エルコンドルパサーが見据えた「その先」 - 1998年ジャパンカップ

現役最強布陣のジャパンカップ

ジャパンカップの立ち位置が少しずつ変化しているように思う。

 ジャパンカップが国際招待レースとしてスタートした頃は、海外招待馬の「場所貸し」的なレースが続いた。日本馬は1984年にカツラギエース、翌年にはシンボリルドルフと連勝する。しかしその後6年間は、再び外国馬の独壇場となり勝利を攫って行った。その間、タマモクロス、オグリキャップなど、当時の国内最強馬が優勝馬に迫るものの捕まえることはできず、もどかしいレースが続く。

 その後、日本馬がジャパンカップで「会心の」勝利を飾ったのは、父シンボリルドルフが優勝してから7年後。1992年にルドルフの息子トウカイテイオーが、直線先頭に躍り出たナチュラリズムを鮮やかに差し切り、ようやく留飲を下げる。以降、1990年代は外国馬と日本馬の一進一退。勝てなかった年でも、ヒシアマゾン、ファビラスラフィン、エアグルーヴの牝馬たちが、優勝した海外の超一流馬を慌てさせる走りで、国際招待レースらしい盛り上がりを見せてくれた。

 2000年代に入ると様相は一変し、日本馬が上位を独占するようになっていく。実際に外国馬が優勝したのは2005年のアルカセットが最後。デットーリ騎手がハーツクライとの一騎打ちを制して以降は、日本馬の独壇場。次第に「府中2400mの最強馬決定戦」的なレースポジションとなっていく。令和になるとアーモンドアイ、コントレイルがラストランにジャパンカップを選び、それを見送る現役最強馬たちも参戦して感動的なレースを展開した。今や、府中競馬場の年間での最終レースとなるジャパンカップは、有馬記念とは一味違った現役最強馬決定戦。この時期に来日する外国人ジョッキーたちの「技」と「駆け引き」も、最強馬決定戦の直線を更に盛り上げている。

 今のジャパンカップも面白い。しかし私は、90年代の「外国馬の大きな壁」にぶち当たっていく日本馬たちの戦いが、いつまでも記憶に残っている。日の丸を背負ってゲートから飛び出していく彼らを応援することが、国際招待レースの醍醐味。ジャパンカップに出走した日本馬たちこそ、「メモリアルヒーロー」そのものである。

PLAYBACK1998

 90年代でいつのジャパンカップが心に残っているかと問われれば、即答で「1998年のエルコンドルパサー」と答える。1か月前の「悲しみ」を忘れるために集結した、残された最強馬たち。外国馬6頭を迎え、日本馬の「意地と誇り」で上位を独占したジャパンカップは、至高のレースだったと思う。

 その1998年。

 世の中は、経済成長が戦後最大のマイナスを記録。企業のリストラ、倒産で失業率は最悪となり雇用不安が高まった。物価下落は企業の収益を悪化させ、「平成大不況」の文字が躍り出す中で、元気を与えてくれたのがスポーツ界。横浜高校の松坂大輔投手が決勝戦でノーヒットノーランを記録して春夏連覇を達成した高校野球。サッカーのW杯初出場に湧き、プロ野球セリーグでは横浜ベイスターズが38年ぶりの優勝で日本シリーズも制した。「ハマの大魔神」はその年の新語・流行語大賞の年間大賞にも選ばれている。

 競馬の世界も話題たっぷり。

シーキングザパール、タイキシャトルが初の海外G1を制した夏。

古馬G1戦線は、前年の皐月賞、東京優駿を制した二冠馬サニーブライアンが不在。クラッシック戦線で惜敗していたメジロブライトやシルクジャスティスなどが5歳(現4歳)になって台頭し、4歳時は話題先行だったサイレンススズカも5歳になるとメキメキ頭角を現してきた。

4歳陣は史上最強世代といわれ、スペシャルウイークが東京優駿を制して、武豊が念願のダービージョッキーとなる。二冠馬セイウンスカイ、良血馬キングヘイローらと共にクラッシック戦線を盛り上げた。

エルコンドルパサーの登場

 エルコンドルパサーは前年の11月、府中のダート1600mでデビューした。出遅れて最後方から追走も、上がり3F37.2秒の脚でごぼう抜き。後に京成杯を制するマンダリンスターに7馬身差をつけて派手にデビュー戦を飾った。ただ、エルコンドルパサーのデビュー戦がそこまで話題とならなかったのは、同じ外国産馬のグラスワンダーがいたからだろう。グラスワンダーは9月の新馬戦を楽勝すると、4連勝で朝日杯3歳ステークスを制している。

 翌1998年1月の中山で2戦目を迎えるエルコンドルパサー。ダート1800mのレースで、スタートこそ出遅れたものの3コーナーからスパート。直線は独走状態となり9馬身差で2連勝を飾る。破壊力たっぷりのレースを続けたエルコンドルパサーは一躍注目される存在となった。しかし、当時はまだまだダートでは認められる存在にはならない。芝での活躍があってこそ初めて注目される時代。同期の外国産馬同士の比較でも、グラスワンダーよりは過小評価されていた。ただ、エルコンドルパサーの凄さを一番感じていたのは、鞍上の的場均騎手だったのかも知れない。何故なら的場騎手はグラスワンダーの主戦ジョッキーでもあり、両馬の背中を知っているだけに、彼の素質を認めていたはずである。

 芝での真価を問うため、3戦目に選んだのは共同通信杯4歳ステークスで、初めて重賞へ駒を進める。しかし、芝での適正を試すためのレースは、降雪によりダートに変更になった。

 ダートのエルコンドルパサーならば、たとえ重賞レースであろうとも無敵。単勝1.2倍の支持に応え、1分36秒9のタイムで2着ハイパーナカヤマを突き放した。

 芝の適性が解らぬまま重賞ウイナーとなったエルコンドルパサー。しかし、このころから的場騎手がどちらを選ぶかの「究極の選択」が、スポーツ新聞にも取り上げられはじめた。両馬は外国産馬のため春の最大目標はNHKマイルCになってしまう。今後トライアルレースも含めて、両馬が同じレースで走るシーンが確実にやって来る。

 きっと身体が2つ欲しいであろう的場騎手、NHKマイルCに向けて早めに騎手を確保しておきたい二ノ宮調教師。決断を迫られた的場騎手は、悩み抜いた末にグラスワンダーを選択する。しかし、その決断を覆したのはグラスワンダーの故障発生。3月に入りグラスワンダーは右後肢を骨折し、春の出走は絶望となってしまった。

 結局、的場騎手はエルコンドルパサーの鞍上に据え置かれ、トライアル戦のニュージーランドトロフィーで、初の芝レースにチャレンジした。

 朝日杯3歳ステークス2着マイネルラヴ、フラワーステークス優勝のスギノキューティーを相手に、初の芝&距離短縮(1400m)の不安を払拭する快勝。続くNHKマイルCも4戦無敗のトキオパーフェクト、ラジオたんぱ杯3歳ステークス優勝馬ロードアックスら、骨っぽいメンバーを倒してG1馬の称号を得た。

 もう誰もエルコンドルパサーを過小評価するものはいない。グラスワンダーと肩を並べる、世代№1の外国産馬として、誰もが認める存在になっていった。

毎日王冠で出会った凄いやつ!

 夏を休養に充てたエルコンドルパサーの始動は毎日王冠から。秋の最大目標をマイルチャンピオンシップに置いて調整を進めていた。

 秋の府中の開幕を告げる毎日王冠。1998年の毎日王冠は豪華メンバーが集結した。今年5連勝で宝塚記念制覇まで上り詰めた、サイレンススズカ。3月の無念の骨折から7か月、復帰戦となるグラスワンダー、5歳になって安定してきたサンライズフラッグなど9頭が出馬表に名を記した。

 サイレンススズカはようやく大人になり、レーススタイルを確立させた。2月のバレンタインステークスから重賞3連勝し、宝塚記念も逃げ切った。2戦目の弥生賞で、ゲートの下をくぐって逃走したサイレンススズカの面影はどこにも無い。良質の筋肉を栗毛で纏った、美しいサラブレッドが返し馬に入っている。

 グラスワンダーも無駄な肉が全く無く、落ち着いた面持ちで返し馬をこなす。骨折前に究極の選択でグラスワンダーを選択した的場騎手が、手綱を取っている。

 エルコンドルパサーは蛯名騎手を鞍上に迎え、この毎日王冠に臨んだ。

 毎日王冠はG2の格付けにも関わらず、13万人を超える観客が府中競馬場に詰めかけた。スター性の高いサイレンススズカの登場、グラスワンダーVSエルコンドルパサーの4歳外国産馬の無敗同士の頂上決戦。話題に事欠かない毎日王冠は、サイレンススズカが1.4倍という圧倒的な支持を得る。続いてグラスワンダー、エルコンドルパサーは5.3倍の3番人気でレースを迎えた。

 スタートと同時に、武豊騎乗のサイレンススズカは飛ばしていく。1000m通過57秒7のハイペースで進むものの、4コーナーを回ってもその勢いは止まらない。エルコンドルパサーは2番手集団でサイレンススズカを追うもののなかなか差を詰められない。先に仕掛けたのがグラスワンダーで、4コーナー手前でサイレンススズカに並びかけようとする。

直線に入って、脚色が鈍ったグラスワンダーに替わり、エルコンドルパサーが追走するが、最後まで馬体を合わせることなく、2馬身半の差でサイレンススズカに続いた。3着のサンライズフラッグには5馬身の差をつけていた。

 エルコンドルパサーが初めて経験した、自分より前に馬が走っているゴールシーン。馬体を合わせることすらままならず、しかも自分の必死の追い込みに対して、楽そうに逃げている栗毛の怪物の後姿をしっかりと目に焼き付けた。

 サイレンススズカという名の新しいライバルが、エルコンドルパサーの目標になったことは間違いないだろう。

ジャパンカップのゴールの先に見えたもの

 エルコンドルパサーの次走はマイルチャンピオンシップで、先輩外国産馬のタイキシャトル、シーキングザパールに挑戦するものと思われていた。しかし、エルコンドルパサー陣営は再び府中コースを選択し、ジャパンカップに出走することが発表された。

 1998年のジャパンカップは、目玉となる外国招待馬の辞退が相次いだものの、前年のブリーターズカップ・ターフ優勝馬チーフベアハートを筆頭に6頭が出走してきた。日本馬はスペシャルウイーク、エアグルーヴ、シルクジャスティスのG1馬たち。エルコンドルパサーにとってその力を試すのに充分なメンバーが揃う。

 ただ、エルコンドルパサーがもう一度対戦したかった「目標のあの馬」は、ジャパンカップのゲートに入ることが叶わなかった。

1番人気は岡部騎手が騎乗するスペシャルウイーク、2番人気はエアグルーヴとなり、エルコンドルパサーは3番人気で続く。

15頭一斉のスタートで始まった第18回ジャパンカップ。

エルコンドルパサーは勢いよく先頭に立つ。

「もし、あの怪物がいたら、すぐに先頭に立つだろう。今度は離されないように追いかけて行こう。」

そんなことを考えながらエルコンドルパサーはスタートダッシュを見せたのだろうか。やがて大外から出遅れたサイレントハンターがエルコンドルパサーを追い抜き先頭に立つ。ドイツのウンガロが追いかけ、エルコンドルパサーは内の三番手で1コーナーを回る。

向正面に入るとサイレントハンターが二番手以下を離し、自分のペースに持ち込む。エルコンドルパサーは二番手集団の先頭に付け、スペシャルウイーク、エアグルーヴ、ステイゴールドを従えて「チーム日本馬」を形成。外国馬の大将格、チーフベアハートは後ろから2番目。

サイレントハンターは快調に飛ばし、3コーナーの坂を下るあたりでは4馬身の差をつける。3コーナーを回り大欅を抜けると差は7馬身以上に広がっていた。

もしも、あの栗毛の怪物が出走していたら、サイレントハンターと同じような位置で4コーナーを目指して行ったはずだ。エルコンドルパサーには縦長の展開になった先に、その姿が見えていたのかも知れない。

エルコンドルパサーは先頭を追う。毎日王冠でグラスワンダーが追いかけたように、二番手に立って差を詰めていく。直線に入るとサイレントハンターとの差がどんどん縮まり、エアグルーヴを内にエルコンドルパサーが先頭に躍り出た。

200mのハロン棒を通過し、坂を登り切るとエルコンドルパサーがエアグルーヴを突き放す。スペシャルウイークが伸びてくるが三番手まで。日本馬3頭がゴールを目指す後ろから、ようやくチーフベアハートが追ってきた。

エルコンドルパサーは先頭に立っても、その先を追うように全力で駆けている。エアグルーヴとの差がどんどん広がり、2馬身以上開いたところがゴール板。蛯名騎手の右手が大きく挙がり、エルコンドルパサーは、我に返ったようにスピードを緩めた。

 西日を浴びて、優勝レイを懸けたエルコンドルパサーが本馬場に戻って来る。ジャパンカップ優勝馬として、誇らしげに記念撮影に収まっていた。

エルコンドルパサーの国内での戦いはジャパンカップがラストランとなる。秋は2戦のみの予定で有馬記念には出走せず、翌年の海外遠征に備えた。

その有馬記念を制したのは、雌雄を決した同期の外国産馬、的場騎手が騎乗したグラスワンダーだった。


翌年フランスで4戦し、凱旋門賞でモンジューに惜敗したエルコンドルパサーは、ジャパンカップの日を引退式に選ぶ。スペシャルウイークが遠征してきたモンジューを倒して優勝するのを見届けると、種牡馬として繋養される社台スタリオンへ旅立っていった。

Photo by I.Natsume

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