四月。日に日に春の訪れを感じられるようになるこの月は、何かと新しいことが始まる時期でもある。
学生新入学や新学年、クラス替えなどもあるだろう。社会人であれば転職や転勤、新入社員が加わるような季節でもある。
競馬ももちろん例外ではない。暦によって例外はあるが、原則、この月から『牡馬・牝馬クラシック』が始まる。
3歳馬たちによる一生に一度の檜舞台。
この記事を読んでくださっている皆様の中にも、思い入れの深いクラシックのレースがある方や、熱い戦いを演じた世代への溢れんばかりの想いがある方も多いのではないだろうか。
そんな中、今回は筆者の『推し』世代でもある2019年にクラシックを戦った世代の中から、桜花賞を勝ったグランアレグリア号について筆を執らせて頂きたい。
──1分33秒6。
2018年6月3日、モズアスコットが連闘で安田記念を制することとなるおよそ3時間前のことである。東京競馬場に詰め掛けていた人々は、ターフビジョンに記されたその数字に、何を思ったのだろう。
未来のスターの誕生か。それともまた別の何かか。
アプリコットフィズが2009年にマークした、1分34秒7のタイムを1秒1も上回る新馬戦のレコードタイム。前日に開幕したばかりの新馬戦で、涼しい顔をしてこの驚異のタイムを出した馬こそが、後の短距離・マイル戦線の女王、グランアレグリアである。
父ディープインパクト・母父Tapitという日米リーディングサイアーの血を受け継いだ彼女は、新馬戦を上述のタイムで圧勝後、秋の府中で開催される2歳重賞サウジアラビアロイヤルカップに出走する。スタートで少々出遅れがあったものの、逃げたトーラスジェミニを直線入り口でとらえ、2着ドゴールに3と1/2馬身の差をつける圧勝。
多くのファンはここで『さあ、年末の阪神で2歳女王に……』と考えていたのではなかろうか。
──だが、グランアレグリアを管理する名伯楽・藤沢和雄調教師は驚きの次走プランを発表する。
「グランアレグリア、次走は朝日杯フューチュリティステークスに挑戦」
競馬を見始めたばかりの私は、グランアレグリアの次走報に目を疑った。何故なら、朝日杯FSにはあるジンクスが存在していると聞いていたからだ。それは「朝日杯FSにはグレード制導入以降、牝馬の勝ち馬がいない」というものである。
1984年にJRAがグレード制を導入して以降、朝日杯は34年の歴史を重ねているが、その歴史の中で牝馬の優勝はただの1回もなかった。
それでもなお、2歳女王決定戦である阪神JFではなく、あえて朝日杯FSにグランアレグリアを送り込む──それだけの自信が、陣営にはあったのだろう。
陣営の自信がファンにも伝わったのか、レース当日は、彼女が単勝オッズ1.5倍の圧倒的1番人気に推されていた。
実際、その期待に応えるかのように、グランアレグリアは前走からの課題であったスタートを決めた。そして逃げたイッツクールをインコースから見る形でレースを進める。
ここから直線で先頭に立ち押し切る……という形が彼女の勝ちパターンであったし、ルメール騎手もそれを狙っていただろう。
だが、グランアレグリアは直線に入った所で少々内側にモタれてしまった。
そしてその隙を、アドマイヤマーズは見逃さなかった。
彼は鞍上のミルコ・デムーロ騎手とともにグランアレグリアをマークする形で三番手でレースを進めていたアドマイヤマーズ。道中はしっかりとグランアレグリアをマークしてきていた。
──だがグランアレグリアも負けてはいない。外から猛追してきたクリノガウディーと共に、アドマイヤマーズに迫る。
2頭がアドマイヤマーズをとらえようとしたその刹那、さらにアドマイヤマーズが加速のギアをあげ、そのままゴール。
グランアレグリアは2着クリノガウディーに1/2馬身交され、3番手で入線した。
ジンクスを破り優勝……とはいかなかったものの、牝馬では1989年のサクラサエズリ以来の馬券内入りを果たしたのであった。
その後、グランアレグリア陣営は、トライアルを挟まずに桜花賞へ直行することを決定した。
2019年4月7日。晴天の阪神競馬場にうら若き3歳の乙女たち18頭が集結した。
1番人気は、前年、ファンタジーSから阪神JFを制して優秀2歳牝馬に輝いたダノンファンタジー。差のない2番人気には、朝日杯FSを3着に敗れていたものの、新馬戦でダノンファンタジーに2馬身差をつけて勝利していたグランアレグリアが推された。さらに、凱旋門賞馬バゴの産駒で阪神JFで2着、クイーンC優勝のクロノジェネシスが3番人気で続いた。
観客たちの期待・緊張・希望……様々な感情がファンファーレと共に頂点に達したその瞬間、桜の頂点を目指して、18頭がスタートを切った。
スタート前からゲート入りを嫌がるそぶりを見せていたシゲルピンクダイヤとレッドアステルの外枠2頭が出遅れる中、大外枠のプールヴィルがメイショウケイメイを交わしてハナを主張する。
向こう正面に入るころには、まずまずのスタートを決めたグランアレグリアが4番手を確保。そのすぐ後ろに、ダノンファンタジーが川田騎手に宥められながらついていく。
後方ではビーチサンバ、クロノジェネシス、アクアミラビリスらが早めに動き始め、シェーングランツやシゲルピンクダイヤが末脚に賭けようとしていた。
半マイルが46~47秒というややスローペースで進んでいく中、3・4コーナーの中間地点に差し掛かったところで観客から大きな声が沸き始める。道中4番手で進めていた2番人気馬グランアレグリアが、大外から、早くも先頭に立ったのだ。
実は朝日杯FSの後、競馬ファンの間の中で、グランアレグリアに対して「レースの中で揉まれることを気にしてしまうのではないか」という意見が囁かれるようになっていた。さらにこのレースは彼女にとっては約4か月ぶりの実戦だ。人気ではあったが、不安要素もあった。
前走と同じ轍は踏まない、ルメール騎手のそんな気迫が感じられる騎乗に答え、グランアレグリアは後続17頭を率いて、先頭で直線になだれ込んだ。
そこからは、まさにスピードの違いを感じさせるレースだった。直線半ばでプールヴィルを交わすように内ラチ沿いを取り切ると、上がってきたダノンファンタジー・ビーチサンバ・シゲルピンクダイヤ・クロノジェネシスらの集団を寄せ付けることもなく、先頭でゴール板を駆け抜けた。
ここで、ターフビジョンに表示された走破タイムは1分32秒7。このタイムは前年に牝馬三冠を達成したアーモンドアイが記録した1分33秒1という桜花賞レコードを0.4秒塗り替えるものだった。
グランアレグリアの馬名由来は、スペイン語の大歓声。
まさに『圧勝』といったレースぶりを我々に見せつけた彼女を出迎えたのは、その名の通りの『大歓声』だった。