つ馬。

これまでお行儀よく他馬に合わせてゆっくり走ることを続けていた彼にとって、ハナを奪って後続を振るい落としたこの日のレースは、自らの高いフィジカルの活かし方を見つけるのに十分な内容であった。
そして次走、豊富な経験と精密な体内時計を持つ名手・武豊騎手との邂逅を果たし、高性能なエンジンを最大限生かせる最良のドライバーを得たことで、本馬の才能は開花の時を迎える。

初コンビとなったのは1月21日の中山・頌春賞。稍重の速力比べとなったこの一戦で、左右を伺いながらジワリとハナを奪うと、一旦は後続に並ばれながらもなんとか振り切り待望の3勝目を挙げる。続く2月17日の京都・橿原ステークスでは再び稍重の速力比べとなったが、他馬を伺う様子も抑える様子も見せずにハナを奪う。他の先行馬など眼中にないかのように自らのペースを淡々と刻むと、気が付けば後続と大きな差が広がっていた。結果は、影すら踏ませず5馬身もの大差をつける圧勝劇。この2走で名手はマテラスカイを完全に手の内に入れたのだった。

ダート短距離界の新星として俄かに注目を集める存在となったマテラスカイが次走に選んだのはドバイゴールデンシャヒーンだった。日本の準オープンを制したばかりの馬が選出されることは異例であった。この背景には、マテラスカイを管理する森調教師が橿原ステークスの圧勝劇を主催者に売り込み、口説き落とした経緯があるという。海外遠征の経験と人脈を誰よりも持つ森調教師の手腕と嗅覚は、マテラスカイの行く先を大きく拓いた。

後に社台スタリオンステーションで種牡馬入りを果たすマインドユアビスケッツが優勝し、米国の強豪エックスワイジェットとロイエイチが鎬を削った2018年のドバイゴールデンシャヒーン。マテラスカイの戦前の評価は決して高いものではなかったが、米国の強豪たちに臆することなく道中3番手でレースを運ぶと、最後まで大きく後れを取ることなく5着の大健闘を果たした。

2022年にマルシュロレーヌがBCディスタフで快挙を果たしたものの、依然としてダート戦線においては米国馬と日本馬の水準には大きな隔たりがある。芝の中長距離に頂点を設けている日本の競走体系においてダート短距離は最も縁遠い舞台と言えるかもしれない。2020年代になってレッドルゼルやダンシングプリンス、コパノキッキングがサウジアラビアやドバイの地で存在感を示す場面も出ているが、彼が遠征した2018年当時、この路線の海外での好走例は皆無と言ってよかった。ドバイゴールデンシャヒーンではG1馬であるバンブーエールとローレルゲレイロの4着が最高着順。それ故に準オープンを制したばかりのマテラスカイの健闘は驚きをもって日本の競馬ファンに受け止められ、日本馬が苦杯を舐めた2018年のドバイミーティングにおける希望の光ともなった。

帰国したマテラスカイは降級戦となった花のみちステークスでも稍重ダートで快速を見せ、危なげなく圧勝。そして迎えた国内重賞初挑戦が、冒頭のプロキオンステークスであった。

列島が後に西日本豪雨と呼ばれる甚大な豪雨災害に見舞われ、前日にはオジュウチョウサンが福島の開成山特別を制して大きな話題を呼んだ2018年7月8日。第23回プロキオンステークスは前日までの雨の影響で不良馬場の発表となったものの、雨上がりの晴れ渡る青空と強い日差しの下での施行となった。

重賞を6勝し、フェブラリーSとかしわ記念を連続で3着など8歳になっても衰え知らずのインカンテーションが1番人気に支持され、オープン特別を2連勝のウインムート、前年覇者の実力馬キングズガード、逃げれば渋太いドリームキラリ、交流重賞2連勝中の同世代サクセスエナジーらが上位拮抗で人気を分け合う混戦模様の中で、マテラスカイは5番人気の支持に留まった。
「1400mへの距離延長は不安」「ここは速い馬が揃っている。これまでと同じような競馬はできない」「圧勝続きといえども条件戦」「ドバイは大健闘と言っても所詮は5着」。そんな懐疑の声が聞こえてきそうな人気である。気鋭のスター候補生に対し、ファンは極めて冷静な判断を下していた。

──結果は冒頭に記したとおりである。

ポンと好スタートを切ったマテラスカイは、ドリームキラリやウインムートら歴戦のスピード馬を相手に難なくハナを奪うと、力みの無い伸びやかなフォームで四肢を回転して自らのペースに持ち込む。前半に10秒台の早いラップを刻み、後続が追走に苦しむ中でもただ一頭余裕の手応えで直線を迎えると、そのまま一方的に他馬を置き去りにし、4馬身もの決定的な差をつけて悠々と重賞初制覇を成し遂げた。駆け抜けた1分20秒3は従来の日本レコードを1秒以上更新し、今なお燦然と輝く圧巻の時計となった。

「マテラスカイ、速かったなあ」「とんでもない馬になるかもしれへんで」

稀代の快速馬の誕生に中京競馬場のファンは心を躍らせた。

芝コース上で行われた優勝記念撮影でレイをかけて誇らしげな顔を浮かべるマテラスカイと眩しい陽射しに目を細めながらも愛馬を称える武豊騎手。雌伏の3歳を乗り越えて、4歳で一気にスターダムへ駆け上がった人馬の前を雨上がりの抜けるような青空が祝福し、彼らの前には無限大の可能性が広がっていた。

あの日、前途洋々たる未来を見据えていた彼はその後、米国・ドバイ・サウジアラビアと、幾度も海を渡り、ワールドワイドな挑戦を続けた。2019年のゴールデンシャヒーンでは米国の強豪エックスワイジェットとの再戦を果たした。ゴール寸前、あと一歩のところまで肉薄する2着。敗れはしたものの、同じ米国の強豪インペリアルヒントには先着を果たすことで世界トップクラスの能力を証明した。サウジアラビアでは2年続けて圧巻のスピードを披露し、その韋駄天ぶりで国内外のファンを驚嘆させた。国内のスプリント王決定戦JBCスプリントでは、全く特性の異なる京都と大井であと一歩の競馬を見せ、幅の広さを示した。

……だが、ついにG1タイトルには手が届かなかった。あの灼熱のプロキオンステークスの次に彼が勝利を手にするのは2年後のOROパーク。クラスターカップで破格の日本レコードを挙げ、それが彼の現役生活最後の勲章となった。

4歳初戦からプロキオンステークスまでの期間、彼は雨で締まった”速い”ダートでそのスピードを最大限に発揮し、スターダムに駆け上った。その一方で、彼にとって、日本の乾いたダートほんの少しだけ重すぎたのかもしれない。

「日本の馬場はちょっと苦手なんだ。"本場"とは違うからね」

米国に生まれ、日本でキャリアを重ね、破格のパフォーマンスを示しつつも日本の競馬場は得意とは言えない……そんな異端児、マテラスカイの心の声が聞こえるようであった。


——あの快走劇から3年後、7歳まで現役を続けたマテラスカイは昨秋に現役を引退し、北海道のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで第二の馬生を開始した。

通算36戦7勝。重賞2勝。

額面上の戦績だけでは表現できないほど濃密な現役生活を送り、強烈な個性を放ったマテラスカイ。初年度から満口の大盛況となったのは、生産界が彼へ寄せる評価と期待の表れであろう。

目を瞑ると、栗毛の馬体を輝かせて、中京を、盛岡を、米国を、ドバイを、サウジを駆け抜けていた彼の姿が浮かんでくる。彼がわずかに届かなかった頂きを掴み取り、ワールドワイドに活躍を果たす二世の誕生を心待ちにしたい。あの日、尾張で見せた無限の可能性はまだまだ終わらない。彼の第2章はまだまだこれからなのだから。

写真:れお(@kizuna___reo)、鞍馬、がーちゃん

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