近代の日本競馬において最も影響を及ぼしている種牡馬といえば、サンデーサイレンスだろう。
1994年に産駒がデビューすると、わずか2世代で中央競馬のリーディングサイアー1位の座を獲得。自らは惜しまれつつ2002年にその生涯を閉じるが、2007年まで実に13年連続でリーディングサイアー1位の座を守り続け、あらゆるジャンルのGⅠ馬・重賞馬を送り続けた。
また、母の父としても多くの名馬を送り出している。
後継種牡馬に関しても、100頭を遙かに超えているが、自身がリーディングサイアーの座を2008年から2年間譲り渡したのは、後継種牡馬のアグネスタキオンとマンハッタンカフェであり、2012年からは、やはり後継種牡馬のディープインパクトがリーディングサイアーの座に君臨した。
そのサンデーサイレンスの初年度産駒といえば、どの馬を思い浮かべるだろうか?
朝日杯3歳ステークス(現朝日杯フューチュリティステークス)で父に最初の産駒GⅠ制覇をプレゼントするも、クラシックを前に故障で引退してしまったフジキセキ。
サンデー産駒として最初のクラシック勝ち馬となったジェニュイン。
牝馬で最初にGⅠを制したダンスパートナー。
サンデー産駒が6勝することになる日本ダービーを最初に制したタヤスツヨシ。
なんとも、悩ましいところだ。
しかし、そんな同期達がクラシックで大活躍しているシーズンを、度重なるケガで棒に振ってしまったものの、その後見事に復活し、やがてはグランプリホースの座に上り詰めた『遅れてきた天才』マーベラスサンデーもまた、初年度産駒として忘れてはならない1頭だろう。
今回は、そのマーベラスサンデーが重賞を初制覇し、一躍その名を全国区にした1996年のエプソムカップを振り返りたい。
マーベラスサンデーは1992年5月31日、名門早田牧場に生を受けた。早田牧場といえば、ビワハヤヒデ・ナリタブライアン兄弟をはじめ多くのGⅠ馬を生産し、種牡馬としてもブライアンズタイムを導入した牧場である。
母のモミジダンサーは10戦2勝という成績だったが、祖母モミジはカナダの3歳および古馬牝馬のチャンピオンという名馬であった。
栗東の大沢真厩舎に入厩したマーベラスサンデーは、デビュー前から古馬を調教でちぎるなどして評判となっていたが、8月の調教中に右膝を骨折してしまう。さらに、翌9月に発症した疝痛で馬体重が480kgから390kgにまで減少し、一時は生死をさまようというアクシデントに見舞われた。
それでも、年が明けた2月のダート1800mの新馬戦を2番手から抜け出しデビュー戦を飾ると、1ヶ月後のゆきやなぎ賞も快勝して順調な滑り出しを見せた。
しかし、好事魔多し。
次走に予定していた毎日杯の追い切り後に再び骨折が判明すると、復帰を目指していた秋にはなんと3度目となる骨折が判明し、結局1年1ヶ月にも及ぶ休養生活を送ることとなってしまったのである。
復帰戦は、翌4月の明石特別。
ここは4着に敗れたものの、そこから中2週の叩き2戦目となった鴨川特別を5馬身差で圧勝。
さらに、中1週で臨んだ桶狭間ステークスは、昇級戦にも関わらず次位の馬よりも2.5キロも重いトップハンデ56.5キロを背負わされ、それでもしっかりと勝ち切った。さらにそこから中1週で東上し、押せ押せで重賞初挑戦となったのがエプソムカップだったのである。
産駒がデビューして3年目、既に日本競馬界を完全に席巻していたサンデーサイレンスを父にもつこと、またデビューから一貫して天才武豊騎手が騎乗してきたこともあり、マーベラスサンデーは1番人気に推された。
しかしこの年のエプソムカップは、非常に豪華なメンバーが揃っていた。
まずは、同じサンデーサイレンス産駒で、ともに既に重賞を2勝していた牝馬のサイレントハピネスとプライムステージ。
そして前走天皇賞春4着から臨むGⅡ2勝のハギノリアルキング。同じく天皇賞春から出走してきたユウセンショウは、年明け3連勝でGⅢダイヤモンドステークスとGⅡ目黒記念を制していて、今回は世界の名手マイケルロバーツ騎手を鞍上に据えてきた。
さらには2年前の弥生賞馬サクラエイコウオーに、骨折休養明けとはいうものの、マーベラスサンデーと同じくここまで5戦4勝とほぼ底を見せていなかった外国産馬ヒシワールド。
そして、前年の中山記念と大阪杯で連続3着という実績のあるエーブアゲイン。
実績あるベテランも、勢いのある新興勢力も揃った、豪華メンバーだった。
重賞勝ち馬が5頭のうちGⅡ勝ち馬が4頭も出走してきていたこと、さらに別定戦のこのレースにおいて、かつて背負ったことがない57キロで実績馬たちと同斤量で挑まなければならないことは、マーベラスサンデーの重賞制覇にとって大きな壁となることは間違いなかった。
6月らしい曇り空の下、14頭で行われたこのレース。
ゲートが開くと、8歳馬のミラクルドラゴンズがロケットスタートを決め、さらにそこへ鞍上の伊藤直人騎手が出ムチをきめる。その背をマジックキス、サクラエイコウオー、プライムステージ、ヒシワールドの4頭が追いかけるが、スタート後に出していったこともあってか4頭とも少し引っかかり気味となる。
マーベラスサンデーは、タイマルティーニをはさんでちょうど中団の7番手。
ユウセンショウとマイケルロバーツ騎手はマーベラスサンデーをマークするように進み、追い込み馬のサイレントハピネスはいつも通りの後方追走。
リアルシャダイ産駒で、2400m以上の長距離重賞に実績のあるハギノリアルキングは、中距離戦のペースに付き合わず、最後方をぽつんと進む。
それもそのはずで、抑えきれず途中から先頭に立ったサクラエイコウオーと2番手に控えたミラクルドラゴンズが刻むペースは、最初の4ハロン通過が46秒2、1000m通過も58秒2という、古馬重賞ということを考慮してもかなりのハイペースで推移していた。
マーベラスサンデーがここまで走ってきた芝のレースは、いずれも中盤が連続して12秒台で流れていたが、このレースは最初の1ハロン以外の最も遅い区間でも12秒1で、あとは全て11秒台という厳しい流れ。
実際、残り800mを過ぎ再度ペースが上がると、武騎手も他の馬と同じく手綱をしごいて仕掛け始めるが、マーベラスサンデーは経験したことのないペースに戸惑ったのかそれともついていけないのか、ポジションをなかなか上げられず中団でもがいているように見えた。
ハギノリアルキング以外の13頭がほぼ一団となって直線に向き、サクラエイコウオーをはじめとする先行馬が粘り込みをはかりながら坂を駆け上がる。
しかし、道中ハイペースで流れたことがたたり、先行勢はここで一気に失速。
それに変わってあっという間に馬場の中央から突き抜け先行集団を飲み込んだのは、ほんの十数秒前まで中団でもがいているように見えたマーベラスサンデーだった。
サンデーサイレンス産駒の最大の武器である瞬発力を爆発させ、後続を突き放さんとするマーベラスサンデー。
勝負あったかと思われたが、ただ一頭その後ろから猛烈な勢いで追ってくる馬がいた。
ユウセンショウと名手・マイケルロバーツ騎手だった。
道中マーベラスサンデーをマークし、チャンスをじっくり待っていた人馬が、一気に半馬身差のところまで差を詰めてくる。
抜くのか、抜かせないのか。
ユウセンショウか、マーベラスサンデーか。
マーベラスサンデーはそこからさらに強さを見せ、なかなか交わさせない。
結局それ以上の差は縮まらず、半馬身差を保ったままゴールイン。
これが、このエプソムカップを含め、この後たった1年間で重賞を6勝もすることになるマーベラスサンデーにとって、重賞初制覇の瞬間だった。
勝ちタイムの1分45秒7は、それまでのレースレコードを1秒1も更新する好タイム。
上記のハイペースにもかかわらず、上がり3ハロン34秒台をたたき出し、3着に3馬身半もの差をつけた上位2頭の実力は、他の12頭とはかなり抜けていたといっても大げさではない内容で、一躍マーベラスサンデーの名は全国区となった。
この勝利によって『サンデーサイレンス初年度産駒最後の大物』『遅れてきた天才』と噂され始めたマーベラスサンデー。
その後のレースぶりを見ると、エプソムカップで見せつけた実力はやはり本物だった。
次走の札幌記念、続く朝日チャレンジカップに京都大賞典まで重賞4連勝を含む6連勝を達成。その後の天皇賞秋、有馬記念、当時GⅡだった大阪杯優勝を挟んだ翌年の天皇賞春と、GⅠの大舞台ではもどかしい惜敗が続くが、宝塚記念でバブルガムフェロー、タイキブリザード、ダンスパートナーといったGⅠ馬を撃破し念願のビッグタイトルを獲得。
サンデーサイレンス初年度産駒5頭目のJRAGⅠ馬となった。
その後4度目の骨折を発症するも、不屈の闘志で約半年ぶりに戦列復帰。ぶっつけで臨んだ有馬記念では2着に惜敗したものの、同年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬(現JRA賞最優秀4歳以上牡馬)の座に輝いた。
翌98年も現役続行を表明するが、目標としていた阪神大賞典にむけての調整過程で右前脚に浅屈腱炎を発症し、ついに復活は叶わず引退となってしまった。
生涯成績15戦10勝、最低着順も4着が2回だけという抜群の安定感。
GⅠタイトルは1つだけだったものの、マーベラスサンデーの実力は間違いなく超のつく一級品であった。
さらに、15戦全てで武騎手が騎乗したことからも、かの天才はマーベラスサンデーの素質に相当に惚れ込んでいたのではないだろうか。
特に、結果的には最後のレースとなった有馬記念でその相棒に選んだのは、同年の天皇賞秋を武騎手とのコンビで制覇していたエアグルーヴではなくマーベラスサンデーだったことは、それを象徴するような出来事だったように思う。
ここ数年、種牡馬リーディング上位のディープインパクト産駒やキングカメハメハ産駒の超良血馬の重賞初制覇の舞台となることが多いエプソムカップ。その系譜は、いささかこじつけかもしれないが、マーベラスサンデーから始まったのかもしれない。
しかし、「府中の千八、展開要らず」と、かつて大橋巨泉氏が言ったように、府中の1800mは実力通りに決まることが多いコースだといわれている。
次のエプソムカップも、そのまた次のエプソムカップも、その余りある実力を遺憾なく発揮するような『遅れてきた天才』が出現してくるようなレースであることを、願ってやまない。
写真:かず