
2026年6月14日、15時30分。それは本馬場入場が始まる頃のこと。
阪神競馬場に激しい雨が降った。突如として発達した雨雲が仁川の空を覆い、夏の夕立を思わせる豪雨が地面を叩く。画面越しにも分かるほどの嵐のような雨脚に、場内からどよめきが起こる。先ほどまで良馬場だった芝は瞬く間に水を含み、重馬場へと姿を変えていった。
競馬は自然の中で行われる。だからひとつの雨が降れば、誰かが笑い、誰かが泣く。
馬場が渋ることを歓迎する陣営もあれば、空を見上げて頭を抱える陣営もいるだろう。レースまでのわずかな時間にも、無数の想いが巡る。
もちろん天気は自然現象だ。人の作為が入り込む余地などない。
それでも、ときどき思ってしまう。
誰かの願いが、空へ届いたのではないかと。
誰かの想いが、雲を呼んだのではないかと。
そう考えたくなる日が、競馬にはある。
それから間もなくして、メイショウタバルは宝塚記念連覇を果たした。きっとこれから私は何度となく、この日の雨を思い出すのだろう。
メイショウタバルは不思議な馬だと思う。
強い馬はたくさんいる。速い馬もたくさんいる。けれど彼ほど、人の心を揺さぶる馬はそう多くない。その走りには、いつだって危うさと脆さが同居している。
噛み合えば誰にも真似できない輝きを放つ一方で、少し歯車が狂えば思うような結果を残せない。だから見ている側は振り回される。期待しては落胆し、落胆してはまた期待する。気付けば目が離せなくなっている。
その姿には、父ゴールドシップの面影が重なる。
豪快で、奔放で、常識では測れないあの名馬。人を困らせ、人を笑わせ、人を熱狂させた破天荒なスターホース。
姿かたちは違うけれど、心の奥底から燃え上がるような衝動は、確かに息子へと受け継がれている。
昨年の宝塚記念を勝ったあとも、その道のりは平坦ではなかった。
天皇賞(秋)。有馬記念。大きな夢を追い続けた。だが、願った結果には届かなかった。GⅠの壁がどれほど高いものか分かっていても、もどかしい日々だった。
そして何より大きかったのは、松本好雄オーナーとの別れだった。
昨年の宝塚記念の日、武豊騎手と石橋守調教師に囲まれ、少年のような笑顔を見せていた姿を今も覚えている。
あの日から二か月後。競馬界を温かく見守り続けた人は天国へ旅立った。
メイショウタバルは、またひとつ大きな想いを背負うことになったように思えた。

強い雨の中でも、ファンの熱気は少しも衰えなかった。
年に一度の宝塚記念ファンファーレ。その響きが空へ吸い込まれていく。
ゲートが開く。
コスモキュランダが先手を奪う。メイショウタバルは二番手。
逃げると思われた馬が控え、逃げないと思われた馬が先頭へ行く。競馬はいつも思い通りにはならない。だが、タバルは気分良さそうに、雨に濡れたターフを駆けていく。
曇天と歓声。武豊騎手の鮮やかな勝負服。

去年も見たような景色だった。けれど同じではない。一年という時間が流れていた。
昨年のタバルより落ち着いている。
昨年のタバルより力強い。
一年前とどこか重なりながら、一年前とは違う走りで、リズムよくレースを進めていく。
その姿に、自然と拳を握る手へ力が入った。
直線。
コスモキュランダを捕まえる。外から迫るのはクロワデュノール。大阪杯で見た光景が頭をよぎる。
だが、そこからだった。メイショウタバルは止まらない。
もうひと伸び。さらに、もうひと伸び。抜かせない。譲らない。重馬場を力強く蹴り上げて、最後までフットワークは乱れない。

歓声が大きくなる。見えない何かが背中を押しているように感じる。あり得ないことと知っていても、それでも思ってしまう。
去っていった人の想いも、今を見守る人の祈りも、そのすべてが彼の背中に集まっていたのではないかと。
ゴール板を駆け抜けた瞬間、胸の奥から込み上げるものを抑えられなかった。
レースが終わる頃には、あれほど激しく降っていた雨は嘘のように上がり、空は少しずつ明るさを取り戻し始めていた。大雨にもめげずに見守ったファンの無数の祝福が、メイショウタバルと武豊騎手に降り注ぐ。
本当に不思議な雨だった。
レースのためだけに現れたかのような雨。
メイショウタバルのために降ったかのような雨。
もちろん、そんなはずはない。そう分かっている。それでも今日だけは、少しだけ夢を見たい。
あの雨に誰かの願いを重ねたい。一年前、この場所で笑っていた人の想いを。父から受け継いだ情動を。彼を応援し続けてきたファンの願いを。
そして、メイショウタバル自身が積み重ねてきた日々を。
ふと、一年前の表彰式を思い出す。
嬉しそうに笑う松本好雄オーナー。その姿はもうここにはない。この連覇を見たら、どれほど喜んだだろう。そう思うと、少しだけ寂しくなる。空の上で、あの日と同じように笑ってくれているだろうか。
けれど人は去っても、想いは残る。想いは馬へ託される。人へ託される。そしてまた次の誰かへ受け継がれていく。
ゴールドシップからメイショウタバルへ。
松本好雄オーナーから松本好隆オーナーへ。
たくさんの願いを受け取りながら、メイショウタバルはメイショウタバルだけの道を歩いている。受け継いだものを、自分だけの輝きへと変えながら。
そしてファンに選ばれた特別な舞台で、父仔による宝塚記念連覇という新たな歴史を刻んだ。
血は不思議だ。人と馬の縁もまた、不思議だ。

この先にはフランスへの挑戦が待っている。
パリロンシャン。世界中のホースマンが夢見る大舞台。
もちろん簡単な道ではない。だが、挑戦しなければ辿り着けない場所がある。
だから海を渡ってほしい。
人から馬へ。
馬から人へ。
受け継がれてきた夢を乗せて。今を生きる人たちの想いを乗せて。
あの雨が残していった祈りを胸に、今日、雨の向こう側に見えた景色の続きを追いかけてほしい。
メイショウタバルの歩みが、この先も幸せなものでありますように。
その先にたくさんの笑顔が待っていますように。
馬がつないだ人との縁が。人がつないだ馬との縁が。
これからも長く続いていくことを願いながら。

写真:@QZygbdf8L1kEB9U、mosan、Stay、RINOT

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