![[共同通信杯]イスラボニータ、ハンソデバンド、ディーマジェスティ。蛯名正義騎手とのコンビで共同通信杯を制した馬たち](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/02/2026021201.jpg)
クラシックに向けて見逃せない前哨戦、共同通信杯。本番の皐月賞は2ヶ月先で、上位入着馬に優先出走権が与えられるトライアルレースではないものの、近年は同じ東京競馬場でおこなわれるダービーより皐月賞との結びつきが強い。
そんな共同通信杯を騎手として最も多く勝利したのが蛯名正義騎手(現・調教師。グレード制導入以降)である。初勝利は2008年で、デビュー22年目だったことを思えばやや時間はかかったものの、そのレースを含めれば2008年から8度の騎乗機会で計4勝と驚異的な成績を残し、印象的なレースも少なくなかった。
今回は、蛯名正義騎手とのコンビで共同通信杯を制した馬たちを振り返りたい。
2014年 イスラボニータ
日本競馬に革命を起こした種牡馬サンデーサイレンスの初期の傑作フジキセキ。朝日杯3歳S(現・朝日杯フューチュリティS)や弥生賞を無敗で制しながら、皐月賞直前に屈腱炎を発症し引退を余儀なくされたため「幻の三冠馬」ともいわれた。ただ、その能力は種牡馬入り後もしっかりと産駒に引き継がれ、多くのGⅠ馬を輩出した。
そんなフジキセキの最終世代の一頭として美浦・栗田博憲厩舎からデビューしたイスラボニータは、6月1週目の新馬戦を快勝。新潟2歳Sでは、ハープスターの衝撃的な末脚に屈し2着と敗れるも、いちょうS(現サウジアラビアロイヤルC、当時はオープン)で2勝目をあげ、続く東京スポーツ杯2歳Sではプレイアンドリアルに競り勝って重賞初制覇を成し遂げた。
ちなみに、このときの勝ち時計1分45秒9は当時のコースレコードであり、芝1800mで2歳馬が史上初めて1分46秒の壁を破った瞬間でもあった。

こうしてクラシック候補に名を連ねたイスラボニータは、そこからおよそ3ヶ月間休養。3歳シーズンの初戦に選ばれたのが共同通信杯だった。
降雪の影響で、予定より8日延期されておこなわれたこのレース。キャリア5戦目で初めて1番人気に支持されたイスラボニータのライバルと目されたのは、ノーザンファームが生産したディープインパクト産駒の良血馬2頭、サトノアラジンとベルキャニオンで、三つ巴の様相を呈していた。
レースは、ほぼ揃ったスタートから好ダッシュを決めたイスラボニータを交わしシングンジョーカーが先頭。幾分いきたがるところをみせたイスラボニータは、蛯名騎手になだめられながらもラインカグラの直後3番手につけた。
一方、3番人気のベルキャニオンはちょうど中団7番手に位置。サトノアラジンは後ろから4頭目を追走していた。
前半800m通過は49秒3と遅く、やや縦長だった隊列は3、4コーナー中間で凝縮。そんな展開に我慢ならないといった感じで上昇を開始したのがサトノアラジンで、一気に3番手までポジションを上げる中、レースは直線勝負を迎えた。
直線に入るとすぐサトノアラジンが先頭に躍り出たものの、内からベルキャニオン、外からイスラボニータが迫り、坂の途中からは人気3頭の追い比べとなった。その後、サトノアラジンは苦しくなり、イスラボニータとベルキャニオンの一騎討ちになるも、実績に勝るイスラボニータが余裕を持ってこれを突き放し1着でゴールイン。休み明け初戦を難なく突破し、見事2つ目のタイトルを手中に収めたのである。
この勝利により、堂々クラシックの主役として皐月賞へ直行したイスラボニータは、ここでも好位追走から抜け出す安定した取り口で快勝。自身の連勝を4に伸ばすと同時に、父フジキセキと産駒たちが成し遂げられなかったクラシック制覇の夢をついに実現してみせた。
そして、続くダービーではワンアンドオンリーに雪辱を許したものの2着に好走し、休み明け初戦のセントライト記念も快勝したが、満を持して古馬との戦いに身を投じた秋の天皇賞で3着に敗れると、一転、そこから2年半もの間、勝ち切れないレースが続いてしまう。
それでも、6歳初戦のマイラーズCで復活の勝利をあげると、引退レースとなった年末の阪神Cで再びレコード勝ち。これ以上ない形で有終の美を飾り、現在は貴重となったフジキセキの後継種牡馬として活躍馬を送り続けている。
2010年 ハンソデバンド
JRA通算2541勝、うちGⅠ26勝をあげた蛯名騎手が初めて牡馬クラシックとグランプリのタイトルを手にしたのはマンハッタンカフェとのコンビ。2010年の共同通信杯で騎乗したハンソデバンドは、種牡馬マンハッタンカフェの4世代目の産駒にあたる。
ガンバ大阪やヴィッセル神戸、セレッソ大阪など関西のチームを中心に活躍し、Jリーグ通算109ゴールをあげた播戸竜二選手が寒い冬場でも半袖ユニフォームで熱いプレーを披露する姿が馬名の由来となったハンソデバンドは、美浦・尾形充弘厩舎からデビュー。武豊騎手が騎乗した新馬戦と未勝利戦は2着に惜敗するも、内田博幸騎手に乗り替わった未勝利戦とジュニアCを連勝しオープン入りを果たした。
ところが、ジュニアCの翌週に起きた落馬事故で内田騎手が負傷。鞍上に蛯名騎手を迎えて臨んだのが、2010年の共同通信杯だった。
このレースで人気を集めたのは、前走ホープフルS(当時はオープン)を快勝したアリゼオで、単勝オッズは1.8倍。これに、ラジオNIKKEI杯2歳Sで3着と好走したダノンシャンティが続き、やや離れた3番人気に支持されたのがハンソデバンドだった。
レースは、スタートでロジスプリングが少し立ち遅れる中、前は引っかかり気味にハナを切ろうとするハンソデバンドを内からカワキタコマンドが交わし先頭。ハンソデバンドは、そのまま2番手に落ち着いた。
一方、アリゼオも同じようにC・ルメール騎手になだめられながらダイワアセットとともに3番手を追走。ダノンシャンティは、スタートしてすぐの時点で後ろから3頭目に位置していたものの、徐々にポジションを押し上げると中団やや後ろの9番手につけた。
前半800m通過は49秒6と遅く、出走13頭は10馬身ほどの隊列。その後、勝負所の3、4コーナー中間を過ぎても隊列にほとんど変化はないまま、レースは直線勝負を迎えた。
直線に入ると、ハンソデバンドが楽な手応えでカワキタコマンドに並びかけ、坂を上りきったところで先頭に躍り出る。しかし、それを上回るような手応えでアリゼオが迫り、さらにその外からダノンシャンティも末脚を伸ばすと、最後は3頭の猛烈な競り合いとなった。
押し切りを図るハンソデバンド。これに懸命に食らいつこうとするアリゼオ。2頭をまとめて飲み込もうとするダノンシャンティ――
三者三様の思いが交錯し叩き合いが繰り広げられる中、最も先にゴール板を駆け抜けたのはハンソデバンドだった。最後の最後でダノンシャンティに並ばれたものの、この追撃をハナ差しのぎ切り1着でゴールイン。馬名のとおり、冬の寒さを吹き飛ばすような熱き戦いを制したハンソデバンドは、未勝利戦からの3連勝で重賞初制覇を成し遂げてみせた。
ところが──。
5戦3勝2着2回とほぼ完璧な成績を残してきたハンソデバンドは、それまでの安定した戦いがまるで嘘のように皐月賞で18着と大敗すると、続くダービーも16着に敗戦。共同通信杯で降したダノンシャンティが毎日杯とNHKマイルCを、アリゼオが秋に毎日王冠を制したのとは対照的に不振に陥り、脚部不安にも見舞われてしまう。
そして、1年の休養を経て臨んだエプソムCで18着に敗れると、ダートに矛先を変えた大沼Sも12着と敗れたところで引退。現役生活に幕を閉じた。
残念ながら、ハンソデバンドにとっては最後の勝利となったものの、3頭がびっしりと叩き合った末にハナ、クビ差で決着した2010年の共同通信杯はレース史上屈指の名勝負であり、その中心で輝いたハンソデバンドの勇姿が忘れ去られることはないだろう。
2016年 ディーマジェスティ
前述のとおり、共同通信杯を4度勝利した蛯名騎手。ただ、計14回の騎乗で1番人気に支持されたのはわずか2回だけだった。一方、6番人気での勝利が2度あり、そのうちの1つがディーマジェスティと臨んだ2016年の共同通信杯だった。
2代母に英・愛ダービー馬ジェネラスの半妹シンコウエルメスがいるディーマジェスティは、ディープインパクト産駒の良血馬。ただ、そのシンコウエルメスは現役時、デビュー2戦目に向かう過程で調教中に骨折し、一度は獣医師から助からないと診断されるほどの重症を負ってしまった。
それでも、同馬を管理していた藤沢和雄調教師がなんとか命だけはと相談した結果、大手術がおこなわれ、その後も厩舎スタッフの懸命な看病により牧場に帰れるまでに回復。ブライアンズタイムとの間に初仔を産み、それ以外にも国内外でたくさんの産駒を世に送り出した。その初仔エルメスティアラの7番仔として誕生したのがディーマジェスティである。

美浦・二ノ宮敬宇厩舎からデビューしたディーマジェスティは、新馬、未勝利戦と連続2着したあとの3戦目、蛯名騎手とコンビを組んで2戦目の未勝利戦を快勝。さらに、そこから1ヶ月後のGⅡホープフルSに出走したものの、レース当日にフレグモーネを発症して取消となり、初勝利から実質2ヶ月半の間隔を開けて臨んだのが共同通信杯だった。
このレースで人気を集めたのはホープフルSの勝ち馬ハートレーで、単勝オッズは1.9倍。これに、東京スポーツ杯2歳Sを勝ったスマートオーディンが3.1倍で続き、2頭からやや離れた3番人気に支持されたのがメートルダールだった。
一方、未勝利戦を勝ったばかりのディーマジェスティは10頭立ての6番人気。名門出身の良血馬とはいえ、あくまで伏兵の中の一頭という扱いだった。
レースは、揃ったスタートの中でもとりわけ好スタートを切ったリスペクトアースがそのまま先行。ダンディーアローとイモータルがこれに続き、内から引っかかり気味にポジションを上げたスマートオーディンが4番手につけた。
一方、ディーマジェスティは中団やや後ろの7番手に位置し、ハートレーはその外、後ろから3頭目に控えていた。
800m通過は47秒9のミドルペースで、全馬はおよそ8馬身差の一団。その後、中間点付近からハートレーがポジションを上げはじめたのに対し、ディーマジェスティには早くも蛯名騎手の左鞭が飛ぶ中、レースは直線勝負を迎えた。
直線に入ると、逃げるリスペクトアースを交わそうとしたイモータルにスマートオーディンが迫るも、前走のような鋭い末脚は見られず、ハートレーに至っては完全に伸びを欠き後方へと下がってしまう。
そんな中、勝負所で鞭が飛びながらも内を通って前との差を詰めていたディーマジェスティが、直線半ばで馬場の四分どころに進路を切り替えると、今度は蛯名騎手が右鞭を連打。すると、ディーマジェスティもこれに応えるように末脚を伸ばし、残り100mで楽々とイモータルも捕らえ先頭でゴール板を駆け抜けたのである。
実質、未勝利戦を勝ち上がったばかりの伏兵が実績馬相手に完勝するという、驚くべき内容で重賞初制覇を成し遂げたディーマジェスティ。この勝利で賞金加算に成功した陣営が選択したのは本番への直行ローテで、2ヶ月後、予定どおり皐月賞に出走したディーマジェスティは、ここでもマカヒキやサトノダイヤモンド、リオンディーズといった逸材たちをまとめて負かし優勝。8番人気の低評価を覆す激走で一気にGⅠ馬へと上り詰め、続くダービーでは3着と惜敗したものの、セントライト記念で3度目の重賞制覇を成し遂げた。
ところが、二冠を目指した菊花賞で4着に敗れると以降は下降線を辿り、ジャパンCは13着と大敗。さらに、年明け初戦の日経賞と春の天皇賞で連続6着と敗れたあと爪に不安を発症し、休養に入ったものの復帰のめどが立たず11月に引退が発表された。
その後、種牡馬入りしたディーマジェスティは、2025年までに5世代の産駒を送り出した。そこからJRAの重賞ウイナーは誕生していないものの、出世頭のディマイザキッドは25年のアルゼンチン共和国杯で3着に好走。重賞制覇まであと一歩のところまで迫っている。また、自身が現役時に走ったことがないダート戦で結果を残す産駒も少なくなく、芝ダートや距離の長短などを問わず幅広い条件で活躍している。
写真:Horse Memorys、横山チリ子

![[リーディング]リーディング以外の箇所で記録樹立も多数 騎手部門はルメール騎手が首位に返り咲く](https://uma-furi.com/wp-content/uploads/2026/02/202602124-300x200.jpeg)