[高松宮記念]いつか、父も歩いた道。キングヘイロー産駒の短距離王、ローレルゲレイロ。

競馬は時を重ねるほど、味わいを増す。
いつの時代も、目の前を走る彼らに、いつか見た愛すべき誰かの面影を重ねてしまう。
誰かの夢の続きを描くことも、誰かとは異なる道で個性を発揮することも、そして誰かとどこか似た道程を歩むことも、等しく尊い。

私はいつも、思い思いに願いを託し、勝手な物語を募らせてしまう。

2000年、高松宮記念。誰もが認める才能を持ち、クラシック戦線でも主役を演じていた無冠の素質馬は、数多の敗北を乗り越えて辿り着いた尾張の地で大願を成就する。誇らしげに佇むその姿に、彼のファンも、かつてのライバルのファンも惜しみない喝采を送った。

──それから9年後。彼の血は再び尾張で花開いた。

世代の最前線を駆け抜け、数多の惜敗を勇気に変えた彼の息子は、父と同じ橙帽の13番枠から飛び出すと、ライバル達が次々に浴びせる二の太刀、三の太刀を凌ぎ切り、泥臭く高松宮記念父子制覇を成し遂げたのである。

父の名はキングヘイロー、息子の名はローレルゲレイロ。

世界の名血を集めたエリートとしてお坊ちゃま然とした父は、夢破れ、悔しさを握り締める中で、傷ついた心身は幾重にも分厚さを増していった。

一方、どこか不器用な息子は不屈の闘志で何度も立ち上がり、劣勢の中でもファイティングポーズを崩さず、光さす道へとその脚を伸ばし続けた。

2頭の出自やレーススタイルは異なる。だが、少し頭の高い走法に面影は重なり、振り返ると彼らの蹄跡は驚くほどに符合していた。

本稿では父の血を継ぎ悲願を成し遂げた息子・ローレルゲレイロにスポットライトを当てたい。


──馬産地の出産シーズンも後半に入った2004年5月3日。ローレルゲレイロこの世に生を受けた。

彼の生誕の地は日高で有数の歴史を持つ村田牧場。創業以来様々な活躍馬を輩出してきたが、中でも1990年代初頭に送り出したユキノビジンは岩手競馬出身のバックボーンと愛くるしい名前、そして可憐な姿で多くのファンを魅了した。

ローレルゲレイロの血統表を遡ると1962年に兄クリペロとの兄妹による天皇賞制覇を果たした名牝クリヒデの名が見える。クリヒデの曾孫として村田牧場に迎え入れられたモガミヒメの血統はディープボンドやノースブリッジ等を通じ、基幹繁殖として大きく枝葉を拡げている。

その一頭、ビッグテンビーは藤田伸二騎手を背にデビュー勝ちを果たした素質馬だったが、その競走生活は脚部不安と隣り合わせ。足掛け4年でわずか4走しか果たせずにターフを去っていた。

時に新陳代謝が求められる牧場運営の中で、脚部に弱さを抱えるビッグテンビーを残すことに、あるいは躊躇いもあったかもしれない。だがビッグテンビーはそんな不安を補って余りあるスピード能力を秘めていた。

キングヘイローは、村田牧場の村田繁實氏が当時代表を務めていた優駿スタリオンステーションで繋養されていた。キングヘイローを種牡馬として成功に導くためには一頭でも多くの花嫁が不可欠。頑健に走り抜いたキングヘイローと、高い才能を持ちながら脚部の不安と隣り合わせだったビッグテンビー。2頭の化学反応により生まれたローレルゲレイロは、頑健な身体と高い才能の両方を持ち合わせていた。

愛馬会法人ローレルクラブで総額1000万円で募集されたローレルゲレイロは、競走馬としてはやや遅生まれのハンデキャップも乗り越えて、2歳夏、北海道開催オープニングを飾る函館の新馬戦で初陣を迎えた。

馬産地のお膝元で行われる最初の新馬戦は、各牧場にとっての晴れ舞台。天皇賞馬マイネルキッツの半妹で後に福島牝馬ステークスを制するマイネカンナや、テイエムサウスダンの母となるムービングアウト等、素質を秘めた9頭が顔を揃える。

単勝1.8倍の1番人気に支持されたローレルゲレイロは一頭際立つ抜群のスタートを切ると、そのままスピード能力で後続を圧倒。最初から最後まで影をも踏ませぬ逃走劇で後続を大きく突き放し、初陣を飾った。

遅生まれとは思えぬ快走に、前途は大きく明るく開けているように思えた。これから彼を待つ長くもどかしい道のりを、まだ誰も知る由はなかった。

JRA所属馬と道営馬が激突する夏の風物詩ラベンダー賞。”コスモバルクの後継”とも称されたインパーフェクトの後塵を拝したことがその道のりの始まりだった。

函館2歳ステークス2着、デイリー杯2歳ステークス2着。重賞戦線のハイレベルな戦いに身を投じ、時に4角先頭、時に最内強襲。変幻自在の立ち回りを見せながら、あと一歩が届かない。暮れの大一番、朝日杯フューチュリティステークスでは、前哨戦で敗れたオースミダイドウを横綱相撲でねじ伏せた刹那、ドリームジャーニーの強襲に遭い、手中に収めたはずの勝利は残り数メートルでその手から零れ落ちた。

年が明けたシンザン記念ではアドマイヤオーラ、ダイワスカーレットとの真っ向勝負に及ばず3着。

アーリントンカップでは直線半ばで先頭に躍り出るも、内を掬ったトーセンキャプテンとのデッドヒートに僅かに遅れて2着。

本田優騎手の引退に伴い藤田伸二騎手との新パートナーを組んだ皐月賞では前々で運んだヴィクトリーとサンツェッペリンがそのままなだれ込む展開を後方から詰めて着差は僅か0秒3。

1番人気に支持されたNHKマイルカップでは正攻法の横綱相撲で押し切りを図るも、最後の最後でピンクカメオの豪脚に屈し2着……。G1での2着2回を含めて重賞で6度複勝圏内を賑わせ、デビューから1年で1億2千万円の賞金を積み上げながらも2勝目が遠いローレルゲレイロには、いつしか「最強の1勝馬」という愛されつつも、決して甘んじるわけにはいかない称号を与えられていた。

父キングヘイローもデビュー3連勝でクラシックの最有力候補に謳われながら、その後の勝利は遠かった。父の歩みを思わせる、もどかしい道程だった。


明け4歳。ローレルゲレイロは東京新聞杯に駒を進める。かつてクラシック戦線で夢破れた父キングヘイローが復権を果たした地で、息子ローレルゲレイロは再出発の時を迎えた。

距離を変え、戦方を変え、試行錯誤を続けてきたローレルゲレイロは、前走の阪神カップを逃げ粘り4着に好走していた。府中の長い直線を逃げ切るのは至難の業。それでも藤田騎手とローレルゲレイロは自らのスタイルを貫き通した。

ゲートをポンと飛び出したローレルゲレイロはそのまま単騎でハナを奪う。3角から白い馬体のアポロノサトリが競り掛けてくる厳しい展開となっても怯まず動じず、自らのペースを守り続ける。

直線、脚勢を無くしたアポロノサトリから先頭を奪い返すと、藤田騎手の叱咤を受けながら500m先のゴールを必死に目指す。ローレルゲレイロの直後で脚を溜めていたタマモサポートが、大外に持ち出したリキッドノーツが一歩ずつ差を詰める。2馬身、1馬身、半馬身……。

クビまで詰められたところで、遂にローレルゲレイロは最後まで譲ることなく先頭でゴール板を駆け抜けた。父キングヘイローが復権を果たした地で、ついに待望の2勝目を挙げた。

キングヘイローが東京新聞杯から中山記念を連勝したように、ローレルゲレイロも勢いそのままに次走、阪急杯で連勝を果たす。本格化を果たし、G1タイトルも目前に迫っているかにも思えた。

だが、人気を背負ったG1で勝ち切れないのもまた親子の個性だろうか。

相手関係を考慮しマイラーズカップから矛先を変えて参戦した高松宮記念ではフサイチリシャールとの熾烈な先行争いに余力を削られ、馬群から伸びたファイングレインの前に2番人気4着。

骨折を乗り越えて参戦したマイルチャンピオンシップでも一旦は先頭に躍り出るが、ローレルゲレイロが切り拓いた最内の進路を伸びたブルーメンブラットの最後の花道を見送る5着。

暮れには香港遠征にも挑み、計8度のG1挑戦を経て、それでもタイトルは遠かった。


ローレルゲレイロは、5歳を迎えた。

春の大目標、高松宮記念を見据えたローレルゲレイロは、前年と同様に東京新聞杯、阪急杯を経て高松宮記念をめざす。不良馬場に脚を取られた東京新聞杯では13着と大敗を喫したが、阪急杯で2着と巻き返し本番に向けて着実に上昇線を描いていた。

迎えた高松宮記念。長く一線級で戦い続けるローレルゲレイロをファンは3番人気に支持した。絶好の良馬場の下、9度目のG1挑戦が始まった。

ゲートが開く。

ダート短距離でダッシュ力を磨いた大外枠のジョイフルハートが勢いよく飛び出すが、ローレルゲレイロは譲らず、400mに及ぶ逃げ争いを制してハナを奪い切る。最大のライバル・1番人気のスリープレスナイトはローレルゲレイロの直後につけ、虎視眈々と機を伺っている。前半1000m通過33秒1は先行馬には厳しい我慢比べのハイペース。4角を待たずにジョイフルハートがポジションを落とす中、ローレルゲレイロは一心不乱に、17頭を引き連れて直線を迎えた。

ローレルゲレイロの首級を挙げんとライバル17頭が大きく拡がり襲い掛かる。追いかけてきたドラゴンファングを、ウエスタンダンサーを、キンシャサノキセキを振り切り、ゴールを目指すローレルゲレイロをスリープレスナイトが強襲する。

スリープレスナイトは溜めに溜めた力を解放し、あっさりローレルゲレイロを射程に捉える。じわりとその差を詰めると、残り200m地点でローレルゲレイロを捕まえて、ついに半馬身ほど前に出た。

レースを見守る誰もがスリープレスナイトの秋春スプリントG1制覇を確信した。

その時だった。

力尽き飲み込まれたかにみえた青鹿毛の馬体に再び力が宿った。最後の力を振り絞るように、その身を再び、前へ前へと進めていく。

あと100m。頭は高く、脚も上がりつつある彼の身体が再びスリープレスナイトと重なる。

残り50m。気迫に押されスリープレスナイトの脚色が鈍る。

そして次の瞬間。ローレルゲレイロは第39回高松宮記念の覇者に輝いた。

5歳での戴冠は父キングヘイローと同じ。21戦目・11度目のG1挑戦で高松宮記念を制した父と、23戦目・9度目のG1挑戦で高松宮記念を制した息子。

レース振りは違えども、早くから頭角を現した父子は、同じ舞台で、同じ7枠13番から飛び出し、ついに大願を成就したのだった。


ローレルゲレイロはこの後、安田記念とセントウルステークスを経てG1スプリンターズステークスに駒を進める。大敗続きから6番人気と評価を落としていたローレルゲレイロだったが、高松宮記念と同じ7枠13番から飛び出すと、押っ付けて先頭に立ち、主導権を奪う。

前半600m通過32秒8の激流を演出し我慢比べの様相を呈した最後の直線。馬群から飛び出したビービーガルダンが安藤勝己騎手の叱咤に応えて馬体を並べる。脚勢は完全にビービーガルダン。ローレルゲレイロは飲み込まれるかに見えた。

だがそこから、ローレルゲレイロは春と同様、驚くほどの粘り腰を発揮する。並ばれてからの最後の一歩を許さず、両馬の差は詰まらない。同じ脚色のまま鼻面を並べてゴールに飛び込んだローレルゲレイロは、長い長い写真判定の末に春秋スプリントG1制覇を成し遂げた。

この勝利が決め手となり、ローレルゲレイロは同年のJRA賞最優秀短距離馬の称号を手にした。

キングヘイローの背を追うような道程を辿ってきたローレルゲレイロは、ついに父を超える大きな勲章を掴み取り、父の名を高めた。

種牡馬となったローレルゲレイロからは、現時点で自身や父を超えるような産駒は生まれていない。だが出世頭のアイオライトは全日本2歳優駿で2着となり、2つのリステッド競走を制して一線級での活躍を続けている。母の父としての初年度にあたる2020年産も僅か2頭ながらスズハロームが勝ち上がった。

近年、イクイノックスやピクシーナイトの活躍により、キングヘイローの血がフォーカスされている。

ローレルゲレイロの叔母でキングヘイローの仔・ゼフィランサスが産んだディープボンドは母父キングヘイローの代表馬の1頭となった。甥のノースブリッジやタッチウッドが重賞で活躍し、牝系の活力は今なお増している。

種牡馬としては晩年を迎えたローレルゲレイロだが、父として母の父としての奮起を期待したい。なにせ彼は、劣勢を跳ね返し歩みを止めずに大願果たした、父譲りの不撓不屈のファイターなのだから。

写真:かぼす、かず、norauma、ふわまさあき

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