帝の孫であり帝王の子。
奇跡の豪脚の孫であり天馬のひ孫。
神馬のひ孫でもあり、喉鳴に三冠を阻まれた二冠馬の玄孫──。
クワイトファインは、日本競馬史に燦然と輝く名馬を詰め込んだ血統を持つ馬である。
彼は金沢競馬の高橋俊之厩舎で現役最後の4年間を送り、72戦のレースを走りぬいた。
その72戦の半分以上、43戦で手綱を握ったのが当時高橋厩舎に所属していた柴田勇真騎手である。
「なんとなく、なんとなーく覚えてますね」
柴田騎手はクワイトファインについて訊かれると最初にそう答えた。
そのなんとなくの記憶の中ではっきりと覚えていることは、
「調教で大変だった事もなく、大人しくて乗りやすかったですね」
以前、担当厩務員だった喜多厩務員も「凄い大人しい。気性がキツくないし手がかからない子」と評していたので、相当に大人しい馬だったことが伺える。
そんな記憶の奥底に残るクワイトファイン。しかしながら印象深い一頭だと言う。
「(レースを)たくさん乗っていたのと、調教にも乗っていたのと…。あと種牡馬になった事で印象深い馬ですね」
金沢競馬の所属馬が引退後に種牡馬になる事は、ほぼないと言って良い。
自分が数多く手綱を握った馬が種牡馬になる。それだけでも十分すぎるほど、印象には残る。
素人考えではあのすごい血統を見て印象に残ったのでは、と思い柴田騎手に血統の事を聞くと、そこまでの特別感を抱いていたわけではないという。
「(血統表の名馬の)名前だけは何となく知っているんですよね。レースを見ていたとかではないんですが、『血統が凄い馬なんだ』って厩務員さんから聞いて頭に残っていました」
そんなクラシカルな血統の馬の背中から感じたレースでの彼は。
「(レースにおいて)決め手がない事も多少は(成績に)影響がありました。逃げてこそ、という感じでもなかったですね。好位に付けて抜きもせず抜かれもせず、というイメージです」
勝ち味に遅く大敗はしないが勝ちもしない。良くも悪くも、安定感は抜群だった。
しかし、それは決め手に欠く事だけが原因だった訳ではなさそうだ。
「馬が加減していたかな。全力を出し切るタイプの賢い馬もいるけど、(クワイトファインは)毎レース全力を出し切る事もなくずる賢いタイプですね(笑)」
怪我もせずに金沢で74戦、通算142戦走り切れた秘訣がここにあるのかもしれない。
柴田騎手はもう一つ、成績に影響を及ぼしたかもしれない要素を口にした。
「馬っ気が強かったですね」
馬っ気。
『牡馬の発情のこと。馬っ気を出すと競走に集中力を欠き、能力を出し切れなくなることが多いと言われている』──JRA公式ホームページ「競馬用語辞典」より引用
前出の喜多厩務員もクワイトファインを評して、
「女の子が本当に好きだった」
と、振り返るほど。
牝馬を見かけると目で追うような「女の子好き」の牡馬は、結構いるそうだ。
だがクワイトファインはレベルが違う。彼が牝馬を見かけると、「人間で言うと声をかけに行くレベル」と評して笑う。
どうやら、ナンパ師のような、なかなかハイレベルな女好きだったようだ。
しかし、肉食系でガツガツした所は見せなかった。
「襲いに行ったりはしないんですよね」
そこは良血の成せるスマートさか。レディに声をかけるジェントルマンと言った所だろう。
そんな性格は、歳を重ねても直る事はなかった。
「歳を重ねて行っても女好きのおっちゃんです(笑)」
と、思い出しながら柴田騎手がさらに笑った。
この馬っ気の強さ。レースで走り出したらそこまで出なかったがレース前には、
「牝馬見たら鳴いたり、目で追っていたりで集中してないなと思う事もあった」
こんな感じでレースに臨めば集中力は欠く。
そのせいで勝つにはあと一歩届かず…と言う事も多かったのだろう。
「自分も新人で、上手く乗れなかったレースもあったとは思います」
そんなクワイトファインの背中で多くのことを学んだ柴田騎手。2024年の石川優駿・サラブレッド大賞典の二冠ジョッキーに輝いた遠因の一つになったのかもしれない。
そんな女好きのおっちゃんクワイトファインは今、天職とも言えそうな種牡馬となり、産駒を送り出している。
「産駒には乗ってみたいですね。自分が乗っていた馬が種牡馬になって産駒に乗るなんてそんなに経験できることではないから」
デビューからでなくても、産駒には乗ってみたいと思いは強い。
クワイトファインが金沢で上げた4勝中3勝は柴田騎手の手によるものだ。
父が一番走った競馬場で、一番多く手綱を握って一番多く勝った騎手の手で一番を得る──。
そんな景色が見られる日を柴田騎手もファンも待ち望んでいる。