2015年、ゴールドシップ引退の有馬記念。ウインズでも驚きの地響きが始まった、白き名馬の"捲り"を振り返る

直線距離では全国一とも呼ばれる札幌の地下街は、全長1.9㎞にも及ぶ。

北はJR札幌駅の北口のさらに先から、南は歓楽街すすきのまで地下鉄2駅分という、札幌中心部を貫く地下通路。その日の私は足早に、北から南へと向かっていた。

すっかり人通りの戻った地下街を、人波に抗うように先を急ぐ。時計は15時少し前。大通公園の下を抜け、狸小路を潜り、地下街の終着地、地下鉄南北線すすきの駅の手前から右手に枝分かれした通路を進み、エスカレータを都合2階分上り入口へ。ガラス張りの向こうに見える吹き抜けの大きなスペースは、早くも熱気でむせ返るようだった。

2023年11月26日、ジャパンカップ。私の目的地は、ウインズ札幌だった。

一度2階に上がり、目当ての馬の応援馬券をさっと購入すると、1階へとんぼ返りだ。

2021年に新装オープンしたウインズ札幌。ギャンブルの色を全く感じさせない、白を基調とした、明るく、柱一つない1階の大型ビジョン前には、世紀の一戦を待ちわびる多くのファンが陣取っていた。改装工事やコロナ禍の自粛などもあり、私がこの場所でレースを観戦するのは、実に5年半ぶりのことだった。

明らかに以前より年齢層が若返った(いや、私が年を取っただけか)観衆のテンションは、さながらパブリックビューイングである。係員の誘導に従い、なんとか映像の見える場所を確保。ほっと息をついた。

優駿18頭の本馬場入場に歓声が上がる中、私は購入した1頭の「がんばれ馬券」を見やる。そして、ふと、思い出した。

──そういえば、あの日も、ここにいたなぁ。

──あの日のような歓声を、今日も聞くことができるだろうか、と。


幾本ものグレーの角柱が視線を遮る。

目の前には4:3の(今思うと)目の粗い大型ビジョンが、16:9で制作された中継映像を、左右両端を切り取った形で放映していた。映し出されていたのは、曇天の中山競馬場である。

2015年12月27日。節目の第60回有馬記念。

話題を集めるのは、このレースをもって引退する、ゴールドシップだった。

3歳、荒れ馬場のさらに荒れた内、信じ難い所から突き抜けてきた皐月賞、向こう正面から順風満帆一気にまくりに出て押し切った菊花賞。そして3コーナー最後方から皐月賞と真逆の大外ブン回しの荒業で歴戦の古馬勢をちぎり捨てた、ただひたすらに強かった有馬記念から3年。

4歳、スタート直後から鞍上渾身の檄に応えてまさかの先行策を決め、ジェンティルドンナ、フェノーメノとの三強対決を圧勝した宝塚記念。そして引退の花道を飾った同父の先輩オルフェーヴルの圧巻のパフォーマンスから1秒5離されるも3着を確保し、秋2戦の惨敗から立ち直りの兆しを見せた有馬記念から2年。

5歳、「動」と「静」の違いはあれど前年のVTRを見るかのような押し切りで史上初の宝塚記念連覇。そして凱旋門賞を経た国内復帰戦でも3着と健在を見せつけた有馬記念から1年。

──現役最終年となった6歳。

史上6頭目となるJRA・GⅠ競走4年連続勝利となった悲願の天皇賞制覇で競馬史に名を刻むと、宝塚記念ではこれまた競馬史に残る暗転を経験。秋初戦ジャパンカップでは小差ながら10着完敗を喫した。そしてゴールドシップは、引退レースとなる、4度目にして最後の有馬記念のゲートに入った。

走るたびに馬体の白さを増していったゴールドシップが足掛け5年の現役生活で積み重ねたGⅠ勝ち星は6つに及んでいた。その前半4つを共に勝ちとった内田博幸騎手が、約2年ぶりに鞍上に復帰。ファンはゴールドシップを、この4年間で3度目となる単勝1番人気に推した。

黒山の人だかりと化したウインズ札幌。柱の影しか身の置き場のなかった私は懸命に首を伸ばしながら、有馬記念のスタートを見つめた。私を競馬のとりこにしたステイゴールドの仔にして、さらに私を競馬の沼に引きずり込んでくれたゴールドシップの、現役最後の雄姿を、その目に焼き付けるために。


ゲートが開いた。ゴールドシップは五分のスタートから定位置ともいえる最後方へ。まずは「まとも」なスタートを切れたことに、安堵の吐息が周囲を包む。

先頭に立ちかけた3連勝中の上り馬ゴールドアクターを制するように、菊花賞馬となった3歳キタサンブラックがハナを主張する。さらに菊花賞3着、3番人気リアファルも外から先団へ。「主な勝鞍:はなみずき賞」が板についてきた愛すべき善戦マン・サウンズオブアース、宝塚記念と天皇賞秋を含む4連勝でトップホースに上り詰めたラブリーデイ、前走エリザベス女王杯を制したにもかかわらず12番人気のマリアライトが追走する。その後ろにアドマイヤデウスだ。

1周目の直線、各馬は淡々と進んだ。

中団前目には内ヒットザターゲット、中にラストインパクト、外からは3歳牝馬ルージュバック。

スタンドからの歓声が、実況中継に乗って札幌まで飛んでくる。

1コーナーから2コーナー。

やや後ろ目から前年のダービー馬ワンアンドオンリー、そして内からもう1頭のステイゴールド産駒オーシャンブルー、ダービーフィズ、そしてスタートやや立ち遅れたトーセンレーヴ、名ステイヤーの素質を開花させつつあった4連勝中アルバートと続く。

馬群は向こう正面へ。

その時、突如として画面の向こう、中山競馬場の歓声が大きくなる。

映像には何も変化はない。「何があった?」と思ったその次の瞬間、大型ビジョンの、見切れた左端から白い馬体が……ヌッと、現れた。

「うおおおお!!!」

「それ」に気づいた札幌の観客から、徐々に地響きが始まった。

1頭だけ馬群の大外に持ち出したゴールドシップと内田博幸騎手が、最後方から一気に進出を開始したのである。

遮るものなき芝の上、あらん限りの帆を広げ、ゴールドシップが前を1頭、また1頭とかわしてゆく。

かわしてゆくたびに、歓声が、地鳴りが、天井知らずにボリュームを増してゆく。私の体の、つま先から脳天にかけてふるえが突き抜けてゆく。

勝利のために、己の道を突き進む。現役最後のレースになっても、ゴールドシップはただひたすらに、ゴールドシップであり続けた。

向こう正面半ばから始まった地響きは、3コーナー入り口、2番手にまで並びかけたゴールドシップの進撃を、マリアライトが外に張って抑えにかかったところまで続いた。時間にして15、6秒。

一瞬の静寂。どよめき。

ここまでか。私は思った。思ってしまった。

実際に、着順としては「ここまで」だった。

最後の直線、再び大歓声が包む。

歓声は、先頭を守り続けたキタサンブラックに、内から外に持ち出して急追するゴールドアクターに、そしてゴール前急追するサウンズオブアースへと、その行き先を変えた。

1着、ゴールドアクター。吉田隼人騎手が馬上で立ち上がり左手を掲げ、雄たけびを上げた。デビュー12年目、悲願のGⅠジョッキーとなった。

2着、クビ差及ばずサウンズオブアース。最もGⅠの頂に迫った瞬間だった。

3着、粘り切れずキタサンブラック。彼の物語は、まだ半ばにも達していない。

そして次々となだれ込む馬群の外、ひときわ白い馬体がゴール板をよぎった。

コーナー通過順(16-16-2-3)という破天荒な競馬をしたにもかかわらず、ゴールドシップは0秒3差の8着に踏みとどまっていた。

嬌声とどよめきが交差するウインズ札幌、私はゴールドシップに「心の中」で拍手を送っていた。足掛け5年、応援させてくれてありがとう。最後まで強さを見せてくれてありがとう。

そして、あなたの仔を、この場で応援できる日が、たくさん来ますように、と。


それから8年。様変わりしたウインズ札幌の、高精細になった大型ビジョンに、府中の、ジャパンカップのレースが映し出されていた。5年半ぶりにここでレースを見つめていた私は、たくさんの変化を感じていた。

まず大型ビジョンの視認性が増したからか、レースを見つめる年齢層が若返ったからか、以前よりも観衆の反応が格段に速くなった。

大逃げのパンサラッサが映し出された瞬間、観客のボルテージが「ドン!」、と一気に駆け上がる。「ワッ!」と、歓声が突き抜ける。

そして最も変わったのが、ゴールを迎えた後である。

文句なしの完勝でレースを制した「現役世界最強」イクイノックスに、そして完走した全18頭に、万雷の拍手が送られる。

コロナ禍で歓声を抑えなければならない中で、その代わりに競馬場で沸き起こり始めた拍手という興奮の発露手段は、競馬観戦の「文化」として、完全に根付いた。

その波に私も便乗していた。

この晴れ舞台に、ステイゴールドの血を引く馬として唯一臨んでいた、ゴールドシップの仔、ウインエアフォルクの健闘に。そして、あの日心の中でしかできなかった、ゴールドシップへの改めての感謝を込めて、あの日の分まで、私は手が真っ赤になるまで、拍手をしていた。

写真:s.taka、枝林応一


ゴールドシップの魅力や強さの秘密、ライバルたちにスポットをあてた新書『ゴールドシップ伝説 愛さずにいられない反逆児』が2023年5月23日に発売。

製品名ゴールドシップ伝説 愛さずにいられない反逆児
著者名著・編:小川隆行+ウマフリ
発売日2023年05月23日
価格定価:1,250円(税別)
ISBN978-4-06-531925-3
通巻番号236
判型新書
ページ数192ページ
シリーズ星海社新書
内容紹介

気分が乗れば敵なし! 「芦毛伝説の継承者」

常識はずれの位置からのロングスパートで途轍もなく強い勝ち方をするかと思えば、まったく走る気を見せずに大惨敗。気性の激しさからくる好凡走を繰り返す。かつてこんな名馬がいただろうか。「今日はゲートを出るのか、出ないのか」「来るのか、来ないのか」「愛せるのか、愛せないのか」...。気がつけば稀代のクセ馬から目を逸らせられなくなったわれわれがいる。度肝を抜く豪脚を見せた大一番から、歓声が悲鳴に変わった迷勝負、同時代のライバルや一族の名馬、当時を知る関係者・専門家が語る伝説のパフォーマンスの背景まで。気分が乗ればもはや敵なし! 芦毛伝説を継承する超個性派が見せた夢の航路をたどる。

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