[シンザン記念]シンザン記念で2歳GⅠの雪辱を果たした馬たち

日本競馬史上2頭目の三冠馬となり、生涯19戦すべてで連対を果たすという、不滅の大記録を打ち立てた名馬シンザン。その名を冠したシンザン記念は近年、出世レースとしての地位を確固たるものとしている。

とりわけ2011年のレースは、勝ったレッドデイヴィスだけでなく、2着馬から7着馬も後に重賞を勝利。中でも、2着オルフェーヴルは同年にクラシック三冠と有馬記念を勝利し、3着マルセリーナも桜花賞を制するなど、メンバーレベルが非常に高い一戦だった。

近年の傾向を見ると、前走1勝クラス組や新馬、未勝利組が健闘しているものの、2歳GⅠで実力を発揮できなかった馬が雪辱を果たす舞台としてこのレースを選択することも少なくない。今回は、シンザン記念で見事に年末の雪辱を果たした馬たちを振り返っていく。

1997年 シーキングザパール

米国産の牝馬シーキングザパールは、7月小倉・芝1200mの3歳新馬戦(旧表記、現2歳)で武豊騎手を背にデビュー。スタートからスピードの違いを見せつけて圧勝し、圧倒的1番人気に応えた。ところが、2戦目の新潟3歳S(この年は中山開催)では、好スタートを切った直後に大きく外へ逸走。一転、最後方からの競馬を余儀なくされ、道中の挽回及ばず3着に敗れてしまう。

さらに、続くデイリー杯3歳Sは、後の天皇賞馬メジロブライトに5馬身差をつけ、レコードで重賞初制覇を飾るも、暮れの阪神3歳牝馬Sでは再び気難しい面が出たか、勝負所から追っつけどうしとなって直線伸びを欠き4着。ビッグタイトル獲得はお預けとなってしまった。

そんな、勝ったり負けたりの成績が続いていたシーキングザパールの陣営が、前走の雪辱を果たすべくシーズン初戦として選んだのが1997年のシンザン記念だった。

このレースでも1番人気に推されたシーキングザパールは序盤、これまでの先行策とは一転、中団7番手に待機。折り合いもつき、短期間で成長した姿を見せたかに思われた。

ところが、スピードの違いか、それともスイッチが入ってしまったのか。早くも、坂の下りで馬群の外目から進出を開始すると、4コーナーを単独先頭で回り直線を迎えたのである。

レコードで圧勝した2走前の再現か。

前走の悪夢が繰り返されるのか──。

ファンや関係者が思いを巡らせる中、果たして現実となったのは前者だった。

直線入口で後続に2馬身の差をつけていたシーキングザパールはそこからも末脚を伸ばし、あっという間にセーフィティーリードを構築。最後はほぼ追われることなく3馬身差の完勝を収め、見事2つ目のタイトルを獲得したのである。

そして、このレースがきっかけとなったか。気性面に進境が見られたシーキングザパールは、ここからフラワーC、ニュージーランドトロフィー4歳S、さらにはNHKマイルCと重賞4連勝を達成。秋初戦のローズSで3着に敗れて連勝が止まり、その後、喉頭蓋エントラップメントが判明して7ヶ月の休養を余儀なくされるも、翌年の8月、復帰後3戦1勝で臨んだフランスのモーリス・ド・ゲスト賞をスピードの違いで逃げ切り、日本調教馬として初の海外GⅠ制覇という偉業を成し遂げてみせた。

結果的にこれが最後の勝利となったものの、年末のスプリンターズSや翌春の高松宮記念でも2着と好走し、中距離路線で活躍した同期のメジロドーベルとともに存在感を示し続けたシーキングザパール。グレード制導入以降のシンザン記念を勝利した牝馬で、後にGⅠタイトルを獲得したのはこの馬が初めてであり、日本競馬史上初の偉業を成し遂げたことはもちろん、シンザン記念が出世レースとしての地位を確立した点においても、シーキングザパールの貢献度は計り知れない。

2005年 ペールギュント

父が大種牡馬サンデーサイレンス、母ツィンクルブライドは94年の桜花賞2着馬という良血のペールギュントは、栗東・橋口弘次郎厩舎からデビュー。7月阪神の新馬戦こそ3着と敗れるも、中2週で臨んだ未勝利戦を快勝し、さらに2ヶ月半の休み明けとなったデイリー杯2歳Sでは4コーナー最後方からあまりにも鮮やかな大外一気を決め、連勝で重賞ウイナーの仲間入りを果たした。

しかし、東京スポーツ杯2歳S2着を挟んで出走した朝日杯フューチュリティSは、内枠が仇となったかポジションをどんどんと下げてしまい、直線の短い中山では末脚も活かせず3着。不完全燃焼の一戦となり、その鬱憤を晴らすべく出走したのが05年のシンザン記念だった。

この日、初めてコンビを組む武豊騎手とともに、単勝1.5倍の圧倒的支持を集めたペールギュントは、いつもどおり後方を追走したものの800m通過は48秒5のスロー。大外一気を決めたデイリー杯2歳Sより2秒も遅く、前走に続き末脚不発になりかねない展開だった。鞍上もこの流れを察知したか、ペールギュントと武豊騎手は、朝日杯フューチュリティS4着馬で安藤勝己騎手騎乗のマイネルハーティーとともに一気に上昇を開始。4コーナーで好位に取り付くと、直線は馬場の七分どころを使って二頭の激しいデッドヒートが展開された。

最後の直線、まず前に出たのはペールギュントだった。ところが、早目に動いたせいか、止まりそうな雰囲気こそないものの、3走前のようなスパッと切れる末脚もなかなか繰り出せない。そこへ、一度交わしたはずのマイネルハーティーが内から並びかけ、残り50mではマイネルハーティーが前に出たようにも見えた。それでも、GⅡウイナーとして負けられないペールギュントの意地が最後の最後で炸裂。もう一度差し返し、二頭の鼻面が並んだところがゴールだった。

写真判定の結果、二頭と二人の名手による大接戦を制していたのはペールギュントと武豊騎手。年末の鬱憤を完全に晴らす勝利とはいかなかったものの勝負強さを発揮し、その差わずか2センチの大接戦を制してみせた。また、この勝利により、武豊騎手はシンザン記念4連覇を達成したのである。

その後、春二冠はディープインパクトに及ばず、1番人気に推されたNHKマイルCでも4着に敗れたペールギュントは、しばらく勝ち星から見放されるも翌10月のオパールS(当時は2000m)で復活勝利をあげ、さらに初めてスプリント戦に出走した07年の高松宮記念では、単勝13番人気ながら2着に激走。08年の阪神C(12着)を最後に現役生活に別れを告げフランスで種牡馬生活を送ることになり、産駒のフランボワイヤンはアメリカの重賞を勝利した。

2010年 ガルボ

GⅠ制覇こそならなかったものの8歳まで現役を続け、個性派として多くのファンに愛されたガルボ。同馬もまた、シンザン記念の歴史に勝ち馬として名を刻んだ一頭である。

美浦・清水英克厩舎からデビューし4戦目で待望の初勝利をあげたガルボは、その1ヶ月後、朝日杯フューチュリティSに出走。好スタートから中団待機策をとり直線半ばで鋭い脚を繰り出すと、勝ったローズキングダムから0秒6差の4着に好走し、12番人気の穴馬とは思えない見せ場たっぷりの内容で一年を締めくくった。

その3週間後、シンザン記念に出走するため初の関西遠征を敢行したガルボだったが、GⅠでの実績は最上位にもかかわらず、その前走がフロックとみられたか、それとも前走比馬体重12kg減が懸念されたのか。人気は16頭中の4番目。この評価に、初めてコンビを組む池添謙一騎手とガルボが燃えないわけがなかった。

レースは、シャインの逃げで始まり、エスカーダとケイエスケイトが続く展開。前半800m通過は47秒3とミドルペースで流れた。一方、無難なスタートを切ったガルボは問題なく折り合いもつき、好位4番手のインに位置。いつでも抜け出せる態勢を整え、直線を迎えた。

直線に入ると、ラチ沿いピッタリを通って逃げ込みを図ろうとするシャインにガルボが一完歩ずつ迫り、残り100m地点を前にガルボが単独先頭。そこから後続をジリジリ引き離すと、最後は2着シャインに3馬身差をつける完勝で、あっさりと重賞初制覇を飾ってみせた。

前走GⅠで4着と好走しながら4番人気という「低評価」を覆す痛快な勝利は、年末の鬱憤を十分に晴らす勝利となり、同時にシンザン記念史上初となる関東馬の勝利となった。さらに、管理する清水秀克調教師にとってはこれが嬉しい重賞初制覇で、翌日のフェアリーSも同じく管理馬のコスモネモシンが勝利。2日連続重賞制覇も成し遂げられた。

その後、GⅠでは苦戦が続きながらも重賞やオープンで度々好走したガルボは、5歳時に出走した東京新聞杯で待望の重賞2勝目をあげると、4月のダービー卿チャレンジトロフィーも制覇。そして、7歳時には8番人気の低評価を覆して函館スプリントSも勝利し、4度目のタイトルを獲得した。

通算42戦のうち、1番人気に推されたのはわずか2度でありながら何度も穴党を喜ばせ、全10場中9場を走破したガルボ。8歳まで息の長い活躍をしたあまりにも渋すぎる名脇役は、少ない産駒の中から高知二冠馬のガルボマンボや、条件馬ながら2023年の天皇賞(春)で7着と健闘した現役馬エンドロールを送り出した。

写真:かず、Horse Memorys

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