同「厩」生と交わした約束~エリモダンディー・シルクジャスティス〜

1990年代中ごろから、日本の3歳クラシック戦線は、サンデーサイレンス産駒vsブライアンズタイム産駒の戦いの歴史だったといっても過言ではない。1994年にナリタブライアンが牡馬三冠を達成し、牝馬でもチョウカイキャロルがオークスを制した翌年、サンデーサイレンスの初年度産駒が大爆発。その翌年からも牡馬・牝馬のクラシックを席巻し、以後もその戦いがおよそ10年ほど続いた。

いうまでもなく、それらの中には、クラシックを勝てなかった馬や、古馬となってからもGⅠを勝利することができなかった馬はたくさんいたが、重賞戦線で活躍しバイプレイヤーとして名を馳せた馬達もまた、多数存在した。

1996年、栗東の大久保正陽厩舎には、大黒柱のナリタブライアンと同じ、ブライアンズタイムを父に持つ牡馬が2頭いた。一頭は、早田牧場出身という肩書きも同じだったが、ずんぐりむっくりで見栄えのしない馬体の持ち主。もう一頭は、馬体重が400kgにも満たない小兵だった。そんな同「厩」生といえる2頭が、翌年、厩舎の屋台骨となることなど、この時点では誰も思わなかったに違いない。


迎えた6月札幌の新馬戦。先にデビューを向かえたのは小兵、すなわちエリモダンディーだった。依然として396kgという小柄な馬体だったが、逆にそれが仕上がりの早さに繋がったのか、芝の1000mを59秒0で駆け抜けて見事に初陣を飾ったのである。

しかし、1ヶ月後のラベンダー賞では、7頭立てのしんがり負け。
6着馬からは、7馬身も離される大敗だった。さらに、5ヶ月の休養を挟み出走したエリカ賞では、馬体重を20kg増やしたものの、10頭立ての9着と再び大敗を喫し、2歳シーズンを終えたのだった。

迎えた3歳。エリモダンディーは、正月開催の福寿草特別に出走した。前2走、見るべきところなく大敗していたため、単勝オッズは57.4倍で14頭立ての10番人気。完全に、ノーマークの存在となるのも当然だった。しかし、その前2走と同様に、道中は後方に待機して迎えた直線。京都の内回りコースを物ともせず、素晴らしい末脚を繰り出して、2着に3馬身半差をつける圧勝を飾ったのだ。

さらに、返す刀で中1週の若駒ステークスに出走すると、前走のGⅠ・朝日杯3歳ステークス(現・朝日杯フューチュリティステークス)で4着と好走し、大本命に推されていたランニングゲイルを差し切り、見事に3勝目を挙げたのである。

この2戦で一気に賞金を加算し、クラシックが見えるところまでやってきたエリモダンディー。しかし、続くGⅢ・共同通信杯4歳ステークスでは5着、確勝を期して臨んだすみれステークスでもバーボンカントリーに逃げ切りを許し、2着に敗れてしまう。

さらに、本番の皐月賞でも、同じ父を持つサニーブライアンとシルクライトニングのワン・ツー決着に加われず、8着と敗れてしまった。


片や、もう1頭の同「厩」生でずんぐりむっくりの馬、すなわちシルクジャスティスは、エリモダンディーがすみれステークスに出走した時点でも、まだ初勝利を手にすることができていなかった。

デビューしたのは前年10月、京都芝1200mの新馬戦。
武豊騎手を鞍上に迎えたものの、3番人気の期待に応えることができず、12頭立ての11着に終わってしまう。体が重く動けなかったのか、はたまた、この馬の代名詞となる不真面目な性格が露呈したのか。後方のまま見るべきところなく、勝ち馬からは2秒2も離された大敗だった。

すると、ブライアンズタイムの産駒らしく、そこからはダートに矛先を変えた。馬体重も、2戦目は8kg、3戦目はさらに12kg絞れたが、それでも9、8着と敗れてしまい、そのまま2歳シーズンは終わりを迎えた。

年が明けて1月。こちらも、正月開催から始動を開始した。すると、ダート1800mの未勝利戦で5着に入り、変わり身を見せる。それまでの1200mから一転、大幅に距離を延長したことが良かったのだろうか。ただ、それでも未勝利を脱出するには、さらに3戦を要することになる。

待望の初勝利は、3月16日。すみれステークスで、エリモダンディーが2着に惜敗した翌週のことである。しかし、ここからのシルクジャスティスは、叩いて叩いて良くなるという、いかにもブライアンズタイムの子供らしい、驚異的な成長力を見せるのであった。

連闘で挑んだ毎日杯は、惨敗したデビュー戦以来、久々の芝のレースで、14頭立ての12番人気と、見向きもされない存在だったのは当然だった。しかし、シルクジャスティスはその評価に反発するように、最後方追走から直線では内を突いて3着と、大いに見せ場を作った。

続く若草ステークスでは、前走と同じく道中最後方を追走すると、直線では矢のような切れ味を発揮。逃げるバーボンカントリーを一瞬で差し切り、同「厩」生のリベンジを果たす2勝目を挙げる。

さらに、快進撃は続いた。早くも、年内7戦目となったGⅢ・京都4歳特別(現・京都新聞杯)。
ダービートライアルに指定されていないものの、東上最終便と呼ばれたこのレースで、シルクジャスティスは一転して3コーナーからまくりを開始。すると、4コーナーでは早くも先頭に並びかけ、直線ではプレミアムサンダーとの一騎打ちを制して、ついに重賞初制覇を飾ったのだ。

ほんの2ヶ月前まで、ダートの未勝利戦でくすぶっていた馬が、うそのように変貌を遂げ、完全な有力馬の1頭として、勇躍ダービーへと向かったのである。

同「厩」生の2頭が、初めて同じレースを走ることになったのは、よりによって、競馬の祭典・日本ダービーという、これ以上ない晴れ舞台だった。


先に出世を果たしたものの、一線級の同期との戦いで実力差を痛感したエリモダンディー。それに対して、出世は遅れたものの、驚異的な成長力で巻き返し、先に重賞タイトルを手にして勢いに乗るシルクジャスティス。

単勝人気でもシルクジャスティスが上回り、全体でも3番人気の支持を集めていた。さらに、この時の馬体重は454kg。デビュー戦からは、実に40kg近くもシェイプアップされた体となっていたのである。

レースは、サニーブライアンが皐月賞と同じように大外枠から逃げ、シルクジャスティスとエリモダンディーは、それぞれ仲良く後ろから2頭目と最後方にポジションを取った。

3コーナーを過ぎてから、シルクジャスティスは1番人気のメジロブライトを追って、馬場の外目を通りポジションを上げる。それとは対照的に、エリモダンディーは内を回って一気に前との差を詰め、4コーナーを回った。

迎えた直線。サニーブライアンの逃げ脚は一向に衰えず、残り200m地点では、2番手以下とのリードが逆に4馬身に広がってしまう。その2番手集団は8頭が横並びとなり、小さな馬体にもかかわらず、内から馬群を力強くこじ開けてきたエリモダンディーと、大外を力強く伸びるシルクジャスティスも、その中に加わっていた。その末脚は、残り100mを切ってからさらに勢いを増し、1番人気のメジロブライトと共に懸命に前との差を詰める。

──しかし、時すでに遅し。
1馬身差及ばず、シルクジャスティスが2着、メジロブライトを挟んで、エリモダンディーは4着という結果に終わった。

それでも、大善戦といえる内容だった両馬。結局、この年のダービーの上位には、ブライアンズタイムの産駒が3頭も入り、牡馬クラシックだけを見れば、完全にブライアンズタイムに軍配が上がった年となった。

「サニースイフトさんとこのブライアン君は強かったけど、2着に入るなんて、君はいつの間にそんなに強くなったんだい?」

「俺もよく分からないけど、レースで走る度に、だんだんいい走り方が分かってきて、力が上手く発揮できるようになったんだよ。でも、お前だってそんな小さなカラダで4着なら立派じゃないか」

「お互い惜しかったね」

「そうだな、また次も頑張ろうぜ」

厩舎に戻った2頭の間には、そんな会話がなされていたのだろうか。

その後、両馬は菊花賞を目指して調整された。シルクジャスティスは、夏場を休養に充てたが、休み明けの神戸新聞杯で8着に敗戦。しかし、そこから中2週で挑んだ京都大賞典では、ダンスパートナーを内から差しきって2つ目の重賞タイトルを獲得し、1番人気で本番へと駒を進めた。

一方、夏場に札幌のタイムス杯に出走して7着に終わったエリモダンディーは、トライアルの京都新聞杯5着を挟み、春の激闘で減った馬体重も再び424kgへと回復させて、本番の菊花賞に出走してきた。

2度目の同「厩」生対決となったクラシック第三弾・菊花賞。しかし、道中は超スローペースで流れ、直線は究極の瞬発力勝負となってしまった。後方追走から、直線で追込みを決めるという、似た脚質を持つ同「厩」生2頭にとっては、こうなると分が悪い。

結果、キレ負けして共に能力をフルに発揮することができず、シルクジャスティスが5着、エリモダンディーは10着に敗れてしまった。

2頭は、そこから中2週で別々のレースに出走。
ジャパンカップの前日、GⅢの京阪杯に出走したのはエリモダンディーだった。

このレースから、手綱を取ったのは武豊騎手。濃い霧によって、向正面から4コーナーに掛けては、特に展開や隊列が見づらかったこのレースで、天才に操られたエリモダンディーは、久々に目の覚めるような末脚を発揮する。

最後の直線。霧が少し晴れ、視界が開けたゴールまで残り100mの地点で先頭に立つと、さらに後方から追い込んだナムラホームズの追撃を抑えて1着でゴールイン。10ヶ月ぶりにあげた4勝目は、自身初となる重賞タイトルを手にした瞬間でもあった。

片や、シルクジャスティスは、翌日のジャパンカップに出走。GⅠ未勝利の3歳馬という立場ながら、前走の天皇賞秋でマッチレースを演じたエアグルーヴとバブルガムフェロー、さらには、イギリス調教馬で凱旋門賞2着のピルサドスキーに続く、4番人気の支持を集めていた。

道中は、お決まりとなった後ろから2~3頭目に位置し、4コーナーでは最後方までポジションを下げたものの、直線では大外から懸命に末脚を伸ばす。先頭には迫れなかったものの、勝ったピルサドスキーから0秒4差の5着という結果は、健闘に値したと十分に言える内容だった。

さらに続く、グランプリ有馬記念では、宝塚記念を勝ったマーベラスサンデー、天皇賞馬エアグルーヴ、そして同期の2冠牝馬メジロドーベルに続く4番人気となった。GⅠではここまで、どうしてもあと一歩のところで届かなかった末脚が、この一番でついに火を吹いた。

レース前半は、マーベラスサンデーをマークするような位置でレースを進めたシルクジャスティスと藤田騎手。短い直線も考慮されたのか、先にマーベラスサンデーをやってから、3コーナーでは、これまでとは異なり馬群の中に突っ込んでスパートを開始し、4コーナーでは中団までポジションを上げる。

迎えた直線。先に抜け出したエアグルーヴを残り100mで捕らえ、逃げ込みを図らんとするマーベラスサンデー。しかし、さらにその外から剛脚を繰り出したシルクジャスティスは、その差を一歩ずつ詰めてついにはゴール前で差し切り、栄光のゴールへと真っ先に飛び込んだのだった。

この年、実に13戦目。ここ一番で底力を発揮するブライアンズタイム産駒を、画に描いたような会心の勝利。ついに、シルクジャスティスは古馬を撃破してGⅠ馬へと上り詰め、しかもグランプリホースという、名誉ある称号を手にしたのである。

「君、ついにGⅠ勝ったんだって? すごいなあ。しかも、あの有馬記念でしょ」

「いや、実はさあ。俺、先週聞いちゃったんだよね。伸二さんが大久保先生のところに来て『今回、結果が出なかったら下ろしてください』って言ってたの。だから、俺も今回ばかりは本気出さなくちゃと思ってさ。あと、あの競馬場。初めて走ったけど結構好きだな。ゴール前の坂でみんな疲れてたけど、なぜかあそこで逆に元気が出たんだよね」

「え~、ゴール前の坂で元気が出るなんて信じられないよ!僕は、やっぱり坂のない京都が好きだな。だから、来年は天皇賞で君に勝ってみせるよ」

「そんなの、俺には不利じゃないか。だったら、坂のある阪神で勝負だ。そうだなあ、まずは阪神大賞典がいいな。で、天皇賞の後は宝塚記念と」

「分かった分かった。じゃあ両方で勝負しよ、両方で。その前に、また練習で一緒に走ろうよ。ね?」


年が明け、また一つ年を重ねた同「厩」生は4歳となった。

有馬記念で激闘を終えたシルクジャスティスは休養に入り、エリモダンディーは京都金杯から始動することとなった。堂々の1番人気に推された彼は、いつも通り後方に待機すると、4コーナーでは絶好の手応えで馬群の大外を回る。

最後の直線。前走と同様、そこから素晴らしい末脚を繰り出すエリモダンディー。しかし、最内をそつなく回ったミッドナイトベットとペリエ騎手に上手く抜け出され、1馬身半およばず2着惜敗。あと一歩のところで、2つ目の重賞タイトルには手が届かなかった。

しかし、本格化した今なら、たとえ重賞でも、確実に末脚を繰り出して上位に来ることができる。この事実は、もはや誰の目にも明らかだった。

そこから、2つめの重賞タイトル獲得に再度挑戦するため、エリモダンディーは、中2週で日経新春杯へと出走した。単勝人気では、わずかにメジロドーベルが上回ったものの、春には友が待つ淀の大舞台へ──。

負けられない一戦といっても過言ではなかった。

冬晴れのもとゲートが開くと、スッと最後方に下げた武騎手。馬場の良い外目を通ることを選択し、レースはそのまま2コーナーから向正面へと入った。前半の1000mは1分0秒9。平均より少し遅いペースで流れていたが、先頭までは20馬身以上の差がある。

3コーナーの坂の下りで、馬群は少し凝縮したものの、それでも先頭とはまだ12馬身ほどの差があった。エリモダンディーはポジションを一つ上げただけで、メジロドーベルも変わらず後ろから4頭目のままだ。続く4コーナーで、ようやく2頭とも動き始めたが、先行集団もスパートを開始しているために、前との差はなかなか詰まらない。そうこうしているうちに、レースはあっという間に最後の直線へと向いた。

迎えた直線。まだ後ろから2頭目に位置していたエリモダンディーは、前走同様、大外に進路を取ったが、外回りコースとはいえ、先頭まではかなりの差がある。

このままでは届きそうにない。

見ている人の大半は、きっとそう思ったことだろう。
しかし、当の人馬は、ほとんど焦っていなかったに違いない。

──本格化した今なら、間違いなく差し切れる。

ゴールまで残り200m。馬群の中でもがくメジロドーベルを尻目に、一気にトップスピードへとギアが入ったエリモダンディーは、これまで繰り出してきた末脚をさらに上回る、鬼脚を披露した。そのまま、残り100mを切って早くも先頭に立つと、さらに後続を2馬身半も引き離す完勝劇。

出走馬16頭中、馬体重では圧倒的に最軽量のエリモダンディーが、直線だけでほぼ全馬を飲み込んだそのレース内容は、圧巻の一言だった。

間違いなく、今年の古馬中・長距離戦線の上位に浮上してくる。数十秒前までは、とてもじゃないけど差し切れないと思っていた人達も、一瞬で考えを改めるほどの鮮烈な内容だった。

ところが……。

ゴール板を過ぎて、1コーナーから2コーナーを回って向正面に到達し、再び検量室前へと引き返してくる中で、武騎手は脚元に異常を察したのか下馬してしまう。

診断の結果は、左第一指骨骨折で全治9ヶ月。来たるべき春の淀で、同厩の友と競いあう夢は叶わなかった。いや、それどころか、エリモダンディーにとっては、あろうことかこれが生涯最後のレースとなってしまう。

レースから2週間後、休養中に結腸捻転を発症した彼は、あまりにも突然にこの世を去ってしまったのだ。競走馬として、まさに本格化を迎えた矢先の悲劇。ファンにとってはもちろんのこと、大久保厩舎にとっても二頭目の大黒柱となりうる存在だっただけに、その損失はあまりに大きかったことだろう。

そして、シルクジャスティスも、そんな同「厩」生の悲劇を悟ったのだろうか。その後、11戦したものの、まるで気が抜けてしまったかのように凡走を繰り返し、勝利することができなかった。それどころか、連対すらも、有馬記念の後に休み明けで出走した阪神大賞典の1戦のみとなってしまった。

2000年5月の金鯱賞を最後に引退して種牡馬入り。2010年の中山大障害を勝ったバシケーンを輩出した他、地方競馬の重賞勝ち馬を数頭出したものの、目立った成績を上げられず、同年の種付けをもって種牡馬からも引退。

そして2019年6月。老衰のため、25歳で友が待つ天国へと旅立っていった。

同じ父を持ち、同じ追い込み脚質で、同じ厩舎のライバルでもあった同「厩」生の2頭。
その姿はまるで、当初は実力面で劣り期待されていなかった二人のスポーツ選手が、同じ釜の飯を食らう寮生活を通して意気投合し、日頃の厳しい練習に耐えつつも、互いに切磋琢磨しながら実力を開花させ、やがては全国大会で大活躍する姿を描いた『スポ根』のアニメを実写化した作品のようだった。

エリモダンディーが、どこまでも伸びていきそうな、鮮烈な末脚を見せたあの日経新春杯から、多くの月日が流れた。

いつか約束したであろう天皇賞での幻の対決は、天国で、果たして実現しただろうか。

写真:かず

あなたにおすすめの記事