
イクイノックスのラストランとなった第43回ジャパンカップ。圧倒的な強さでライバルたちを退け、歴史に刻まれる完勝劇を演じた。
2023年11月26日。府中競馬場の年間最終レースとなる12レース。芝2400mに集ったのは、リバティアイランド、ドウデュース、タイトルホルダー、スターズオンアース…名だたるGⅠ馬たちである。しかし、その舞台は、ただ一頭のために用意されていたかのようなレースとなる。3歳秋以降、GⅠを5連勝中のイクイノックス。彼にとってこのレースは「ラストラン」、そして「敗北」という文字が存在しない戦いとなった。

キタサンブラックの初年度産駒として、2021年8月の新潟競馬場に登場したイクイノックスは、2着馬に6馬身差をつけて新馬戦を楽勝する。3か月後の東京スポーツ杯2歳ステークスを2走目に選ぶと、圧倒的な末脚を披露した。過去にコントレイルやワグネリアン、ディープブリランテなどの日本ダービー馬が名乗りを上げた、クラッシックの登竜門となる2歳重賞。歴代の優勝馬を凌駕する強さで勝ち上がったイクイノックスは、早くも2022年のクラッシック候補の筆頭に名を連ねた。

ところが、3歳の春はイクイノックスの「凄さ」を発揮することなく、皐月賞・日本ダービーで2着に終わる。捕まえるには充分の末脚を持ちながら、皐月賞でジオグリフを日本ダービーでドウデュースを差し切れなかったイクイノックスは、早くも「勝ち切れない天才」と囁かれ始めた。しかし、夏を完全休養し3歳の秋を迎えると、その評価は一変する。
3歳秋のトライアル戦~菊花賞をパスし、天皇賞(秋)で古馬との戦いを選択したイクイノックスは、パンサラッサの大逃げを上がり3F32秒7の末脚で、豪快に差し切る。古馬を相手に初のGⅠ制覇を達成すると、続く有馬記念でもエフフォーリア、タイトルホルダーらを退けてGⅠを連勝する。そして、ここから始まるのが、イクイノックスとルメール騎手の「勝ち続ける宿命」の物語である。

■「世界最強」への道程
古馬になったイクイノックスは、「世界最強」への階段を一段一段上り始める。初戦のドバイシーマクラシック。初めての海外遠征の重圧をものともせず、世界の強豪を相手に完勝する。帰国後の宝塚記念では大外をゆったりと追走し、直線で豪快に脚を伸ばす。ゴール前で5歳牝馬のスルーセブンシーズにクビ差まで詰め寄られるが、余裕たっぷりでゴール板を通過した。この時点でイクイノックスは、国内外を問わぬ「絶対的存在」としての地位を固める。もはや「勝つか負けるか」ではなく、「どのように勝つか」が問われる存在となっていた。
秋は連覇のかかる天皇賞(秋)から始動することが表明され、古馬の秋の王道路線を歩むものと思われた。
天皇賞(秋)、ライバルは、日本ダービーで捕まえ切れなかったドウデュース。ところが、武豊騎手が直前のアクシデントで戸崎騎手に乗り替わりとなり、パドックではイクイノックス優位のムードが高まる。レースは、前年のパンサラッサに替わり、ジャックドールが先導役を務める。芦毛のガイアフォースが二番手を追走し、イクイノックスは三番手につける。ドウデュースがイクイノックスから2馬身後方で追走する中、ジャックドールの1000m通過タイムは57秒7のハイペース。それでもイクイノックスには余裕すら感じられる。
直線に入ると、ジャックドールに楽に並びかけるイクイノックス。残り400m、ルメール騎手の合図と共に、イクイノックスが弾ける。1馬身、2馬身──。
「ここは、もう、敵はいない。イクイノックス、連覇でゴールイン!」

イクイノックスの強さだけが際立ち、次走のジャパンカップで「世界最強」の座に就く予感が漂う。
■終わりにして、最強の走り
結果的にはラストランとなった、イクイノックスのジャパンカップ。レース展開そのものが「負けるという選択肢の無いラストラン」を体現し、ゴール後のルメール騎手の涙のウイニングランがその物語を完成させた。
スタート直後、パンサラッサが果敢に飛び出し、1000メートル通過は驚異の57秒6。観客席からどよめきが起こる中、タイトルホルダーが番手に付け、イクイノックスはそのさらに後ろの三番手で悠然と構えた。ルメール騎手は「イメージ通りの位置で自信を持てた」と語っている。この冷静な位置取りこそ、勝利を確信する布石だった。

ハイペースの中でも、イクイノックスのラップは実質的に落ち着いたものだった。三番手で馬群の流れを見極め、無理なく脚を温存する姿は「勝つため」ではなく「負けないため」の走り。リバティアイランド、スターズオンアース、ドウデュースといった強豪が虎視眈々と追走するも、彼らはすでにイクイノックスの影に飲み込まれていた。

残り400メートル、ルメール騎手の手が動くとイクイノックスは瞬時に反応する。タイトルホルダーを交わし、さらにパンサラッサを捉えると、残り200メートルで早くも先頭に立つ。リバティアイランドが必死に食らいつくが、差は広がる一方。最後は4馬身差の完勝。ステッキは一度も入らず、レースを楽しんだかのように悠々と、イクイノックスはゴール板を駆け抜けた。
「これが、世界が憧れる実力です! イクイノックスです!」
場内の歓声とどよめきが渦巻く府中競馬場。イクイノックスの走りを見届けた者たちは、いつまでも止むことなく、拍手を送り続けた。

勝利の瞬間、ルメール騎手は右腕で目元を覆い、涙をこぼした。8万人以上の観客が沸き立つスタンドを前に、彼は「説明できない、非常に特別な感情でした」と語っている。プロとして「泣くことはめったにない」と自ら認める名手が、感情を抑えきれず涙したのは、イクイノックスの走りが単なる勝利を超え、「世界最強」の頂点を示したから。そして、勝利の喜び以上に、名馬と共に歩んだ時間の重みを、ルメール騎手は感じ取っていたはずだ。今回のウイニングランは勝利の喜びと同時に、お別れの儀式にもなる。勝利を見届けた観客たちは、その蹄跡に「敗北を拒む美学」を確認し、「世界最強」のイクイノックスを永遠の記憶として刻もうとしていた。
最後となるイクイノックスとのウイニングラン。ルメール騎手は観客たちの歓声に包まれ、馬上で静かにその余韻を噛みしめていたのかもしれない。

「負けるという選択肢の無いラストラン」。それは傲慢ではなく、「世界最強」の表現だった。イクイノックスは勝利を積み重ねることで頂点に立ったのではない。敗北を許さぬ精神で、勝利の美学を完成させていったのである。イクイノックスが残した蹄跡は、未来の名馬たちに問いかけ続けるだろう。
「君は、負けを選ばぬ覚悟を持っているか」と──。
Photo by I.Natsume
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