牡馬のクラシック戦線は、例年、競馬ファンからの高い注目が集まる。
とりわけ、2005年皐月賞当日の中山競馬場には、例年以上に多くの熱い眼差しが向けられ──その先には、1頭の眩いサラブレッドの姿が映し出されていた。
ディープインパクトである。
前年の12月。ディープインパクトは、阪神競馬場で行われた芝2000mの新馬戦でデビューを果たした。2年前にこの世を去っていたものの、依然として圧倒的な地位を築いていたサンデーサイレンスを父に持ち、全兄には、この年クラシックの有力候補にもなったブラックタイドを持つ良血。加えて、トップジョッキーの武豊騎手が騎乗する点も評価され、その単勝オッズは1.1倍となっていた。
デビュー時から“ディープインパクトはディープインパクト”だったことを、端的に表す数字である。
結果は、2着に4馬身差をつける圧勝。前半1000mの通過が、1分6秒0のスローだったとはいえ、使った上がり3ハロンの末脚は33秒1。中央4場では小回りとされる阪神コースで記録されたこの上がりは、驚異的な数字だった。しかも、このとき2着に下したコンゴウリキシオーは、2ヶ月後にきさらぎ賞を勝つなど、後に重賞を4勝し、安田記念で2着となる馬。決して、弱い馬を相手に演じたパフォーマンスではなかったのだ。
数々の名馬の背を知る武豊騎手は、常々「もっとすごい馬が現れるのでは」と思っていたそうで、デビュー前のディープインパクトの調教に跨がった際に、もしかしたら……と、予感めいたものを感じていたらしい。
そして、このレースで、予感が確信に変わったと後に語っている。
乗り手にも、それほど鮮烈な内容を与えるデビュー戦だった。
それから1ヶ月後。“出世レース”の若駒ステークスに出走したディープインパクトは、乗る側だけでなく、見る側にもさらに分かりやすい、新馬戦をはるかに上回るような、とてつもない“衝撃”を与えた。
この時は、テイエムヒットベとケイアイヘネシーが序盤から競り合い、デビュー戦から一転して、前半1000mが59秒3の速い流れ。実に、前走を6秒以上も上回るハイペースである。ほぼ最後方に位置していたディープインパクトとの差は、向正面で、距離にしておよそ60~70m、秒数にしておよそ4秒の差があった。勝負どころの坂の下りに差し掛かると、さすがに、超のつくほど縦長だった隊列は徐々に詰まりはじめる。それでも、残り600mの標識では、依然として先頭までは20馬身の差。4コーナーを回るところでも、10馬身以上の差があった。
直線に向くと、ケイアイヘネシーがテイエムヒットベを交わして先頭に立ったが、それも束の間。
既に、4コーナーで加速が十分についていたディープインパクトが、残り100m地点で、並ぶ間もなく先頭に立った。そして、一瞬にしてリードを大きく広げ、最後は流したまま5馬身差でゴールイン。
2戦目にして、多くの競馬ファンがこれまでに見たことのないようなレースを披露し、最初の“衝撃”は、瞬く間に全国へと広まったのだった。
その衝撃があまりに強すぎたためか、続く弥生賞で、アドマイヤジャパンとよもやの接戦を演じたことは、むしろ意外だった。しかし、その2着馬は、前走で同じ舞台の重賞・京成杯の勝ち馬。さらに、3着に下したマイネルレコルトに至っては、朝日杯フューチュリティステークスを勝った2歳王者である。そんな強豪達を相手に、4コーナーで大外を回りながら、鞭を使わずまとめて負かしたディープインパクトに対する評価……すなわち、牡馬クラシックの圧倒的な最有力候補という評価は、当然のように皐月賞当日まで変わらないままだった。
迎えた、皐月賞。
最終的なオッズは1.3倍を示し、2001年の勝ち馬アグネスタキオンと並ぶオッズだった。単勝支持率の63.0%は、50年以上も前にトキノミノルが記録した73.3%に次ぐ、史上2位の支持率。そういった意味でも、史上“最も注目が集まった”皐月賞のスタートとなったが、ここで、誰もが予想だにしていなかったハプニングが起きてしまう。
ゲートが開き飛び出した一完歩目で、あろうことか、ディープインパクトはバランスを崩し、大きく躓いてしまったのだ。それは、武豊騎手が落馬寸前となるほどの大きな躓き。
デビュー以来、後方からレースを進めることが「お決まり」ではあったものの、後方2番手からのレースを余儀なくされてしまった。
向正面に入ると、皐月賞らしく縦長の展開となり、逃げるビッグプラネットまでは、およそ20馬身の差。しかし、1000mの標識を待たずして、ディープインパクトは早くも中団の直後、2番人気のマイネルレコルトの直後までポジションを押し上げた。
3コーナーでは、しばらくそのポジションをキープしていたが、迎えた勝負所の3~4コーナー中間。ローゼンクロイツやアドマイヤフジなど、後方に構えていた各馬とともに再び前との差を詰めると、4コーナーでは、先頭から3馬身のところまで進出した。すると、ここで気を抜くところが見られたため、生涯初めて肩口に鞭を一発入れられ、最後の直線へと入った。
その鞭がきっかけとなったか、直線に向くと、ディープインパクトの走りは、さらに勢いを増す。ストライドが伸びて、首をグッと下げるような走りとなり、残り200m標識を前にして、早くも先頭へと躍り出た。
同じサンデーサイレンス産駒のシックスセンスとアドマイヤジャパンの2頭が、後続の集団から抜け出して先頭を追ったが、坂を上ったところで、逆にディープインパクトが突き放すと、この日もゴール前では流す余裕を見せ、最後は2馬身半差の完勝。
三冠ロードの、まさに“一歩目”で躓いたものの、そのアクシデントを全く感じさせず、17頭をまるで寄せ付けないような内容。まずは一冠、皐月賞のタイトルを手中に収め、若駒ステークスに続き、第二の“衝撃”を、見る者に与えたのだった。
レース後の勝利騎手インタビューで、直線での素晴らしい走り、凄さを具体的に、と問われた武騎手は
「パーフェクトですよ。走っているというより飛んでいる感じなので。本当に強いです」
と回答。
以後、この“飛ぶような走り”という表現は、ディープインパクトの走りを表す代名詞にもなった。ただ、その表現が、ディープインパクトに対して公の場で使われたのは、この時が初めてで、それ以前の日本競馬史の中でも、“飛ぶような走り”と形容された馬は、おそらくいなかったのではないだろうか。
2020年には、皐月賞の前哨戦で自身も勝利した弥生賞にその馬名が加わり『弥生賞ディープインパクト記念』へとレース名が変更された。
平成以降の現代競馬において、重賞に馬名が冠されることは、非常に珍しいことである。そして、その変更初年度に産駒のサトノフラッグが武豊騎手とともに勝利を収め、6度目の父子制覇と、産駒による5連覇という偉業が成し遂げられた。
今にして思えば、中山競馬場は、ディープインパクトにとって国内唯一の敗戦を喫した競馬場。続くダービーでの勝ちっぷりや、翌年の天皇賞でのパフォーマンスを見れば、間違いなく、直線の長い大回りの競馬場のほうがディープインパクトには合っていただろう。
また、この時以上に楽な内容で圧勝した、引退レースの有馬記念が全盛期だとするならば、完成を迎えるのはまだまだ先のはずである。そんな、自身にとっておそらく得意とはいえない競馬場。そこを未完の状態で、なおかつ落馬寸前の出遅れでの、このパフォーマンス──。
続くダービーで、史上最高となる73.4%(2位のハイセイコーとは6.8ポイント差)の単勝支持率を得たことを思うと、皐月賞での圧巻のパフォーマンスが、この後に沸き起こった“ディープインパクトフィーバー”に繋がる導火線の役割を果たしたのではないだろうか。
それほどまでに、鮮烈で“衝撃”的なレース内容だった。