[プロキオンS]プロキオンSの勝利からG1制覇へ羽ばたいて行った、砂のスプリンターたち

中央におけるダート路線の拡充を図るため、1996年に1400mの短距離重賞として設立されたプロキオンS。

2024年1月に現行の条件に変更されるまでは、ダート短距離路線で主役を狙う馬達にとって重要な競走として機能しており、勝ち馬が勢いそのままに秋のG1で活躍するケースも多かった。

今回は、プロキオンSの勝利から同年秋に初G1制覇を遂げた馬達を紹介していく。

ゴールドティアラ(2000年)

日本でも活躍馬を多数送り出しているシーキングザゴールドを父に持つゴールドティアラ。アメリカ生まれの彼女は、デビュー後しばらくは芝とダートを交互に使われていた。

だが、3歳時のユニコーンS(当時は秋開催)の勝ち方と秋華賞の完敗をきっかけに、ダート路線へと舵を切る。転向後は4戦して馬券圏外なしという安定感を見せ、かきつばた記念で重賞3勝目を挙げた後、ひと息入れて臨んだのがこのプロキオンSだった。

ゲートが開くと、ゴールドティアラは有力各馬を先に行かせて中団の前目から進める。仕掛けどころでは若干手ごたえが悪そうに見えたが、直線に向くと末脚を伸ばし、逃げ粘るエイシンサンルイスを一瞬で交わし去ってゴール坂に飛び込んだ。

2着との着差は僅かに0.2秒だったが、勝ちタイムはなんと日本レコードタイの1分21秒9。

当時、アメリカを拠点として騎手生活を送っていた武豊騎手は、このレースに乗るため日程の都合をつけて一時帰国したという。その理由は、走破時計の数字が誰よりも雄弁に語ってくれているだろう。

秋には南部杯を制し、G1初制覇を成し遂げたゴールドティアラ。ダートの短距離~マイルでは出走16回中、僅か2回しか掲示板を外さなかった。

牝馬限定のレースも少なく、まだまだ黎明期だったダート路線でこの成績。彼女がプロキオンSで見せた牡馬顔負けのスピードは、当時のダート路線でトップクラスの実力があるということを証明するには十分すぎるものだった。

スターリングローズ(2002年)

2001年にJBC競走が新設されたとはいえ、ダートの短距離界は確固たる主役が不在。混戦に断をする新星の誕生が期待されていたのがこの時代だった。

そんな時に現れたのがスターリングローズ。このプロキオンSでは、重賞未勝利ながら1.3倍の圧倒的な支持を受けていた。

レースは芝のG1ホースヤマカツスズランが先頭に立ってレースを引っ張り、スターリングローズはそれを見るような形で進んでいく。

彼に跨る福永祐一騎手が手綱を持ったままで直線に入ると、坂の手前で追い出したヤマカツスズランに馬なりで並びかける。そして坂の上りでGOサインを出されると素早く反応し、粘るヤマカツスズランを捉え、重賞初制覇を飾った。

芝とはいえ、相手はG1ホース。そんな馬をあっさりと下したその勝ち方は、着差以上の勝ちがあったと言っていい。ダート短距離界のニュースター到来を夢見たファンも少なくなかったのではないだろうか。

その期待通り、スターリングローズは秋初戦のシリウスSを完勝し、順調なスタートを切った。

距離が200m伸びたマイルチャンピオンシップ南部杯こそ7着に敗れるが、その3週間後に同じ盛岡で行われたJBCスプリントで、第1回の覇者ノボジャックを抑えて優勝。見事ダート短距離界の主役の座に就いたのだった。

翌年のプロキオンSでは6歳となっていたが、年齢の衰えを全く感じさせない走りで、レース史上初となる連覇を達成。ダートの1400mで無類の安定感を誇ったスターリングローズは、好スタートから自分にとっての絶好のポジションを抑える、とにかく速いスプリンターであった。

ブルーコンコルド(2005年)

ダート路線の整備が進み、群雄割拠の時代に突入しつつあった2000年代後半。その時代に、距離を問わず多くの実力馬と刃を交えたのがブルーコンコルドである。

芝での重賞制覇がありながらも伸び悩み、ダート路線に矛先を向けた同馬は、ダート初出走となる霜月Sをレコードタイムで快勝。

その後は1年近く勝利がなかったが、ギャラクシーSで跨った幸騎手と共に復活の勝利を遂げると、以降は名コンビとして引退まで駆け抜けることとなる。このプロキオンSは、その人馬で臨む初の重賞であった。

レースはサイレンスボーイが飛ばして速いペースとなる中、ブルーコンコルドは中団の外目を追走する。

仕掛けどころで先頭を射程圏に捉えると、直線に向いたところで末脚が爆発。粘るサイレンスボーイを捉え、一緒に伸びてきたサンライズキングを置き去りにしたその走りは、ゴールドティアラのタイムに並ぶ1.21.9の走破時計を叩き出した。

しかもゴールドティアラの時はタイムの出やすい重馬場だったが、こちらはタイムの出にくい良馬場。ブルーコンコルドのダートグレード初勝利は、衝撃的な勝ち方で幕を閉じた。

鮮烈な勝ち方を見せたブルーコンコルドは、秋には期待通りシリウスS、JBCスプリントを連勝。

特に旧・名古屋競馬場での開催だったJBCスプリントは、短い直線で5馬身差の圧勝劇を見せており、その実力が本物であることを改めて我々に知らしめた。

その後も9歳まで距離を問わずにダート路線の主役として戦い続けたブルーコンコルド。彼がプロキオンSで見せたスピードは、まさに離陸したコンコルドのように音速であった。

ベストウォーリア(2014年)

王者と呼べる存在がおらず、混沌としていた2010年代前半のダート短距離界。そんな路線を、常に主役候補として盛り上げていた1頭がベストウォーリアだった。

元々ユニコーンSを勝つなど、早い時期から頭角を現していた馬だったが、フェブラリーSで13着と大敗。仕切り直しと賞金加算の意を込めてOP特別を2戦し、総仕上げとして臨んできたのがこのプロキオンSであった。

スタートを五分に切ると中団後方まで下げ、仕掛けのタイミングをじっと待つ。

レースは出負けしたコーリンベリーが、やや強引に先頭に立ってレースを引っ張りハイペースに。先行勢には厳しい流れで、後方からレースを進めるベストウォーリアにとっては絶好の展開であった。

直線でベストウォーリアに跨る戸崎騎手が大外に持ち出すとじわじわと脚を伸ばし、先に抜け出していたキョウワダッフィーをクビ差とらえて重賞2勝目を飾った。

この勝利により十分な賞金を獲得したベストウォーリアは南部杯に無事選定され、見事に優勝。

念願のG1ホースとなった同馬は、翌年もプロキオンS、南部杯を連勝し、プロキオンSではレース史上2頭目、南部杯ではレース史上5頭目となる連覇を成し遂げることとなった。

僅かなクビ差だったが、もし、プロキオンSの勝ちがなければこの偉業も達成されなかったかもしれない。『1着の重要性』を、改めて感じずにはいられなかったプロキオンSである。

写真:Horse Memorys、かず

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