いきなりですが「トウホクビジン」のことを覚えていますか?
2010年から2014年にかけて各地の地方競馬場で走り続け、重賞出走回数は国内最多となる130回、現存する地方競馬場全場のレースに出走、という記録を作り「鉄の女」「タフネスガール」等の愛称でファンの注目を集めました。私自身、地方競馬に興味を持つようになった時期とこの馬の活躍した時期がちょうど重なったこともあり、この馬を通して地方競馬の多くのことを勉強しました。引退から2年経ち、改めて彼女への感謝も込めて活躍を振り返りたいと思います。
トウホクビジンは父スマートボーイ、母ミリョクという血統の牝馬です。弟にはJRA3勝をあげているセクシーボーイがいます。
馬名が表すように2008年に岩手競馬でデビューし、3歳になった2009年の冬に笠松競馬へ移籍しました。獲得した重賞タイトルは5つ(2009年若草賞と岐阜金賞、2012年姫路チャレンジカップと絆カップ、2013年シアンモア記念)。中でも岐阜金賞は単勝シンガリ人気での優勝。人気馬が総崩れとなったこともあり、3連単の的中者がいなかったことでも話題となりました。
またJRAとの交流重賞でもたくさんの活躍を見せてくれました。2010年のクイーン賞では3着に入るなど、上位をJRA勢が独占するのも珍しくない交流重賞で7回の掲示板入りを果たしました。
と、これだけならどこかにいる普通の競走馬。知名度が全国区となったのはこの実績を過密なローテーションで残したところです。
そのローテーションを紹介すると長くなるので簡潔にまとめると、
- 2014年27戦
- 2013年27戦
- 2012年20戦
- 2011年24戦
- 2010年29戦
- 2009年28戦
と、平均して月2~3走ペースで出走。ひと月に4走(2009年1月、名古屋→金沢→大井→笠松)したこともありました。地方競馬でも月に3回走ることは珍しくはありません。しかしそのほとんどは所属する競馬場内での出走であり、出走の大半が遠征となるケースは珍しい存在でした。
また出ることのできるレースには間隔関係なく出走するのも特徴でした。時には中3日や中4日で遠征を行うローテーションとなることもありました。
この写真の6日後には高知競馬場での黒船賞に出走し、地方競馬場全場での出走という快挙を成し遂げています。
そんな過密ローテで走り続けたトウホクビジン。戦いを重ねていくうち、覚えやすい馬名とも相まってファンの注目を集めるようになりました。パドックでは横断幕が貼られてファンから声援が飛び、レースではファンが作った様々な柄のメンコを纏うといったように地方所属馬としては異例ともいえる人気者になっていきました。
2013年クラスターカップ。
メンコには「けっぱれ!東北」の文字が。
2012年浦和記念。
南関リーディングの森泰斗ジョッキーが騎乗したこともありました。
なぜここまで走り続けたのか。それは地方競馬における賞金体系が関わってきます。トウホクビジンが活躍した当時の笠松競馬の賞金は、最上級のクラスでも1着30万円ほど。2着以下だと10万円にも満たない状態でした。一方で交流重賞に出走すれば着外でも出走手当がつきます。その金額は競馬場やレースの格付けによって異なりますが、およそ10万円程度です。つまり地元で1着を狙うより、着外であろうとも出走できる交流重賞への遠征を続けたほうが多くの収入を得られるというカラクリがあったのです。
トウホクビジンの馬主はこの出走手当を目的として所有馬を各地のレースに出走させることの多い馬主として知られています。トウホクビジン以外にもコロニアルペガサスやタッチデュール、エレーヌといった馬も同馬主のもと、各地のレースで走り続けました。中でもエレーヌは3歳時、9月までに中4日での出走も含む18戦を戦い、重賞8勝をあげた実力馬でした。しかし9月の門別遠征後に体調を崩し、若くして亡くなります。この時は「無理を強いたから体調を崩したのでは?」「さすがにこのローテーションは……」といった声も、ファンの間からはあがりました。
しかし出走するレースは馬主の方が決めること。ファンの心配とは裏腹に、遠征は続けられました。「この馬もエレーヌのようになってしまうのではないか」「休ませてあげてほしい」と、ファンはトウホクビジンの名前が出走表に載る度にそんな心配に駆られ、「今日も無事に走ってね」と願って応援していたのではないでしょうか。
2012年佐賀記念にて。
ミスターピンクこと内田利雄騎手が騎乗した貴重なシーン。
そうした多くのファンの心配をよそに、6年間無事に走り続けたトウホクビジンは、ついに2015年1月のレースを最後に引退、繁殖馬となることが発表されました。この報は驚きとともに多くのファンをホッとさせたことでしょう。
トウホクビジンのラストランとなる163戦目は重賞の白銀争覇でした。私も最後の雄姿を見るために笠松競馬場を訪れました。
レース前には花嫁姿をイメージさせる白いメンコをつけていました。
レースは逃げて見せ場を作るも最後に失速。
6着に終わりました。
レース後、トウホクビジンと一緒に全国を飛び回った三谷厩務員にひかれて馬場を1周。集まったファンの「お疲れ様」の声に、多くのレースでコンビを組んできた佐藤友則ジョッキーが感極り馬上で涙を流していたのが印象的でした。
現在はビッグレッドファームで繁殖馬として過ごしているトウホクビジン。
2016年にはアイルハヴアナザーとの仔を無事出産したそうです。2017年は種牡馬となったゴールドシップと種付けを行い、話題となりました。早ければ2018年に産駒がデビューします。どのような活躍を見せるのでしょうか?母の魅力を受け継いだ仔が再度ファンの注目を集める……その日が来るのが、今から楽しみです。
写真:マシュマロ