「最後」の舞台、授けられた翼 - 2007年中日新聞杯・サンライズマックス

冬が、来た。
キン、と冷えた外気が、頬を刺す。首を竦める。
用事を済ませてまっすぐ帰宅の途に就く。帰ったら息子とのプロレスごっこが待っている──。

2022年の冬も、雪の出脚が遅い。

昨冬も初雪は遅かったが、その分をじっくりため込んだ32秒台の末脚を爆発させたが如きドカ雪が幾度も襲い、街は止まった。そして中山の大生垣が如き雪の壁がそそり立ち続けた。いやな予感がする。

冬将軍よ、今年はどうか平均ペースで淡々と雪を降らせておくれと、祈る気持ちで空を見上げる。

引き締まった青空に、小さな雲が漂う。
24年前、淀の青空の下颯爽と逃げ切ったセイウンスカイの姿が目に浮かぶ。
ふと見やると、空の彼方に白い軌跡が伸びていく。

そうか、コントレイルが一筋の消えない思い出を残してターフに別れを告げてから、もう1年が過ぎたのか。

そして、私はどうしても、思い出してしまうのだ。

あぁ、もう、15年も前になるのか。中京の、師走の空に翼を広げて飛び立った、1頭の黒鹿毛のことを。

……少し、頬を緩めながら。


2007年。それは日本競馬が名実ともに世界の第一線に肩を並べた記念すべき年である。

この年から日本競馬は世界16か国目、アジアではUAE(アラブ首長国連邦:ドバイワールドカップの舞台)に次ぐ2か国目の「パート1」に昇格。

それまで日本国内で「GⅠ」を名乗っていても、ジャパンカップや安田記念など、国際機関の承認を得た一部レース以外は世界的には「リステッド」格付けに過ぎなかったのが、この年から(3年をかけて段階的に)JRAの「GⅠ」は、世界的にも「GⅠ」と位置づけられるようになった。

一方で同じ2007年を以て消滅した制度もある。

その一つが父内国産馬、いわゆる「マル父」という分類である。

父内国産馬(ちちないこくさんば)とは、父馬がサラブレッド系内国産馬(日本国内で生産された馬)であり、自らも内国産馬であるサラブレッド系の競走馬に対し、日本中央競馬会(JRA)が2007年まで与えていた分類呼称である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

20世紀において、日本生まれのサラブレッドが父として成功するのは至難の業だった。JRA発足後、中央競馬のリーディングサイヤーとなった内国産馬はただ1頭。1939年、初出走から9日後、初勝利から2日後に東京優駿を勝つという現代では絶対に不可能な離れ業をやってのけ、戦後父として7頭もの天皇賞馬を輩出したクモハタ(1952-57年リーディング)のみである(中央地方合計では1980-81年にアローエクスプレスもリーディングに輝く)。

途絶えていた競走馬輸入が1952年に解禁されると輸入種牡馬によって勢力図は一気に塗り替えられた。

ヒンドスタン(シンザンらの父)、テスコボーイ(トウショウボーイらの父)、パーソロン(シンボリルドルフらの父)……。数々の舶来の血が、日本競馬を席巻し、活力を供給していった。

一方でシンザンも、トウショウボーイも、シンボリルドルフも、それぞれミホシンザン、ミスターシービー、トウカイテイオーと超一流馬を輩出し、内国産種牡馬の地位向上に大きく貢献したもののリーディングサイヤーを奪取するまでには至らず、国内繋養種牡馬の頂点はノーザンテースト、ミルジョージ、リアルシャダイ、トニービンと、輸入馬によって占められ続けていく。

そんな中、国内馬産の発展、保護の観点から父内国産馬は競走における優遇の対象となり、競走条件によっては通常の賞金に「父内国産馬奨励賞」が付加され、さらには1970年代から愛知杯、カブトヤマ記念、中日新聞杯の3重賞が「父内国産馬限定重賞」として施行された。

しかし世紀末から新世紀に時が進むにつれ、様相は一変。2004年から愛知杯(牝馬限定重賞に衣替え)、カブトヤマ記念(福島牝馬ステークスに名称変更)は父内国産馬以外にも開放され、残る中日新聞杯も「マル父」の分類そのものと同時に、2007年を以て父内国産馬限定重賞の看板を下ろすこととなる。

なぜ「マル父」の優遇措置は廃止されたのか。その答えは、マル父最後の限定重賞、2007年中日新聞杯を振り返ることで、お判りいただけると思う。


2007年12月2日、日曜日。

阪神競馬場で2歳女王決定戦の幕が開く10分前、中京競馬場。

マル父限定最後の重賞、第43回中日新聞杯。

18頭のエントリー後、マヤノトップガン産駒マヤノライジンとマーベラスサンデー産駒センカクの2頭が取り消してゲートインするは16頭。改装前の芝2000m発走地点である4コーナーポケット地点から、ゲートが開いた。

3頭雁行状態からハナを切って1コーナーに飛び込んでいくのはGⅠ3勝マンハッタンカフェ産駒マイネルキーロフ、内からダービー馬タヤスツヨシの仔トップオブツヨシ譲らない。間が空いて3番手に「風か光か」タマモクロス産駒タマモサポート、外から「愛さずにいられない」ステイゴールドの仔ゴールドキリシマが続く。

向こう正面、上がっていくのはGⅠ4勝マヤノトップガン産駒ホッコーパドゥシャ、間に皐月賞馬ジェニュインの仔ルーベンスメモリーを置いて内からマンハッタンカフェ産駒アクセルカフェ。中段からは府中2400mの覇者ジャングルポケット産駒タスカータソルテを挟んで外トップガンジョー、内マヤノグレイシーと2頭のマヤノトップガン産駒が続く。

その後ろも3頭。外上がっていくマイハッピークロスはタマモクロスの仔、間に日本総大将スペシャルウィークの仔ダイレクトキャッチ、内からは菊花賞馬ダンスインザダーク産駒トウショウパワーズ。

後方からはタヤスツヨシ産駒モリノミヤコ、こちらもダービー馬アドマイヤベガの仔マイネルポライト、そして最後方にいたステイゴールドの仔、サンライズマックスが若干ポジションを上げながら、3コーナー、中京のスパイラルカーブに飛び込んでいった。

ダイワスカーレットが勝った新馬戦5着でデビューののち4戦目で勝ち上り若葉Sで2着。皐月賞でGⅠの壁に跳ね返されたものの、秋の復帰後2連勝で重賞の舞台にコマを進めていたサンライズマックス。まさにその冠名のごとく「日の出の勢い」そのままに3・4コーナーで一気に外からまくりあがっていく。

4コーナー出口で早くも2列目の外にまで位置取りを押し上げたサンライズマックス。直線は彼と鞍上ミルコ・デムーロ騎手の独壇場だった。コーナリングの遠心力をそのまま推進力に置き換えたような末脚がうなりを上げ、前を吞み込んでいく。残り200メートルの時点で大外から堂々と先頭に立つと、ダイレクトキャッチ、タスカータソルテ、ホッコーパドゥシャ、そしてマイネルポライトの熾烈な2着争いをしり目に、サンライズマックスは初重賞のゴールに飛び込もうとしていた。

その時。

翼が、見えた。

父ステイゴールドが香港で鞍上の武豊騎手に「羽が生えたようでした」と言わしめる奇跡の末脚でラストランを制してから6年。

同父同期のドリームジャーニーが鞍上の蛯名正義騎手に「軽く飛びましたね」と言わしめる強烈な末脚で父に初のGⅠを捧げてから丸1年。

ステイゴールド産駒4頭目、5度目の重賞ウイナー、サンライズマックスには、とうとう、翼が生えた。

馬上で、両手を、手綱から離したデムーロ騎手が、内国産馬保護優遇の象徴であったマル父限定重賞最後のゴール板で両腕を真一文字に広げたのだ。

5万円の過怠金をその代償として鞍上から授けられた両の翼は、最終的に重賞3勝を挙げるサンライズマックス自身、その後3桁のJRA重賞を奪取して一大勢力を築き上げていくステイゴールド血脈、そしてパート1国として世界に挑んでいく「日出づる国」日本競馬の、飛躍へのテイクオフ、その高みへの翼だったのかもしれない。

そしてこのレースに産駒を送り込んだ内国産種牡馬は、出走取消となったセンカクの父マーベラスサンデーを含めて〆て10頭。この10頭ともが父として例外なくJRA重賞勝ち馬を送り出し、タマモクロス、マヤノトップガンを除く8頭はGⅠ馬を、さらにジェニュインを除く7頭は複数頭輩出している(※)のだ。これだけでもう、内国産種牡馬がもはや「保護」「優遇」の対象から卒業してしかるべきだったことが、お判りいただけると思う。

※ジェニュインはシャトル繋養先の豪州産馬Pompeii Rulerが豪GⅠ2勝。タヤスツヨシはマンオブパーサーが交流GⅠ(当時表記)ダービーグランプリを制し、シャトル繋養先の豪州産馬Hollow Bulletが豪GⅠ2勝。マーベラスサンデーはキングジョイ、マーベラスカイザーと2頭のJ-GⅠ馬を輩出している。


あの日から15回目の師走が来た。

パート1国日本の誇りを背負ったサラブレッドは世界を股にかける活躍を見せ、保護からの脱却を果たした内国産種牡馬はこの間JRAリーディングサイヤーをただの一度も輸入種牡馬に譲らず、サンライズマックスの父ステイゴールドはその後3000頭を超える子孫にその血を託し──ミルコ・デムーロ騎手は、今でも時折、競馬場から離陸を試みている。

……急に冷え込んできた。

あたりが急に曇ってきたかと思うと、空から白が落ちてきた。

私が見る、2022年初めての雪だ。

白い息を弾ませ、家に戻る。

「パパ、勝負だ!」

「お、やるか?」

寝床をリングに、息つく間もなくプロレスごっこが始まった。

私は雰囲気を盛り上げるべくスタン・ハンセンのテーマを口にする。

ダーダーダ ダーダーダ ダーダーダ ダーダーダ ぱーー ぱぱぱーー ぱぱぱーー ぱぱぱーぱーぱーぱ ぱー♪

あ、そういえば、この曲も、「サンライズ」だったな……。

私はあの日のミルコのように、息子に翼を授けられるだろうか。

一瞬そんなことを考えた、その刹那、息子がマックスの力を込めた逆水平チョップが鳩尾をえぐった。

布団のマットに頽れ、息子の成長を感じながら、私はギブアップを告げた。

写真:Horse Memorys

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