秋の福島開催で行われる伝統の重賞といえば、福島記念である。
福島記念は『荒れるハンデ重賞』のイメージがあるが、2010年〜2019年の10年間を調べてみると、多くのレースで単勝オッズは割れていたものの、3連単の配当が10万円を超えた年は2回しかない。
その中でも、特別目立つのは、2011年の福島記念。
1番人気の単勝オッズは1倍台と、ハンデ重賞とは思えないような圧倒的人気となってた。
未曾有の大震災が東日本を襲った2011年。
各地の競馬場も甚大な被害を受けたが、JRAの競馬場で最も甚大な被害を受けたのは福島競馬場だった。
レースを実施することは不可能となり、春・夏・秋の開催はそれぞれ新潟と中山の両競馬場で代替開催に。
福島記念も、新潟競馬場で行われることとなった。
また、ほぼ毎年のように16頭立てのフルゲートで行われていた福島記念だったが、この年は新潟の芝外回り2000mでの開催となったため、フルゲートの頭数も2頭増えて18頭となり、通常ならば例年以上に大混戦となるはずだった。
しかし、最終的に単勝オッズが10倍を切った馬はたったの2頭だけだった。
その1番人気に推されたのは、4歳馬のアドマイヤコスモスである。
父はアドマイヤマックスで、母はアドマイヤラピス。
さらに、半兄には全日本2歳優駿を制したアドマイヤホープ、日経新春杯を勝ち中山金杯を連覇したアドマイヤフジがいるという、まさに近藤オーナーと橋田調教師ゆかりの血統を持つ馬だった。
アドマイヤコスモスは、前年4月の3歳未勝利戦でデビューし2着となるが、レース中に骨折していたことが判明。復帰する頃には3歳未勝利戦が終了していたこともあり一度地方競馬に移籍すると、わずか1ヶ月で3戦2勝の成績を挙げ、中央に再転入を果たした。
再転入初戦となったのは5月の新潟の二王子特別。上がり32秒9の末脚を繰り出して2着に4馬身差をつけ圧勝すると、現2勝クラスの赤倉特別と京橋特別も勝利し、地方競馬のレースを含め5連勝を達成する。
さらに、休養を挟んだ10月の大原ステークスでは、1分56秒8という好タイムで快勝。
これは、2020年10月現在も京都芝内回り2000mのレコードタイムとなっていて、1986年以降に中央競馬の芝2000mで勝ち馬が記録したタイムとしては史上6位タイ(当時は3位)の好タイムだった。
怒濤の6連勝で迎えた福島記念は、アドマイヤコスモスにとって昇級初戦にして重賞初挑戦。ハンデもトップハンデの馬から1kg差の56kgと見込まれ、自身を除く17頭中10頭が重賞勝ち馬と簡単ではない条件だった。
しかしそれでも、ファンの『遅れてきた新星』への期待は高く、ローカルのハンデ重賞としては異例の、単勝オッズ1.9倍という圧倒的な支持を集めていた。
一方、オッズ5.5倍の2番人気に推されたのはセイクリッドバレー。
5月に同じコースで行われた新潟大賞典で、前年は2着、この年は1着と、このコースでの実績を持っていた。前走の毎日王冠は5着に敗れたものの、勝ったダークシャドウからは0秒2差の惜敗であり、その勝ち馬が次走の天皇賞秋で日本レコードの2着に好走したことも、セイクリッドバレーの人気を押し上げる材料となった。
新潟名物の長い長い向正面の、さらに奥のポケットに設置されたゲートから18頭が勢いよく飛び出す。
ほぼ出遅れのない、きれいなスタートとなった。
まず、内からサンライズベガと、前年の桜花賞を逃げて2着と好走したオウケンサクラが先手を奪う。この日は6週目の開催ということに加え、前夜と昼に雨が降った影響によってかなり馬場が悪化して終日重馬場発表となっており、ほとんどの馬が内から2~3頭分を空けて走っていた。
1番人気のアドマイヤコスモスは、これまでのレースと同様に好位をキープ。一方で、2番人気のセイクリッドバレーは後方4番手を追走していた。フルゲートの18頭立てのレースにも関わらず馬群はほぼ一団で、前から後ろまでは7~8馬身ほどの差のない展開となっていた。
前半800mを通過したあたりで、今度はオールアズワンが先手を奪った。サンライズベガが2番手に控え、マンハッタンスカイが3番手に上がった。そして、いつの間にかセイクリッドバレーが空いた内を通ってポジションを上げ始め、アドマイヤコスモスの直後までポジションを押し上げて3コーナーに入る。
最初の1000m通過は59秒4とこの馬場状態にしては平均より少し早めのペースで流れたが、次の1ハロンは12秒8とペースが落ちて馬群はさらに固まり、4コーナーを回って長い直線に入る手前では、新潟競馬場の外回りコースらしく隊列が横に広がり始めていた。しかし、勝負どころとなるこのあたりでも、アドマイヤコスモスの手応えは良すぎるくらいで、むしろ鞍上の上村騎手は手綱を依然として抑えているようだった。
迎えた直線。
前が塞がりそうになったアドマイヤコスモスだが、瞬時の脚でそのスペースに入り込み、一気に抜け出すことに成功。その勢いのまま、日本一長い直線の序盤で早くも先頭に並びかける。さらに、残り400mを通過してからはジリジリと後続との差を広げ始め、直線半ばでは横一線となった2番手を2馬身ほど突き放した。
しかし、ここからが重賞の舞台。
ゴールまで残り200mを切り、逃げ込みを図って上村騎手が必死に追うアドマイヤコスモスが少しフラつくような素振りを見せた。それを見て追ってきたのがメイショウカンパクとマイネイサベルの二頭。特にメイショウカンパクの勢いが良く、残り100mでアドマイヤコスモスに並びかけるところまで迫ってきた。
──ついに、連勝が止まってしまうのか。
見ている者の多くがそう思った瞬間、アドマイヤコスモスはそこから再度ぐいっと前に出た。
早めのスパートにも関わらず、まだ体力が残っていたのか。それとも、よほど勝負根性と底力が優れているのか。結局、最後はメイショウカンパクに4分の3馬身差をつけて優勝。
これでこの年無敗の5連勝──前年12月の地方競馬のレースも含めると7連勝を、重賞初制覇で達成した。
同時に、これが管理する橋田満調教師にとって16年連続重賞制覇、そして重賞50勝目という節目の勝利となった。
年内はこれが最後のレースとなり、5歳となる2012年はいよいよ大舞台を目指す。そのための足がかりとして選ばれたのは、兄アドマイヤフジが連覇した中山金杯だった。新潟競馬場とは異なる小回りの中山内回りコースではあるものの、福島記念と同じハンデの重賞。斤量も前走からは1kg増に据え置かれ、勢いと実績を重視されたこのレースも、福島記念とほぼ同じ単勝オッズ2.0倍の評価が与えられた。
──しかし。
これまでと同様に好位5~6番手を追走していたアドマイヤコスモスは、3コーナー途中で徐々に失速し、直線入口では最後方まで下がってしまう。何らかのアクシデントが起こったことが予想されたが、結局1着でゴールしたフェデラリストから8秒7離されてゴール板を通過した。診断の結果は、右第3中手骨複骨折。患部はボルト3本で固定されて無事手術は成功し、現役生活を続けることはできなくなったが種牡馬入りも決まった。
しかし、経過観察中に感染症にかかり症状が悪化してしまったアドマイヤコスモスは、残念ながら3月21日に予後不良となってしまったのである。
通算成績は10戦7勝2着2回。
アクシデントが起きた中山金杯以外は全て連対し、最初の2戦の2着以外は7連勝というほぼ完璧な成績だった。それだけでなく、父アドマイヤマックスの後継種牡馬となることが目前だったことも含め、本当に惜しまれる結末となってしまった。
奇しくも、馬名の由来となったコスモスの花が咲く頃、レコードでの勝利と重賞制覇を成し遂げ一気にその名が全国区となったアドマイヤコスモス。福島記念の日が来るたびに、後に種牡馬入りを果たすくらいの大きな実績を残すような『遅れてきた新星』が登場するのか、注目したいところである。
写真:Hiroya Kaneko