戸をあけて出てゆく男 - 無敗の三冠馬と戦った2歳マイル王者、サリオス

1.男の敵

2023年の天皇賞(秋)。競馬法100周年を記念した令和初の天覧競馬として開催され、豪華メンバーが集ったこのレースに、春の天皇賞を制した4歳馬ジャスティンパレスも出走していた。後方からレースを進め、上がり最速となる33.7秒の末脚を繰り出したジャスティンパレスは、トーセンジョーダンが刻んだスーパーレコードを更新する1分55秒6という驚異的なタイムでゴール板を駆け抜けた。普通に考えれば、天皇賞春秋連覇の偉業は彼のものであった。しかし、このレースは「普通」ではなかった。彼の2馬身半前に、もう1頭馬がいたのである。世界ナンバーワンの称号を持つその馬は、ジャスティンパレスと同じ4歳馬であった…。そう、イクイノックスである。

「同じ年に生まれた馬」が競走生活の大きな壁となり、「敵」とも呼べる存在になるという事象はしばしば起こる。「流星の貴公子」テンポイントにとって、「天馬」トウショウボーイの存在はそうだっただろう。しかし、テンポイントは1977年の有馬記念でトウショウボーイを破って勝利を果たす。トウショウボーイは引退レースを勝って終えることが出来なかった。トウショウボーイを本命としていた文筆家・寺山修司は、レースを観終えたときの心境を次のように記している。

軽い目まいの中で、サローヤンの詩「ロック・ワグラム」の中の一節を思い浮かべ、自分の体が急に軽くなってゆくように感じるのだった。

負けることを知るのは、男のやさしさである。だが、それを受け入れたときから男はもう同じ場所には、いられなくなる。戸をあけて出てゆくほかはなくなる。そして、外は今日も冷めたい風が吹いているのである……。

──寺山修司「男の敵 ジョン・フォードの映画を思い出しながら」(『旅路の果て』新書館、1979年/河出書房新社より2023年復刊)より引用

同じ年に生まれ、同じレースを走ったサラブレッドが「同じ場所には、いられなくなる」こと。それは競馬というスポーツの定めである。結果として翌年のレースで故障を発生してこの世を去ったテンポイントと、ミスターシービーをはじめとした名馬を数多く送り出して種牡馬として成功したトウショウボーイのことを思うと、改めてこの一節は示唆的である。

さて、「戸をあけて出てゆく」男の姿を想像する時、私はある一頭のサラブレッドを思い浮かべる。その馬は、「無敗の二冠馬」になりうる存在であった。

2.衝撃のレースレコード

その馬の主な勝ち鞍は、朝日杯フューチュリティステークスに毎日王冠。また、安田記念・香港マイルの3着という実績がある。こう書くと、明らかに「名マイラー」であり、「二冠馬」という称号から想像される、「中距離のトップホース」という印象はない。お気づきの読者も多いことと思うが、その馬の名はサリオス。令和の競馬界を席巻する「コントレイル世代」最初の牡馬GⅠ馬である。

関東のトップトレーナー・堀宣行調教師のもとに預けられたサリオスがデビューしたのは2019年6月の新馬戦。ここを2馬身差で危なげなく勝つと、数多くのGⅠ馬を輩出した出世レース・GⅢサウジアラビアロイヤルカップに出走。すると1分32秒7で駆け抜けレースレコードで勝利する。ダノンプレミアムやグランアレグリアといったGⅠ馬を上回るタイムなのだから、否が応でも期待は高まる。生産したノーザンファームの吉田勝己代表からは「来年のダービーは決まったかな」というコメントまで飛び出した。

重賞制覇の次に狙うは2歳GⅠのタイトル。朝日杯フューチュリティステークスに出走したサリオスが単勝1番人気に支持されたのは当然であろう。ただし、この時のオッズは2.0倍と意外とついている。このレースには京王杯2歳ステークスをレコード勝ちしたタイセイビジョンとデイリー杯2歳ステークスを上がり最速で制したレッドベルジュールも出走しており、そちらにも支持が集まった影響であった。

ところが、このレースはサリオスの強さばかりが目立つ結果となった。3番手追走から直線で抜け出すと、追い込んでくるタイセイビジョン以下を完封。2馬身半差の完勝であった。タイムは衝撃の1分33秒0。コースこそ違うが同年のマイルCSで王者インディチャンプが勝利したタイムと同じである。勿論レースレコードであり、優勝馬最高体重となる538kgの馬体は貫禄さえ感じさせた。鞍上のライアン・ムーア騎手も「きっと来年も活躍できる。僕がファンなら、この馬を追い続ける」とのコメントでサリオスを評価。英ダービーや凱旋門賞も制した名手の賞賛は、無敗の2歳マイル王者となったこの馬のクラシックでの栄光を揺るぎないものにしたかに見えた。

3.まぼろしの二冠馬

ところが、1週間後、風向きが大きく変わった。ホープフルステークスにおいてコントレイルも無敗のGⅠ制覇を成し遂げたのである。逃げるパンラサッサを楽な手応えで交わし、ヴェルトライゼンデなど後続を寄せ付けずに1馬身半の差をつけて快勝する隙の無い勝ち方を見せたコントレイルに、管理する矢作芳人調教師は「過去の枠にとらわれないくらいの馬に育てたい」とコメント。皐月賞と同条件のこのレースを勝ったコントレイルが、サリオスを抑えて最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得した。

こうなると、競馬ファンの関心は「皐月賞でどちらが勝つか」に移る。東のサリオスと西のコントレイル、2頭の無敗GⅠ馬が皐月賞への直行を表明し、前哨戦となる弥生賞ディープインパクト記念を鮮やかに勝ったサトノフラッグという新星まで現れると、更に問いは難しくなった。

皐月賞当日のオッズは競馬ファンの迷いを端的に示している。単勝1番人気のコントレイルは2.7倍で、2番人気のサトノフラッグが3.6倍、サリオスは3.8倍の3番人気であった。コース経験がある2頭が上に居ると言え、4番人気のヴェルトライゼンデが13.0倍であるから、典型的な「3強の一角」という立ち位置である。勝った者が世代のトップとなる一戦にサリオスは挑んだ。

スタートが切られると4~5番手の好位につけたサリオスと対照的に、コントレイルは12番手と立ち遅れた。しかし、勝負の直線半ばで抜け出しを図ったサリオスを大外から猛追してきたのはコントレイルであった。東西の無敗GⅠ馬による壮絶な叩き合いはコントレイルの半馬身差勝利。「無敗の皐月賞馬」の称号は、あと少しのところでサリオスのものとはならなかった。ただし、レース後に鞍上のダミアン・レーン騎手は「馬場が悪いところを走る感じになってしまった」と敗因を分析。必ずしも力負けでは無い、と思わせる2着と言えた。

ところが、日本ダービーで半馬身差は3馬身差に広がった。このレースではコントレイルが好位につけ、サリオスが中団を追走する展開。直線抜け出して先頭に立つコントレイルを猛追するサリオスであったが、差は縮まらなかった。フジテレビで実況を務めた福原直英アナウンサーは、「このダービーはコントレイルのためにあった」と叫んだ。同じ年にコントレイルが生まれていなければ「無敗の二冠馬」となっていたはずのサリオス。しかし、もはや世代の「主役」は完全にコントレイルだった。競馬ファンは「父子二代無敗三冠」という不滅の大記録を待ち望み、サリオスは「二番手」として語られる存在になっていた。

4.「冷めたい風」の中へ

コントレイルは菊花賞を苦しみながらも勝利し、無敗三冠を達成。その後は古馬王道路線を戦い、ジャパンカップで有終の美を飾った。もしサリオスが「無敗の二冠馬」となっていれば、勿論秋は菊花賞で三冠を目指し、ジャパンカップや有馬記念で日本一の称号を穫りにいったであろう。そして海外遠征するならドバイシーマクラシックやBCターフに香港ヴァーズ、そして凱旋門賞といったクラシックディスタンスの大レースが目標となったに違いない。コントレイルとの名勝負も幾度となく演じられたことだろう。それこそ、トウショウボーイとテンポイントのように。

しかし、そうはならなかった。サリオスの秋2戦は毎日王冠→マイルCSというローテーションであった。翌年以降も明け4歳初戦となった大阪杯の2000mが最長距離で、安田記念や香港マイルを目標とするマイル路線を中心としたローテーションが組まれた。結局、コントレイルと戦ったのもクラシック二冠と大阪杯のみ。2021年のジャパンカップも、最後の軌跡を描くコントレイルに追い縋る役目は同世代の青葉賞馬オーソリティが担った。

ここで「サリオスはどのレースを走るべきだったのか」という議論をするつもりはない。世界のマイル王モーリスと二冠馬ドゥラメンテというマイル・中距離それぞれのカテゴリにおける最強馬を作り上げた堀調教師の「サリオスがマイルに向く」という判断に、大きなミスがあるとも思えない。毎日王冠をレコードで駆け抜けたことはその証左だろう。

そして、何よりも、サリオスが「負けること」を知った以上、「戸をあけて出てゆく」しか無かったのだと、私は思っている。ダービーの3馬身差は、コントレイルと「もう同じ場所には、いられなくなる」ことを決定付ける差であったのだろう。前年末には同じ無敗のGⅠ馬だった2頭は、「主役」と「二番手」という関係性に変わっていたように思う。サリオスはコントレイルと「同じ場所」ではなく、「外」に出てゆくことを選ばざるを得なかったのである。

サリオスが出てゆくマイル路線は「冷めたい風」が吹く厳しい戦場だった。王者インディチャンプや女王グランアレグリア、新星シュネルマイスターに次世代を担うセリフォスなど、猛者が集う中でサリオスは戦い抜いた。古馬GⅠ勝利はなく、朝日杯レコード制覇の鮮烈さからすれば、決して派手とは言えない競走生活だったかも知れない。しかしマイル路線の有力馬として、多くのファンに応援される存在であった。毎日王冠2勝は「芦毛のアイドル」オグリキャップに並ぶ大記録。「戸をあけて出てゆく」男は競馬史に確かな足跡を残した。

そして、2022年に引退したサリオスは社台スタリオンステーションで種牡馬入り。その種付料は2024年の価格で200万円と設定されている。ダービー馬の父サトノクラウンと同額であるから十分な高評価だが、コントレイルの1500万円とはかなりの開きがある。「冷めたい風」はまだ吹いているのかもしれない。しかし、種牡馬の真価が問われるのは産駒がデビューしてからだ。ここから栄光を得ることは、非現実的な夢ではない。

サリオスの第二の馬生に期待を込めて、寺山修司のエッセイから次の一節を紹介して本稿を終わりたい。

名馬と同じ年に生まれたのは、運が悪かったのさ、と言ってしまえばそれまでだが、私としてはウメノチカラの仔が、シンザンの仔とダービーで対決して勝つ、という夢を描かないわけにはいかない。何をやっても二番目だった人間にも、それにふさわしい栄光を与えてやりたいし、逆転のチャンスをもたせてやりたい。

──寺山修司「あの馬はいずこに 旅路の果て」(『旅路の果て』新書館、1979年)より引用

〈補足:関東馬のウメノチカラは、2歳(旧3歳)時に朝日杯を勝ってクラシックの有力候補に。しかし皐月賞は3着、日本ダービーと菊花賞は2着に終わり、戴冠はならなかった。この時に三冠を達成したのが、「最強の戦士」と称された関西馬のシンザンであった〉

写真:しんや

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