
「宝塚記念で、思い出の馬はいますか?」
もし誰かにそう聞かれたら、あの馬がぱっと浮かぶ。
青いラインの入った白いメンコ。
芦毛のGⅠ3勝馬──ヒシミラクルだ。
私がヒシミラクルのことを知ったのは、まだヒシミラクルが2歳で、未勝利だった頃だ。
10月の京都競馬場、小雨の降るウィナーズサークル。
私は赤い傘をさしていた。
「赤い傘! 赤い傘!」
突然、ハイテンションなおじさんが私に話しかけてきた。
明らかに酔っていて、身なりもだらしない。
周囲のお客さんたちは露骨に嫌な顔をしていた。
「赤い帽子のヒシミラクルが来たんや。ミラクルや。奇跡やなぁ!」
おじさんは少年みたいな顔で笑っていた。
ヒシミラクルは10番人気だったので、どうやら、たいへん儲かったらしい。
ただ──ヒシミラクルは2着だ。
──2着馬はウィナーズサークルに来ませんよ。
競馬歴の長そうなおじさんなら、わかっていることだろう。
しかしおじさんは黙らない。
「赤い傘! 赤い帽子! ヒシミラクル! 奇跡や!」
この人は雨にも関わらず、ヒシミラクルのことを誰かに伝えたくて、ここに来ている。
私は、ここまで人を喜ばせるヒシミラクルという馬が、気になった。
ヒシミラクルの血統は、父サッカーボーイ。母シュンサクヨシコ。幼少時代のヒシミラクルは、決して見栄えのする馬ではなかったといわれる。トレーニングセールにて、「ヒシ」の冠名で有名な阿部雅一郎部氏が682.5万円で落札した。
冒頭で述べたあの雨の日以降も、ヒシミラクルはなかなか未勝利戦を勝つことができなかった。そして3歳の5月26日──日本ダービーの日にようやく初勝利をあげた。
それから1か月後、青空が広がる6月22日。阪神競馬場での売布特別のパドックで、私ははじめてヒシミラクルの姿をまじまじと見た。
佐山優厩舎で育てられたその馬は、おっとりした歩き方で可愛らしい。主戦が角田晃一騎手であることも、心強い。それ以上の感想は特に出てこなかったが、ヒシミラクルに会えた嬉しさを誰かに伝えたい気持ちになっていた。
「ソエで苦労してたらしいけど治ったらしいよ。勝てるかもしれない!」
私は隣にいる友人にハイテンション気味に話した。ソエの話は新聞記事の受け売りである。友人は黙って聞いてくれた。
──おじさん。
あなたも、馬券、買っていましたか? ヒシミラクルは売布特別も勝ちました。圧勝でしたよ。
秋に出走した神戸新聞杯では6着に敗れ、菊花賞の切符を手にすることはできなかった。私は、未勝利馬だったヒシミラクルの姿を重賞の舞台で見られただけで、十分嬉しかった。
ただ、佐山調教師はヒシミラクルを菊花賞の舞台で走らせてあげたいと願っていた。3000mの菊の舞台なら輝けるのだと信じていたのである。
そして、佐山調教師が独断で200万の追加料を支払い、さらにヒシミラクルは運よく抽選を突破し、晴れて菊花賞に出走できることになった。
菊花賞の日は雨だった。1番人気は3枠6番赤い帽子のノーリーズンで、ヒシミラクルは10番人気とあまり人気を集めてはいない。だが、赤い帽子のノーリーズンはスタート直後でつまずいてしまい、まさかの落馬、競走中止。一方でヒシミラクルは後方にいたのだが、4コーナー最後の直線コースに入るといつのまにか先頭争いをしていた。馬券的には16番人気のファストタテヤマが2着へ突っ込んでくるという別のミラクルもあったが、バテない強みを生かしたヒシミラクルが1着を死守した。

この時点では「ミラクル」というところが先行し、なんとなく一発屋のような扱いであったが、翌年には天皇賞(春)も制し二つ目のGⅠタイトルを手に入れた。かつての勝利がフロックでないことの証明でもあった。
2003年6月の宝塚記念。宝塚記念といえば、名馬たちが集う夏のグランプリであるが、この年は例年以上に豪華で、シンボリクリスエスや、アグネスデジタル、ネオユニヴァースなど、当時を代表する名馬たちが勢ぞろい。阪神競馬場には8万人近い観客が殺到した。
私は、宝塚記念にたいして夏祭りのような、迫力と儚さを感じるドリームレースだと思っている。季節と名馬たちがそうさせるのだろうか。
そして、もしこの年に
「夏のドリームレースを勝つ馬は?」
と聞かれたら、そんなの、ヒシミラクルしかいないと思った。たとえ6番人気でも、2200mという距離でも、私に迷いはなかった。
今日はお祭りだ。飲めや歌え。来る理由を分析したり言語化する時間などいらない。直感で馬券を買えばいい。
──私の夢が走るのだから。
レースは、ペースが速くなってスタミナを要求される過酷な状況となった。それを追い風にする馬がいた。「ヒシミラクル!」加速する実況者の声。菊花賞を制する馬は「強い馬」なのだと、今ならよくわかる。ヒシミラクルはバテないのだ。

そうして、どこまでも脚を伸ばした彼は、そのまま1着でゴール坂を通過し、3度目のGⅠ勝利を手にした。
もうひとつ、この宝塚記念では、「ミラクル」としか言えないことが起こっていた。
ウインズ新橋で、1222万円の単勝馬券をヒシミラクルに賭け、2億円近くを手にした中年の男性がいたという。後にヒシミラクルおじさんと呼ばれた。
おそらくこの人はダービーでネオユニヴァースに50万円を賭け、その配当金130万円で安田記念のアグネスデジタルに賭け、1222万円を手にしたのだろう。そして──。
けた違いにかっこよすぎる。そんなの、異次元の勝負師だ。
ヒシミラクルおじさんが、一体どこの誰で、なぜそんな行動をとったのか?
しかしヒシミラクルおじさんが表舞台にあらわれない以上、それはわからない。わかっていることはヒシミラクルには、それに応えるだけの力があったということだ。
かくして、2003年の宝塚記念は歴史に残るレースになった。歴代の勝ち馬の名を振り返れば、メイショウドトウ、ゴールドシップ、ラブリーデイ、マリアライト、メイショウタバル──。そしてもちろん、ヒシミラクルの名も、そこにある。宝塚記念は、これからも夢と衝撃と歴史を残してくれるだろう。
あれから、ずいぶん時間が流れた。
コロナが落ち着いたころ、私は浦河の牧場で暮らすヒシミラクルに会いに行った。彼は、やさしい牧場主さんのもとで、たいへん穏やかに過ごしていた。
年を重ね、さすがに競走馬の面影は薄くなっていたけれど、当て馬としての役割もあってか、年齢のわりに若々しく、健康そのものだという。
「ウマ娘っていうの?それがきっかけでよく若い子が会いに来てくれるよ」
牧場主さんは笑った。少年のような笑顔だった。
ウマ娘以外にも現役時代からのファンや、馬券で儲けさせていただきましたというファンが訪れ、牧草やプレゼントが届くそうだ。
「あなたは、なんでヒシミラクルに会いに来てくれたんですか?」
私は、「ヒシミラクルで儲けたからです」と答えた。
本当は、ただ君に会いたかった。
未勝利戦2着のころから熱烈なファンがいたヒシミラクルなので、きっと多くの人の人生に、ミラクルを届けたと思う。実は私もまた彼に自分の人生を変えてもらったひとりだ。
──ヒシミラクル、元気でね。
遠くで佇んでいたヒシミラクルが、少しだけ、こちらへ近づいてきた。
「珍しいなぁ」
牧場主さんの柔らかな声が、浦河の空に響いた。

写真:Horse Memorys、RINOT、はまやん
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