笑顔を振りまき、多くの幸せをもたらした名馬。みんなが『待っていた』ヒーロー、オレハマッテルゼ

「今日も来てや! 俺は待ってるで!!!」
「買うてへんねん……今日は待ってへんで……」

2000年代前半、淀や仁川でこんな言葉遊びをするおっちゃんファンがいたとかいないとか…。

そのきっかけとなったのは一頭の異才。その馬は明るい尾花栗毛を持ち、緑、白玉霰、白袖赤二本輪のメンコを着け、お馴染みの小田切有一オーナーの勝負服を背に駆け抜けていた。

Q:彼は条件馬?

A:いいえ、れっきとしたG1ホースです。騎手も陣営もオーナーも、みんなが”待ってた”存在です。

Q:彼はマイナー血統?

A:いいえ、実は日本を代表する筋の通ったな良血馬。彼のスタッドインを”待ってた”人がいました。

Q:彼は珍名馬?

A:そうかもしれません。でもただの珍名馬じゃありません。ドラマもたくさんありました。彼の活躍を”待ってた”多くのファンがいました。

──その馬の名は、オレハマッテルゼ。

石原裕次郎氏の映画『俺は待ってるぜ』を馬名由来に持ち、同時に『俺、競馬にハマってるぜ』のウィットに富んだダブルミーニング、そしてどこかの誰かに呼び掛けるような名前には、早世した1頭のアイドルホースの面影も重なる。

一度聞いたら忘れられないその名と派手なルッキングで競馬ファンを魅了した彼は、一歩ずつ歩みを進め、ファンを増やし、仲間を増やし、一流に至る道を歩み…ついにはG1タイトルを射止めた人気者だった。


馬名には、いろいろな願いが込められる。

出自に根差した厳格な名前、父母から連想された名前、兄姉とのつながりを大切にした名前、特徴的な外見を映した名前。

格好いい名前、綺麗な名前、重厚な名前、軽やかな名前、可愛い名前、そしてオモシロイ名前。

馬名意味を紐解いて命名者が込めた願いに思いを馳せる営みは、競馬をまたひとつ、彩豊かにしてくれる。

ダービースタリオンやウイニングポストをプレイした方ならば、馬名を考えてプレイの手が止まったことも一度や二度ではないはず。

かつての名馬、流星の貴公子・テンポイントは『新聞の大見出しである10ポイントの活字で報道される馬になって欲しい』との願いを込めてその名を授かったという。その想いは、きっと全ての馬に共通するはずだ。ファンの話題を攫い、記憶に刻み込まれ、願わくば脈々と続く血統表に名を残して欲しいと願いながら、オーナーは唯一のその名を送る。

2000年。ミレニアムイヤーの始まりに世界がどこか浮足立っていた1月16日。北海道のノーザンファームで1頭の栗毛馬が産声を上げた。

父はリーディングサイアーの名をほしいままにしていたサンデーサイレンス。彼の漆黒の遺伝子は日本を席巻し、日本競馬を彼の色に染め上げた。前年のジャパンカップでは直仔のスペシャルウィークが凱旋門賞馬モンジューを打ち破り、盟友エルコンドルパサーの敵討ちを果たしていた。彼らの戦いはまさにワールドクラス。サンデーサイレンスの偉大な力は日本競馬はいよいよ世界レベルへと引き上げようとしていた。

母は名牝ダイナカールがジャッジアンジェルーチとの間に設けた2番仔・カーリーエンジェル。5歳(旧馬齢)に遅いデビューを果たし、5戦未勝利と競走馬としては大成出来ずに終わったものの、社台が育んだ大切な血脈・ダイナカール一族の枝葉を広げる使命を帯びて繁殖入りを果たしていた。彼女の3つ年下の異母妹・エアグルーヴが大活躍を見せたこと、そしてなにより彼女自身が産んだ仔が実に良く走ったことで、彼女自身が持つ血の価値も着々と高まっていた。

父母から受け継いだ血は超一流。綺羅星のごとく良血馬が居並ぶノーザンファームの中でも『カーリーエンジェルの2000』は指折りの良血馬だった。煌びやかな出自に恵まれ、良家の彼の前途は洋々。この先もずっと明るい話題、明るい未来が待っているかに思えた。


彼の誕生から僅か1か月後。2月11日未明。彼が過ごす北海道から遠く離れた宮城県の山元トレセンで木造平屋建ての厩舎1棟が全焼する火災事故が発生した。

「数頭を逃がすのがやっとの業火の中、22頭の尊い命が失われた」という目を覆いたくなる報道のあと、犠牲となった馬たちが公表される。

3勝を挙げユニコーンステークス3着のあと休養に入っていたスターシャンデリア、前年11月に初勝利を挙げたばかりのパラダイスクリーク産駒パラダイスラグーン、本格化の兆しを見せていたラハイナルナ、堅実に21戦を消化していたクライングウイナー…………馴染みのある名前が続く。

そしてその中に『エガオヲミセテ』の名前が含まれていたことで、この事故は競馬ファンにとって一層、忘れ得ぬ悲劇となった。

エガオヲミセテは1998年のスイートーピーステークスを柴田善臣騎手を背に制し、優駿牝馬に駒を進めた才媛だった。その年の阪神牝馬特別で快速キョウエイマーチを下し、翌年のマイラーズカップでは牡馬に交じって2つめの重賞タイトルを奪取。秋にはエリザベス女王杯でメジロドーベル、フサイチエアデールに次ぐ3着と一線級で活躍を続けていた。

小田切メンコを纏った栃栗毛の彼女は、その暖かく愛くるしい名前でファンを魅了し、ファンの気持ちを癒し和らげた。ファンは笑顔で彼女の頑張りを見守った。彼女は競馬界のアイドルだった。

春の大一番に向けて英気を養おうとしていた彼女を襲った悲劇に、多くのファンが悲嘆にくれ、やり場のない悲しみと深い喪失感を味わった。

この日を境に、朗らかで明るくハッピーだった『エガオヲミセテ』の名は悲しい記憶と共に、ファンの脳裏に刻まれることとなった。むしろその名は、この世を去って尚『エガオヲミセテ』と勇気づけようとしている気がして、その名を聞くたびに美しく可憐にターフを駆け抜けた彼女の姿が呼び起こされて、それが一層悲しみをかきたてた。

『カーリーエンジェルの2000』にとってエガオヲミセテは全姉。血を分けた姉だった。彼自身が姉の死を知る由は無い。彼自身が姉の悲運を背負う必要も、彼自身が歩む道筋に影を落とす必要も、もちろんない。

それでも、彼を取り巻く人々は、時にエガオヲミセテの面影を重ね、時にエガオヲミセテが果たせなかった夢を託し、彼の活躍を願わずにはいられなかったことだろう。

トレーニングを重ねた『カーリーエンジェルの2000』は、姉と同じく小田切有一オーナーの所有馬となり、『オレハマッテルゼ』の名前を授かり、姉と同じ音無秀孝厩舎に入厩することとなった。エガオヲミセテに夢を見て、エガオヲミセテで深い喪失感を味わったチームが再び集った。

個人の勝手な思い込みかもしれないけれど『オレハマッテルゼ』という、どこかの誰かに語りかけるような名前には、私たちに笑顔と元気をプレゼントする想いも込められているように思えた。『エガオヲミセテ』と優しく語りかけてくれた姉のように…。


オレハマッテルゼの競走馬としてのキャリアは、決して順調な滑り出しではなかった。

姉の後を追ってクラシック戦線への期待も託されていたはずの彼がデビューを迎えたのは3歳夏、世代の頂点が決まる日本ダービーを翌週に控えた中京競馬場。素質への期待から既走馬相手に2番人気に支持されたものの、結果は大きく裏切る13着。出遅れてもみくちゃにされて、全く伸び脚を使うことはできなかった。みんなが待ちわびたデビュー戦は苦いものとなった。

それでも才能があればそう簡単には埋もれないもの。2走目できっちり変わり身を見せると、7月の小倉戦で持ってる男・武豊騎手と巡り合い、待ちわびた初勝利を挙げて最初の関門を突破した。

早い時期から頭角を現した姉とは対照的に、そこからの歩みも一歩ずつだった。年が明けた4歳1月に裏開催の小倉で2勝目を、JRA50周年記念事業の一環で施行されていたメモリアルレースを3度惜敗した後、ダービーデーの富嶽賞で3勝目を挙げる。

地道に、着実に、芽吹くその日を心待ちにする関係者とファンの想いを受けながら、コツコツと地道に力を育み、キャリアを前へ前へと進めていった。5歳の春、晩春ステークスを制して漸くオープンを果たした時点でキャリアは19戦6勝、2着6回、3着3回。馬券圏外に敗れたのは僅か4度の堅実派として、雨にも負けず、風にも負けず、鍛錬を重ねながら競馬場へと通い詰めた。

馬券を買ったおっちゃんたちは「待ってたで!」と感謝を送り、蹴っ飛ばしたおっちゃんたちは「今日は待ってへんわー!」と悔しがった。

彼の愛苦しいネーミングは競馬場の空気を和らげた。彼が走るとき、どこかポジティブで明るい空気が競馬場を包んでいた。それはかつて、姉が届けてくれていたものとも通じていた。

ユニークな名前と憎めないどこか飄々とした風貌を持ち、気が付けば彼は沢山のファンに後押しされていた。

オープン入り初戦の京王杯スプリングカップでダンスインザムードやテレグノシスら一線級を向こうに回して2着に入り、休みを挟んだジャパンカップのアンダーカード・キャピタルステークスでは武豊騎手の手綱に応えてフォーカルポイントの追撃をハナ差だけ凌いで勝利を挙げた。

彼が名前だけではなく、その実力においても姉に比肩しうる存在まで成長してきたことに競馬ファンは気づき始めていた。

ユニークな珍名馬から真の一流馬へ。みんなが待ちわびた開花の時が近づいていた。


迎えた2006年。

京都金杯で1番人気を裏切り、お年玉馬券を握って待っていたファンを落胆させたオレハマッテルゼだったが、東京新聞杯で2着、阪急杯で3着と堅実な走りを続けた。この2戦の後、手綱をとった柴田善臣騎手は距離短縮を進言し、陣営は尾張を舞台に繰り広げられる電撃の6ハロン戦、高松宮記念に照準を合わせた。

2006年のスプリント路線は混迷を極めていた。

前年まで路線を牽引してきたデュランダル、カルストンライトオ、アドマイヤマックスらが相次いでターフを去ったことで主役は不在。高松宮記念では明け4歳の実績馬、シンボリグランとラインクラフトに6歳を迎えたシーイズトウショウが立ちはだかる構図となったが、いずれも前哨戦を敗退しており全幅の信頼までは寄せづらい状況。オーシャンステークスを14番人気の地方の雄ネイティブハートが、阪急杯を松永幹夫騎手の最後の魔法でブルーショットガンが制した結果、空位となった玉座を巡る戦いは大混戦の様相を呈していた。

主役不在の中、オレハマッテルゼは4番人気の支持を受けてゲートにその身を収めた。

ゲートが開くとダッシュ力に定評のあるギャラントアローがハナを奪い、コパノフウジンが追撃。すんなり隊列が定まったことで、前半3ハロン33秒7と落ち着いたペースでレースが展開する。2頭の直後にスピード豊富な牝馬2頭、ラインクラフトとシーイズトウショウが付け、オレハマッテルゼと柴田善臣騎手は巧みにライバル2騎を見るポジションを確保する。

先行有利と見るや否や、踏み遅れまいと各馬は僅かな時間で目まぐるしくポジションを奪い合う。内からはスルスルとプリサイスマシーンが進出を上げる。シンボリグランは後手に回って窮屈になったか少し頭を上げる。小さな鍔迫り合いと駆け引きを繰り広げながら、馬群は一段となって大寒桜の前を通過していく。

あっという間に迎えた直線入り口で先行したコパノフウジンが力を失い少しフラつく。シーイズトウショウが勢いを削がれぬようにと馬場の良い外目に持ち出す。久々の実戦となったラインクラフトは一瞬反応が遅れてインを締められない。

瞬間、オレハマッテルゼの目の前に1頭分の間隙が開く。柴田善臣騎手は最低限のアクションで相棒に進路を伝え、ゴーサインを送る。

栄光のゴールまで残り200m。内から抜け出したプリサイスマシーンをオレハマッテルゼが捉える。シーイズトウショウに前を交わす脚は無い。ネイティブハートとシンボリグランが加速するが先頭は遠い。大外から体制を立て直したラインクラフトが急追する。

首位争いはオレハマッテルゼとラインクラフトの2頭。柴田善臣騎手は右鞭を2度、3度と振るう。叱咤に応えて、尾花栗毛の小田切メンコが最後の力を振り絞って脚を伸ばす。

次の瞬間、オレハマッテルゼの名はG1ホースとして歴史に刻み込まれた。

ユニークなその名は、紛れもない一流馬の証となった。

殊勲の柴田善臣騎手は6年前のキングヘイロー以来のJRAでのG1制覇。そして音無秀孝調教師にとっては初めてのG1タイトルとなった。

小田切有一オーナーの所有馬が大レースを制するのは1985年優駿牝馬のノアノハコブネ以来。ノアノハコブネはかつて音無秀孝調教師が騎手時代に手綱を取った馬だった。「音無騎手」が「音無調教師」となる程の時を経て、四半世紀ぶりに迎えた歓喜の瞬間だった。

暖かい春の日差しに照らされた歓喜の表彰式。みんなが待っていた、みんなが笑顔になった、あの日の悲劇を乗り越えて掴み取ったかけがえのない絆の勝利だった。笑顔が溢れた口取り式、天から「ありがとう」と声が聞こえた気がした。


オレハマッテルゼはこのあと、京王杯スプリングカップで2つ目の重賞タイトルを手にし、G1馬としての貫禄を示した。彼がJRAで挙げた勝ち星9つは世代トップ。多くの笑顔をもたらしながら、確かに競馬史にその名を刻み込んだ。

ターフを去ったオレハマッテルゼは種牡馬として数々のユニークな産駒を送り出した。ワタシマッテルワ、ジンセイハオマツリ。ゴマスリオトコ、ワイワイガヤガヤ、ヨッテウタッテ……小田切ブランドの馬も、そうでない馬も、気の利いた名前でファンをクスリと笑顔にした。

彼の特徴的な風貌を最大限受け継いだ一頭、メイクアップは白くて大きな顔を揺らし、平場と障害の二刀流でターフを駆け抜けた。最後は悲しい別れになってしまったけれど、多くのファンの心に刻み込まれた一頭だった。

オレハマッテルゼの遺伝子は、私たちにたくさんの笑顔をプレゼントしてくれた。

笑顔をプレゼントしてくれたのは名前や風貌だけじゃない。

彼の最高傑作ハナズゴールはジェンティルドンナらを相手に2つの重賞を制し、クラシックを戦い、海を渡って豪州オールエイジドステークスで海外G1制覇を果たした。日本競馬にとって新たな地平を切り開く快挙。オレハマッテルゼの血は世界にも通用した。

2023年暮れ、6連勝でサヨノネイチャが大井の勝島王冠を制した。かのナイスネイチャを思い起こさせる彼の祖父はオレハマッテルゼ。2013年に僅か13歳でこの世を去ってしまった彼の血とそのユニークさは、今も繋がっている。

ターフを颯爽と駆け抜けた、尾花栗毛の金髪。オレハマッテルゼ。

彼の名が指す『俺』は彼自身かもしれない。私かもしれない。あなたかもしれない。

彼は、笑顔を振りまき、多くの幸せをもたらした、みんなが待っていたヒーローだった。

写真:かず、norauma

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