
■「ダービーからダービーへ」
2012年以降、競馬のレースサイクルはダービーを基軸に回るようになった。
毎年5月の最終日曜日に開催される日本ダービーで勝者が決まると、世代の頂点を巡る戦いは幕を閉じる。そして、翌週末からは次年度のダービーに向けての戦いがスタート。新たな頂点を目指す2歳馬たちによる戦いの火蓋が切られ、メディアも2歳馬情報を挙って発信。毎年、週ごとに登場する有力新馬たちのレビューで盛り上がる時期だ。
しかし、次年度のダービーを目指す新馬戦スタートの影で、もうひとつの熾烈な戦いがヒートアップする。
日本ダービーに出走できるのは18頭。ここにチャレンジするための「最低必須条件」とも言うべき、「勝って収得賞金を積み上げた馬たち」に満たない馬たちが、この時期は多く残っている。昼の新馬戦が始まる前にスタートする午前中の3歳未勝利戦は、残り3か月の期間で生き残るためのサバイバル戦と言えるだろう。
ダービー馬を頂点とするピラミッドの「裾野」に位置する3歳未勝利馬たち。完成したピラミッドから切り離された「裾野」に所属する馬たちの午前中の戦いは、夏が近づくにつれ、壮絶なものになって行くような気がする。1着馬と2着馬の光と影、着差が小さいほど大きくなる2着馬の悔しさ。この時期の3歳未勝利戦が、見ているだけで切なくなるのは私だけでは無いだろう。
■夏競馬は午前中が“熱い”!
安田記念の翌週から函館開催が始まる。
北海道開催のファンファーレと本馬場入場行進曲。毎年これを耳にすると、私は夏の到来を実感する。
しかし、夏競馬開催に先駆けてスタートする函館開催は、同時に3歳未勝利馬にとっては最終決戦の地へ赴く覚悟の開催地とも言える。未勝利馬にとって、函館で滞在競馬に臨むのは片道切符を握って赴くようなもの。住み慣れた美浦や栗東の厩舎を後にして函館に向かう。そして未勝利を脱出した馬たちのみが戻ることを許され、秋以降も自厩舎で過ごすことができる。
唯一の勝者の勝者と残りの敗者たち。未勝利戦を勝つことの大変さと、「1勝の重み」を実感しながら夏競馬の3歳未勝利戦を見ると、日本ダービーとはまた異なった感動が生まれる。

私が初めて函館競馬場で観戦したのが2010年7月の開催第3週目。
函館まで観戦に行った理由は、あと一歩のところで勝てない一口出資馬の勝利を見届けるため。前泊で函館に入り、午前中の3歳未勝利戦に出走する出資馬をパドックから応援してやりたい・・・その気持ちだけが函館競馬場まで私を動かせた。私は単なる1/40口の出資者でしかない。しかし、直接携わる関係者の方々の1勝への「重み」は、普段から密に接し苦労を共にされていることを考えれば、私の思いの比では無いはずだ。
たかが3歳未勝利戦、されど3歳未勝利戦…。ダービー馬が決まっても続いている「裾野たちの戦い」で片づけてはいけない「重み」が、そこにはあると思う。

私の出資馬は、5レースの未勝利戦に3番人気で登場。絶好の好位ポジションから直線追い込むも、最内を逃げた2番人気の馬を捕らえ切れず、悔しいクビ差2着でレースを終えた。
その後、私の出資馬は函館と札幌で3戦し、先頭ゴールの夢が叶うことなく引退。結局その年の夏は、午前中のレースを見るために、羽田空港と新千歳空港を合計4度往復することとなった。
■メインレースは函館スプリントS
函館競馬場は、本当に美しい競馬場だと思う。
スタンドから見えるバックストレッチの向こうに、テレビで見た通りの景色が広がっている。向正面の水平線、白い波も見える海を挟んで緑のターフ、視界全体に広がる風景は夏の競馬場そのものだ。
未勝利戦の惜敗はフードコートの昼食で紛らわし、メインレースを待つ。
メインは9Rの函館スプリントS(当時は薄暮開催で最終競走が17時10分発走)。夏の北海道シリーズ最初の重賞レースに、好メンバーが15頭揃った。

私の注目馬は3頭。前走の高松宮記念でキンシャサノキセキにハナ差2着、前年のスプリンターズSでもローレルゲレイロのハナ差2着に敗れたビービーガルダン。3歳時にフィリーズレビューを優勝し、桜花賞4着の実績を持ち、4歳になってからもコンスタントにキャリアを積み上げているワンカラット。そして笠松から参戦してきた、2009年のNAR年度代表馬ラブミーチャンだ。
人気上位はビービーガルダン、ワンカラット、アーバニティの順。ビービーガルダンがパドックで抜群の気合で周回、その後ろのキョウエイアシュラもしっかりした歩様で続く。笠松のラブミーチャンは入れ込み気味に見えるものの、1200mを飛ばして乗り切るならこれくらいで充分にも思える。

北海道シリーズの入場行進曲が流れ、各馬が本馬場に登場。落ち着いて返し馬に入れたのがワンカラット。藤岡祐介騎手と共に、ゆったりとしたフォームで1コーナーに向かって行く。
4歳になったワンカラットは、京都牝馬S4着、阪急杯2着と順調なスタートを切っていた。阪神牝馬S(9着)を経てヴィクトリアマイルにチャレンジするものの、先団追走から直線で失速し7着に沈む。続く安田記念は賞金不足で除外となり、翌週に組まれていた1200mのCBC賞に出走し3着に好走。1200mに適性ありと見た陣営は、以降1200m中心のローテーションを組み函館スプリントSをセレクトした。結局、この選択が、ワンカラットの素質を開花させることとなる。
各馬一斉の綺麗なスタートから、ビービーガルダンが飛び出す。追いかけるシンボリウエストとラブ―ミーチャン、そこへグランプリエンゼルと内からケイアイアストンが加わり先頭集団は落ち着く。ワンカラットは外を回る5番手ビービーガルダンを見るように、アポロフェニックスの内でじっとしている。
先行争いが落ち着いた頃、集団は3コーナーのカーブにさしかかる。隊列はケイアイアストンが先導する中、ビービーガルダンは早くも外からスパート。下がって行く先行馬を交わして、安藤勝己騎手は3番手まで相棒を押し上げる。後方追走していたアーバニティも、横山典弘騎手が押しながら中団まで上がって来た。後方待機のワンカラットも、ビービーガルダンを見ながら内から機を伺う。

直線に入ると展開は一変する。最初に先頭のケイアイアストンを捕まえたのはビービーガルダン。その内からワンカラットが藤岡祐介騎手の合図で飛び出す。
3頭並んだ中から、脚色が良いのはワンカラット。残り200m時点で先頭に立つと、差を広げにかかる。ビービーガルダンも2番手からワンカラットを追いかけるが、その差は縮まらない。抜け出したワンカラットとビービーガルダンとの差はさらに広がり、2馬身の差をつけて1分8秒2のタイムでゴール。2着にはビービーガルダン、3着に追い込んだアポロフェニックスが入った。

ワンカラットは、1200mの舞台に完全適合、完勝とも言うべきレース展開で、3歳時のフィリーズレビューに続き2つ目の重賞タイトルを獲得した。

そこから彼女は札幌へ転戦してキーンランドカップに出走。再戦となった1番人気のビービーガルダン(4着)を返り討ちにして、重賞2連勝を飾る。
その後も1200mを中心にローテーションが組まれ、スプリンターズS5着、京阪杯3着など好走を重ね、6歳時にオーシャンSを制した。1200m重賞3勝目となるオーシャンS制覇後は、高松宮記念に向けて調整されていたものの左前脚の不安で回避。結局そのまま引退となってしまった。

■受け継がれ続けるワンカラットの「血」
現役引退後、社台ファームに帰ったワンカラットは、ディープインパクトの仔を受胎。2013年3月に牝馬、ワントゥワンが誕生した。彼女は母と同じく新馬戦を勝利すると、コンスタントに勝利を積み上げオープン入り。5歳時には関屋記念、京成杯AH、富士Sの3戦連続で重賞2着となるなど、マイルを中心とする舞台で活躍。6歳時にはヴィクトリアマイルにも出走(ノームコアの16着)した。

ワンカラットは、2番仔となる牝馬キスミーワンス(父ネオユニヴァース)出産後の2014年に亡くなっている。
それでもワンカラットの血は受け継がれる。初仔ワントゥワンが産んだ長男ワンダイレクト(父ハービンジャー)を競馬場に送り込み、新馬勝ち後弥生賞3着。結果的にはソールオリエンスの15着に終わったが、ワンカラットの孫が皐月賞に駒を進め、その名を懐かしむことができた。

初めて行った函館競馬場のメインレースで、勝利を飾ったワンカラット。初めて見た、海の見える競馬場。素質が開花となる、鮮やかな重賞制覇に立ち会えたこと、そして勝てなかった出資馬との悔しい思い出…。
競馬は、思い出を蓄積してくれることが醍醐味だ。
1頭の馬が、その時自分が過ごした時間の全てを引き出してくれる。そこにはレースだけではない、馬券だけではない。共に過ごした仲間やその時に関わった人たち、一日の喜怒哀楽も含めて、ワンシーンで忘れていた思い出を蘇らすことができる。
GⅠレースであろうが、3歳未勝利戦であろうが、同じ価値を持つ大切な記憶。ひとつでも多く、「競馬と過ごした時間」を積み上げていくことが「その人の競馬キャリア」だと、私は思う。
今度、ワンカラットを思い出すのはいつになるだろうか…。
Photo by I.Natsume
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