頂上決戦で実現した世代交代劇~2009年・フェブラリーステークス~

最近テレビを見ていると「お笑い第七世代」という言葉を耳にする。
「~世代」という言葉は、業界によって多少意味するところは異なるが、様々な業界、特にスポーツの世界では、頻繁に用いられる印象がある。

例えば、プロ野球界では「松坂世代」といった括りや、田中将大投手を代表に、1988年~89年に生まれた選手達を指す「マー君世代」、もしくは甲子園で激闘を演じた斎藤佑樹投手にちなんだ「ハンカチ世代」といった言葉が使用される。

一方、競馬の世界においては、特定の年に生まれた馬達を「~世代」と呼ぶことは野球ほど多くはないが、かわりに「世代交代」というフレーズはよく使われる。
特にダート界では、実力馬が高齢になっても一線級で活躍する傾向にあり、GⅠのような大きなレースの前には「果たして、世代交代はあるのか!?」といった見出しが、よくメディアを賑わしている。
JRAのGⅠの開幕を告げるフェブラリーステークス。年が明けて間もない時期に行われるだけに、5歳以上馬 vs 4歳馬の間で「世代交代」が実現するかが、レースの焦点となることがある。

そして、これから振り返る2009年のフェブラリーステークスも、世代交代が起きるか注目されたレースだった。


2009年のフェブラリーステークスは、7歳馬 vs 4歳馬の対決が見所だった。
上位人気に推されたのは7歳馬の2頭、カネヒキリとヴァーミリアンである。

1番人気に推されたカネヒキリは、生まれた年も、オーナーもディープインパクトと同じことから「砂のディープ」の異名を取っていた。

ダート戦に限れば、未勝利戦からジャパンダートダービーまで5戦全勝とし、3歳7月にしてあっさりとGⅠ級初制覇を達成。秋には盛岡のダービーグランプリも制して、世代最強の座を手にする。

続く、古馬との初対戦となった武蔵野ステークス2着をはさみ、ジャパンカップダート(現・チャンピオンズカップ)を大接戦の末に勝利し、早くも世代交代を宣言。年明けのフェブラリーステークスも連勝して、世代交代どころか『現役ダート最強馬』の座を、確固たるものとしたかに思えた。

ところが、次走のドバイワールドカップで4着に敗れると徐々に歯車が狂い始め、帰国初戦の帝王賞でも、アジュディミツオーに逃げ切りを許してしまう。そして、南部杯を目指して迎えた秋、右前浅屈腱炎を発症して休養に入ると、翌夏にも再発してしまい、トータルの休養期間は2年4ヶ月にも及んでしまった。

しかし、不死鳥のごとく6歳秋に戦列復帰したカネヒキリは、初戦の武蔵野ステークスこそ9着に敗れたものの、ルメール騎手とコンビを組んだジャパンカップダートで奇跡の復活勝利を果たす。

勢いはそれだけに留まらず、続く東京大賞典、川崎記念も制して、7歳にしてGⅠ級競走3連勝を達成し、現役ダート最強馬の座を奪回。3年ぶり2度目の制覇と、当時では史上初となるGⅠ級競走8勝目を狙い、この大一番に臨んできたのだった。

一方、カネヒキリの休養期間中に頭角を現したのが、2番人気に支持されたヴァーミリアンである。

デビュー当初は芝路線を歩み、2歳時には重賞も勝利したが、3歳秋にダートへ矛先を向けると素質が開花。転向初戦のエニフステークスを快勝すると、続く交流重賞の浦和記念で、ダートグレード初制覇を成し遂げた。

続く4歳シーズンこそ、ダイオライト記念と名古屋グランプリの重賞2勝に留まったものの、5歳初戦の川崎記念で、ついにGⅠ級初制覇を達成。さらに、ドバイワールドカップ4着を挟んで、JBCクラシック、ジャパンカップダート、東京大賞典、フェブラリーステークスとGⅠ級競走を4連勝し、カネヒキリに変わり、文句なしに現役ダート最強馬の座に君臨したのである。

その後、再挑戦したドバイワールドカップでは12着に敗れたものの、8ヶ月の休養を挟んだJBCクラシックで連覇を成し遂げ、国内のGⅠ級に限れば、破竹の6連勝を記録していた。

対する、4歳世代で上位人気に推されていたのは3頭。
その中で、最も支持を集めていたのが3番人気のカジノドライヴだった。

共に、米クラシック第3弾のベルモントステークスを勝った、ジャジルとラグズトゥリッチズを兄姉に持ち、この年のブリーダーズカップマラソンを勝つ、マンオブアイアンが弟にいるという世界規格の超良血馬である。

そんなカジノドライヴの戦歴も、まさに世界規格。前年2月の新馬戦で、2着を2秒3もぶっちぎり圧巻のパフォーマンスを披露すると、兄姉とのベルモントステークス3連覇を果たすべく、渡米を決行した。

渡米初戦となったステップレースのGⅡピーターパンステークスも圧勝し、日本調教馬では初となる、米国のダート重賞勝利という快挙を達成(2021年2月現在でも唯一)。米国クラシック制覇への期待が一団と高まったものの、レース本番前日に挫石を発症し、無念の出走取消となってしまった。

秋には、ブリーダーズカップクラシックを目指して再び渡米するも、一般戦勝利を経て臨んだ本番では12着に敗退。帰国後は、ジャパンカップダート6着、準オープン(現・3勝クラス)のアレキサンドライトステークス1着を経て、ここに出走してきたのだった。

それ以外にも、4歳世代からは、ダート転向後5戦4勝のエスポワールシチーや、前年のジャパンダートダービーを制するなど、国内の実績では世代ナンバーワンのサクセスブロッケンが出走し、この年のフェブラリーステークスは、とにかく豪華なメンバーが顔を揃えていた。

ちなみに、エスポワールシチー以外の4頭は、前年のジャパンカップダートで一度対戦している。
結果は、上述の通りカネヒキリが復活Vを果たし、ヴァーミリアンが3着と、年長世代が上位を占めた。それに対し、後輩世代はカジノドライヴが6着、サクセスブロッケンも8着に敗れていた。
特に、サクセスブロッケンに関しては、年末の東京大賞典でもカネヒキリとヴァーミリアにワン・ツーを許していたこともあり、まさに今回がリベンジの場となっていた。


大歓声に包まれる中、大一番のゲートが開くと、まず先制攻撃を仕掛けたのは4歳馬の3頭。その中でも、エスポワールシチーがハナを切り、2番手にカジノドライヴ、その後にサクセスブロッケンがそれに続いた。

一方の7歳馬は、内からスルスルと進出したカネヒキリが4番手に付け、直後をヴァーミリアンが追走し、上位人気馬はすべて、中団より前に位置する展開となった。

逃げるエスポワールシチーが刻むペースは、前半600m35秒1の平均ペース。しかし、その後も800m通過が47秒0、1000m通過も58秒8と11秒台のラップを連続して刻み、ハイペースではないものの、淀みない流れでレースは進んだ。

隊列は大きく変わらないまま、4コーナーを回り直線へ向くと、エスポワールシチーがリードを3馬身に広げて逃げ切りを図る。しかし、2番手に位置するカジノドライヴの安藤騎手は、いわゆる画に描いたような持ったままの手応えで、周りを確認されながら、坂を駆け上がる途中で、ようやく追われはじめるという状態だった。

一方、ヴァーミリアンは前とは離れた6番手で苦しい状況となり、替わって追い込んできたのは、サクセスブロッケンとカネヒキリの2頭。4頭の中で、最も外に進路を取ったサクセスブロッケンは、カジノドライヴとは対照的に、直線入口から早々に内田騎手が手綱を押し、右鞭も2発3発と入れられ、ジリジリと、しかし確実に差し脚を伸ばしてきていた。

それに対し、カネヒキリも、ルメール騎手がカジノドライヴとエスポワールシチーの間に進路を取り、前2頭を差しきろうと懸命に左鞭を入れる。

そして、残り100mからは4頭が馬体を併せての叩き合いとなり、戦前の予想を遙かに上回る好レースとなった。

重賞初制覇を、この大一番で飾りたいエスポワールシチーと佐藤哲三騎手。
史上初のGⅠ級競走8勝を成し遂げるためにも、4歳馬3頭には絶対に負けられないカネヒキリとクリストフ・ルメール騎手。
偉大な兄姉に続き、なんとしてもGⅠタイトルを手にしたいカジノドライヴと安藤勝己騎手。
ジャパンカップダートと東京大賞典の敗戦を糧に、3度目の正直で頂点に立ちたいサクセスブロッケンと内田博幸騎手。

4頭と4人の思惑が交錯する、至高のデッドヒート。

その叩き合いはゴールまで続き、最後の最後でわずかに抜け出したのは、サクセスブロッケンと内田博幸騎手だった。ゴール板通過とゴール後、2度、右鞭を大きく挙げてアピールするほど会心の勝利。

単勝オッズは20.6倍と、やや離れた6番人気に甘んじていたサクセスブロッケンだが、フェブラリーステークス史上、最も豪華なメンバーといってもいいような大一番で巻き返し、見事、3度目の正直で同期や先輩に先着してみせたのだ。

しかも、勝ちタイムの1分34秒6はコースレコードで、内容面でも超ハイレベルのレースといえた。また、2着にカジノドライヴが入り、カネヒキリの3着を挟んで、エスポワールシチーも4着。
世代交代が実現したといえる結果となった。


その後、7歳世代のヴァーミリアンが、帝王賞・JBCクラシック・川崎記念を制し、当時としては史上最多のGⅠ級9勝という偉業を成し遂げたものの、2009年から2010年上半期にかけてダート界で天下を取ったのは、フェブラリーステークスで4着に敗れたエスポワールシチーだった。

フェブラリーステークス後に出走したマーチステークスで重賞初勝利を挙げると、かしわ記念、南部杯、ジャパンカップダート、フェブラリーステークス、そしてかしわ記念連覇と、GⅠ級5連勝の偉業を達成。引退するまでに獲得したタイトル数は、ヴァーミリアンに並ぶ9つとなった。

それとは対照的に、フェブラリーステークスでエスポワールシチーに先着していた4歳馬2頭だったが、以後、その勢いを止めることはできなかった。

まずカジノドライヴは、フェブラリーステークス後に、三度目となる海外遠征を敢行し、ドバイワールドカップで8着に終わった。さらに、帰国後に屈腱炎を発症していることが判明。2年の休養を経て復帰したものの、以後3戦して輝きを取り戻せずに引退し、種牡馬入りとなった。

一方、サクセスブロッケンは、エスポワールシチーが不在の東京大賞典を年末に制し、3つ目のGⅠ級タイトルを手にしたものの、南部杯、ジャパンカップダート、翌年のフェブラリーステークス、かしわ記念と、エスポワールシチーに4連敗を喫し、6歳の根岸ステークスを最後に引退が発表された。

しかも、フェブラリーステークスで下した上位入着馬が引退後に種牡馬入りしたのに対し、優勝したサクセスブロッケンは種牡馬入りを果たせず、東京競馬場で誘導馬となったのである。

しかし、第二の人生を歩み始めた彼の活躍は、それだけにとどまらなかった。


サクセスブロッケンは現役時に栗東トレーニングセンター所属だったということで、関西弁を話す設定でSNSに登場。時には競馬場を飛び出して、日本ダービーの特命宣伝部長となり、スーツ姿で都心の新聞社を表敬訪問して名刺交換をするなど活躍した。また、時にはファンとの撮影会にも参加し、東京競馬場で実施されたホースショーでは、大観衆の前で145cmの障害を飛び越えたこともあったそうだ。

そうして、引退後も一躍人気者となったサクセスブロッケンは、様々な部署でマルチに仕事をする、まるで『優良サラリーマン』のように働き続け、多くのファンに愛され続けた。現役時の成績も含め、彼は、ここまでの馬生の大半を東京競馬場に捧げ、ともに歩んできたといっても過言ではない。

そして2021年。
12年前に栄光を掴んだフェブラリーステークスでの誘導を最後に、サクセスブロッケンは誘導馬生活にピリオドを打った。かつては、現役時を思い出したか──地下馬道からコースに続く上り坂を思わず駆け上がることもあったようだが、2020年には、初めて日本ダービーの先頭誘導を務めたように、すっかり一流の誘導馬へと成長した。

最後、無事に16頭の誘導を終え、画面越しにさよならを告げる時も、まるでそのことを分かっているかのように、愛嬌たっぷりに舌をペロリと出しながら、地下馬道へと消えていった。

それはまさに、現役を引退してもなおファンを楽しませてくれる、天性のエンターテイナーたる姿だった。

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