オグリキャップ 4歳秋の激闘

日本競馬史上最高のスーパースターといえば、オグリキャップをあげる人は多いのではないだろうか。

オグリキャップを語る上でよく『伝説』という言葉が用いられるが、何十万、何百万の人々が実際に目撃したその数々の『伝説』は、言うまでもなく現在からそう遠くはない過去に実際に起きた『事実』だった。

まずは、その数々の『伝説』であり『事実』を、箇条書きにしてみることにする。

  • 目立った成績を残していない父母から誕生した馬だった。
  • 地方競馬の笠松でデビューし12戦10勝。3歳3月から中央競馬に移籍し、重賞6連勝を達成した。
  • その年の秋、タマモクロスに連敗するも、有馬記念でリベンジし初GⅠ制覇を達成した。
  • 4歳時は9月から戦線に復帰したが、秋シーズンだけで6戦した。
  • そのいずれもが名勝負だったが、中でも毎日王冠・マイルチャンピオンシップ・ジャパンカップは、後世に語り継がれる「超」のつくほどの名勝負だった。
  • マイルチャンピオンシップの激闘から、連闘でジャパンカップに出走。世界レコードと同タイムの2着だった。
  • 5歳時は安田記念から復帰し、コースレコードを1秒以上更新して優勝。
  • 秋シーズンは不振に陥るも、引退レースの有馬記念で奇跡の復活。当日の中山競馬場の入場人員は177,779人という不滅の大記録。その大観衆からの「オグリ」コール。

もちろん、これら以外の『伝説』が心の中に残っている方々もいるだろう。

私は、これらに加えて「非常に多くの家庭(特に車の中)にオグリキャップのぬいぐるみがあった」ことを挙げておきたい。レースに直接関係のないことではあるが、今思えばこれこそが、それまではどちらかというと負のイメージとされてきた『競馬=ギャンブル』という考えが改められ、完全に社会に受け入れられたことの象徴的な出来事の一つだったのではないだろうか。

言うまでもなく、バブル景気の絶頂という当時の時代背景が大いに関係していたこともあったと思う。
そこに、地方競馬から出現した野武士のような馬が、激闘の末に中央の強豪達を次々と撃破していく逆転の物語が、日本人の気質・好みによく合ったのだろう。 

その存在は、ぬいぐるみに象徴されるように競馬界のみに留まらないほど大きなものとなり、やがて社会現象となった。人々は、ある意味で人間よりも人間くさいオグリキャップの懸命に走る姿に自らを重ね、熱狂し──時に、涙した。そしてその物語は、引退レースとなったあの有馬記念で完結し『伝説』となり、名実ともに『日本競馬史上最高クラスのスーパースター』の物語となったのだ。

周知の通り、オグリキャップが戦ってきた数々のレースは、スーパースターやアイドルホースという華やかな肩書きとは裏腹に、激闘と苦難の連続だった。シンボリルドルフや後のディープインパクトのように圧勝でGⅠを連戦した訳でもない。大本命で惜敗したレース、抵抗できず大敗を喫したレースもあった。昭和後期から平成初期で顕彰馬に選出された馬の中で、敗れたレース数が「10」というのは多い方だ。ほぼ無名の血統から生まれ、地方競馬から中央競馬に移籍してきた馬ということを考えれば、それはある意味で当然のこととも言える。それでも、雑草のような野武士のようなオグリキャップは、国内外の強豪達を相手に全力で戦い続け、最終的に「22」もの勝ち星を積み重ねたのだ。

そんなオグリキャップの『伝説』としての最大のハイライトは、引退レースとなった有馬記念で間違いないところだが、数々の『伝説』を含む『競走馬としての全盛期』のハイライトは、平成元年・オグリキャップ4歳のシーズンだったように思う。
この年は秋シーズンのみの出走だったが、その間になんと6戦し、いずれもが名勝負であり死闘の連続だった──。


ライバルのタマモクロスをラストチャンスで下し、日本一の座を獲得した有馬記念の翌年。
オグリキャップは、球節の捻挫と繋靭帯炎の治療のため春シーズンを全休し、9月のオールカマーで戦線に復帰した。この年、新たにコンビを組むことになったのは、タマモクロスに騎乗していた南井騎手である。

その復帰戦をレコードで楽勝し順調なスタートを切ると、次走に選ばれたのは毎日王冠だった。
8頭立てという少頭数ではあるものの、その中には天皇賞・春と宝塚記念を連勝してきたイナリワンや、当時中京の2000mで夏に行われていた高松宮杯を快勝してきたメジロアルダンがいた。

迎えた、最後の直線。
満を持して抜け出しを図ったメジロアルダンを、外からオグリキャップとイナリワンが同じ脚色で伸びてきてあっという間に交わしさると、そこからは天皇賞・秋の前哨戦とは思えないほどの壮絶な叩き合いが展開される。スローで見ないと分からないほどの際どい大接戦でゴール板に飛び込んだ2頭の決着は、わずかの差でオグリキャップに軍配が上がった。

激闘はさらに続く。
中2週で挑んだ本番の天皇賞・秋には、イナリワンに加え、同期の菊花賞馬・スーパークリークと弱冠20歳の天才・武豊騎手が待ち受けていた。
レース中盤まではそつのないレース運びを進めたオグリキャップとスーパークリークだったが、最後の直線、スムーズに抜け出したスーパークリークの後ろで、オグリキャップは前が塞がり、3頭分ほど外へ持ち出したため追い出しが遅れてしまう。
それでも、南井騎手の檄に応え懸命に挽回を図ろうと馬場の中央を猛然と伸びるオグリキャップ。
──しかし、時すでに遅し。スーパークリークにクビ差及ばず、有馬記念からの連勝は3でストップしてしまった。

普通なら、ここで次走に選ばれるのは中2週のマイルチャンピオンシップか、中3週のジャパンカップ、もしくは2ヶ月後の有馬記念へ直行というローテーションだろう。
しかし、陣営が選択したのは、マイルチャンピオンシップからジャパンカップへの連闘という、漫画やドラマ、はたまたゲームでもなかなかないような、前代未聞のローテーションだったのだ。

秋4戦目となった、マイルチャンピオンシップ。
そこでオグリキャップを迎え撃ったのは、安田記念の覇者バンブーメモリー。
その背には再び武豊騎手の姿があった(調教師も父の武邦彦師)。

戦前の予想としてはオグリキャップの断然有利、ジャパンカップの前にここは負けられないだろうというのが大半の見立てであり、単勝オッズはバンブーメモリーの4.0倍に対し、オグリキャップは1.3倍となっていた。

序盤は、ダッシュがつかなかったものの挽回し、中団やや前につけたオグリキャップに対して、その2馬身後ろをバンブーメモリーがスムーズに追走する展開となった。しかし、オグリキャップは久々のマイル戦に戸惑ったのか手応えは終始良くないように見え、勝負どころの坂の下りでも南井騎手は手綱を押しっぱなしだった。
そんな大本命馬を、いつの間にか外から涼しい顔で交わしていくバンブーメモリー。これが、生粋のマイラーとの差なのか、2頭は対照的な手応えで最後の直線を迎えた。

オグリキャップが馬場の真ん中から最内へと誘導される間に、バンブーメモリーは外から内1頭分の進路を空けて手応え抜群のまま先頭に立ち、あっという間に1馬身半ほどリードをとった。
残り200mを切ってもそのリードは変わらず、どうやら脚色が鈍りそうな気配はない。

もはや、これまでか──。

大部分のファンは、そこで半ば諦めたに違いない。
それでも、大本命として負けられない南井騎手は前走同様に右鞭を連打し、それに応えるように残り100mを切ってからようやくオグリキャップのエンジンに火がついた。
そこからみるみるうちに差が詰まり、ちょうど2頭の馬体が合ったところがゴールだった。
スローでも分からないような、究極の大接戦。

結果は、内からほんのわずかオグリキャップが差しきっていた。奇跡の大逆転勝ちだ。想像を絶するようなプレッシャーを感じていただろう南井騎手は、勝利騎手インタビューで涙声になりながら「勝って当たり前の馬に乗っても勝てたのは嬉しい。こないだは負けましたから。オグリに借りはまだ半分しか返せてないですけど、来週のジャパンカップで倍にして返したいと思っています」と力強く語った。

そして、その激闘からわずか7日後──。

オグリキャップは、本当に府中のパドックに姿を現した。
馬体重の増減はなし。1週間前の歴史に残る激闘に加えて、今回は関東への遠征というのに信じられないようなタフネスぶりだった。単勝人気では、1番人気こそ天皇賞・秋で惜敗を喫したスーパークリークに譲ったが、オグリキャップも僅差の2番人気でスタートを迎えた。

ゲートが切られると、まずイギリスのイブンベイが先頭に立った。
大方の予想では、逃げると思われていた芝2400mの世界レコードホルダーで「アメリカの超特急」の異名を持つホークスターがそれを追い、その後にニュージーランドのホーリックスが3番手、そこから4馬身差で日本の2頭、スーパークリークとオグリキャップが併走する。当年の凱旋門賞馬キャロルハウスは、その2頭をぴったりマークする形で6番手を進み、前年の覇者でアメリカのペイザバトラーは後方10番手を進んだ。

向正面に入る頃には先頭から最後方までかなり縦長の隊列となっていたため、前が相当に速いペースで飛ばしているのは明白だった。前半の1000m通過は58秒5。想像のはるか上をいく、当時としてはとてつもないハイペースとなっていた。
そこから、大きく馬順は変わらないものの、3コーナーに入ると後方の馬たちが追撃を開始し、馬群は再び固まって4コーナーを回る。

直線に向くと、先行した2頭に変わってホーリックスが先頭に立ち、リードを2馬身ほど取って逃げ込みを図る。キャロルハウスは失速し、スーパークリークも伸びを欠いている。
そんな中、馬場の中央をただ一頭、灰色がかった芦毛の黒い帽子が、真一文字に伸びてきた。芦毛の黒帽……。

オグリだ!!

きっと、多くのファンはレース前からこの光景を信じていただろう。
その一方で、あまりに過酷なローテーションでの出走ゆえ、もしかすると今回は好勝負は望めないかもしれないという気持ちにもなっていたのではないだろうか。

しかし、現実に目の前でオグリキャップは差し足を伸ばし、先頭との差をぐんぐん詰め、まさに今ホーリックスを捕えようとしている。この秋、何度も見てきた南井騎手の右鞭の連打に対し、なかなか日本ではお目にかかれないランス・オサリバン騎手の水車ムチが唸る。

追うオグリか、逃げるホーリックスか。

しかし、その懸命の追い上げ虚しく、オグリキャップがホーリックスをクビ差まで追い詰めたところにゴール板があった。

オグリキャップ、惜しくも2着。

最後まで2頭が馬体を完全に並べることはなかったが、それでも歴史に残る2頭のマッチレースとして、今なお語り継がれているレースを私は他に知らない。それほど、見応えのある素晴らしい叩き合いだった。そして、2頭がゴール板を過ぎたすぐ後、電光掲示板を見た者すべてがもう一つ驚愕の事実を目にすることになる。監修の視線が、タイムに釘付けとなる。

2.22.2!!

それは、従来のコースレコードを2秒7も更新する世界レコードだった。
もちろん、ホーリックスは文句なしに強かった。しかし、まだ外国からの遠征馬が強かったこの時代に、驚異的な世界レコードが日本の競馬場で計時され、それと同タイムで日本のオグリキャップが、GⅠからの連闘というおよそ考えられないような厳しい条件を跳ね返して2着に入ったのだ。
その姿に、また多くの人々は心を打たれた。

この後、さすがに疲労がピークに達してしまったのか、連覇をかけて挑んだ有馬記念は5着と敗れてしまい、短くも激動の4歳シーズンを終えたオグリキャップは翌年も現役を続行することとなる。

休み明け初戦の安田記念、従来の記録を1秒1更新するコースレコードで快勝したが、そこから大本命として挑んだ宝塚記念でよもやの2着に敗れてしまうと、秋は一転してかつて経験したことのないようなスランプに陥ってしまう。

ぶっつけで挑んだ天皇賞・秋で初めて掲示板を外す6着に終わると、ジャパンカップではこれも初めて経験する二桁着順の11着。脚の故障がまだ完治していないことや体調不良、前年秋の数々の激闘、年齢から来る衰えなど様々な意見があったが、いずれにせよ次走の有馬記念が引退レースとなることが陣営から発表された。

もはや、オグリもここまでか。
いや、でもきっとオグリなら……。

その前年にジャパンカップで願ったことを、有馬記念の前に再び願ったファンは少なくなかったに違いない。

そしてその願いを──夢を、あの17万を超える大観衆の前で本当に実現してしまうところが、オグリキャップが不世出の日本競馬史上最高のスーパースターたる所以である。

※馬齢は現在の表記方法で統一してあります

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