ジャングルポケット~第三の敵を打ち破り、府中の杜に轟いた咆哮~

ジャングルポケットの魅力は、どこにあるだろうか。

傷つき倒れた先達の意思を継いで、クラシックの勲章を勝ち取った栄光。
古馬の強者どもに立ち向かい、府中の杜に勝利の雄叫びを上げた若駒の雄姿。

多様な魅力を持つ名馬であることは間違いないが、彼の横には常に”第三の敵”がいたようにも感じられる。そこがまた、ジャングルポケットの魅力を引き立てているのだ。

ジャングルポケット。

1998年5月7日、北海道・安平町のノーザンファームにて生まれた。父はトニービン。母はダンスチャーマー(母の父ヌレイエフ)。馬主は齊藤四方司氏(4歳秋、吉田勝己氏の名義に変更)。管理トレーナーは栗東の渡辺栄調教師。担当厩務員は星野幸男厩務員。主戦騎手は渡辺厩舎所属だった角田晃一騎手。

上記の齊藤オーナー・渡辺厩舎・角田騎手には、一頭の駿馬をめぐるひとつの縁があった。

幻の三冠馬、フジキセキ。

1994年8月20日、新潟競馬場にて一頭の若駒がデビューした。名をフジキセキという。馬主は齊藤四方司氏、管理トレーナーは栗東の渡辺栄調教師、担当するのは星野幸男厩務員。そう、デビュー戦の鞍上こそ違えど、のちのジャングルポケットと同じ布陣だった。父は当時、初年度産駒が旋風を巻き起こしつつあったサンデーサイレンス、母はミルレーサー(母の父ルファビュリュー)。

フジキセキはサンデーサイレンスの初年度産駒の一頭で、サンデーサイレンス産駒の大将格と思われていた。そんなフジキセキのデビューは1200mの新馬戦。鞍上に蛯名正義騎手を迎え、2着に8馬身の差をつけ圧勝した。

2戦目のもみじステークスからは角田晃一騎手が手綱を取る。そこでは後の日本ダービー馬であるタヤスツヨシを2着に従えて、馬なりのままレコードで勝利した。そして迎えたGⅠ朝日杯3歳ステークス(当時)。一番人気に推されたフジキセキは、ゴール前では最後方から追い込んだ二番人気スキーキャプテンに並ばれかけるものの、そこからまた伸びる勝負根性を見せてクビ差で勝利した。三歳時の戦績は、3戦3勝。関係者はみな翌年のクラシックシーズンを意識せずにはいられなかったことだろう。

明けて3月。フジキセキの始動戦は中山競馬場2000mのGⅡ弥生賞となった。そこでも、苦手と思われる重馬場でありながら、2着ホッカイルソーに2馬身半差をつけて堂々の勝利。皐月賞と同舞台での勝利に、関係者のボルテージもますます高まる一方であったに違いない。しかし、皐月賞を目前に控えた3月24日、左前脚に屈腱炎を発症していることが判明。当時、屈腱炎は今以上に深刻な症状であり、フジキセキについても即時の引退及び種牡馬としてのスタッドインが発表された。クラシックでの戴冠を期待していた陣営・関係者の落胆はいかばかりか、想像に難くない。

ジャングルポケット、始動。
そしてライバルたちとの邂逅。

そしてフジキセキが幻の三冠馬となってから5年が過ぎた2000年の夏、ジャングルポケットは北海道でデビューを迎えた。

札幌競馬場で開催される芝1800mの新馬戦は、将来的にクラシックを目指すであろう逸材たちが集結する。その日も、8頭立ての少頭数ではあったが、粒ぞろいのメンバー構成となっていた。千田輝彦騎手を鞍上に迎えたジャングルポケットは5番人気。人気ではサンデーサイレンス産駒のメジロベイリー(後のGⅠ朝日杯三歳ステークス勝ち馬)や、タガノテイオー(後のGⅠ朝日杯三歳ステークス2着馬)に水を開けられていたが、ゲートが開くと2,3番手からの上手な競馬を披露。直線を向くと先行馬をかわし、詰め寄ってきたタガノテイオーを抑えて真っ先にゴールへ飛び込んだ。

新馬戦を勝った勢いのまま、陣営は次の目標をGⅢ札幌三歳ステークス(当時)と定めた。いきなり2戦目で迎えた重賞、前回と同じ千田輝彦騎手で臨んだレースでは、更なる評判馬が待ち構えていた。翌年の牝馬クラシックで二冠馬に輝くことになるテイエムオーシャンである。新馬戦で先着したタガノテイオーも虎視眈々と重賞ウィナーの座を狙っていた。新馬戦と同じ5番人気に甘んじたジャングルポケットだったが、蓋を開けてみればレコードタイムでのゴール。タガノテイオーは2着、テイエムオーシャンは3着に沈んだ。

重賞ウィナーとなったジャングルポケットは、賞金を加算したこともあり、比較的余裕を持ったローテーションを組むことができるようになった。

最大目標は、東京2400mの日本ダービー。東京競馬場を得意とする父トニービンの血が強力に後押ししている。陣営は次走を慎重に吟味したうえで、暮れのGⅠ朝日杯三歳ステークスではなく、選手権距離を意識する若駒が集結するGⅢラジオたんぱ杯三歳ステークス(当時)に出走する決断をくだした。当初より予定されていた通り角田晃一騎手を鞍上に迎えた2戦2勝のジャングルポケットだったが、人気では3番人気となった。

1番人気になったのは、2戦2勝の外国産馬のクロフネ。「翌年の(外国産馬に開放された)日本ダービーを勝つ」馬として名付けられたというクロフネは、その雄大な馬体で他馬を圧倒していた。

レースはスターリーロマンスとマイネルエスケープが先行争いを演じたもののペースは上がらず、1000メートルの通過は61秒8。淡々とした展開の中でクロフネとジャングルポケットが5番手を追走する。やがて3コーナーに入ると久々のレースで手応えが悪くなったかジャングルポケットの角田騎手の手が動きはじめ、クロフネは先頭に立つ勢いで直線へ入った。しかし、クロフネには前走までのような伸びはなく、またジャングルポケットは末脚を爆発させるまでもたついていたのに対して、その二頭と並ぶ間もなく、一頭の栗毛の駿馬が凄まじい切れ味でゴールへと駆け抜けていった。

それが、人気の上ではクロフネ・ジャングルポケットに挟まれる2番人気だったアグネスタキオン。日本ダービー馬・アグネスフライトの全弟である。

ジャングルポケットのクラシックロードに立ちはだかる大きな壁が、姿を現した瞬間であった。

皐月賞での敗北、ライバルの離脱…。
そして、運命のダービーへ。

年が明けて2001年。ジャングルポケット陣営は始動戦に、トニービン産駒と相性の良い東京競馬場で実施されるGⅢ共同通信杯を選んだ。圧倒的1番人気に推されたジャングルポケットは、レースでは終始外々を追走し、4コーナーも大外を回って先頭に立つと、直線で外にヨレながらもその末脚を爆発させて圧勝。東京競馬場に強いトニービンの血を再確認するとともに、大目標である日本ダービーと同じ舞台の試走を白星で飾った。

そして舞台を中山競馬場に変えて迎えた、GⅠ皐月賞。単勝1.3倍の圧倒的1番人気に推されたのは、河内洋騎手とアグネスタキオンのコンビであった。ジャングルポケットは単勝3.7倍の2番人気で続く。
レースではアグネスタキオンが好発から好位の4、5番手をキープして優位にレースを進めたのに対して、最内枠だったジャングルポケットはゲートが開いた途端に大きく躓き出遅れてしまった。4コーナーを回って直線に向くとアグネスタキオンがスパート。その外を回してジャングルポケットが伸びる。しかし、馬群を抜け出したアグネスタキオンの勢いは止まらない。ジャングルポケットが追いかけるも差を広げられ、逆に中団から伸びてきたダンツフレームにかわされてしまう。真っ先にゴールへと飛び込んだのはアグネスタキオンだった。2着には3番人気のダンツフレーム。ジャングルポケットは3着に敗れてしまったのだった。

しかしジャングルポケット陣営は、直ちに「日本ダービーへ!」と目標を切り替えた。いくらアグネスタキオンが強くとも、トニービンの血が後押しする東京競馬場ならば逆転は可能ではなかろうか──。
しかし、二頭の決着は思わぬ形でついてしまう。
アグネスタキオンが屈腱炎を発症、クラシック戦線から離脱したのである。フジキセキの時と同じく屈腱炎での離脱(後に引退)。戦わずして去っていったライバルを、陣営はどんな思いで見送ったのだろう。

アグネスタキオン不在での開催となったGⅠ日本ダービー。ジャングルポケットは堂々の1番人気で東京競馬場に迎え入れられた。枠順は皐月賞と打って変わって大外18番枠。2番人気はNHKマイルカップで強烈な末脚を披露してGⅠ馬の仲間入りをした外国産馬のクロフネ。3番人気に皐月賞2着のダンツフレームが続いた。

レースはテイエムサウスポーが大逃げを打ち、ジャングルポケットは中団の後方、クロフネはそのジャングルポケットをマークする形。3コーナー、クロフネが外に出して徐々に好位に接近していく。4コーナーを回って直線。クロフネが馬場の真ん中を割って伸びようとしている。ジャングルポケットはさらにその外に持ち出した。クロフネの鞍上・武豊騎手のアクションが大きくなる。しかし、クロフネは伸びない。逆に角田騎手の叱咤に応えて、ジャングルポケットがダンツフレームと共に伸びてくる。クロフネを交わした。ジャングルポケットが伸びる。二馬身、三馬身。クロフネを置き去りにして先頭に立つ。必死で食い下がるダンツフレームを従えて、ジャングルポケットが馬場を切り裂いた。まるで、無念の涙を呑んだ同じ勝負服のフジキセキの後押しを受けたかのように──。

そして直線の坂を上って、ジャングルポケットがゴールに飛び込んだ。2着はダンツフレーム、クロフネは5着。普段は冷静な角田騎手のガッツポーズが、ジャングルポケット陣営の喜びを加速させた。21世紀最初のダービーウィナーの誕生だった。ウイニングラン。喜びを爆発させる角田騎手に、スタンドの観衆が大歓声で応える。ジャングルポケットもまるで大歓声に応えるかのように、激しく口を割って天高く吠えた。一度、二度。ジャングルポケットの咆哮は府中の杜に響き渡った。

ジャングルポケットのダービーでのパフォーマンスは非の打ちどころのないものだった。だが、口性のない競馬ファンの一部からは揶揄する言葉が出てきてもいた。曰く「ジャングルポケットは強い。それは認める。しかし彼がダービー馬になれたのはアグネスタキオンが故障で離脱したからだ。ダービーのゴールに飛び込んだジャングルポケットの2馬身先にはアグネスタキオンがきっと走っているはずだ」。

仮定の言葉でしかないにせよ、ライバルの離脱により恩恵を受けたとされるのはジャングルポケット陣営にとっても本意ではあるまい。競馬に「たら」「れば」を唱える無粋さは分かった上で、それでもダービーでの両者の対決を見たかったという無念さが生み出した怨念のようなものか。ジャングルポケットはその身の内に、”第一の敵”当該レースに出てくる他馬、”第二の敵”己自身に加えて、”第三の敵”アグネスタキオンの幻影を宿していて、常にレースではその三つの敵との戦いが付きまとうことになった。中でもアグネスタキオンの幻影は、実体がないだけに最も手ごわい敵と言えるかもしれない。

札幌記念、菊花賞での敗北。
そして、伝説的名馬テイエムオペラオーとの激突。

ダービー馬になったジャングルポケットは、夏の北海道に姿を現した。一年ぶりの札幌競馬場、GⅡ札幌記念である。ダービーに勝った馬がその年の札幌記念に出走してくるのは極めて異例である。初めての古馬との戦いであり、夏の上がり馬との対決だった。秋の大目標である菊花賞へ向けたローテーションとの兼ね合いもあろうが、一日も早く古馬との戦いに勝って、内なるアグネスタキオンを黙らせたいという意図は果たしてなかっただろうか。しかし、札幌記念を制したのは夏の上がり馬・外国産馬エアエミネムであり、ジャングルポケットは3着に敗れた。

3着と苦杯をなめた札幌記念であったが、始動戦としては悪くはなかった。しかし、名実ともに三歳の王者に君臨するために、クラシックの残り一冠・GⅠ菊花賞はどうしても欲しいタイトルであった──内なるアグネスタキオンの幻影を振り払うためにも。

京都競馬場に15頭の優駿を集めて、菊花賞は行われた。
レースはマイネルデスポットの逃げで始まった。エアエミネムが引っ掛かり気味に追走する。その後ろに控えるマンハッタンカフェ。ジャングルポケットはその後方。出遅れたアグネスゴールドがさらに後方で、殿にダンツフレームが位置している。坂を上り、下って最後の直線。スローを利してマイネルデスポットが逃げ込みを図る。エアエミネムもジャングルポケットも激しく追い込みをかけるが、マイネルデスポットの逃げ脚が止まらない。京都競馬場の大歓声が悲鳴に変わる。他馬が伸びあぐねている中、ただ一頭、黒い閃光が、逃げ切らんとするマイネルデスポットを鋭く交わしてゴールへと駆け抜けていった。マンハッタンカフェ。新たな長距離王者の誕生だった。ジャングルポケットは、マイネルデスポットを交わし切れず、さらにはエアエミネムにも及ばず4着となった。

菊花賞はやはり、勝ち馬マンハッタンカフェとの距離適性の差が出たのだろう。マンハッタンカフェは夏の北海道で富良野特別、阿寒湖特別と2600mの長距離戦を連勝してきているスタミナ豊富なウマ。この後に有馬記念GⅠと翌年の天皇賞・春GⅠを勝っていること、母系のドイツの重厚な長距離血統にリーディングサイヤーのサンデーサイレンスという配合であることからも、長距離の適性は歴然である。一方ジャングルポケットは父トニービンに母の父ヌレイエフ、どちらかというと中距離寄りだ。また、トニービン産駒の特徴として東京競馬場が得意である点が挙げられていることからも、菊花賞の次の目標としてジャングルポケット陣営が東京競馬場のGⅠジャパンカップを選択したのは当然のことのように思える。

──しかし、そうした適性面などを凌駕して、別の考え方・捉え方もできる。

ジャングルポケットは菊花賞を勝つことができなかった。自分の内なるアグネスタキオンの幻影を払拭することができないままでいる。どうすればアグネスタキオンの幻影を打ち破ることができるのか……。それは誰が見てもアグネスタキオン級に強大な敵と戦い、倒すことなのではないだろうか。

そう、その仮想敵こそが前年に8戦8勝という前代未聞の戦績を上げ、その年でも天皇賞・春を勝っている古馬の絶対王者・テイエムオペラオーだった。

トニービンの血が後押しする東京競馬場で、ダービーを快勝した2400mの距離で、絶対王者であるテイエムオペラオーを倒す。そうして初めてアグネスタキオンの幻影から解放されるのではないだろうか。

……そんな思惑があったかどうかは別として、ジャングルポケット陣営は次走にジャパンカップを選んだ。

快晴の空の下、ジャパンカップの日はやってきた。
観客が鈴なりの東京競馬場に、歴戦の古馬たちが、海外からの刺客たちが、そしてそうした強豪たちに交じってジャングルポケットが姿を現した。鞍上は、短期免許で来日しているオリビエ・ペリエ騎手。前の週のGⅠマイルチャンピオンシップでもゼンノエルシドを駆って優勝に導くなど、勢いも十分。年上の古馬たちの胸を借りるといった布陣であるが、これで敗れたら仕方のない背水の陣と言うようにもとれなくもない。果たして、テイエムオペラオーは王者の風格。和田竜二騎手を背に堂々の入場。前走、土砂降りの中行われたGⅠ天皇賞・秋で年下のアグネスデジタルに苦杯を喫したダメージなど微塵も感じさせない。ナリタトップロード、メイショウドトウ、ステイゴールドなど、歴戦の古馬たちも虎視眈々とタイトルを狙っている。そんな中でジャングルポケットも、唸るような気合乗りで堂々と入場した。

ゲートが開いた。ティンボロア・ウイズアンティシペイションと、外国産馬2頭がハナを主張。その後方に絶対王者テイエムオペラオー。ジャングルポケットはテイエムオペラオーをマークするようにその後ろにつける。ステイゴールド、メイショウドトウ、ナリタトップロードといった古豪たちも思い思いの位置につけてチャンスを窺う。やがて、ペースを嫌ったトゥザヴィクトリーが外々をまくって先頭に襲いかかった。ペースが一気に早くなる。競馬が動き出した。4コーナーを回る。先頭はトゥザヴィクトリー、そしてティンボロアとウイズアンティシペイション、その後ろからインディジェナスとダイワテキサス。テイエムオペラオーが外目に持ち出し先頭を窺う。そのさらに外にステイゴールド、そしてジャングルポケット。直線に向いてテイエムオペラオーが馬場の中央を駆けて先頭に立った。最内を突くメイショウドトウ。外から末脚を伸ばすステイゴールド。テイエムオペラオーが加速する。リードが半馬身、1馬身と広がる。メイショウドトウもステイゴールドも追いつけない。

──オペラオーだ!

スタンドの視線がテイエムオペラオーの雄大なストライドへと集まった時、そのさらに外から彼がやってきた。

──ジャングルポケット!

テイエムオペラオーは決して止まってはいないのだが、その外を伸びてくるジャングルポケットの脚色がいい。激しく頭を上下させ、前肢を高く振り上げ振り下ろす。どちらかといえば不格好と言えるかもしれないフォームで、前を行くテイエムオペラオーとの距離をみるみる詰めていく。ついに射程圏にとらえた。大観衆のボルテージは最高潮に達する。ゴール直前、並びかける。

……交わした! 勝ったのはジャングルポケット!

鞍上でペリエ騎手が派手なガッツポーズをする。スタンドからの大歓声が馬と人とを包み込む。死力を尽くして倒した敵は、テイエムオペラオーであり、内なるアグネスタキオンであったのかもしれない。

ジャングルポケット、歓喜のウイニングラン。ペリエ騎手が馬上で拳を振り上げるなか、鼓舞されてジャングルポケットも頭を上げて激しく口を割って天高く吠えた。勝ったのは自分だ、テイエムオペラオーを──アグネスタキオンを破ったのは自分だと誇示しているかのように。そして、まるであのダービーの日のように。
ジャングルポケットの雄叫びは大観衆の中に、府中の杜に響いていった。


ジャングルポケットの物語は、そこからもまだ続いた。

ダービー・ジャパンカップ制覇が評価され年度代表馬を獲得したジャングルポケットだったが、あのジャパンカップ以降、ひとつも勝てないままに引退しているのも事実である。

だからと言ってその戦績は、悲観するようなものではない。ジャングルポケットは全力をもって、彼の前を走る敵に挑み続けた。それらの敵はある時はフジキセキであり、アグネスタキオンであり、テイエムオペラオーであったということだ。”第一の敵””第二の敵”そして”第三の敵”に挑み続けていたのである。

そして二つのGⅠの栄冠を勝ち取った誇りを勲章に、彼は引退を迎えたのだと考えている。

もう誰も、ジャングルポケットのことを「ライバルの離脱に恵まれたダービー馬」なんて言わない。

彼が彼自身の力で、口性のない奴らを黙らせてしまったのだから。

写真:かず

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