競走馬にとっての幸せとは何だろう。
それを我々人間が理解することは恐らく難しいものだろうが、少なくとも彼らがこの世に「走ること」を定められて産まれている以上、走り続けられることが幸せであると思いたい。
そんな宿命を抱えて生きるサラブレッドの、まさにお手本と言うべきか。
11歳まで走り、10歳にして重賞制覇。生涯戦績は76戦11勝。
冬枯れの芝を駆け抜ける小倉の最終週には、いつもアサカディフィートの姿があった。
1998年、協和牧場にて生を受けたアサカディフィート。
当初は、同年にクラシックで活躍していた、同じ勝負服を纏うキングヘイローと重ね合わせられていたかもしれない。
しかし、その評価はスタート難で覆る。
ゲート矯正のために去勢手術を受けた彼はクラシックへの出走資格を失った。
2001年6月9日、同期のジャングルポケットがダービーの栄光を掴んだ2週間後、ダートの未勝利戦でようやくデビューすると危なげなく勝利。その後も好走と凡走を繰り返しながら徐々に力をつけてゆく。
そして初勝利から1年後、初めての重賞挑戦となった金鯱賞では格上挑戦ながら5着に健闘。
2003年にはG1、宝塚記念にも挑戦(15着)し、年が明けた中山金杯で29戦目にして重賞初制覇を達成した。
その後も31戦を走り抜き、実に通算61戦目の2007年2月3日。
重賞29戦目にして3度目の小倉大賞典の舞台に立つ彼は10番人気の低評価に猛反発し、直線で大外から有力各馬を一気に差し切り最高齢での平地重賞制覇記録を更新した。
そんな鮮やかな勝利の後は凡走を繰り返し、すっかり冬の走りもなりを潜めていたが、同年秋のOP特別で11頭立て8番人気ながら見事な勝利を遂げ、中山金杯7着を挟んだ次走、4度目の小倉大賞典へ挑む。
2008年2月9日。
10歳となった彼が、自身6度目の小倉の地にいた。
前年と同様のトップハンデ57.5キロに加え、もう10歳。
押しも押されもせぬ、大ベテランだ。
小回りに強いとはいえ、流石に厳しい。しかし馬券からは捨てきれない。
そんなファンの思惑が垣間見える、6番人気の評価に推されていた。
一方、1番人気の評価を受けていたのは前年同様マルカシェンク。
中山記念の後休養し、1年ぶりの実戦となったニューイヤーSを勝った彼は、今ひとつ発揮しきれていないポテンシャルを発揮すべく、ここに挑んできていた。これまでの鬱憤を晴らす1年としたいところ。
さらに、兄にゴールドアリュールを持つ良血ニルヴァーナ、競走馬としてのラストシーズンを迎えたディアデラノビアと人気が続く形でレースを迎えた。
前年同様、ワンモアチャッターのダッシュがつかないスタートで幕を開けると、好スタートを決めたデンシャミチと中村将之騎手がそのまま促して逃げに出る。
流れるようにデンシャミチがそのまま先手を取ると、ワンダースティーヴ、オースミダイドウがそのまま先頭集団を形成。その後ろにニルヴァーナ、マルカシェンクと人気2頭が構え、中団以降にはディアデラノビア、ワンモアチャッター、シルクネクサス、ロジックなど。
そしてその更に後ろ、最後方の定位置にアサカディフィートと中館英二騎手が、前を行く馬達を見ながらレースを進めていた。
淀みなく一団で流れていくレースは、1000m地点を過ぎたあたりで動き出す。
マルカシェンクと福永祐一騎手がじりじりと上昇を開始し、先頭を射程圏内に捉えると、大外から捲ってきたフィールドベアーも先団に取り付いてくる。
そして内を狙ったロジック、ディアデラノビアとは対照的に前年同様外へと持ち出すアサカディフィート。
一団だった馬群は一層凝縮し、4コーナーでは小倉競馬特有の先頭集団がごった返す展開となった。
内へと進路を取った各馬が抜け出す進路に四苦八苦するコーナーで1頭だけ──うまく外に持ち出したアサカディフィートと中館騎手だけ、のびのび走ることができる道が開けていた。
一方で、1番人気のマルカシェンクも絶好機を見つける。左鞭を1発、2発と中館騎手に入れられて脚を伸ばし始めるアサカディフィートの内で、マルカシェンクと福永祐一騎手が満を持して抜け出しを図った。
それは小回りコースの小倉では、必勝ともいえる騎乗だった。
いくら外差しの利く最終週と雖も、抜け出してなお末脚を伸ばす彼らの勝利は決定的に思えた。
──だが、そんな彼らの大外からそれを上回る程の驚異的な末脚で1頭の黒鹿毛が襲い掛かる。
懸命に左鞭を叩き追う福永祐一騎手とマルカシェンクに追い鞭をくれながらなおも伸び続け、追い詰める中館英二騎手とアサカディフィート。
そして、まるで昨年のリプレイを見るかのように直線だけで13頭を撫で切った。
それは10歳らしからぬ若さに溢れた走りだった。
トウショウレオ以来レース史上2頭目となる見事な連覇を成し遂げ、自身が持つ平地重賞勝利最高齢記録を更新するとともに、小倉リーディングを独走中の中館英二騎手にも、初の小倉重賞制覇をプレゼントした。
衰え知らずの老雄。
そんな称号がふさわしいほどに、まだまだやれそうな雰囲気を醸し出していた。
だがしかし、これで燃え尽きてしまったのか、以降の6戦は馬券圏内に入ることなく凡走を繰り返し、明けて11歳、3連覇を掛けて小倉大賞典に望んだが、スタートで出遅れるとそのまま追走に苦労し最下位に終わった。
このレースには同期のジャングルポケット、アグネスタキオンの息子2頭も出走。
彼らとの年の差は6と7──流石に、年齢的な衰えを隠せなかったのだろうか。
4日後、アサカディフィートの引退が発表された。
生まれ故郷の協和牧場トレーニングセンターで、功労馬として繋養されるとのことだった。
彼の重賞での戦いは、長い道のりだった。
始まりは、ツルマルボーイ・エアシャカールとの金鯱賞。
宝塚記念ではヒシミラクル・シンボリクリスエス・ネオユニヴァースと火花を散らす。
ブルーコンコルドやアジュディミツオーらダートの王者達と凌ぎあったかしわ記念。
シャドウゲイトやメイショウサムソンの叩き合いの裏で道営の星コスモバルクと叩きあった大阪杯。
そして、小倉で下したエイシンドーバーやマルカシェンク達──。
列挙するだけでも相当な数の名馬たちと、彼は時代を超えて走り抜いてきた。
何も大きなレースを勝つことだけが、名馬の条件ではない。
この世に生を受け、無事にレースを走り切り、寿命を全うすること。
当たり前の事だが、それがどれほど難しい事か。
そんな事をやり遂げている彼こそ、まさに「無事是名馬」の体現する名馬だろう。
写真:にがりぃ