ウオッカvsダイワスカーレット。日本の競馬史上"最大の名勝負"とも言われる、2000m戦2cm差決着。 - 2008年 天皇賞・秋

いわゆる"ライバル対決"は、スポーツにおける醍醐味の1つである。特に競馬の場合、動物(馬)であるが故に不可抗力・偶発的な出来事が多い。それらも含めた積み重ねの上でライバル対決が実現するからこそ、競馬ファンはライバル対決に魅了されるのであろう。

さて、皆様は競馬界のライバル対決といえば、どの馬たちのどのレースを思い浮かべるだろうか。

  • 1977年-有馬記念 テンポイントvsトウショウボーイ
  • 1996年-阪神大賞典 ナリタブライアンvsマヤノトップガン
  • 1999年-有馬記念 グラスワンダーvsスペシャルウィーク
  • 2020年-ジャパンカップ アーモンドアイvsコントレイルvsデアリングタクト

どれも歴史に残る世紀の大決戦であることに違いない。
もちろん、上記以外にもライバル対決はたくさん存在する。

そしてライバル対決といえば、個人的に『このレースだけは必ず挙げなければならない!』というレースがある。それが、ウオッカvsダイワスカーレットの2008年天皇賞・秋である。

ライバル2頭の誕生

2004年4月4日、タニノムーティエやタニノチカラ、タニノギムレットを生産した名門カントリーファームで産まれたウオッカ。父は同牧場産まれのダービー馬タニノギムレット、母は名牝系シラオキに遡るタニノシスターで、「タニノ」でお馴染みのオーナーブリーダー谷水雄三氏が所有した。2歳春、開業からまだ4年目にもかかわらずすでにデルタブルース、シーザリオ、カネヒキリで国内外のGIを制していた角居勝彦厩舎に入厩する。

一方、同年5月13日、もはや説明不要の大牧場である社台ファームで産まれたダイワスカーレット。父はサンデーサイレンスの後継として期待されていた無敗の皐月賞馬アグネスタキオン、母はスカーレット一族として名高い牝系を築き上げるスカーレットインクの9番仔スカーレットブーケ。兄にはこの年の4月に皐月賞を制し、後にマイルCS連覇、安田記念、天皇賞・秋を制するダイワメジャーがいた。オーナーは、その兄と同じく「ダイワ」でお馴染みの大城敬三氏。2006年に父タニノギムレットが所属していた、クロフネ・キングカメハメハでも既にその地位を確立していた松田国英厩舎に入厩する。

2歳時の2006年にデビューした2頭だったが、最初に頭角を現したのはウオッカ。阪神競馬場の改修により外回りコースが新設されてから最初の阪神ジュベナイルフィリーズを、主戦の四位洋文騎手の騎乗で制し、JRA賞最優秀2歳牝馬に選出されていた。その後ウオッカは2月のエルフィンSから始動し馬なりで勝利、3歳牝馬クラシックの最有力候補となっていた。

一方のダイワスカーレットは中京2歳Sでビワハイジの仔の評判馬アドマイヤオーラを抑えて勝利したが、シンザン記念ではアドマイヤオーラの切れ味に屈し、2着に敗れていた。しかし、牡馬の中に混じっての善戦もあり、牝馬クラシックの有力候補にはもちろん入っていた。主戦には名手・安藤勝己騎手が起用されていた。

ライバル対決の始まりとそれぞれの道

最初に2頭が対戦したのは、チューリップ賞だった。逃げたダイワスカーレットにウオッカが並びかる展開。そこから安藤勝己騎手が手綱をしごくのに応えてダイワスカーレットも抵抗したが、クビ差でウオッカに軍配があがった。

そして2戦目の桜花賞。チューリップ賞同様にダイワスカーレットをウオッカが見る形で展開したが、直線入って残り400mからダイワスカーレットが早めに仕掛けた。ウオッカが襲いかかるが、ダイワスカーレットも止まらずにダイワスカーレットが勝利、ウオッカが1 1/2馬身差で2着に敗れた。チューリップ賞で「脚を測った」という安藤勝己騎手の熟練された技術と頭脳が、ダイワスカーレットの天性のスピードと持続力を最大限に発揮させたのである。

レース後、ダイワスカーレットはオークスで2冠を目指すことが発表され、ウオッカはダービーへの挑戦を表明。違うローテーションを歩むことが発表された。しかしダイワスカーレットはオークスを熱発回避し、そのまま休養へ。一方のウオッカは64年振り史上3頭目となる牝馬によるダービー制覇という大偉業を成し遂げ、当初「桜花賞も敗れたのに無謀」という声もあった中で、桜花賞の悔しさを吹き飛ばす結果を手にしていた。その後、ウオッカは宝塚記念にも挑戦し1番人気に支持されたが、道悪と小回りが合わなかったのか、はたまた余力がなかったのか、8着と敗れて休養に入った。

日本ダービー制覇時のウオッカ
(筆者撮影)

ダイワスカーレットの勝利

そして秋になり、秋華賞の舞台で再びウオッカとダイワスカーレットが激突。ダイワスカーレットが1、2番手で逃げ争い、ウオッカは後方4、5番手からレースを進める。3角から4角でまくるようにウオッカが上がっていき、逃げるダイワスカーレットを狙ったが、またもダイワスカーレットの持続力がウオッカの末脚を封印。牝馬三冠の最終戦はダイワスカーレットが勝利し、ウオッカはレインダンスも捕らえきれず3着に敗れた。

再びの対決は翌月のエリザベス女王杯が予定されていたが、ウオッカが右関節跛行で出走取消。ダイワスカーレットはフサイチパンドラ・スイープトウショウら前年、前々年度の同レースを制した先輩"女王"達を抑え、3歳馬ながら女王の座に君臨した。

その後、ウオッカはジャパンカップで牡馬強豪達に混ざって善戦するも4着と敗北。
そして両馬の対決は有馬記念で再び実現することになる。有馬記念ではダイワスカーレットが2番手から先頭をうかがうが、中山マイスターのマツリダゴッホに内をすくわれ2着、ウオッカは全く見せ場がなく11着に敗れた。

その年のJRA賞はダイワスカーレットが最優秀3歳牝馬に選出、ウオッカはダービーを制した偉業で特別賞に選出された。直接対決ではチューリップ賞以外で全て先着したダイワスカーレットが勝利し、その結果が年間表彰という舞台で評価される形になった。

ウオッカ、待望の復活

年が明けて2008年、最初に復帰したのはウオッカだった。2月の京都記念に出走するも6着に敗れ、その後が心配になる結果に。しかしウオッカ陣営はドバイ遠征を敢行。武豊騎手に乗り替わりドバイデューティフリー(GI 芝1777m)に出走したが4着に敗退したものの、1度は先頭に立つシーンもあり、復活の兆しが見られた。

一方のダイワスカーレットはダートへの挑戦を決め、フェブラリーSからドバイワールドカップというローテーションを組んでいたが、調教中に目を痛めて白紙に。結果、産経大阪杯(当時GII)での始動となった。GIIとは言え、メイショウサムソン、インティライミ、ドリームパスポート、ヴィクトリー、アサクサキングスといった牡馬の強豪が揃ったが、ダイワスカーレットは1番人気で堂々の逃げ切り勝利を収める。牝馬による産経大阪杯勝利はエアグルーヴ以来のもので、高い評価を集める一戦となった。しかしレース後に管骨瘤が発覚し、またしても休養に入ることが決定する。

ドバイから帰国したウオッカはヴィクトリアマイルで引き続き武豊騎手と共に出走。しかし好位から抜け出したエイジアンウインズに3/4馬身及ばず2着に敗れた。ところがそれにめげることなく、安田記念に岩田康誠騎手との新コンビで続戦(武豊騎手はスズカフェニックスの先約があった)し、ファンが待ち望んだダービー馬の復活がここで遂げられることになった。2着のアルマダ(香港調教馬)に3馬身半差をつける圧勝劇でダービー以来の約1年ぶりの勝利を挙げた。

ようやく、ウオッカが復活した。

迎えた"頂上決戦"

秋を迎え、ウオッカは毎日王冠から始動。
逃げ馬不在のメンツの中でウオッカは新馬戦以来のハナに立つ戦法に出たが、スーパーホーネットに差され2着に敗れる。しかし一時期の不振に比べれば、休み明けとしては上々といえる出来で、心配の声は少なかった。

一方のダイワスカーレットは管骨瘤が完治。
当初はエリザベス女王杯からの始動を目論んでいたが、状態の良さから天皇賞・秋への出走が発表された。

──2008年11月2日(日)。

秋晴れの府中、東京競馬場にウオッカとダイワスカーレットを含めたGI馬が5頭──その他も全て重賞勝ち馬という超豪華な17頭による頂上決戦が実現し、12万人を超える競馬ファンがその歴史の立会人になるべく集結した。

1番人気は武豊騎手とウオッカ(2.7倍)。前走・毎日王冠は2着だが、逃げることでガス抜きが出来たこと、東京での実績(ダービー、安田記念)が最終的な評価要因になった。恐らく、鞍上の武豊騎手も込みで応援票も多かったことだろう。

2番人気が安藤勝己騎手とダイワスカーレット(3.6倍)。ウオッカには勝ち越してはいたものの、故障明け、初の府中と言った部分が最終的なウオッカとのオッズの差になったのだと考えられる。

そして3番人気が四位洋文騎手とディープスカイ(4.1倍)で続く。3歳馬の挑戦だったが、NHKマイルカップ、ダービーと連勝。休み明けの神戸新聞杯も勝利し、古馬相手にも十分にやれると評価されていた。

以上が1桁台の単勝オッズ。ライバル対決に加えて3歳のトップホースも参戦という三つ巴の様相を形成していた。ちなみに筆者は3頭の素晴らしい競演を楽しむレースだと儲けは半ば諦めて、ワイドで3強の馬券を購入していた。

以下、小倉記念・朝日チャレンジカップを連勝して2歳王者の威厳を取り戻しつつあったドリームジャーニー(池添謙一騎手)、札幌記念を勝ち、本格化の気配を感じるタスカータソルテ(Cルメール騎手)、菊花賞馬でありダービーでもウオッカの2着だったアサクサキングス(藤岡佑介騎手)ら、古馬の牡馬の強豪たちが続いた。

その日、筆者は昼前の時点で東京競馬場のウィナーズサークル付近で学生時代の後輩と待機していた記憶がある。
当時はまだ筆者は社会人一年目、小遣いにそこまで余裕があるわけでもなかったので、途中のレースは一切買わず、ただひたすら『ダビスタDS』をやり続けて待っていた。そう言えばその後輩はもともと競馬はやってなかったはずだが、このダビスタDSを買ったのをきっかけに競馬場に初めて来たとのこと。その友人は当時の土曜深夜の競馬枠『みんなのウマ倶楽部』を観て予習をしたらしい。まだ『ウマ娘』がなかった時代の話である。

さて、待ちに待った本馬場入場。
お馴染みのグレートエクウスマーチが流れると、会場のボルテージは一気に上がる。

ディープスカイは栗毛の馬体を輝かせ、ダービー馬の風格を漂わせながら内ラチ沿いを返し馬。休み明けのダイワスカーレットはやや興奮気味に入場、しかしその馬体の迫力とフットワークの軽さは状態に全く不安を感じさせない仕上がりを見せた。そしてウオッカは外ラチをゆっくり歩き、まるで武豊騎手がその風格のある馬体をスタンドの観客にお披露目をするかのように入場。そして走り出すときには観客からの大歓声がウオッカに浴びせられた。

ちなみにウオッカだが、東京競馬場で走る際は必ずスタンド側まで歩いてきて、ゆっくりと走り出す返し馬を行っていた。これがファンサービスなのか、何か意図があったのかは、未だにわからない。しかし、当時東京競馬場でウオッカを見ていたファンは皆そのウオッカの風格に圧倒されていたのは間違いない。

本馬場入場が終わり、いよいよファンファーレが鳴り響き、スタートの時が来た。

軽やかに走り抜けるダイワスカーレット
(筆者撮影)
気合いの入るディープスカイ
(筆者撮影)
スタンド前を歩きファンを魅了するウオッカ
(筆者撮影)
3強のワイド馬券

2cm/2000m

──15時40分。

ファンファーレが鳴り響き、各馬がゲート入りを順調に終え、スタート。

大外枠のドリームジャーニーは後ろから。先頭に目をやると、早くもダイワスカーレットが2~3馬身ほどのリードでハナを切る。キングストレイル、アサクサキングスと続き、2コーナーを通過し向こう正面へ。

ややかかり気味にダイワスカーレットが先頭も、安藤勝己騎手がしっかりと手網を抑える。1馬身程にリードが縮まった2番手には、ウオッカの同厩トーセンキャプテンが続く。2番枠のディープスカイは包まれるのを嫌ったか、いつもより前目の6番手につけて、その後ろの外側にウオッカと武豊騎手がダイワスカーレット、ディープスカイを見るような形で位置づけた。その後ろにエアシェイディ、タスカータソルテが続き、後方にカンパニー、そして最後方からポツンとドリームジャーニーの隊列を形成した。

1000mの通過は58.7とやや速めの淀みないペースをダイワスカーレットが作り、そのまま3コーナー、4コーナーへと進んでいく。

軽快に逃げるダイワスカーレットの鞍上・安藤勝己騎手の手は全く動かぬまま、直線を向く。先行勢からトーセンキャプテン、アサクサキングスらがダイワスカーレットを捕らえに行くも、ペースが厳しかったのか早々に脱落。

残り400m付近から、馬なりで上がってきたディープスカイが、脱落した先行勢を外から交わし2番手にあがる。ちょうど同タイミングでダイワスカーレットもスパートを開始した。その刹那、ウオッカもディープスカイのすぐ後ろにつけて気づけば3番手に浮上。残り300を通過し、登り坂の地点で3強による史上最大の叩き合いが始まった。

残り200m。ハイペースで逃げたダイワスカーレットは捕まり、ディープスカイが差すかというところで1番外のウオッカが一気に先頭に立つように見えた。

その時、普通の逃げ馬なら捕まって終わるシーンなのだが、ダイワスカーレットはなんともう一度差し返す。真ん中のディープスカイはアタマ差ほど遅れ、大外のウオッカと最内のダイワスカーレットの死闘が残り100mから繰り広げられる。

そして2頭の激しい叩き合いは決着がつかず、そのままゴールイン。まさに「大接戦ドゴーン!」だった。内の安藤勝己騎手、外の武豊騎手のいずれも手を上げることはなかった。

先頭に目を取られ気づかなかったのだが、3番手でゴールしたディープスカイの内に、後方待機をしていた横山典弘騎手のカンパニーが忍び寄り、大外から後藤浩輝騎手のエアシェイディも差してきていた。

着順掲示板に表示された1.57.02は当時のレコード。
大接戦でゴール前を迎えたため、着順掲示板の5着3番エアシェイディ以外は表示されなかった。

世紀の大接戦に観客は大歓声、さらにレコードの表示に拍手喝采。
そしてなかなか表示されない着順掲示板に、12万人の観客全員が興奮した。
いや、おそらくテレビで観ていた全国の競馬ファン全員が興奮したに違いない。

際どいゴールだったため、ウオッカとダイワスカーレットはともにウイニングランをすることなく、地下馬道へと帰っていった。

何度も表示されるゴールシーンだが、どんなに目を凝らしてもどちらが勝ったのかわからない。その時、ケータイに何通かメールが届いていたが、テレビでもわからない様で「ダイワだよ」「ウオッカでしょ」「わからん」と、人により様々だった。

ターフビジョンに映るのは首を傾げながら1着のエリアに入るダイワスカーレットと安藤勝己騎手。その後2番手エリアに入るウオッカと武豊騎手も映り込む。しかし着順は灯らない。リプレイが繰り返し流れた後、ターフビジョンには地下馬道でクールダウンをするウオッカとダイワスカーレット。そしてホワイトボードには上に7番、下に14番と記されていたがこれは暫定的な記載で順番通りに書いてあるだけで、確定着順ではないことは現地のファンは認識していた。

10分が経過した頃、ホワイトボードの7、14の数字が消された時、大歓声があがり、間もなく14番が上に、7番が下に記載され、やがて着順掲示板にはその数字が灯り、確定した。武豊騎手が検量室でガッツポーズするシーンが映し出された。

後に知った着順は僅か2cm(0.02m)。2000mの距離のうち、1/10万のごく僅かな差異が大きく明暗を分けた。ウオッカ、そして武豊騎手を始めとした陣営が地下馬道から戻ってくる。ウィナーズサークルから表彰式に向かう途中のターフ上で、武豊騎手がスタンドに向かって両手を上げて万歳三唱。多くの競馬ファンがウオッカと武豊騎手に酔いしれた。

万歳三唱をする武豊騎手
(筆者撮影)
表彰式を終えて戻ってくるウオッカ
(筆者撮影)

日本の競馬史上、最大の名勝負

その日は興奮冷めぬまま、夜は焼肉を先の後輩と合流した友人とともに食し、ウオッカを飲んだわけではないが、ウオッカに酔いしれたまま帰宅。

その日のうちに中継を見るのが筆者の流儀。録画したフジテレビ「スーパー競馬」とテレビ埼玉「中央競馬ワイド中継」を視聴する。やはり何度観ても興奮するレースで、何度繰り返し再生したのか、自分でもわからない。

フジテレビの解説の井崎脩五郎氏、岡部幸雄氏がともに賛辞を送ってはいたが、印象的だったのがワイド中継の柏木集保氏だ。普段は辛口の評価をすることも多い柏木集保氏が、終始笑顔でレースを回顧して「日本の競馬史上、最大の名勝負」と評していた。

また、誹謗中傷が多かったことで有名な2ちゃんねる(現5ちゃんねる)競馬板を見ても、そのレースに興奮し、喜ぶ声が多かったと記憶している。一方で一時はダイワスカーレットが優勢だった「ウオッカvsダスカ論争」がより活発化したのも、今思うと2ちゃんねるらしかった。

ダイワスカーレットは天皇賞の後、37年ぶり、史上4頭目の牝馬による有馬記念を制覇する。一方のウオッカは天皇賞の疲れがあったのか、ジャパンカップで3着(1着スクリーンヒーロー、2着ディープスカイ)に入り休養に入った。

その年の年度代表馬にはウオッカが選出された。
そして翌年早々にダイワスカーレットはダート挑戦プランを掲げるも故障発生し、そのまま引退を迎える、
ウオッカは翌年もドバイから始動、2戦して敗れるも、ヴィクトリアマイルと安田記念を勝利。秋には毎日王冠、天皇賞・秋でカンパニーに連敗するが、悲願のジャパンカップ勝利で日本の牝馬による初のジャパンカップ制覇という快挙を成し遂げた。

2009年ヴィクトリアM勝利時のウオッカと武豊騎手
(筆者撮影)
2009年安田記念勝利時のウオッカと武豊騎手
(筆者撮影)
2009年安田記念の表彰式にて武豊騎手とゲストの大泉洋さん
(筆者撮影)

筆者のウオッカによる酔いはこの年も覚めることなく、むしろ二日酔いならぬ二年酔いにさらに向かい酒をし続ける状態となり、東京競馬場で欠かさずその姿に酔いしれていた。

年が明けて2010年、再びドバイの地で復帰したウオッカはトライアルレースに出走するも8着に敗退。レース後の鼻出血発覚によりこれ以上の挑戦を断念、引退が発表された。

こうして2頭の名牝の現役生活は幕を下ろした。

しかし、2頭のライバル対決は本当に終わったのであろうか。 決着はついたのであろうか。

例えば競馬ファンによる最強馬(牝馬)論争は決着がつく様子もなく、近年の競馬ファンを一気に増やした『ウマ娘』の中では相変わらず2頭(2人)はしのぎを削り合っている。

2008年の天皇賞・秋で生まれた2cm/2000mの差は、大きく明暗をわけた。しかし、ウオッカとダイワスカーレットによる2頭のライバル対決は、永遠にファンの心の中で続いていく。同時に2008年天皇賞・秋の興奮と感動は永遠に覚めることなく語り継がれていくのだ。

2009年ジャパンカップ本馬場入場時のウオッカとルメール騎手(筆者撮影)

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