悲運の死から20年、天に届ける白星に - ホクトベガの“主戦”が制した2017年スパーキングレディーカップ

 2017年のスパーキングレディーカップ。勝利騎手インタビューで横山典弘騎手は星空を見上げ、微笑みを浮かべながら答えた。「ホクトベガの名前が付いたレースを勝てて嬉しいですね」。彼女の死から20年──。弔いの白星になったのではないか。

 同レースには「ホクトベガメモリアル」の副題がある。地方競馬のレースに対して、中央馬の馬名が付いているのは異例。それだけ川崎競馬の関係者にとって、ホクトベガの走りは衝撃だったのだろう。

 振り返れば、1995年のいわゆる“解放元年”。制度改革によって中央と地方の垣根が破られ、両者の交流が盛んになった。そんな同年のエンプレス杯にさっそうと現れたホクトベガは、馬なりのまま3.6秒差を付ける快走。連覇を狙ったケーエフネプチュン、ダイオライト記念覇者のアクアライデンという、南関東の名牝2頭がまったく勝負にならなかった。初のナイターや小回りさえ、難なく克服。地の利だけでは埋まることのない、絶対的な能力差を地方競馬のファンや関係者は見せつけられた。

 ホクトベガはその後、いったん芝に戻ったが、96年の川崎記念を皮切りにダートで快進撃を見せる。ダイオライト記念、群馬記念、エンプレス杯、南部杯、浦和記念、そして再び川崎記念と、全国行脚の活躍で、先のエンプレス杯から数えて交流重賞10連勝。制度が始まったばかりで手探りだったとはいえ、衝撃的な強さと出来事だった。彼女が走れば、どこの競馬場も満員御礼。ダート競走の価値、魅力を大きく高めてくれたのは間違いない。

 だが、彼女は引退レースとして挑んだ97年のドバイワールドカップにおいて、競走中の事故によって悲運の死を遂げた。多くの人びとが悲しみにくれていた中、夏の牝馬女王決定戦として創設されたのがスパーキングレディーカップ。その舞台、川崎コースをホクトベガは4勝4勝。「ベガ」とは七夕伝説の織姫星であり、夏の大三角のひとつ。ホクトベガの名を残すには、ぴったりなレースだった。

 前置きが長くなった。そんな、空から見守っているかつての相棒から、背中を押されたのかもしれない。スパーキングレディーカップに初参戦だった横山典弘騎手は、さすがの手綱さばきでアンジュデジールを勝利に導く。

 GⅠ級2勝を挙げていたホワイトフーガを筆頭に、牝馬重賞の常連だったタイニーダンサー、地方の最強牝馬ララベルなど、好メンバーが揃った一戦。ゲートが開くとさすがは名手と言わんばかりの手綱さばき。横山典弘騎手は7番枠から巧みに内ラチ沿いへ導き、逃げるトーコーヴィーナスの背後に付けた。ホクトベガでは、いつもひとマクリの大味な競馬だったが、さすがにその時と同じようにはいかない。内々で丁寧に立ち回る競馬を選択し、じっくりと脚を溜めて運ぶ。

 勝負どころの3、4コーナー。ホワイトフーガが外から動き、トーコーヴィーナス、ララベルも連れて反応。アンジュデジールは少し置かれる格好になったが、それも計算済みだった。いったん各馬を行かせてから、少しばかりスペースができた内目を強襲。あえて前を追いかけず、するどい瞬発力を存分に引き出し、1馬身半差を付けて、同馬の初タイトルをつかんだのだった。

 アンジュデジールはこの勝利をきっかけに、ダート牝馬路線で次第に輝きを強めていく。翌18年にはエンプレス杯を勝ち、秋にはJBCレディスクラシックを制覇。砂の女王まで上り詰め、まさに一等星といえる存在になった。きっとホクトベガも、横山典弘騎手とアンジュデジールの活躍を喜んでいたことだろう。

写真:あかひろ、横山チリ子

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