クロコスミア~名は体を表す~

競馬ファンになると、競馬そのもの以外にも意図せず自然に身につく知識がたくさんあると、個人的には思っている。

例えば「的場」「南井」「池添」「御神本」「張田」そして「武」といった、なぜか競馬関係者に特に多いように思われる珍しい苗字があげられる。

そして、レース名に冠せられている「皿倉山」「開成山」「五頭連峰」といった地元では親しまれている山の名前や、「和布刈」「桑折」「許波多」といった初見ではとても読めない難読地名の数々。

──そして「花の名前」を覚えた。

「秋の京都に胡蝶蘭満開! ファレノプシスです!」

98年秋華賞、馬場鉄志アナウンサーの名実況で、私はファレノプシスの意味を知った。

フジノパーシア、ミオソチス、ルピナス……。競馬史を知るべく記録を遡っては、花の名前が付けられた名馬たちがその名を刻んでることを知った。

そして私が四半世紀脳を焼かれ続けているステイゴールドの血を引く馬の中にも、アイスフォーリス、メロディーレーンといった初めて聞く花の名前があった。花弁が1枚多いライラックのことを「ラッキーライラック」と呼ぶことも競馬で学んだ。

クロコスミアもそんな「花の名前が刻まれた」一頭である。
花言葉は「気品ある精神」。

そして、2017年10月。

その姿は府中にあった。


ステイゴールド産駒で重賞級の活躍を見せる牝馬は、得てして「小さくてタフ」である傾向があるように感じる。

テイエムオーシャン・カワカミプリンセスといった名牝、そしてダート王ホッコータルマエらを輩出した、オレンジとライトグリーンの縦縞のメンコでお馴染みの西浦勝一厩舎からデビューしたクロコスミアも、多聞に漏れず2歳6月函館でのデビュー戦は398キロだった。

その後3歳、オークストライアルまでほぼ休みなく10戦、彼女は400キロ前後の小さな馬体で奮闘し続け、2つの勝ち星を挙げた。そしてその間挑んだ5つの重賞レースのうち4つで、彼女は出走馬中最多のキャリアを重ねていた。

3歳の夏を休養に充てたクロコスミアは新たな鞍上に岩田康誠騎手を迎え、一つの転機を迎える。

「逃げ」である。

秋華賞トライアル、ローズステークスで最内1番枠から好スタート好ダッシュを決めたクロコスミアはキャリア11戦目にして初めてコーナー通過順に「1」を刻み込み、軽快に逃げた。直線に入ってもその勢いは全く衰えず、オークス馬シンハライトの、結果的に競争生活最後となった豪脚に最後の1完歩で屈したものの堂々の2着でオープン入り。そのここぞの逃げ脚、粘り腰は彼女の代名詞となった。

それから1年余り。重賞で跳ね返され続け、4歳夏の降級(降級制度廃止は翌々年2019年のこと)で1000万下(現2勝クラス)から仕切り直しとなったクロコスミアは函館でレコード勝ちを収める。さらに札幌ではワールドオールスタージョッキーズで、世界の手練れを向こうに回して「逃げて上がり最速」の完勝で、再びオープン馬の地位に返り咲いた。

第65回府中牝馬ステークス。
クロコスミアにとって、跳ね返され続けた重賞タイトルへの、実に11度目の挑戦であった。


2011年にGⅡへ昇格して7年目の府中牝馬ステークス。
この年も秋の頂点を見据え、実績馬が顔をそろえていた。

前年の秋華賞でクロコスミアをかわし去ったヴィブロスはこの春ドバイターフも勝ち取って、ここが復帰戦。
当然のように、1番人気に推される。

2番人気はクロコスミアと同じステイゴールド産駒のアドマイヤリード。
こちらはこの春ヴィクトリアマイルで前を行く2頭の隙間をかち割り、GⅠホースの栄誉に浴していた。

前年の同レース覇者で続くエリザベス女王杯も勝ち取ったクイーンズリングが3番人気。クロコスミアは──こちらもステイゴールド産駒である──ワンブレスアウェイに続く5番人気であった。

人気上位馬にとっては本番を見据えた一戦、一方でクロコスミアにとっては夏の北海道で培った逃げ脚が一線級に通用するか、試金石となる一戦。その火ぶたが切って落とされた。

ゲートが開いた。

好発決めたクロコスミアが、スーッと前に行く。競りかけるものは無し。過去に逃げ切り実績のあるトーセンビクトリーやゲッカコウもすんなり好位に収まった。

逃げるクロコスミアも、続く各馬も、ほぼ全馬の鞍上が手綱をがっちり抑えながら、14頭はまさに「淡々と」ひと固まりとなって向こう正面を進んでいった。ヴィブロスは好位集団の内に控え、クイーンズリングは後方外、外。アドマイヤリードはその内内で行き場を見出せずにいた。

スローペースだ。

1000m通過は61秒9。稍重であることを考慮しても、明らかにゆったりとした流れだった。

4コーナーに差し掛かっても、クロコスミアの手綱は抑えられたまま。鞍上は2年半前の桜花賞、後続に金縛りを懸けたかのように1000m62秒5の超スローペースを創り上げてレッツゴードンキとともに逃避行を演じた岩田康誠騎手、その人である。

残り400。岩田騎手が右鞭を抜いた。溜めに溜めていた末脚が、先頭を走るクロコスミアから解き放たれる。続くのはトーセンビクトリー。好位内内のヴィブロスはゲッカコウを外に押しやるように2頭分外に進路を求めた。早々に大外に持ち出して前を追うクイーンズリング。進路が空かず最後方にまで位置を下げたアドマイヤリードはさらに外。

残り200、岩田騎手が右鞭を一発、クロコスミアにくれる。
そして押す、押す、押す。

外からかわしにかかるヴィブロス。末脚ややにぶったクイーンズリングをかわして大外からアドマイヤリードの遅ればせながらの豪脚が冴える。

クロコスミアの逃げ脚は最後まで衰えなかった。2着ヴィブロスに首差、3着アドマイヤリード、4着にクイーンズリングと、人気上位3頭のGⅠホースを従えて、クロコスミアは11度目にして初めて重賞のゴール板を先頭で通過した。上がり3ハロンは33秒7。「まんまと逃げ切った。」素人目にもそう映った。

そしてこれが彼女にとって最後の重賞勝ちとなった。

強健な性質で繁殖力も旺盛、耐寒性にも優れており、湿地から乾燥地まで様々な栽培環境に耐えます。

──「ガーデニングの図鑑」クロコスミア より引用

この丈夫さ・広がりやすさから、周辺の生態系を壊すことがあるため、栽培が禁止されている地域もあります。

──「趣味時間」注意が必要なほどよく増えるクロスコミアの育て方 より引用

耐寒性の強さに加え、飛んできた種でも発芽する特徴がある、とても生命力が高い花。

──「暮らし~の」増えすぎ注意!モントブレチアの育て方講座!肥料をあげすぎないのが花を咲かせる肝!(モントブレチアはクロコスミアの別名) より引用

クロコスミアという「花」について検索をかけると、花言葉の「気品ある精神」とはやや離れた、その「強さ」「タフさ」が殊更に強調されていて改めて驚かされる。

馬のクロコスミアもご存じの通り、最初で最後の重賞勝ちを頂点として儚く散りゆくような乙女ではなかった。

その後、足掛け3年、牝馬限定GⅠに4度出走したクロコスミアは9番人気2着(首差)、9番人気2着(首差)、11番人気3着(首+1/2馬身)、そして7番人気2着(1馬身1/4)。GⅡGⅢで踏まれても踏まれても、ここぞのGⅠ大舞台では必ず花を咲かせて見せた。……満開とはいかなかったが。

1986年以降、古馬混合GⅠで3度以上複勝圏内に入った牝馬は、GⅠホースを除けばクロコスミアのみ。
「史上最もGⅠに近づいた牝馬」と言っても過言ではない。

また5歳時には、春にドバイターフ、暮れに香港ヴァーズに挑戦した。父ステイゴールドと同じドバイと香港2つの舞台を踏んだステイゴールド直仔は、クロコスミアとステイフーリッシュの2頭のみ(2022年10月現在)。さらには香港遠征で11キロ減らした馬体重を、明け6歳休養明けの中山牝馬Sで15キロ増やして復帰してくるその「強健な性質」たるや、まさに「クロコスミア」そのものではないか。

名は体を表す。まさにクロコスミアに相応しい格言と言えよう。

こうなると「旺盛な繁殖力」にも期待したい。6歳暮れの有馬記念で殿に散ってしまったものの、堂々と競走馬としての日々を完遂したクロコスミア。繁殖として初年度には同期のサトノダイヤモンドが種付けされ、牝馬が生まれた。翌年にも父サトノダイヤモンドの牡馬が誕生している。

クロコスミアの忘れ物であるGⅠタイトルを、その生命力を受け継いだ子どもたちが持ち帰ってくれる──そんなことを夢想しながら、この稿を終わりとしたい。

写真:かぼす

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