
有馬記念やジャパンカップとはまた違う、独特の華やかさで盛りあがるのが、ダービーDayだと私は思っている。そのダービーDayに向けて、カウントダウンが頭の中で聞こえるのがダービーWeekだ。
日本ダービーは、がんばれば何回かチャレンジできる有馬記念とは違う。2025年ダービーであれば、2022年に日本で生まれたサラブレッド7780頭が、18頭の出走枠を目指すサバイバル戦のフィナーレ。しかも出走チャンスは一生に一度限り。前年6月を起点に前々週の最終登録まで、「選ばれし18頭」に向けて壮絶な勝ち抜き戦の結果発表が、ダービーDayである。

今年もダービーDayを、それぞれの思いを込めて待っている人たちがいる。それは、18枠に入りそうな推し馬のことであり、毎年ダービーが来ると蘇る、好きだった馬のことかもしれない。ダービーDayにまつわる出来事や、当日一緒に過ごした人たちのことを思い出す機会にしている人たちもいるだろう。
それぞれの「ダービーDay」。今年は、どんな思い出と記憶を紡いでいくのだろうか…。
「松ちゃん」のダービーDay~「18着の誇り」
松ちゃんは、「ダービーDayは競馬民にとって大晦日だ!」といつも言っている。
安田記念集週に始まる新馬戦が正月で、ダービーDayに終了する、未勝利戦を除く3歳限定戦をもって1年が終わるという。そしてダービーDayのメインレース、日本ダービーは、紅白歌合戦になるらしい。「その年を勝ち抜いた18頭の精鋭たち」は紅白出場歌手に値する。だから松ちゃんは、昼休みの恒例イベント、日本ダービー騎乗ジョッキー紹介が大好きだ。1枠から順番にウイナーズサークルへ騎手が登場するたび、大歓声を上げる。初出場の若手騎手には「落ち着いて乗れよ~」の励まし声援も送る。

イベントが終わると松ちゃんは、新聞を見ながら黙々とダービー予想をして、レースが始まると石のようになって無言観戦している。そして全頭がゴール板を通過した後、しんがり通過の馬を確認すると、「〇〇〇、あっぱれー!」と最下位入線馬の名前を何回も叫ぶ。
「ダービーでビリの18着といっても、世代の中で18位だから、何も恥ずかしくない」
松ちゃんのこの言葉が好きで、私もいつしか最下位入線の馬に注目するようになった。
2024年の17着(1頭取り消し)は、ビサンチンドリーム。日本ダービー後、菊花賞5着を経てサウジ遠征でレッドシーターフH(GⅢ)に優勝。天皇賞(春)ではヘテンドールにクビ差まで迫り、「日本ダービー出走馬」に恥じない活躍を続けている。
一昨年のしんがり入線馬は、スキルヴィング。ついに青葉賞優勝馬からダービー馬誕生か…?と、思わせる好馬体のパドック周回。2番人気に支持され、ルメール騎手の自信たっぷりの表情も印象的だった。

ところが…直線では先頭集団に取りついたものの失速、最下位でゴール板を通過する。そしてゴールを過ぎると倒れてしまった。急性心不全を発症し、倒れて動けなくなったスキルヴィングを見て、松ちゃんは泣きながら「あっぱれ~」を叫んだそうだ。これがダービー出走馬の誇り、「17着・スキルヴィング」(1頭落馬で競走中止)を日本ダービー史に堂々と刻んだ。それは、自分自身への意地だけではない。自分が出走したことで出走できなかった19番目の馬…いや、その後に続く、何百頭,何千頭の日本ダービー出走断念馬たちのためにも、完走して着順を刻みたかったに違いないと思うのだ。
松ちゃんは今年のダービーDayも、18番目にゴール板を通過した馬に向けて「あっぱれ~」を叫ぶだろう。もし、その声を耳にしたら、一緒に叫んであげて欲しい。
「帯広在住の夢さん」のダービーDay~「夢叶わず…プリンシパルS」
夢さんの2025年ダービーDayは、プリンシパルステークスが全てだった。彼の一口出資馬、レイニングがダービー出走のラストチャンスに臨んだが1番人気も敗退。レイニングの日本ダービー出走への道が途絶えると同時に、夢さんの今年のダービーロードは終了する。

夢さんは、レイニングにどうしても日本ダービーへ出走してもらいたかった。国枝厩舎最後のダービー出走を託された、「最期の切り札」というポジションだけではない。レイニングの父は皐月賞馬サートウルナ―リア、母は桜花賞2着馬クルミナル。父も母も、夢さんの出資馬で、いわば彼の一口馬主ライフでの「夢の結晶」のような馬だった。昨年秋の新馬戦で、次元の違う強さで勝ち上がったレイニング。体質が弱く、新馬勝ち以降プリンシパルステークスが2走目というハンデも、能力で克服してくれると信じていた。帯広⇔羽田の航空券も押さえ、サートウルナ―リアが出走した2019年以来の現地観戦を楽しみにしていたのだが…。

サートゥルナ―リアは2019年の日本ダービーで1番人気だったが、直線伸びを欠き4着に敗れた。単勝1.6倍の支持を得て二冠確実と言われ、満員のスタンドで先頭ゴールを待っていた夢さん。先行したロジャーバローズが先頭ゴールした時、緊張していた体から力が抜けて行った。そしてサートウルナ―リア騎乗のレーン騎手が、最終の目黒記念でルックトゥワイスを先頭ゴールさせた時、言葉にならない悔しさがこみ上げる。あの時のダービーDayで、スタンドに置いてきた悔しさを歓喜に変えるためにも、レイニングと日本ダービーで夢を見たかった。
2025年のダービーDayは、同じサートウルナーリア産駒のファンダムに一票投じたいと思っている。そして2026年のダービーDayに向けて、新たな気持ちでスタートするつもりだ。
「由香里さん」のダービーDay~「ゴール板過ぎの芝生エリア」
「私は、人生の第4コーナーを回った女だから…」が口癖の由香里さん。
由香里さんの思い出のダービーDayは、タニノギムレットが優勝した2002年。当時、付き合っていた彼と一緒に、武豊騎手の華麗な差し切りを見届けた。
由香里さんの彼は大手企業のサラリーマン。30半ばを迎える由香里さんにとって、結婚も心の片隅で意識していた存在である。二人で一緒にダービーDayを過ごすのは5回目、このまま爺さんと婆さんになっても一緒に日本ダービー観戦するというのが、由香里さんのささやかな夢だった。
キャリアを積んでいくことで、次第に過酷な業務になって行くのだろうか? 彼はどんどん生気がなくなり無口になったように思えて、由香里さんは心配していた。競馬観戦もつまらなくなったのかな…? それとも私のことが…?
彼の馬券パターンは、メインは馬連500円×4点ボックス、それ以外のレースは300円×4点ボックス。堅実な彼は、決してそのパターンを崩さない。由香里さんの方が大胆に馬券勝負するという対照的なもの。
2002年のダービーDay、午前中から口数少なくビール片手に競馬新聞を見ている彼。突然、意を決したようにビールを飲み干し、口を開く。
「俺、ダービーは、タニノギムレットとシンボリクリスエスの馬連1万円買う。で、当たったら今の会社辞めて、俺の人生変えてやる…」
突然の爆弾発言に由香里さんは動揺し、競馬どころでは無くなる。
「当たっても会社辞めないよね? このまま一緒だよね?」
彼は返事することなく、黙ってレースを見ていた。
タニノギムレットが外から抜け出す。馬場中央からシンボリクリスエスが伸びる中、内で粘るマチカネアカツキが2着に残ってくれることを心の中で祈った由香里さん。しかし、シンボリクリスエスはマチカネアカツキを頭差抑えていた。

その日の夜、彼が払戻金を全部使いたいと言い出し、朝まで新宿の街を飲み歩いた。
由香里さんは酔いが回り出すと、いつも2002年のダービーDayの話をする。その後、彼とどうなったのかは口を閉ざしてしまうが、彼とダービー観戦したのは2002年が最後だったようだ。
日本ダービーだけは、どんなことがあっても現地観戦を優先するという由香里さん。ディープインパクトもドウラメンテもマカヒキも…、由香里さんはコール板を過ぎた芝生エリアで優勝シーンをみている。そのエリアは、いつも彼と日本ダービーを見ていた大切な場所だったということを、昨年のダービーDayのあと、私に話してくれた。
次なるダービーも、由香里さんは、ゴール板過ぎの芝生エリアで日本ダービーを観戦するはずだ。
もしかしたら、由香里さんは、ダービーDayでの「奇跡の再会」を待ち続けているのかもしれない。
競馬の楽しみ方はさまざまだ。3歳馬の頂点を決する日本ダービーも、100人いれば、100通りの思いを込めて、レースを見守っている。18頭の馬たちが作り上げる2分30秒足らずのドラマを、今年は誰と、どこで見るのだろうか。
それぞれのダービーDay。
3歳馬にとって一生に一度の大舞台。スタートした18頭が全頭無事にゴール板を通過することを祈りながら、それぞれの思いを乗せてダービーDayを楽しみたいものである。
2025年6月1日。今年のダービーDayが開演する。
Photo by I.Natsume